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勇者パーティの荷物持ちの俺は、仲間が一人ずつ喰われていく旅を、最後まで見届けた  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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第25話 やるなら、魔王の後にしろ




29日目。


勇者さまを殺す。


そう決めてから、まだ1回も眠れていない。


灰が深かった。


足首まで沈む。


一歩、抜く。


灰が崩れる。


音がない。


灰が音を吸ってる。


前を行く背中がある。


黒い外套のない背中だ。


右肩の包帯が白い。


聖剣が腰で揺れてる。


歩くたびに、刃が光を弾く。


俺は背中を見て歩いてる。


セレナさんが横にいる。


白い法衣の裾が灰を払う。


誰も喋らない。


朝から、一言もない。


灰を踏む音だけが続く。


ずるり、ずるり。


背中までの距離を、俺は数えてた。


「3歩半」


俺の歩幅で3歩と半歩。


荷車1台分くらいだ。


届くのに、足が出ない。


頭の中で声がする。


「無理だろ。勇者さまだぞ」


俺の声だ。


怯えてる声だ。


「いや、やるんだよ。やるって決めたじゃん」


別の声だ。


こっちも俺だ。


でも、3歩半が遠い。


荷車1台分が、遠い。


背負子の黒い箱がこつんと鳴る。


相変わらず軽い。


腰の短剣が腿を叩く。


背負子の横で大剣が揺れる。


手が、動かない。


昼になった。


勇者さまが止まった。


俺も止まった。セレナさんも止まった。


荷を下ろす。背負子の肩紐が緩む。背骨が伸びる。


こつん、と黒い箱が鳴った。


岩の陰に座る。


いつもの場所だ。勇者さまはもっと遠くの岩に背を預けた。


セレナさんが背負子から糧食の包みを取り出した。


干し肉だ。


3つに割った。


1つを俺に差し出した。


「あ、後で食います。今、腹が……」


受け取った。


「後で、ですね」


それだけ言った。


琥珀色の目が俺を見て、すぐ前へ戻った。


それ以上、勧めなかった。


岩陰の背中を見ていた。


右手が動いてる。


干し肉を持ってる。


口元に運んでる。


噛んでるように見える。


『あいつは食べない。数えた。17回』


エルマの字が、頭の中で浮いた。


……見せかけだ。


食べてるふりだ。


俺はそう決めた。


エルマの手帳が、そう言ってるからだ。


干し肉を握ってる。


俺は口に入れなかった。


腹は減ってない、と思った。


セレナさんが干し肉を食べてる。


小さくちぎって、ゆっくり噛んでる。


何も言わない。


指先が懐の角に触れた。


エルマの手帳だ。


赤い紐が、布越しに皮膚に食い込んでいる。


言葉が喉まで来た。


「セレナさん、実は」


口が開きかけて、止まった。


……言ったら、セレナさんもあいつの目に入る。


知れば、狙われる。


狙われるのは、俺だけでいい。


俺は口を閉じた。


「なんでもないっす」


掠れた声が出た。


セレナさんの眉が動いた。


でも、何も訊かなかった。


休憩が終わった。


背負子を担ぎ直す。


歩き出す。


夕方。


俺は横に並んだ。


「……セレナさん」


「はい」


「今夜、俺が見張りします」


セレナさんが歩みを止めた。


琥珀色の目が俺を見る。


「では、私は隣で起きています」


「えっ」


声が裏返った。


「いや、それは、その、寝てください」


◇


29日目の夜。


焚き火は熾火になっていた。


セレナさんは眠っていた。


寝息だけが聞こえる。


俺はしばらくその音を聞いてた。


変わらないのを確かめた。


それから腰に手をやった。


トビの短剣。


1本だけ抜いた。


刃が熾火の赤を弾いた。


俺は立ち上がった。


足裏が灰を踏む。


音が、ない。


トビの足運びだ。


つま先で撫でろ、とあの声がした。


つま先で地面を撫でるように、体重を殺して踏む。


灰が沈まない。


