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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第10話 辺境村、なぜか最強の村になる

 リーフェル村の朝は、三日前までとは別の村のようになっていた。


 いや、家の数が増えたわけではない。


 石造りの城壁が建ったわけでもないし、王都の大通りみたいな魔導灯が並んだわけでもない。村の家々は相変わらず素朴で、道は土のまま。鶏は勝手に歩き回り、井戸端では村の女性たちが洗濯物を抱えて世間話をしている。


 それなのに、空気が違う。


 まず、井戸水がやたら澄んでいる。


「……アレン」


 朝一番に村長に呼ばれた俺は、共同井戸の前で立ち尽くしていた。


 村長は桶に汲んだ水を見せてくる。


 水は透明だった。


 透明というだけなら普通だが、問題はその奥だ。桶の底に映る空が、妙にはっきりしている。水面の揺れが落ち着くと、まるで磨いた水晶みたいに光を返した。


「これは何だ」


「水ですね」


「儂もそれくらいは分かる」


「ですよね」


「飲んだ者が皆、体が軽いと言っておる。昨日から、腹を壊していた子供も治った。夜に咳をしていた婆さんも眠れた。門番の弟は『膝だけでなく目までよく見える気がする』と言って、朝から小さい字を読もうとしておる」


「それは……いいことですね」


「いいことではある」


 村長は深く息を吐いた。


「だが、ただの井戸水ではないな?」


 俺は井戸の縁に座っているぷる太を見た。


 ぷる太は、ぷるん、と揺れた。


 昨日から井戸周辺を気に入ったらしく、朝になると勝手にここへ来る。水を吸うわけでもなく、浄化しているのか遊んでいるのか分からないが、とにかく井戸水は昨日より明らかに良くなっていた。


