第二章 大魔法使いの絶望、ハリボテの極大魔法
荒涼とした岩肌が続く、剥き出しの荒野。都市から少し離れたこの不毛の地で、空間そのものが激しく悲鳴を上げていた。「ハハハ!見ろ、野良猫ども!これが銀行の最高融資によって構築された、我が至高のポートフォリオだ!」狂ったような笑い声を上げているのは、豪奢な紫の法衣をまとった老魔導士、バルタザールだった。彼の手元に浮かぶ水晶のステータスプレートには、目も眩むような金色の文字が並んでいる。「基本ライセンス:大魔法使い:銀行特級公認」「戦闘レベル:六十五」「所持スキル数:二十」「保有資産:五百万ゴールド」銀行の犬たちを破産させたクラースたちを不良債権として処理するため、銀行本店が直々に送り込んできた最高戦力の一人。それがこの男だった。「ひ、ひどい魔力……!クラース、あいつの持ってるスキル、どれも一枠で数十万ゴールドは下らない伝説級の魔法ばかりよ!」ルナが鋭い猫耳を後ろに寝かせ、クラースの背後で身構える。バルタザールの周囲には、銀行の厳重なプロテクトコードで守られた八つの魔法陣が、まるで衛星のようにギラギラと回転していた。「無価値なドブネズミどもが、市場のレートを乱した罪は重い。まとめて強制清算だ!スキル発動、天地崩壊:ジ・エンド・オブリビオン!」
バルタザールが杖を掲げた瞬間、荒野の空が真っ黒な暗雲に覆われた。雲の隙間から、直径数十メートルはあろうかという、禍々しい紫の巨大な隕石:魔力の塊が姿を現す。ただの物理破壊ではない。空間そのものを焼き尽くす、銀行公認の極大魔法。まともに受ければ、このエリア一帯が地図から消滅する。ゴゴゴゴゴ……と大地が震え、圧倒的な質量がクラースたちの頭上へと迫る。絶大な暴力。これこそが、富を持つ者が世界を支配する、このディストピアの絶対的な現実だった。「クラース! これ、流石にまともに受けたら死ぬわよ!? 避けることもできない!」「慌てるな、ルナ」巨大な隕石の影に呑まれながらも、クラースは灰色のフィールドコートのポケットに両手を突き入れたまま、空を見上げて鼻で笑った。「見かけ倒しの超高額商品だな。バブルの典型だ。あの大魔法使いは、銀行から莫大なレバレッジをかけてあの技を維持している。つまり、技の構成要素そのものが、あまりにも肥大化しすぎていて、一箇所のバグにすべてを依存している」クラースの紅蓮の瞳が、隕石の周囲を取り巻く術式テキストを完全に捉えていた。「ルナ。最大の目隠し:ブラインドを。奴が魔法の発動に全意識を集中している今が、絶好の空売りの機会だ」「くっ……もうどうにでもなれ!野良コード起動、絶対遮蔽・最大出力:フルバースト・ブラインド!」ルナが叫び、双剣を十字に交差させる。クラースの右ポケットを中心に、空間の光が強烈にねじ曲がり、完全に世界から断絶された「漆黒の死角」が数秒間だけ固定された。
「魔言:ロゴス。発動条件・視線の制約:全行程において、誰からも触媒を目視されてはならない」完全に捉えた。
クラースはポケットの奥で、「右手の金色の万年筆」を強く握りしめた。脳内を焼き尽くさんばかりの勢いで、バルタザールの天地崩壊の膨大な文字列が流れ込んでくる。ハック対象は天地崩壊の核心ロゴス。「質量:極大」「属性:崩壊」「エネルギー実数:九万九千九百九十九」クラースの脳細胞が、現代の金融高頻度取引(HFT)すら超越する速度で、その文字列の一単語をピンポイントで書き換えていく。エネルギー実数の「九万九千九百九十九」を検知。書き換えを実行。新たな定義は野良コード:バグデータ。世界にこの高額資産が無価値である。と認識させる。カチリ、とポケットの中で万年筆が微かな音を立てた。直後、バルタザールの杖から放たれた光が、頭上の隕石へと直撃する。「消え失せろォォォ!天地崩壊ッ!!」
ドォォォォォン!!!