体が勝手に動いた。


トビさんに習ったからだ、と思った。


1歩。


2歩。


3歩。


少しだけ驚いた。


背中が冷たくなった。


でも足は止まらなかった。


勇者さまは毛布にくるまっていた。


岩の陰で横になって、眠ってる。


聖剣は腰にある。


右手が毛布の上にある。


手袋のない右手だ。


俺は剣を握った。


刃先を下ろす。


勇者さまの喉元へ。


のどぼとけの上、数寸。


そこで止まった。


トビさんの顔が浮かんだ。


金髪のバンダナ。緑の目。にやりと笑ってた。「つま先で撫でろ」って。


トビさんは、もういない。


ガルドさんの顔が浮かんだ。


赤茶の髪。無精ひげ。がははと笑ってた。「坊主、食え食え」って。


ガルドさんも、もういない。


エルマの顔が浮かんだ。


黒い髪。赤い髪留め。紫の目。むすっと黙ってた。


エルマも、もういない。


3人の顔が消えた。


「やれ」


俺は自分に言った。


声は出なかった。喉の奥で鳴っただけだ。


刃は動かなかった。


のどぼとけの上、皮1枚。


そこで止まってる。


手が震えてない。


震えてないのに、動かない。


そこで勇者さまの唇が動いた。


目は閉じたままだった。


「やるなら、魔王の後にしろ」


低かった。


寝言みたいだった。


でも、ちゃんと聞こえた。


俺の体が跳ねた。後ろに。


尻が灰に食い込む。


短剣が手から滑りそうになって、握り直した。


勇者さまは寝返りを打った。


向こうを向いた。


右肩の包帯が闇に白い。


それきりだった。


何も言わない。


目も開けない。


短剣を鞘に戻した。金属が擦れる音が、やけに大きく聞こえた。


ゆっくり、力を抜く。


指が白かった。血が戻るのが痛い。


立ち上がった。


足裏の灰が、ずるりと滑った。


20歩。


戻るだけだ。


来たときと同じ、つま先で撫でるように。


音はしなかった。


毛布のところに戻った。


膝を抱えた。


背中が丸まる。


震えが来た。骨の芯から揺れてるみたいだ。


歯が当たる。


「なんで分かったんだ」


声が出た。


小さかった。闇に吸われた。


あいつは目を閉じてた。


寝てた。


なのに、喉元に刃が来てるのが分かった。


どうやって。


「なんで止めないんだ」


もう1つ出た。


俺が。


俺が止まったんだ。


手が震えてないのに。


やると決めたのに。あと皮1枚。


それだけで止まった。


「魔王の後ってなんだよ」


頭の中を3つの言葉が回ってる。


焚き火の熾火が、赤い点になってる。


風が灰を巻いた。


目を閉じなかった。


閉じたら、あの声が聞こえる気がした。


「やるなら、魔王の後にしろ」


空が白むまで、俺は膝を抱えていた。


震えていた。


◇


30日目の昼。


灰の地面が波打った。


いきなりだった。泥の上を何かが泳いでるみたいに、灰が波打った。


「下がれ」


勇者さまの声。振り返るより早く、背負子の肩紐が緩んだ。括りつけた大剣だけ引き抜いて、荷を地面に放り出す。黒い箱がこつんと鳴った。次の瞬間、灰が爆ぜた。


白い。


まっ白な何かが空を裂いた。太さは丸太どころじゃない。家の梁を3本束ねたみたいな太さ。それが弓なりに跳ね上がり、口を開けた。


荷馬車3台分くらいの長さだ。


口の中に、歯があった。人間の歯じゃない。小さな歯が何重にも輪になって並んでる。灰が口の中から雪崩のようにこぼれ落ちる。灰喰い蟲(アッシュワーム)。


勇者さまの聖剣が走った。白い刃が弧を描く。最初の斬撃。早い。でも蟲は灰に潜った。空を切った聖剣が灰を巻き上げるだけ。


次の瞬間、足元の灰が裂けた。


白い胴体が、勇者さまの足元から噴き出す。口が開く。歯の輪が回転した。吸い込むみたいに風が渦を巻く。勇者さまの体が浮いた。灰ごと飲まれる。包帯の右肩が歯の輪に触れる。


考えるより早く、足が動いた。


トビの足運び。


つま先で撫でる。灰が崩れない。滑るように横へ出る。トビさんに習ったからだ、と頭のどこかが言った。腰の短剣じゃ届かない。握っているのは、ガルドさんの大剣だ。柄の革が手に馴染む。体重を預けて、踏み込む。ガルドさんの型。兜割り。


