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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第9話 エルフの名家の娘、弟子入りを申し込む

 リーフェル村で迎える二度目の朝は、妙に騒がしかった。


 鶏が鳴く。


 家畜小屋で山羊が鳴く。


 井戸端では、村の女性たちが昨日の豆スープについて話している。


「昨日の豆、すごかったねぇ。夜、足がつらなかったよ」


「うちの爺さんなんて、朝から薪割りしようとして止めたんだから」


「止めて正解だよ。腰が治ったからって、若返ったわけじゃないんだからね」


 畑の方では、村の男たちが早くも鍬を持って集まっていた。


「昨日の続き、どこからやる?」


「水路だな。ぷる太様が通ったところは澄んでるが、奥の詰まりはまだ残ってる」


「様はやめろってアレンさんに言われただろ」


「じゃあ、ぷる太殿」


「余計に重いわ」


 その中心を、ぷる太がぷるぷると進んでいる。


 普通のスライムに見えるよう、昨日のうちに光を抑える付与をかけたはずなのだが、今朝のぷる太はどこか誇らしげだった。


 村人たちに撫でられ、子供たちに名前を呼ばれ、井戸の水を澄ませるたびに拍手される。


 たぶん、完全に調子に乗っている。


「ぷる」


 俺の足元へ戻ってきたぷる太が、軽く跳ねた。


「おはよう、ぷる太。今日も元気だな」


「ぷるる」


「でも、あまり井戸に入りすぎるなよ。村長さんが『水が良くなりすぎるのも目立つ』って言ってたから」


「ぷる?」


「良くなりすぎるって何だろうな。俺にもよく分からない」


「師匠がそれを言いますか」


 背後から、シルフィの声がした。


 振り返ると、彼女は両手に木桶を持って立っていた。朝の水汲みを手伝っていたらしい。白銀の髪をひとつに結び、村の女性たちにもらった前掛けをつけている。


 エルフの名家の娘、というより、すっかり辺境村の朝に馴染み始めていた。


「おはよう、シルフィ」


「おはようございます、師匠」


「今日も師匠なんだな」


「はい。昨日、正式に弟子入りをお願いしましたので」


「俺、正式に許可したっけ?」


「『俺に教えられることがあるなら、一緒にやってみよう』とおっしゃいました」


「言ったな」


「それはつまり、師弟関係の成立です」


「解釈が強い」


「弟子ですので」


「弟子って便利な盾だな」


 シルフィは少しだけ得意げに胸を張った。


 その仕草が年相応に見えて、俺は少し笑ってしまった。


「何かおかしいですか?」


「いや。昨日まで森で追われて倒れてたのに、今日は村で水汲みしてるの、すごいなと思って」


「私も驚いています」


 シルフィは木桶を置き、井戸の縁に手を添えた。


「体が軽いのです。魔力が乱れていない。朝起きたとき、こんなに自然に呼吸できたのは初めてかもしれません」


「初めて?」


「はい」


 その声には、静かな実感があった。


 俺は思わず彼女の顔を見る。


 シルフィは井戸の水面を見つめていた。澄んだ水に、彼女の青い瞳が映っている。


「私は幼い頃から、魔力の流れが不安定でした。嬉しいと魔力が跳ね、驚くと周囲の草木が枯れ、眠っている間に部屋の燭台が凍りついたこともあります」


「それは……大変だったな」


「はい。家では、私のことを『欠けた器』と呼ぶ者もいました」


 欠けた器。


 嫌な言葉だった。


 俺は勇者パーティーで「無能」と呼ばれたことを思い出した。


 使えない。


 地味。


 いらない。


 そういう言葉は、言った側が思っているよりずっと深く残る。


「シルフィは欠けてなんかないだろ」


 気づけば、そう言っていた。


 シルフィが目を丸くする。


「見たばかりの俺が言うのも変だけどさ。魔力が不安定だったとしても、それは欠けてるんじゃなくて、まだ整え方が分からなかっただけなんじゃないか」


「……整え方」


「うん。大きすぎる荷物を持たされて、持ち方を教えてもらえなかったみたいなものだろ。荷物を落としたら、持てないお前が悪いって怒られる。でも本当は、持ち方を一緒に考えてくれる人が必要だったんじゃないか」


