第3話 あんた、なんか変な匂いする
朝になっても、勇者さまは何も言わなかった。
俺は荷物持ちだ。
戦いの数には入れないでほしい。
◇
3日目の昼、城塞都市ベルクの門をくぐった。
宿の酒場の戸を押すと、ひときわ派手な髪が視界に飛び込んできた。
金髪。赤いバンダナ。緑の目。細身の体。
革鎧の上に布のベストを羽織っている。
腰には短剣が2本。
そいつは俺を見つけると、にっと笑った。
「お、荷物持ち? ちっちぇー!」
肩に腕を回された。
「オレ、トビ。よろしくな、ノア」
「あ、はい……ノアっす」
距離が近い。
荷役ギルドでは、こんな近さで話しかけてくる奴はいなかった。
「ほら、あれがエルマ。うちの魔術師。口は悪いけど、いい奴だぜ」
トビが顎で奥の卓を指した。
そこに、 大きすぎるとんがり帽子が、先に見えた。
帽子の下から、短い黒髪と赤い髪留め。ぶかぶかのローブ。袖が手を隠している。
肩に黒猫が乗っていた。金の目をしている。
つんと吊った紫の目が、俺を上から下まで見た。
「は? こんなのが荷物持ち?」
黒猫が俺と目を合わせた。
次の瞬間、 黒猫は毛を逆立てて、エルマの帽子の中へ潜り込んだ。
「ちょっと」
エルマが帽子に手を突っ込んで、猫を引っ張り出す。
猫は爪を立てて、帽子の縁にしがみついていた。
エルマは俺の顔を見た。
それから、近づいてきて、俺の首筋をくん、と嗅いだ。
「あんた、なんか変な匂いする」
「えっ」
俺は自分の袖を嗅いだ。
「汗っすかね……昨日、狼に追い回されたんで」
「エルマは誰にでもそれ言うんだぜ」
トビが横から口を挟んだ。
「言わないし」
エルマが睨む。
熊みたいな腕が伸びてきた。ガルドだ。
「ちび、初対面で失礼だろうが」
帽子を上から、ぐいっと押さえる。
「ちび言うな!」
エルマが帽子の下で暴れた。
猫が落ちかけて、トビが片手で受けた。
「がはは」
笑い声の向こうで、戸が開いた。
勇者が入ってきて、全員を見回した。
黒い外套。薄青の目。
「そろったな」
誰も、口を開かなかった。
「今日のうちに荷を揃えろ。明日は点検だ。明後日発つ」
それだけ言って、勇者は階段を上がっていった。
◇
言われた通り、すぐ市場へ出た。
まず馬を買った。
栗毛の雌馬だ。トビが手綱を引いている。
俺は馬の反対側を歩いた。
「荷物持ち、なんでそっち側なんだよ」
「蹴られそうで」
「お前、荷役だろ」
「だから、っす」
トビが笑った。
干し肉、豆、油壺、矢、薬草、毛布。
買った荷は宿の裏庭に積み上がった。
山だ。
6人で40日分は、思ったより山だった。
「これ全部は無理だろ」
ガルドが腕を組んだ。
俺は荷の山を見た。
見ているうちに、 頭の中で、荷が動き始めた。
気づいたら、口が動いていた。
「豆は1袋1貫っす。まず馬の左右に3袋ずつ」
袋を持ち上げる。
左手に1つ、右手に1つ。
右がほんの少し軽い。
豆を一握り移して、揃えた。
「油壺は崩れやすいんで、左右に1つずつ。割れ物は上に積まないでください」
「お、おう」
「矢は隙間に立てます。毛布は緩衝に。背負子は、重いものを背中側に」
黒い箱を芯にして、背負子に積んでいく。
縄をかける。引く。
かちっと、荷が鳴った。
荷造りは、手が覚えている。
馬の左右を持ち上げる。
左が1貫2分重い。
干し肉の束を抜いて、右へ回した。
また持ち上げる。
揃った。
背負子の芯に黒い箱を立てて、薬草と毛布で囲う。
縄を二重に回す。
引く。かちっと鳴る。
気づくと、庭の山は消えていた。
6人40日分で、ざっと200貫。
それが馬の背と背負子に、1つも余らず収まっている。
干し肉の束だけが、まだ残っていた。
俺は数えた。
「2日分、余りました」
ガルドが口を開けたまま、庭を見回した。
荷の山があったところには、踏み固めた土しかない。
しばらく、誰も何も言わなかった。
トビが口笛を吹いた。
「すげえ、職人じゃん」
「いや、俺なんかは」
「謙遜すんなって。これ、オレが運んだら絶対どっか崩れるぜ」
エルマが、荷を黙って見ていた。
馬の左右を覗き込んで、背負子の縄を指で弾く。
「……気持ち悪いくらい綺麗」
エルマが俺の手首を掴んで、すぐ離した。
「手、冷たっ」
荷縄を握ってたからだ。たぶん。
褒められたのか、そうじゃないのか分からない。
「すごいです、ノアさん」
セレナが手を合わせた。
「坊主、本職だな」
ガルドが俺の背中を叩いた。
痛い。
勇者は窓から、ちらっとこっちを見た。