刃が蟲の顎の付け根にめり込んだ。白い肉が裂ける。歯の輪が止まった。勇者さまの体が口から弾け出る。俺の足が勝手に動いた。勇者さまの腹を蹴り上げる。灰の上に転がる。


勇者さまが灰の上で仰向けになった。


右肩の包帯が灰だらけだ。


生きてる。


俺は大剣を構えたまま、固まった。


「……あ」


声が出た。


小さかった。


乾いた灰の音に吸い込まれた。


蟲が沈む音がした。灰が泡立つ。


セレナさんの声が弾けた。


「《聖域》」


透明な壁が、俺たちの周りに展開する。膜みたいなものだ。音が鈍くなる。


次の瞬間、白い胴体がぶつかった。蟲だ。丸太3本分の体が膜に激突し、衝撃で膝が折れる。セレナさんが呻いた。額に汗。でもセレナさんの顔色が白い。長くは持たない。


蟲は膜に弾かれた勢いで、灰に潜った。足元が静かになった。


……来る。


耳じゃない。足裏だ。灰の下を何かが這ってる。土の震えが、かかとから脛へ、腰へと伝わる。いつも荷車の轍で固さを測ってた、あの癖。


俺は目を閉じた。


右。振動が右に抜けていく。距離、2間。深さは……浅い。


「右の下、2間!」


叫んだ。自分の声じゃないみたいだった。


勇者さまが動いた。遅れなし。右へ踏み込み、聖剣を突き立てる。刃が灰を割り、地下の何かに触れた。硬い音。


蟲が跳ねた。白い体が地面から弾け出す。口が開く。歯の輪が回転した。セレナさんの《聖域》が軋む。限界だ。


そこで、口が勝手に動いた。


「赤く、細く、貫け――《炎槍》」


声が出た。エルマの詠唱だ。掌が熱い。炎が生まれた。槍の形をした赤い火。それが蟲の腹へ一直線に突き刺さる。


悲鳴が上がった。人の声じゃない。獣でもない。灰を焼く匂いがした。蟲が灰の上でのたうち回る。黒い筋が腹から走る。


勇者さまが跳んだ。聖剣が振り下ろされる。首と胴の境目。刃が肉を裂き、骨を断つ音がした。


蟲の首が転がった。


動かなくなった。


セレナさんの《聖域》が消えた。音が戻ってくる。風の音、灰が沈む音、俺の息だ。


セレナさんが膝をついた。


法衣の肩が激しく上下してる。額に汗が光ってる。顔色が白い。それでも目だけは俺を見た。


「今のノア……私よりずっと……」


息が切れてる。言葉が途切れる。


「ううん、勇者さまの次に強いです」


俺は口を開きかけた。


「いや、俺なんかは」


勇者さまは無言で聖剣を持ち上げた。刃についた灰を払う。払い終えて、鞘に戻した。音もなく。


俺は勇者さまを見た。


灰の上に片膝をついてる。右肩の包帯が灰だらけだ。俺は腕を引いた。勇者さまの腕、革の上から、細い、硬い。立たせかけた。


手を離した。


「……助けたんじゃないっすから」


声が低かった。


「荷物が潰れたら困るんで」


勇者さまは何も言わない。


包帯の右肩を押さえて、歩き出した。背中が遠ざかる。


3歩半。


あの距離だ。


◇


30日目の夜。魔王城の黒い尖塔が、焚き火の煙越しに3本の爪みたいに空を掻いていた。


石を並べた小さな火の輪。そこへ、勇者さまが自分から腰を下ろした。


初めてだった。いつもは20歩先の岩陰で背中だけ見せていたのに。聖剣は膝。右肩に包帯。


勇者さまは、食事はもう1人で済ませてきたらしい。


沈黙。風が灰を巻く。


ぽつり、声が落ちた。


「魔王は人では殺せない。歴代の勇者は全員喰われた」


セレナさんが息をのんだ。法衣の肩が揺れる。


俺は喉を鳴らした。乾いた音が焚き火に吸われる。


「じゃあ、どうやって」


問いは炎の向こうへ消えた。


「俺が殺すんじゃない」


低い。理由は来ない。


「じゃあ誰が」


勇者さまは答えなかった。ただ、熾火越しに俺を見た。氷色の目が、じっと。


背筋が粟立った。懐の手帳の角が、肋骨を突く。


『器が育つまで、同行者を絶やすな』


燃え残りの紙の、器の字が、頭の中で炎に巻かれた。


仲間を餌にして、何かを育ててる。魔王にぶつけるつもりだ。


その「何か」は、あいつ自身か。それとも、あいつの奥で蠢いてる魔物か。


焚き火の爆ぜる音だけが、闇に残った。


31日目の明け方。


夜が明ける前だった。空の底に青が滲んでいる。まだ闇が濃い。


誰も喋らなかった。焚き火の灰を蹴って、荷を担ぐ。背負子の肩紐が背中に食い込む。黒い箱がこつんと鳴る。


灰の荒野の向こうに、黒い壁が立ち上がっていた。灰と空の境に、黒い影がそそり立つ。俺は荷役の目で測った。壁の長さ、高さ、厚み。門の幅。


……城門だけで、ギルドの倉庫が3つ入る。


セレナさんが隣にいた。白い法衣が灰だらけだ。手が胸元にある。ロザリオを握っている。指の節が白い。唇は動かない。


勇者さまが前を歩いている。右肩の包帯が薄い青の光に白い。背中が、いつもと同じだ。3歩半の距離。


門があった。黒い鉄の門だ。閉じている。隙間から灰が漏れている。


勇者さまが止まった。俺も止まった。セレナさんも止まった。


黒い門の前に、俺たちは立っていた。


3人だった。


ベルクを出た時は、6人だった。

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