 言ってから、自分で少し驚いた。


 これは、シルフィに言っているようで、自分にも言っているのかもしれない。


 俺もずっと、持ち方を知らない荷物を背負っていた。


 自分の付与が何なのか分からないまま、ただ役に立てと言われ、役に立たなければ無能だと切り捨てられた。


 シルフィはしばらく黙っていた。


 それから、ふっと息を吐く。


「師匠は、ずるいです」


「え?」


「そういうことを、まっすぐ言うので」


「変だったか?」


「いいえ。だから困るのです」


 シルフィは視線を逸らした。


 尖った耳の先が、少し赤い。


 俺は何となく、それ以上聞かない方がいい気がした。


 ぷる太が足元で、ぷるぷる揺れている。


 たぶん何も分かっていない。


 いや、最近のぷる太は分かっている気もする。


「それで、師匠」


 シルフィは表情を改めた。


「今日は、改めてお願いがあります」


「お願い?」


「はい。私を、正式に弟子として扱ってください」


「もう弟子って呼んでるのに?」


「呼び方だけではなく、きちんとした形がほしいのです」


「形か」


 シルフィは真剣に頷いた。


「エルフの師弟関係では、師に誓い、弟子は学びを得る代わりに師の名誉を守ります。私はリーフェン家を追われた身です。もう名家の娘として守られる立場ではありません。だからこそ、自分で誰に従い、何を学ぶのかを決めたいのです」