荒野全体が眩い紫の光に包まれた。大地が爆発し、砂塵が天高く舞い上がる。バルタザールはハーハハと肩を揺らし、勝利を確信して笑った。五百万ゴールドの資産価値を持つ極大魔法だ。レベル一の雑魚など、消し飛んだことすら気づかずに消滅しているはず。しかし。「……ぬ?これは……どういうことだ?」バルタザールが目を見開いた。舞い上がる砂塵の向こう。確かに、世界を滅ぼすほどの大迫力の爆風と光のエフェクトは吹き荒れている。地面も激しく揺れている。だが。風が止み、光が収まったその中心。クラースとルナは、髪一筋すら乱れることなく、そこに佇んでいた。それどころか、クラースたちの足元の地面だけは、草一本すら傷ついていない。「な、なぜだ!? 確かに直撃したはずだ! 我が天地崩壊のダメージは、あらゆる防御を貫通するはず!」「エフェクトだけは一流だが、中身はただの野良コードだ」クラースは灰色のコートのポケットに両手を突っ込んだまま、ゆっくりとバルタザールへ歩を進める。その足音が、静まり返った荒野に不気味に響く。「お前が一生をかけて銀行に魂を売り、購入したその極大魔法。全体の内のたった一単語。威力を定義するロゴスを、俺が市場価値ゼロのバグデータに書き換えた。いくら派手な光を放とうが、中身が野良コードである以上、この世界はそれを無害なホログラムとしか処理しない」「ば、馬鹿な!あり得ん、あり得んぞ!我が五百万ゴールドの資産が……紙屑になったというのか!?」「バブルはいつか弾けるものだ、大魔法使い:不良債権」クラースの紅蓮の瞳が、冷酷に光る。「さらに、お前はあの極大魔法を発動するために、自分の全スキルアカウントをレバレッジの担保として銀行の共有サーバーに同期させていたな?システムに直接、俺のコードを流し込ませてもらった」「な……が、画面が……我がステータスが、真っ赤に……!?」バルタザールの頭上に浮かぶ金色のプレートが、一瞬にして鮮血のような赤色に染まった。大音量の警告音が荒野に鳴り響く。
「異常値検出:アノマリー」「融資対象スキル:天地崩壊、飛行、絶対障壁:価値暴落ストップ安」「現在の市場価値:野良コード:バグデータ」「担保価値の消滅を検知。中央魔導銀行により、全資産の強制決済ロスカットを実行します」
「あ、あ、あああ……!我が魔法陣が、消えていく……!魔力が、吸い上げられていくゥゥゥ!!」バルタザールの周囲を回っていた八つの魔法陣が、ガラスのようにパリン、パリンと次々に砕け散っていく。彼が誇っていた二十のスキルはすべて消滅し、その豪華な法衣も、一瞬にして破産者のボロ布へと書き換えられた。ドサリ、とバルタザールはその場に膝をついた。レベル六十五の威厳はどこにもない。ただの、すべてを失った哀れな老人がそこにいた。「言ったはずだ」クラースは彼を見下ろし、冷淡に告げた。「俺が紙屑だと決めたものに、一銭の価値もつかない」ルナは、その圧倒的な光景を横で浴びながら、背筋が凍るような高揚感を感じていた。世界を支配する大魔法使いすら、この男の前ではただの「システム上の数字」に過ぎないのだ。「クラース……これで銀行本店も、あたしたちを本気で、排除すべきバグとして認識したわね」「望むところだ。市場が俺を拒絶するなら、その市場ごと買い叩くだけだ」クラースはポケットの中で金色の万年筆を静かに収め、遥か彼方、中央魔導銀行の本店がそびえ立つ王都の空を見据えた。