「ぷる太が頑張ったのかもしれません」


「ぷる」


 ぷる太は得意げに跳ねた。


 村長は目を細める。


「守護獣が井戸を守ってくれるのはありがたい。ありがたいが、これは外に売ったら聖水扱いされるぞ」


「聖水ですか」


「たぶんな」


 シルフィが横から静かに補足した。


「たぶん、ではありません。高位の浄化水です。神殿で扱われる聖水より刺激が少なく、日常的に飲める分、むしろ価値は高い可能性があります」


「シルフィ、そういう説明をされると村長さんの眉間の皺が増える」


「必要な情報ですので」


「もう増えておる」


 村長が眉間を揉んだ。


「アレン。この井戸水のことは、村の外では『最近、少し味が良くなった』程度にしておく」


「少しで済みますか?」


「済ませる」


「はい」


 村長はぷる太を見た。


「ぷる太も、外から人が来たときはあまり光るな」


「ぷる?」


「分かっておるのか?」


「ぷるる」


「分かっていそうで怖いな」


 ぷる太は井戸の縁で揺れた。


 その表面が、朝日に透けてきらきら光っている。


 普通のスライムに見えるよう付与で光を抑えたはずなのに、最近は本人の機嫌が良いと少し輝きが漏れる。


 本人というか、本スライムというか。


 そこへミナが走ってきた。


「アレンお兄ちゃん! ぷる太、今日も井戸番してる!」


「うん。偉いな」


「ぷる太、えらい!」


「ぷる!」


 ミナがぷる太を撫でると、ぷる太は嬉しそうに震えた。


 その瞬間、ミナの髪がふわりと浮いた。


「……ん?」


 俺は目を瞬く。


 シルフィがすぐに反応した。


「師匠」


「今度は何?」


「ミナの魔力が少し動きました」


「ミナの?」


 ミナはきょとんとしている。


「魔力ってなあに?」


 シルフィはしゃがみ込み、ミナと目線を合わせた。


「体の中にある、小さな力の流れです。怖いものではありません」


「わたしにもあるの?」


「はい。誰にでも少しはあります。でも、今の揺れ方は……」


 シルフィは俺を見る。


 俺は嫌な予感がした。


「俺、今は何もしてないぞ」


「師匠の近くにいるだけで、子供たちの魔力適性が上がっている可能性があります」


「近くにいるだけで?」


「はい」


「また?」


「またです」


 村長が頭を抱えた。


「今度は子供の魔力か」


 ミナはよく分からないまま、嬉しそうに両手を広げた。


「わたし、魔法使いになれる?」


 シルフィは少し考え、慎重に答えた。


「今すぐ大きな魔法を使うのは危険です。でも、水をきれいにする小さな術や、草木を元気にする術なら、将来できるかもしれません」


「ほんと!?」


「はい。ただし、きちんと練習してからです」


「やる! シルフィお姉ちゃん、教えて!」


 シルフィは一瞬固まった。


「私が、ですか」


「うん! シルフィお姉ちゃん、昨日お花咲かせてたもん!」


「それは……」


 シルフィは困ったように俺を見た。


 俺は笑って言った。


「弟子が弟子を取るのか?」


「まだ早すぎます」


「でも、子供たちに安全な魔力の扱い方を教えるのは大事かもしれない。シルフィが嫌じゃなければ」


「嫌ではありません」


 シルフィはミナに向き直った。


「では、まず約束です。勝手に魔力を使わないこと。変な感じがしたらすぐ大人に言うこと。ぷる太を魔法の的にしないこと」


「はーい!」


「ぷる?」


 ぷる太が不安そうに揺れる。


 ミナはぷる太を抱きしめた。


「しないよ! ぷる太は友達だもん!」


 ぷる太は安心したように、ぷるんと震えた。


 村長がその光景を眺め、ぼそりと言った。


「……村の子供に魔力教育か」


「まずいですか?」


「いや。良いことだ。だが、三日前までこの村は、冬の麦が足りるかを心配しておったのだぞ」


「それは今も大事です」


「そうだな」


 村長は井戸水をもう一度見た。


「大事なことが増えすぎただけだ」


     ◇


 井戸の次は、畑だった。


 畑は昨日よりさらに変わっていた。


 昨日耕した場所は、朝露を受けて黒々と光っている。まいた種の一部は、すでに小さな芽を出していた。もちろん、普通の畑でも条件がよければ芽は出る。だが、それにしても早い。