 重い。


 俺が想像していた「弟子」とはだいぶ違った。


 俺の中の弟子は、せいぜい「畑仕事を一緒に覚える」とか「薬草の見分け方を教える」とか、そのくらいだった。


 でもシルフィの言う弟子入りは、人生の向きを決めるような言葉だった。


「俺は、そんな立派な師匠じゃないぞ」


「立派かどうかは、私が決めます」


「強いな」


「師匠がご自分を低く見すぎるので、弟子が強くなるしかありません」


「責任を感じる」


「感じてください」


 シルフィはまっすぐ俺を見つめた。


「私は、あなたのそばで学びたい。あなたが当たり前だと思っている奇跡を、正しく理解したい。そして、あなたがまた誰かに利用されそうになったとき、今度は私が止めたい」


「俺が利用されるって、そんな」


「あり得ます」


 即答だった。


「師匠は、頼まれると断れません。困っている人を見ると放っておけません。自分を傷つけた相手でさえ、怪我をしていないか心配します」


「それは……」


「優しさです。でも、悪意ある者から見れば、付け込める隙です」


 返す言葉がなかった。


 シルフィの言葉はきつく聞こえるけれど、不思議と責められている感じはしない。


 むしろ、心配されている。


 その心配の仕方が、少し不器用で、かなり真面目なだけだ。


「分かった」


 俺は頷いた。


「ただし、俺から教えられるのは、本当に地味なことばかりだぞ。薬草の乾かし方とか、火の起こし方とか、鎧の留め具の見方とか」


「それらも学びます」


「付与術の理論は、俺もよく分かってない」


「なら、一緒に調べます」


「俺が変なことをしたら?」


「記録します」


「止めてくれないのか?」


「止めるべき時は止めます。ただ、歴史的発見なら記録します」


「弟子が学者寄りだ」


 シルフィは少し微笑んだ。


「エルフの名家出身ですので」


「そうだった」


 そのとき、井戸端の向こうから村長が歩いてきた。


 昨日から腰がまっすぐなせいか、足取りがやけに軽い。


「朝から真面目な顔をしておるな」


「村長さん」


「弟子入りの話か」


「聞こえてました?」


「年寄りは耳が遠いふりをして、必要なことはだいたい聞いておる」


「便利ですね」


「便利だ」


 村長はシルフィを見た。


「シルフィ。お前さん、本気か」


「はい」


「アレンは見ての通り、自己評価が低く、頼まれると断れず、たまに常識を置き忘れる男だ」


「理解しています」


「理解したうえで弟子になるのか」


「はい」


「苦労するぞ」


「覚悟しています」


「なら、儂からは何も言わん」


 村長は俺を見た。


「アレン」


「はい」


「受けてやれ」


「軽いですね」


「軽くない。だが、お前さんには自分の力を横から見てくれる者が必要だ。儂ら村人は助けられてばかりで、何が普通で何が異常か分からん。シルフィなら、それが分かる」


「私も全部は分かりません」


 シルフィが言う。


「ですが、少なくとも師匠よりは分かります」


「そこは断言なんだ」


「はい」


 村長は声を出して笑った。


「よし。では、井戸端では格好がつかん。世界樹の前でやるか」


「やるって何を?」


「弟子入りだ。形が欲しいと言ったのだろう」


 シルフィの目が少し見開かれた。


「よろしいのですか」


「村の者として迎えるなら、こういう節目は大切だ。大げさな儀式ではないがな」


「ありがとうございます」


 シルフィは深く頭を下げた。


 こうして、俺の知らないところで、弟子入りの場が整えられてしまった。


     ◇


 世界樹の若木は、村の外れで静かに葉を揺らしていた。


 昨日生えたばかりなのに、すでに周囲の空気が変わっている。


 土は柔らかく、草は青く、小さな花まで咲いていた。若木の周りには簡単な柵が作られていて、村人たちが勝手に近づきすぎないようにしている。


 もっとも、村人たちは遠巻きに見ながら拝みたそうにしていた。


 村長が「拝むな、目立つ」と言ったので我慢しているらしい。


 弟子入りの話を聞きつけた村人たちが、ぞろぞろと集まってきた。


 ミナたち子供もいる。


 ぷる太はなぜか俺の肩ではなく、世界樹の根元に陣取っていた。完全に立会人の顔をしている。


 スライムに顔はないが、そんな雰囲気だった。


「大げさになってないか?」


 俺が小声で言うと、シルフィが静かに首を横に振った。


「エルフの師弟誓約としては、かなり簡素です」


「本来はもっと大げさなのか」


「七日間の清め、三人以上の証人、師の系譜確認、誓約歌、魔力紋の交換などがあります」


「聞くだけで疲れるな」


「今回は村長様と村の方々、そして世界樹が証人です。十分すぎます」


 世界樹が証人。


 さらっと言われたが、かなり大事なことではないだろうか。


 村長が木の杖を地面に突いた。


「では、始める」


 村人たちが静かになる。


「シルフィ・リーフェン。お前さんは、アレンを師と仰ぐのだな」


「はい」


