第12話 うまく育っているといいが
王都アルセイン、荷役ギルド。
親方のバズは、帳場の引き出しから金貨を1枚つまみ出した。
荷物持ちの坊主が、出発の朝に押しつけていった7枚のうちの1枚だ。
50を過ぎた禿頭に、朝の光が当たっている。
帳場の前に、若いのが3人並んでいた。
荷運びの1年目だ。
揃いの青い腕章を、少しだけ斜めにつけている。
つけ方がなってない。
「親方、聞いたっすか」
「次は俺っすよ」
「いや俺っす。俺、荷揚げ一番速いっすから」
「速さじゃねえだろ。勇者さまが見るのは」
「見るって、何を見るんすか」
「だから、その、器というか」
「器ってなんだよ」
「知らねえよ」
バズは立ち上がった。
机を拳で1回叩いた。
3人が黙った。
「うるせえ」
バズの声は、荷揚げ場の銅鑼みたいだった。
低くて、遠くまで届く。
「勇者さまが誰を選ぶか。俺が決めるんじゃねえ。お前らが決めるんでもねえ」
指を1本立てた。
「荷物持ちはな、荷を落とさねえ奴だ。荷を落とす奴は、何も持てねえ」
3人が顔を見合わせた。
「お前ら、去年の秋、誰が酒樽を割った」
1人が下を向いた。
「俺っす」
「そうだ。お前だ」
残りを引き出しの袋に戻した。
袋の口を紐で結んだ。
結び目を2回引いた。
「親方、それ」
「ノアの金だ」
「ノアさん、旅立ったんすよね」
「ああ。勇者さまの荷物持ちだ」
3人がまた騒ぎ出した。
「すげえ」
「ノアさんが」
「あのノアさんが」
「あのノアさんが、なんだ」
バズは目を細めた。
「お前らより、荷を落とさねえからだ」
金貨を懐に入れた。
「お前らも荷を落とさねえようになったら、選ばれるかもしれねえな」
「ほんとっすか」
「うそだ」
バズは帳場の横を通り抜けた。
戸口で振り向いた。
「荷揚げ場、掃除しとけ。埃が溜まってる」
「はいっす」
3人が走っていく。
足音がばたばたと遠ざかる。
バズは鼻で笑った。
◇
薬屋は、大通りから1本入った角にあった。
戸を開けた。
ちりん、と鈴が鳴った。
中は暗い。
薬の匂いがする。
乾いた草と、粉と、蜜蝋と古い紙。
カウンターの奥に、薬屋の親父がいた。
丸眼鏡をかけている。
白髪を後ろで結んでいる。
指が薬の粉で黄色い。
「親方」
薬屋の親父が顔を上げた。
「珍しいな。あんたが薬を買いに来るとは」
「毎月だ」
「毎月?」
「今月から」
バズは懐から金貨を出した。
カウンターに置いた。
金貨が木の上でちん、と鳴った。
「ミナの薬だ。1か月分」
薬屋の親父が眼鏡を押し上げた。
「ミナちゃんか。肺の」
「そうだ」
「あの坊主の妹さんだな」
「そうだ」
薬屋の親父が金貨をつまんだ。
光に透かした。
「本物か」
「俺が偽物持ってるか」
「持ってるだろうな、帳場で」
「帳場の金は帳場の金だ。これは俺の金だ」
「へえ」
薬屋の親父が立ち上がった。
棚の前に行った。
引き出しを開けた。
粉薬を、ひと月分量って出した。
紙に包んだ。
包みを紐で十字に結んだ。
結び目を1回引いた。
「あの坊主、勇者さまのお供だってな」
薬屋の親父が言った。
「荷役ギルドの株が上がったじゃねえか」
「上がるか」
「上がるさ。勇者さまが選んだんだ。荷役ギルドの荷物持ちを」
バズは何も言わなかった。
包みを取った。
「毎月来る」
「ああ」
「ミナの薬だ。朝と夜、1回ずつ」
「わかってる」
「粉は水に溶かせ」
「わかってるって」
「夜に咳が続くときは」
「親方」
薬屋の親父が笑った。
「あんた、坊主から聞いたな」
バズは包みを握った。
「聞いた」
「あの坊主、3回言うんだよ。同じことを」
「知ってる」
「あんたも3回言うんだな」
「うるせえ」
バズは包みを持って、戸口へ歩いた。
「親方」
薬屋の親父が呼び止めた。
「あの坊主、無事だろうな」
バズは振り向かなかった。
「知らねえよ」
戸を開けた。
ちりん、と鈴が鳴った。
歩き出した。
裏通りへ曲がった。
2階の窓が見える。
咳が1つ。
階段を上がる。
階段を上がりきったところで、おかみさんが台所から出てきた。
エプロンの紐を締め直している。
バズの前に立った。
「親方」
声が小さい。
おかみさんがバズの耳元に口を寄せた。
「あの子、毎晩お兄ちゃんの寝床に座ってるんだよ」
「ごはんもね、あんまり」
おかみさんの目が赤い。
バズは頷いた。
おかみさんはそれ以上何も言わずに台所に戻った。
部屋の戸が薄い。
向こうで咳がひとつ。