 村人たちは恐る恐る畑を覗き込みながら、嬉しさを隠しきれない顔をしていた。


「見ろよ、麦の芽が出てるぞ」


「昨日まいたばかりだろ」


「うちの畑で、こんな元気な芽を見たのは何年ぶりだ」


「いや、これは元気すぎる気もするが」


「細かいことは村長が考える」


「儂に投げるな」


 村長が低く言ったが、声に怒りはない。


 それどころか、彼の目もどこか潤んでいるように見えた。


 この村にとって、畑は命だ。


 どれだけ柵が強くなっても、井戸が澄んでも、畑が実らなければ冬は越せない。畑の芽が出るというだけで、人の顔はこれほど変わるのだと、俺は初めて知った。


 勇者パーティーにいた頃は、食料は補給するものだった。


 金で買い、馬車に積み、減ったらまた買う。もちろん計画は必要だったが、誰かが土を耕し、種をまき、芽が出るのを祈っているところまでは考えていなかった。


 俺は畑の端にしゃがみ、芽を見た。


 細い芽だ。


 けれど、まっすぐだった。


「よく出てきたな」


 つい声をかける。


 隣にいたシルフィが小さく笑った。


「師匠は、草木にも自然に話しかけますね」


「変かな」


「いいえ。師匠らしいです」


「それ、最近便利に使ってないか?」


「使っています」


「認めた」


 そのとき、畑の向こうで声が上がった。


「アレンさん! こっちの柵も見てくれ!」


「柵?」


 見ると、畑を囲む低い木柵の一部が淡く光っていた。


 俺は近づいて、首を傾げる。


「ここ、昨日は触ってないはずだけど」


 村人が頷く。


「そうなんだ。なのに、朝見たらこの辺の柵だけ妙に丈夫になっててよ。夜に何かが近づいた跡もあるんだが、そこで引き返してる」


 足元を見る。


 確かに、獣の足跡があった。


 小型の魔物だろう。畑に入りかけて、柵の前でうろうろし、そのまま森の方へ戻っている。


 シルフィが柵に触れた。


「結界反応があります」


「でも、俺はこの柵に付与してない」


「師匠が畑の土を整えた影響が、周辺の柵にも広がったのだと思います」


「広がるものなのか?」


「普通は広がりません」


「だよな」


「ですが、師匠の場合は広がります」


「断言された」


 村長が腕を組む。


「つまり、この畑は勝手に魔物除けになっておるのか」


「今のところは」


 シルフィが頷く。


「世界樹の若木、ぷる太の浄化、師匠の付与が重なって、村全体に薄い守護領域のようなものができ始めています」


 守護領域。


 言葉が大きい。


 俺は村を見回した。


 古い家。


 細い道。


 鶏。


 畑。


 井戸。


 子供たち。


 ぷる太。


 世界樹。


 ここが守護領域。


 何だか、響きだけが強すぎて、村ののどかな景色と合っていない。


「守護領域って、砦とか聖地にあるものじゃないのか?」


「はい。普通は高位神官、結界術師、土地の精霊契約が必要です」


「ここには?」


「師匠がいます」


「俺で全部済ませるな」


「実際に済んでいます」


 村長が真面目な顔で頷いた。


「アレン、お前さんは村の結界柱だな」


「柱扱いですか」


「大事だぞ、柱は」


「それは分かりますけど」


 村人たちが笑った。


 その笑い声の中で、俺は少しだけ肩の力を抜いた。


 結界柱。


 大げさな言い方だけれど、悪い意味ではない。


 ここでは俺の力が、誰かを傷つけるためではなく、畑と子供と水を守るために使われている。


 そのことが、心のどこかをじんわり温めた。


     ◇


 昼前になると、空き家の修理が始まった。


 俺が住む予定の家だ。


 もとは羊飼いの夫婦が住んでいたという小さな家で、村の端にある。壁は古いが崩れてはいない。屋根の一部が傷み、床板が何枚か浮いている。竈も掃除が必要だった。


 村長は最初、「今日は畑だけでも忙しい」と言っていたが、村人たちは妙に張り切っていた。


「アレンさんの家なら、早く直さねぇとな」


「納屋で寝かせっぱなしじゃ悪い」


「弟子のシルフィちゃんもいるしな」


「いや、シルフィはマルタさんのところにいるから」


 俺が言うと、村のおばさんたちがにやにやした。


「分かってるよ」


「若い子はすぐ真面目に返すねぇ」