 シルフィは俺の前に立ち、両手を胸の前で重ねた。


 その姿は、昨日まで追われていた少女とは違った。


 背筋が伸び、瞳は澄み、声に迷いがない。


「私はシルフィ・リーフェン。没落したリーフェン家の名にすがるのではなく、私自身の意志で、アレンさんを師と仰ぎます」


 村人たちは黙って聞いている。


 風が世界樹の葉を揺らした。


「師の力を利用せず、師の優しさに甘えすぎず、師が自らを損なうときは止め、師が進むときは記録し、学び、支えます」


「記録が入るんだ」


 思わず小声が漏れた。


 シルフィは真剣な顔のまま続ける。


「そして、師匠を無能と呼ぶ者がいれば」


「シルフィ?」


「必要に応じて、事実を丁寧に説明します」


「今、少し言い換えたな」


「善処しました」


 村人たちの間に小さな笑いが起きた。


 シルフィの耳が少し赤くなる。


 それでも、彼女は誓いを続けた。


「私は、私を欠けた器と呼んだ者たちの言葉ではなく、私を欠けていないと言ってくださった師匠の言葉を信じます」


 その言葉で、笑いが消えた。


 シルフィの声が、わずかに震えたからだ。


「私は、私の魔力を恐れるだけの生き方をやめます。師匠の弟子として、もう一度、自分の力を学びます」


 彼女は深く頭を下げた。


「どうか、私を弟子にしてください」


 全員の視線が俺に集まる。


 困った。


 こういう場で何を言えばいいのか分からない。


 勇者パーティーにいた頃、俺が誰かに誓われることなどなかった。むしろ、命令される側だった。


 だから立派な返事など出てこない。


 俺は少し迷ってから、正直に言った。


「シルフィ」


「はい」


「俺は、たぶん師匠らしいことはあまりできない」


「はい」


「付与の理屈も、自分の力も、よく分かってない。シルフィの方が詳しいことも多いと思う」


「はい」


「でも」


 言葉を探す。


 世界樹の葉が、さらさらと鳴った。


「一緒に考えることはできると思う。シルフィの魔力のことも、俺の付与のことも、この村のことも。分からないことを、分からないまま放っておかないようにする」


 シルフィが顔を上げた。


「それと、俺はシルフィを欠けた器だとは思わない。だから、もしシルフィが自分をそう思いそうになったら、たぶん何度でも違うって言う」


 シルフィの瞳が揺れる。


「だから……俺でよければ、弟子として一緒にいてくれ」


 言い終えた瞬間、村のどこかで誰かが鼻をすすった。


 見ると、ミナが泣いていた。


「ミナ?」


「だって、いい話だったから」


 隣の男の子も涙目になっている。


 門番老人まで、目元をこすっていた。


「弟よ、お前もか」


 村長が呆れたように言う。


「年を取ると涙腺が緩むんだ」


「それは分かる」


「村長さんも泣いてません?」


「これは朝露だ」


「目に?」


「目に朝露が来ることもある」


 村人たちが笑う。


 その中で、シルフィはゆっくり膝をついた。


 エルフ式なのだろうか。


 彼女は右手を胸に当て、左手を俺の方へ差し出した。


「師匠。手を」


「こうか?」


 俺は彼女の左手に軽く触れた。


 その瞬間、世界樹の若木が光った。


「……え」


 俺は固まった。


 シルフィも目を見開く。


 世界樹の葉から、淡い緑の光が降ってくる。光はシルフィの周囲を包み、彼女の胸元へ吸い込まれるように集まった。


 シルフィの体内で、乱れていた魔力が整っていくのが分かる。


 昨日、応急処置として修復した魔力回路。


 そこに、新しい流れが生まれていた。


「シルフィ、大丈夫か?」


「……大丈夫、です」


 彼女は自分の手を見つめていた。


 指先に小さな緑の光が宿っている。


「これは……古代森術の基礎紋……」


「基礎紋?」


「エルフの古い魔法体系です。リーフェン家でも、発現できる者はほとんどいませんでした」


 シルフィの声は震えていた。


「私には、絶対に無理だと言われていました。魔力が不安定すぎるから。器が欠けているから、と」


 光が強まる。


 地面から小さな若草が芽吹き、世界樹の根元に白い花が咲いた。


 村人たちがどよめく。


 ぷる太が興奮したように跳ねる。


「ぷる! ぷるる!」


「ぷる太、落ち着け。今は大事な場面っぽい」


「ぷる!」


「分かってるのか分かってないのか」


 シルフィはゆっくり立ち上がった。


 彼女の周囲に、風が巻く。


 強い風ではない。


 森の奥を流れるような、柔らかい風。


「師匠」


「はい」


「私、魔法が……怖くありません」


 その一言に、胸が締めつけられた。


 シルフィは泣いていた。


 でも、その涙は昨日のような恐怖の涙ではなかった。


 ずっと閉じ込められていた何かが、ようやく外に出られたような涙だった。


「よかった」


 俺はそれしか言えなかった。


 もっと気の利いたことを言えればよかったのかもしれない。


 でも、本当にそう思った。