バズは肩を落として、叩かずに開けた。
ミナは窓際の椅子にいた。
毛糸の上着にくるまっている。
兄のお古だ。
袖が余っている。
茶色のおさげが、今日はちゃんと結んである。
「親方のおじちゃん」
ミナが顔を上げた。
「お薬、持ってきてくれたの?」
「ああ」
バズは包みを卓に置いた。
紐を解いて、紙包みを3つ並べた。
「粉を水に溶かしてな」
「朝と夜、1回ずつ」
ミナが先に言った。
「お兄ちゃんに聞いたもん」
バズの手が止まった。
「……そうか」
ミナが小さく笑った。
片えくぼが出た。
咳がひとつ。
前より軽い。
胸の底からじゃない。
喉のあたりで止まる。
「親方のおじちゃん」
ミナが卓の下から何かを取り出した。
紙だ。
折り畳んである。
開いた。
絵だった。
炭だ。
線がにじんでいる。
人が1人描いてある。
背が低い。
肩だけ広い。
肩に荷が載っている。
山みたいに。
荷の山が、人より大きい。
「お兄ちゃん」
ミナが絵をバズのほうに押した。
「お兄ちゃん、いっつも自分のパン、ミナにくれるの」
小さな指が絵の端を押さえている。
「だから帰ってきたら、ミナがパン焼くの」
バズは絵を見た。
山みたいな荷を背負った細い人。
それから目をそらした。
窓の外を見た。
石畳に水が撒いてある。
パン屋の煙が出ている。
「……いい絵だ」
声が掠れた。
「上手いぞ」
指が絵の端に触れかけて、止まった。
引っ込めた。
バズは絵を褒めたことがない。
「お兄ちゃん、いつ帰る?」
ミナが見上げた。
栗色の目が大きい。
バズは窓から目を戻した。
「出てってから40日かそこらだ」
指を立てた。
「指で数えとけ」
ミナが自分の指を見た。
両手を広げた。
「10が2つで20」
「ああ」
「20ともう20で」
「ああ」
ミナが指を折り始めた。
毛糸の袖から細い指が出ている。
バズは見ていた。
「親方のおじちゃん」
ミナが言った。
「お兄ちゃんに、伝えて」
「何だ」
「パン焼くの、待ってるって」
バズは頷いた。
頷いたまま、背を向けた。
部屋を出た。
戸を閉めた。
外に出ると朝の光が目に刺さった。
ギルドの扉が見えた。
開け放たれている。
中を見た。
帳場の前に、男が立っていた。
荷役の服装じゃない。
上着の胸に、刺繍がある。
王城の紋だ。
金糸で縫われた剣と盾の紋章。
布がきれいだ。
埃ひとつついていない。
男は背筋を伸ばして立っていた。
手袋をした指が、帳場の縁に触れている。
触れているだけで、寄りかかってはいない。
姿勢が荷を背負ってない。
バズは扉をくぐった。
床板が鳴った。
男が顔を向けた。
「荷役ギルドの親方か」
声は低かった。
丁寧だが、低い。
「バズだ」
「宰相閣下がお呼びだ」
男は頭を下げなかった。
「宰相だ」
「そうだ」
「俺に」
「そうだ」
「何の用だ」
男は何も言わなかった。
手袋の指が1回だけ、帳場の縁を叩いた。
かた、と乾いた音がした。
バズは若い荷運びを見た。
3人が固まって見ている。
口を半開きにしている。
「帳場はお前らが見てろ」
「は、はいっす」
王城の塔が見えた。
朝の空に黒く浮かんでいる。
案内の男が、大きな扉の前で止まった。
扉には金の飾りがついている。
剣と盾の紋章。
ギルドの扉の3倍はある。
男が扉を2回叩いた。
音がしない。
叩いたのに、音がしない。
中から声がした。
低い。
「入れ」
男が扉を押した。
蝶番が、きしみもしない。
扉が静かに開く。
中は、広かった。
机があった。
その向こうに、人が座っていた。
痩せていた。
長身だ。
座っていても、背が高いと分かる。
白髪を後ろへ撫でつけている。
1本の筋も乱れていない。
額が広い。
目が、落ちくぼんでいる。
灰色だ。
鷲鼻。
唇が薄い。
黒い官服。
金の鎖が胸にかかっている。
鎖が3本。
それぞれ、違う長さだ。
手が机の上にある。
長い指だ。
節が高い。
指の腹に、羽根ペンだこがある。
「荷役ギルド、親方のバズだな」
声は、丁寧だった。
でも、冷たい。
「ああ」
バズは答えた。
「宰相閣下」
「オルドだ」
オルドは立ち上がらなかった。
座ったまま、机の上で両手を組んだ。
「座りたまえ」
バズは椅子を見た。
机の前に1つ。
肘掛けがある。
革が張ってある。
バズは座らなかった。
「立ってる方が性に合ってる」
オルドは目を細めた。
「結構」
それだけ言った。
バズは帽子を脱いだ。
手に持った。