何も言わなかった。
すぐに引っ込んだ。
俺は荷紐を握ったまま、立っていた。
褒められるのは、慣れていない。
これでミナの薬代の足しになるのかな、と思った。
毎月ちゃんと、届くよな。
◇
荷が片づいたあと、トビが腰の短剣を1本抜いた。
「荷物持ちも1本くらい持っとけって」
「いや、俺は」
「いいから。握ってみ」
渡された短剣は、思ったより軽かった。
俺は、荷紐を握るみたいに握りしめた。
トビが吹き出した。
「ちげーって。親指を柄頭にかけるな。刃は寝かせろ。拳で握るな、指で持て」
言われた通りにしてみる。
刃が、立った。
「立ってる立ってる」
「すんません」
「歩き方も教えてやるよ。踵から降りるな。つま先で地面を撫でろ」
俺は庭を歩いた。 つま先で撫でる。
撫でたつもりだった。
どす。
どす。
どす。
「ぶはっ」
トビが腹を抱えた。
「お前、歩くたびに『荷物持ちです』って言ってるぞ」
「そんなに、すか」
「そんなに」
俺は短剣を返そうとした。
トビは手を振った。
「やるよ。古い方。持っとけって」
鞘ごと、差し出される。
俺は受け取らなかった。
「俺が持っても、荷紐しか切れないっす」
「もったいねー」
トビは短剣を腰に戻した。
◇
その夜の食堂は、うるさかった。
宿の女将が、樽を担いで厨房から出てきた。
「お客さんたち、いい飲みっぷりね」
目の前の卓で、ガルドとトビが杯を打ち合わせている。
「おいガルド、今度こそオレが勝つぜ」
「がはは、来いよ小僧」
「小僧じゃねーって!」
トビが銅貨を出して、卓に叩きつけた。
「これ賭ける」
「いいぜ」
女将がガルドの空き樽を数えて、ため息をついた。
「あんたら、どんだけ飲むつもりだい」
「まだ10杯だろ」
ガルドが笑う。
「うちの樽、あと1つしかないんだけどね」
15杯目で、トビが卓に突っ伏した。
「もう1杯……」
「負けだ、小僧」
銅貨が、ガルドの方へ滑っていった。
「ちくしょー」
「がはは!」
隣の卓で、エルマが果実水を飲んでいた。
その帽子が、すっと頭から消えた。
「あ」
トビが、突っ伏したまま帽子を掲げていた。
「負けた腹いせ」
「返しなさいよ!」
エルマの指先に、赤い火が灯る。
「室内で魔法は駄目です」
セレナが静かに言った。
火が、ふっと消えた。
トビが帽子を返して、エルマがひったくる。
黒猫は帽子の中で、丸くなっていた。
俺の前には、椀が1つ置かれていた。
湯気はもう、立っていない。
「ノアさん、食べないんですか」
セレナが首をかしげた。
「後で食います」
俺は立ち上がった。
「荷の積み直し、しときたいんで」
「真面目かよ」
トビが顔だけ上げて言った。
俺は聞いた。
「勇者さまは」
「お部屋で、お一人で召し上がっています」
セレナが少しだけ、目を伏せた。
「いつものことです」
俺は食堂を出た。
廊下は暗かった。
壁際の蝋燭が、1本だけ点いている。
その下に、黒猫がいた。
エルマの肩にいたはずの猫が、一匹で、床に座っていた。
俺と目が合った。
猫は、壁に背中をつけた。
毛が逆立っている。
喉の奥から、低い唸り声が出ていた。
俺は動かなかった。
動いたら、もっと唸られる気がした。
そろそろと、壁の反対側を歩く。
猫の目は、俺が角を曲がるまで、ずっとついてきた。
唸り声も、ずっと続いていた。
馬も、犬も、昔から俺には寄ってこない。
◇
4日目は、荷の最終点検で終わった。
縄を締め直して、馬の蹄を見て、豆の袋を数えて、数え直した。
夜、食堂に全員が集められた。
勇者が、卓の真ん中に地図を広げた。
「ベルクから森の街道に入る」
指が、地図の上を北へ動く。
「国境の村ハルム。大河ネイ。その先が、灰の森だ」
誰も口を挟まなかった。
「夜の見張りは、俺と荷物持ちで回す」
食堂が、静かになった。
ガルドが首をかしげた。
「坊主に見張りか?」
「そうだ」
「大将がそう言うなら」
トビは「ふーん」と言っただけだった。
エルマが、卓を叩いて立ち上がった。
「は? 荷物持ちに見張りさせんの?」
「そうだ」
勇者は、地図から目を上げなかった。
「あたしたちの方が、よっぽど」
「そうだ」
それだけだった。
エルマは唇を噛んで、腰を下ろした。
「あの、俺、前の晩、寝ちゃって」
「そうだ」
最後まで言わせてもらえなかった。
視線を感じて、顔を上げた。
エルマの紫の目が、ずっと俺を見ていた。
唇が、声を出さずに動いた。
よ、る、は、な、に、し、て、る。