 よかった。


 シルフィが自分の力を怖がらなくて済むなら、それだけで十分だ。


 シルフィは涙を拭い、深く頭を下げた。


「ありがとうございます、師匠」


「俺は何もしてないよ」


「しました」


 シルフィは顔を上げる。


「あなたは、私が欠けていないと言ってくださいました。それだけで、私は自分の魔力を初めて信じられたのです」


「そんな大げさな」


「大げさではありません」


 いつもの言葉。


 でも、今度は少し泣き笑いだった。


 村長が咳払いした。


「よし。これで弟子入りは成立だな」


「はい」


「村としても、シルフィを受け入れる。追っ手が来ようが、事情を聞かずに差し出すようなことはせん」


 村人たちが頷いた。


「もちろんだ」


「シルフィちゃんはもう村の子だ」


「ぷる太の面倒も見てくれるしな」


「それは関係あるのか?」


「あるだろ。ぷる太係は重要だ」


 シルフィは驚いたように村人たちを見た。


「私を……受け入れてくださるのですか」


 門番老人が鼻を鳴らす。


「昨日から村にいるだろう」


「でも、私は追われる身で」


「うちの村には、追放された付与術師もいる。追われたエルフが一人増えたくらいで今さらだ」


「弟よ、言い方」


「事実だ」


「まあ事実だが」


 村人たちがまた笑った。


 シルフィはその笑いの中で、何度も瞬きをした。


 泣きそうなのをこらえているようだった。


「ありがとうございます」


 彼女は小さく言った。


 その声を、俺はちゃんと聞いた。


     ◇


 弟子入りが終わると、なぜかそのまま「シルフィの魔法確認会」が始まった。


 言い出したのは村長である。


「せっかく魔法が使えるようになったなら、何ができるか見ておいた方がいい」


「確かに、危険な暴走がないか確認する必要はあります」


 シルフィも真面目に頷く。


 俺としては、いきなり魔法を使わせるのは大丈夫なのかと思ったが、彼女の表情は落ち着いていた。


「無理はするなよ」


「はい、師匠」


「少しでも痛かったら止めること」


「はい」


「あと、村に被害が出そうなら」


「その前に止めます」


「ならいい」


 シルフィは世界樹の前に立ち、両手をそっと開いた。


 風が集まる。


 淡い緑の光が指先に宿る。


「《小さき芽吹きよ》」


 短い詠唱。


 地面に落ちていた種が、ぽん、と芽を出した。


 村人たちが拍手する。


「おお!」


「かわいい魔法だな!」


「畑に便利そうだ!」


 シルフィは少し照れたように笑う。


「本来は、発芽を促すだけの初歩術です」


「十分すごいよ」


 俺が言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。


 次に、彼女は井戸水を入れた小鉢に手をかざした。


「《森の息吹よ、濁りを払え》」


 水面に緑の光が広がり、水がさらに澄んだ。


 ぷる太が対抗するように、小鉢へ飛び込もうとする。


「ぷる太、今はシルフィの練習だから」


「ぷる……」


「そんな残念そうにするな」


 シルフィがくすりと笑った。


 その笑い方は、昨日よりずっと自然だった。


 最後に、村長が古い枝を持ってきた。


「これに魔法をかけられるか」


「やってみます」


 シルフィは枝に触れた。


 すると、枯れていた枝の先に小さな葉が出た。


 村人たちがまたどよめく。


 しかし、次の瞬間。


 葉が一枚だけ、金色に光った。


「……師匠」


 シルフィが俺を見る。


「俺、何もしてないぞ」


「近くにいるだけで補助が入っています」


「そうなのか?」


「はい。私の魔法が、師匠の付与に引っ張られて強化されています」


 枯れ枝は、見る間に小さな苗木のようになった。


 俺は慌てて一歩下がる。


 成長が少し落ち着いた。


「本当に俺のせいだったのか」


「はい」


「近くにいるだけで?」


「はい」


「……それは少し困るな」


「ようやく困ってくださいましたか」


 シルフィが真顔で言う。


 村長も頷いた。


「アレン、お前さんが近くにいると色々育つのだな」


「雑なまとめ方ですね」


「事実だろう」


 反論しづらい。


 畑も育った。


 豆も育った。


 世界樹も育った。


 ぷる太も育った。


 シルフィの魔法も育った。


 そろそろ「育成型付与術師」とでも名乗った方がいいのかもしれない。


「師匠」


 シルフィが少し緊張した声で言った。


「もう一つ、試したいことがあります」


「何?」


「私の家に伝わっていた古代森術の断片です。以前は魔力が乱れて詠唱すらできませんでした。でも今なら……」


「危険は?」


「あります」


 シルフィは正直に答えた。


「失敗すれば、周囲の魔力が乱れます。ただ、師匠のそばなら制御できるかもしれません」


 俺は村長を見る。


 村長は少し考えた。


「村に被害が出るか」