「そういう話では」


「そういう話じゃないのは分かってるさ」


 分かっている顔ではなかった。


 シルフィは少し離れた場所で、耳の先を赤くしていた。


「師匠」


「はい」


「村の方々は、たまに鋭いのか鈍いのか分かりません」


「俺も分からない」


 ぷる太だけが、家の前で嬉しそうに跳ねている。


 この家が気に入ったらしい。


 床板を外し、腐った部分を取り替える。


 屋根に上がって穴を塞ぐ。


 竈の煤を落とす。


 俺も手伝いながら、必要な箇所に付与をかけていった。


 雨漏りしにくいように。


 床が抜けないように。


 壁の隙間風が減るように。


 竈の火が安定するように。


「……アレン」


 しばらくして、村長が低い声で呼んだ。


「はい」


「家が新築みたいになってきたぞ」


「え?」


 俺は手を止め、家を見た。


 確かに、壁の色が少し明るくなっている。


 屋根の古い板も、補修した部分だけでなく周囲まで艶を取り戻していた。床板もぎしぎし鳴らなくなり、竈は黒い煤が落ちただけでなく、妙に温かみのある石の色をしている。


「掃除したからでは」


「掃除で屋根板が若返るか」


「村長さん、その言い方、昨日の柵でも聞きました」


「同じ現象が起きておるからな」


 シルフィが家の壁に触れた。


「師匠の付与が家全体に回っています。防湿、防寒、防火、簡易結界……それから、疲労回復効果も少しあります」


「家に疲労回復?」


「はい。この家で眠ると、かなり体力が戻ると思います」


「それは助かる」


「助かる、で済ませる規模ではありません」


「でも、寝て回復できる家はいい家だろ」


「いい家です。良すぎる家です」


 村のおばさんが目を輝かせた。


「アレンさん、うちの家もあとで見てくれるかい?」


「こら」


 村長が止める。


「一度に頼むな。アレンが倒れる」


「え、俺は大丈夫です」


「お前さんは大丈夫と言いながら世界樹を生やす男だ。自己申告は信用せん」


 言い返せなかった。


 シルフィが満足そうに頷く。


「村長様は正しいです」


「シルフィまで」


「師匠は休む練習も必要です」


「休む練習って何だ」


「働きすぎない訓練です」


 それは、意外と難しいかもしれない。


 勇者パーティーにいた頃、休むことは後回しだった。


 誰かが寝ている間に、誰かが準備する必要がある。俺は自然と準備する側に回っていた。休んでいいと言われても、何か忘れていないか気になって落ち着かなかった。


 今も、周囲に困っている人がいると手が動いてしまう。


 でも、ここでは止めてくれる人がいる。


 村長がいて、シルフィがいる。


 それは少し不思議だった。


「分かった。今日はこの家までにします」


「本当だな?」


 村長が確認する。


「本当です」


「畑を見に行って、ついでに水路へ付与をかけるなよ」


「……はい」


「今、少し間があったぞ」


「気のせいです」


「嘘が下手だ」


 また言われた。


     ◇


 昼食は、村の広場で簡単に取ることになった。


 昨日の霊豆を少し混ぜた麦粥と、焼いた根菜、山羊乳。それにバルドから買った塩漬け肉を薄く切ったもの。


 豪華ではない。


 けれど、広場に置かれた大鍋からは良い匂いがしていた。


 村人たちが順番に器を受け取り、木陰に座って食べる。子供たちはぷる太の周りに集まり、ぷる太は器を覗き込んではミナに「熱いからだめ」と叱られている。


 俺も器を受け取って、家の前の切り株に腰を下ろした。


 シルフィが隣に座る。


「どうぞ、師匠」


「ありがとう」


「野菜を少し多めにしてあります。午前中、働きすぎましたので」


「弟子というより、体調管理係だな」


「兼任します」


「本気で言ってる?」


「はい」


 シルフィは真面目に頷いた。


 その隣に、村長が腰を下ろす。


 さらに門番老人も来た。


「混んできたな」


 俺が言うと、門番老人は平然と答えた。


「アレンの近くにいると、飯がうまい気がする」


「それ、俺のせいじゃなくて料理がうまいんですよ」


「いや、何か違う」


 シルフィが静かに言った。


「師匠の周囲では、食事の回復効果が高まっています」


「食事まで?」