「単刀直入に言おう」
オルドが机の引き出しを開けた。
音がしない。
引き出しの中から、袋を出した。
革の袋だ。
小さい。
掌に乗るくらい。
袋を机の上に置いた。
置く音がした。
どさ、と。
中身の重さで。
「金貨5枚」
オルドが言った。
「ここにある」
バズは袋を見た。
「荷物持ちの家族の面倒を見たまえ」
オルドの声は、変わらない。
「医者もつけてよい」
バズは袋を見たままだった。
「なんで」
口から出た。
「なんで宰相さまが、荷物持ちの妹なんぞを」
オルドは手を組んだままだった。
長い指が、組み合わさっている。
羽根ペンだこが、上を向いている。
「勇者殿の頼みだ」
バズは顔を上げた。
オルドの灰色の目が、こちらを見ている。
落ちくぼんだ奥で、光っている。
「勇者さまの」
「そうだ」
オルドはそれ以上何も言わなかった。
バズは口を開きかけた。
聞きたいことがあった。
勇者さまが、なぜ。
いつ。
どこで。
でも、聞けなかった。
オルドの目が、それを許さなかった。
バズは帽子を握った。
指に力が入った。
帽子のつばが、くしゃりと折れた。
バズは気づかなかった。
オルドが袋を机の端に押した。
指1本で。
す、と。
革の袋が、机の端で止まった。
「持って行きたまえ」
バズは手を出した。
指が、革に触れた。
冷たい。
でも、中身は重い。
金貨5枚。
黒パン2000個分。
いや、薬なら。
ミナの薬なら。
何か月分だ。
バズは袋を握った。
「受け取る」
声が、掠れていた。
オルドは頷かなかった。
目を閉じた。
それだけだ。
廊下に出た。
絨毯の上を、ブーツの音だけが鳴る。
窓があった。
北を向いている。
バズは窓の前に立った。
袋を握ったまま。
帽子を握ったまま。
外の空を見た。
バズは口を開いた。
「坊主」
声が、ガラスに当たって跳ね返った。
「生きて帰れよ」
誰も答えない。
バズは窓から離れた。
袋を脇に抱えた。
帽子をかぶった。
つばが折れたままだった。
◇
夕方。
王の私室には、暖炉の火が入っていた。
宰相オルドは扉の前に立っていた。
扉が閉まっていた。
向こうで咳がひとつ。
老人の咳だ。
深い。
湿っている。
オルドは扉を叩かなかった。
待った。
咳がもうひとつ。
それから、衣擦れの音がした。
オルドは扉を開けた。
王が座っていた。
老いていた。
毛皮の外套にくるまっている。
外套は白い。
狼の毛皮だ。
手が膝の上にある。
指に指輪が3つ。
金と銀と黒い鉄の指輪だ。
重い。
王は暖炉を見ていた。
火を見ている。
目が動かない。
赤い光が王の顔を下から照らしている。
頬がこけている。
オルドは暖炉の横に立った。
懐に手を入れた。
書簡を出した。
革の筒だ。
早馬の筒だ。
筒の蓋に封蝋が押してある。
筒から紙片が出た。
オルドは紙片を開かなかった。
折り畳んだまま王に差し出した。
王は目を火から離さなかった。
手が膝から上がった。
指輪が重い。
紙片を指で挟んだ。
鉄の指輪が紙の端に当たった。
「箱は予定どおり開きました」
オルドの声は低かった。
丁寧だった。
「……そうか」
オルドは続けた。
「30年前は、砦で失敗しました」
王は暖炉を見た。
「あの勇者の父も、砦だったな」
オルドは答えなかった。
長い指が官服の袖の中で組まれた。
オルドは窓を見た。
「今度の『荷物』は、うまく育っているといいが」
オルドが手を伸ばした。
長い指で紙片を取った。
暖炉の前に歩いた。
火が低い。
赤い炭が底にある。
折り畳んだまま、火の中に置いた。
紙片が灰になった。
◇
14日目の夜。
灰の森の、まだ中だ。
焚き火が小さく爆ぜている。
ガルドさんのいびきが低い。
荷車の車輪みたいに間隔が揃ってる。
セレナさまがロザリオを握っている。
唇が動いている。
声はほとんど出ない。
勇者さまは輪から離れている。
焚き火の光が届かないところに立っている。
焚き火の向こうからエルマがこっちを見ている。
目が合った。
エルマは何も言わない。
俺も何も言わない。
膝の上でトビさんの短剣を布で磨いている。
竜の血は落ちた。
刃が布の上をすっと通る。
ミナ、薬飲んでるかな。
親方が届けてくれてるはずだ。
あの人は約束守る人だ。
トビさんの短剣を、もう一度磨いた。
刃に、俺の顔が映った。
灰色の目。そばかす。いつもの俺だ。
セレナさまが、スープを残しておいてくれた。
腹は減ってない。全然。