「分かりません」


「なら、今はやめておけ」


 村長の判断は早かった。


「力を得たばかりで大きな術を試すものではない。畑も村も逃げられんからな」


 シルフィははっとした顔になった。


 それから、深く頭を下げる。


「申し訳ありません。少し、浮かれていました」


「浮かれるのは悪いことではない。だが順番がある」


「はい」


 村長の言葉に、俺も頷いた。


「俺も賛成。できることが増えたなら、ゆっくり覚えればいい。急がなくていいよ」


 シルフィは俺を見る。


 そして、小さく笑った。


「師匠らしいですね」


「そうか?」


「はい。焦らせず、でも止めすぎない」


「たまたまだよ」


「そこも師匠らしいです」


 褒められているのか、また分からなくなった。


     ◇


 その日の午後、シルフィは村の空き家の一角に、小さな机を置いた。


 俺が昨日から借りる予定だった空き家だ。


 屋根は一部傷み、床板も少し鳴るが、掃除すれば十分住めそうだった。村人たちが手伝ってくれたおかげで、午前中のうちに藁と埃は片づき、窓も開けられるようになった。


 そこに、シルフィは羊皮紙と羽ペンを並べた。


「何してるんだ?」


「師匠観察記録です」


「名前が怖い」


「正確には、師匠の付与現象に関する記録です」


「少しだけまともになった」


「第一項目。師匠は無自覚に周囲の生命力、魔力、環境を強化する。本人は『少しだけ』と表現する傾向があるが、実際には国家級、あるいは神域級の効果を持つ」


「待ってくれ。初手から重い」


「事実です」


「せめて、もう少し控えめに」


 シルフィは羽ペンを止めた。


「では、『かなり強い』にしますか」


「それくらいで」


「ただし注釈に、師匠本人の希望により表現を弱めた、と書きます」


「注釈が正直すぎる」


「記録ですので」


 俺は頭を抱えた。


 ぷる太は机の端でぷるぷるしている。


 インク瓶に近づこうとしたので、慌てて止めた。


「ぷる太、それは飲み物じゃない」


「ぷる?」


「飲んだら口が黒くなるぞ」


「ぷるる」


「いや、スライムに口はないけど」


 シルフィはその様子まで記録しようとしていた。


「それも書くのか?」


「ぷる太の知性向上も重要です」


「ぷる太、昨日までは普通のスライムだったのにな」


「師匠が撫でましたから」


「撫でただけなんだけど」


「だから問題なのです」


 すっかり定番になった会話だった。


 空き家の窓からは、畑が見える。


 村人たちが水路を整え、子供たちがぷる太を呼び、世界樹の若木が遠くで葉を鳴らしている。


 その隣で、シルフィが真剣に俺の力を記録している。


 不思議な光景だ。


 でも、悪くない。


「シルフィ」


「はい」


「弟子になって、後悔してないか?」


 何気なく聞いたつもりだった。


 でもシルフィは、羽ペンを置き、まっすぐ俺を見た。


「していません」


 迷いのない声だった。


「私は昨日、命を救われました。今日は、自分の魔力を信じるきっかけをもらいました。この村の方々にも受け入れていただきました。後悔する理由がありません」


「そっか」


「むしろ、師匠こそ後悔していませんか。追われるエルフを弟子にしたのです。面倒ごとが増えます」


「今さらだな」


「今さら、ですか」


「世界樹も生えたし、ぷる太もいるし、畑も変わったし。面倒ごとが一つ増えたところで、もう誤差だろ」


 シルフィは一瞬きょとんとして、それから声を出して笑った。


 初めて聞く、彼女の明るい笑い声だった。


「師匠、その考え方は雑です」


「自分でもそう思う」


「でも、ありがとうございます」


 シルフィはそう言って、また羽ペンを取った。


 その頬は少し赤かった。


 俺は窓の外を見ながら、小さく息を吐く。


 勇者パーティーを追放されたとき、俺は自分に何も残っていないと思っていた。


 でも、今は違う。


 住む家がある。


 畑がある。


 水路を浄化するぷる太がいる。


 村人たちがいる。


 そして、弟子がいる。


 まだ自分の力は分からない。


 分からないけれど、一緒に考えてくれる人ができた。


 それだけで、ずいぶん心強かった。


     ◇


 同じ頃、王都へ向かう街道では、一羽の黒い鳥が空を切って飛んでいた。


 鳥の足には、小さな筒が結ばれている。


 その筒の中には、短い報告が入っていた。


『リーフェン家の娘、生存。人間の辺境村に潜伏の可能性あり。付近に異常な魔力反応。調査継続』


 黒い鳥は森を越え、山を越え、王都とは別の方角へ向かう。


 その先にいる者たちは、まだ知らない。


 追っているエルフの少女が、すでに世界樹の若木の前で新しい師を得たことを。


 そして、その師が、自分の力をまるで理解していないまま、辺境の小さな村を静かに変え始めていることを。

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