「はい」


 村長が粥をすすり、目を閉じた。


「確かに、体が温まる」


 門番老人も頷く。


「膝が喜んでおる」


「膝って喜ぶんですか」


「年を取ると分かる」


「本当かな」


 俺は麦粥を食べた。


 優しい味だった。


 霊豆の甘みが少しあり、野菜の香りが良い。確かに、体が楽になる感じがする。


 でも、俺にとっては、それよりも周囲の会話の方が心地よかった。


「水路の奥、午後に見てくるか」


「村長がアレンさんを休ませろって言ってたろ」


「アレンさん抜きでやるんだよ」


「できるか?」


「やるしかないだろ。頼ってばかりじゃ悪い」


「そうだな。俺たちの畑だ」


 村人たちの会話が聞こえる。


 頼ってばかりじゃ悪い。


 その言葉が、なぜか嬉しかった。


 俺を便利な道具として扱うのではなく、一緒に村を良くする相手として考えてくれている。


 そんなふうに感じた。


 シルフィも同じことを思ったのか、少し微笑んだ。


「良い村ですね」


「うん」


 俺は素直に頷いた。


「本当に」


 村長が咳払いした。


「それで、アレン」


「はい」


「午後は、お前さんに話がある」


「話?」


「家のことだ」


 俺は食べる手を止めた。


「家なら、今日直してもらって」


「そうではない」


 村長は俺をまっすぐ見た。


「あの家を、お前さんに使ってもらいたい。仮住まいではなく、この村にいる間の家としてだ」


「でも、借りるお金が」


「金はいらん」


「それは困ります」


「なら働け」


 即答だった。


「畑、柵、井戸、水路、村の怪我人。お前さんができる範囲で手を貸してくれればいい。もちろん、働きすぎは止める。だが、金を取るより村にとってはよほど助かる」


「でも、それだと俺だけ得をしているような」


「アレン」


 村長の声が少し強くなった。


「お前さんは、もう十分村に返しておる」


 返している。


 そう言われて、俺は言葉に詰まった。


 自分ではまだ何も返せていない気がしていた。


 泊めてもらい、食べさせてもらい、空き家まで直してもらっている。村に受け入れてもらった分、もっと働かなければと思っていた。


 でも、村長は首を横に振った。


「お前さんが来てから、井戸が澄んだ。畑が戻り始めた。柵が守りを得た。子供たちは笑い、年寄りは腰や膝をさすって驚いておる。シルフィも救われた。ぷる太も村の一員になった」


「ぷる」


 ぷる太が返事をした。


「それでもまだ足りんと言うなら、それは謙虚ではなく、自分を粗末にしておるだけだ」


 胸の奥に、静かに言葉が落ちた。


 自分を粗末にしている。


 そんなつもりはなかった。


 でも、そうなのかもしれない。


 俺はずっと、自分の働きに価値をつけられなかった。褒められなければ、もっとやらなければと思った。怒られれば、自分が足りないのだと思った。


 足りない。


 足りない。


 もっと役に立たなければ。


 その癖が、まだ抜けていない。


 シルフィが静かに言った。


「師匠。ここは、師匠が倒れるまで働かなければ認めてもらえない場所ではありません」


 俺は彼女を見る。


 シルフィは優しい目をしていた。


「ここは、師匠が普通に眠って、明日また起きて、畑に行ける場所です」


 その言葉が、妙に胸に染みた。


 普通に眠る。


 明日また起きる。


 畑に行く。


 そんな当たり前のことが、今の俺にはとても大切に思えた。


「……分かりました」


 俺はゆっくり頷いた。


「あの家、使わせてもらいます」


 村長の顔が少し緩んだ。


「うむ」


「ただ、働けるところはちゃんと働きます」


「それは頼む」


「でも、働きすぎたら止めてください」


「任せろ。村総出で止める」


「総出は恥ずかしいです」


「お前さんにはそのくらいでちょうどいい」


 村人たちが笑った。


 俺も笑った。


 久しぶりに、心から。


     ◇


 午後、俺は約束通り大きな作業はしなかった。


 代わりに、新しい家の中を整えた。


 村の人たちが古い机と椅子を運んでくれた。マルタさんは毛布と鍋を持ってきてくれた。バルドから買った鉄釘と布も少し分けてもらい、シルフィは窓辺に小さな薬草の鉢を置いた。


 ぷる太は家の中を探検していた。


 床の上をぷるぷる進み、竈の前で止まり、机の下に入り、最後には窓辺で丸くなった。


「ぷる太、その場所が気に入ったのか?」


「ぷる」


「じゃあ、そこはぷる太の場所だな」


「ぷるる」


 シルフィが羊皮紙を広げながら言う。


「では、私はこの机を記録用に使わせていただいても?」


「もちろん。むしろ、俺よりシルフィの方が机を使いそうだ」


「師匠も文字の練習をしましょう」


「文字は書けるぞ」


「書けることと、記録を残すことは別です」


「弟子が本格的に先生みたいになってきた」


「兼任します」


「何でも兼任するな」


 そんな会話をしながら、家が少しずつ家になっていく。


 鍋がある。


 椅子がある。


 毛布がある。


 窓辺に薬草がある。


 ぷる太がいる。


 シルフィの記録机がある。


 それだけで、空き家だった場所に温度が生まれた気がした。


 夕方近く、村長が家の入口に立った。


「どうだ」


「すごくいいです」


 俺は素直に答えた。


「落ち着きます」


「そうか」


 村長は満足そうに頷いた。


「ならよかった」


「あの、村長さん」


「何だ」


「ありがとうございます」


 村長は少しだけ目を細めた。


「礼は働いてから、と言いたいところだが」


「はい」


「今回は受け取っておく」


 その言葉に、俺は少し笑った。


 家の外では、村人たちが夕方の作業を終え始めていた。


 世界樹の若木は夕日を受けて、控えめに光っている。井戸の水は澄み、畑の芽は小さく伸び、ぷる太は窓辺から外を眺めている。


 村が、変わっている。


 俺が来たことで。


 いや、俺だけではない。


 村人たちが動き、シルフィが支え、ぷる太が水を守り、世界樹が根を張っている。


 みんなで変わっている。


 そう思うと、少しだけ安心できた。


 俺一人の力ではない。


 だから、俺一人で背負わなくてもいい。


「師匠」


 シルフィが窓辺から声をかけた。


「夕食まで少し時間があります。休みますか?」


「そうだな」


 俺は椅子に座った。


 椅子は少し古いが、座り心地は悪くない。


 窓から夕方の風が入ってくる。


 畑の匂い。


 薪の煙。


 遠くの森。


 ぷる太の小さな揺れる音。


 シルフィが羽ペンを走らせる音。


 ああ。


 ここにいていいのかもしれない。


 そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。


 勇者パーティーにいた頃、俺はいつも次に何をすべきか考えていた。


 失敗しないように。


 怒られないように。


 役に立つように。


 でも今、この椅子に座っている俺に、誰も怒鳴らない。


 何かを急かさない。


 ただ、休めばいいと言ってくれる。


「……変な感じだ」


 思わず呟いた。


 シルフィが顔を上げる。


「何がですか」


「休んでいいって言われるのが」


 シルフィは羽ペンを置いた。


「これから慣れてください」


「慣れるかな」


「慣れます。私も、自分の魔力が怖くないことに慣れます。師匠も、休むことに慣れてください」


「一緒に練習か」


「はい」


 シルフィは微笑んだ。


「師弟ですから」


 その言葉に、俺も笑った。


 悪くない。


 師匠と呼ばれるのはまだ慣れない。


 けれど、一緒に練習する相手がいるのは、悪くない。


     ◇


 その夜。


 リーフェル村は、いつもより静かだった。


 静かだが、不安な静けさではない。


 北柵には見張りが立っている。だが、魔物が近づく気配はない。井戸の水は月明かりを受けて淡く光り、世界樹の若木は風に葉を鳴らしている。


 畑の周囲には、薄い守りの気配が巡っていた。


 人々は家に戻り、温かい食事を終え、久しぶりに深い眠りについた。


 咳をしていた子供は静かに眠り、腰痛持ちの老人は寝返りで目を覚まさなかった。若者たちは明日の水路整備の話をしながら眠り、村長はマルタさんに「調子に乗って歩きすぎるな」と念を押されて布団に入った。


 小さな辺境村は、まだ自分たちがどれほど異常な守りを得たのか知らない。


 ただ、昨日より安心して眠れた。


 それだけで十分だった。


 新しい家の中で、俺も毛布にくるまっていた。


 窓辺ではぷる太が丸くなっている。


 隣室では、マルタさんの家から借りた仕切り布の向こうで、シルフィが静かに眠っている。弟子として記録をつけると言いながら、さすがに疲れたのか、今日は早く寝た。


 俺は天井を見上げた。


 屋根はもう雨漏りしなさそうだ。


 竈には明日の朝に使う薪が置いてある。


 机の上にはシルフィの記録紙。


 壁際には俺の荷物。


 少ない荷物だ。


 でも、前より寂しくは見えなかった。


「ここが、俺の家か」


 小さく呟く。


 その言葉は、思ったより重かった。


 家。


 居場所。


 必要とされる場所。


 俺は目を閉じた。


 明日は畑を見る。


 水路も少し手伝う。


 シルフィの魔力練習もある。


 ぷる太が井戸に入りすぎないよう見ておかないといけない。


 やることは多い。


 でも、不思議と苦しくない。


 明日が来るのが、少し楽しみだった。


 そして、遠く離れた場所で勇者パーティーがさらに追い詰められていることも、王都やエルフ領の誰かがリーフェル村の異変に気づき始めていることも、今の俺はまだ知らなかった。


 ただ、眠った。


 久しぶりに、誰かの怒鳴り声を聞かない夜だった。

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