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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第11話 勇者パーティー、ついに敗走する

 王都へ戻った勇者パーティーを迎えたのは、歓声ではなかった。


 正確に言えば、歓声そのものはあった。


 城門をくぐった瞬間、通りにいた人々はいつものように顔を上げた。白銀の鎧をまとった勇者カイル。その後ろに続く重戦士ガレス、魔法使いミラ、僧侶リーナ。


 王都の民にとって、彼らは希望の象徴だった。


「勇者様だ」


「お帰りなさいませ!」


「今度はどこの魔物を倒されたんだ?」


 そんな声が飛ぶ。


 だが、その声は途中で少しずつ弱まった。


 カイルの鎧には泥が残っていた。


 聖剣の鞘にも傷がある。


 ガレスの肩には厚い包帯。ミラのローブの裾は焦げ、リーナは明らかに顔色が悪い。


 何より、四人の間にいつもの華やかさがなかった。


 以前なら、カイルは民に向かって笑みを見せ、軽く手を振った。ミラは面倒くさそうにしながらも、注目されること自体は嫌いではなかった。ガレスは子供に笑いかけ、リーナは丁寧に頭を下げた。


 今は違う。


 誰も、ほとんど喋らない。


 誰も、前を向いていない。


「……見られてるわね」


 ミラが小さく言った。


「黙って歩け」


 カイルが低く返す。


「黙って歩いたところで、泥は消えないわよ」


「ミラ」


 リーナがそっと止める。


 ミラは肩をすくめた。


「ごめん。疲れてるの」


「全員だ」


 ガレスがぼそりと言う。


 その声には、いつもの豪快さがなかった。


 王都の大通りを進み、冒険者ギルドへ向かう。


 ギルドの扉を開けた瞬間、ざわめきが広がった。


 酒場兼広間にいた冒険者たちが、一斉にこちらを見る。


 いつもなら、勇者パーティーの帰還は場を明るくする。成功した依頼の報酬、討伐した魔物の話、次の遠征の噂。彼らの周囲には、自然と人が集まった。


 今日集まったのは、好奇の視線だった。


 受付嬢マリナが奥から出てくる。


 彼女は四人の姿を見て、一瞬だけ表情を曇らせた。


「カイル様。お戻りになられたのですね」


「ああ」


「農村の件は……」


「処理した」


 カイルは短く言った。


 マリナの視線が、ガレスの肩、ミラの杖、リーナの顔色を順に見る。


「処理、ですか」


「報告書は後で出す」


「承知しました。ですが、農村から先に使いが来ています」


 カイルの眉が動いた。


「何?」


「ゴブリンの巣穴は、別の冒険者隊が応援として向かい、掃討を完了したとのことです。オークの小集団も、村の猟師と銀級冒険者の合同で追い払ったと」


 広間が静かになった。


 その静けさは、刃物のようだった。


 勇者パーティーが手間取った依頼を、別の冒険者たちが片づけた。


 意味は明白だった。


 誰かが奥の席で、小さく呟いた。


「勇者パーティーが、応援の後始末を受けたのか……?」


 別の誰かが慌てて肘で小突く。


 だが、聞こえていた。


 カイルにも、ミラにも、ガレスにも、リーナにも。


 カイルの顔が赤くなる。


「違う」


 彼は低く言った。


 マリナが静かに目を伏せる。


「こちらでは、農村からの報告を受け取っただけです」


「違うと言っている!」


 カイルの声がギルドに響いた。


 ざわめきが止まる。


 リーナが一歩前に出た。


「カイル、ここでは」


「黙れ」


「ですが」


「黙れ!」


 リーナの肩が震えた。


 ミラが唇を噛み、ガレスは黙って拳を握っていた。


 マリナは表情を崩さず、淡々と告げる。


「カイル様。本日はお疲れでしょう。報告は明日でも構いません」


「俺たちは疲れてなどいない」


 カイルは吐き捨てるように言った。


「次の依頼を出せ」


 リーナが目を見開いた。


「カイル?」


「聞こえなかったか。次の依頼だ」


「今は休むべきです」


「お前はいつから俺に命令する立場になった」


「命令ではありません。仲間として言っています」


「仲間なら、勇者に従え」


 リーナの顔から血の気が引く。


 ミラが低い声で言った。


「もうやめなさいよ」


「何?」


「見苦しいって言ってるの」


 広間の空気が、さらに張り詰めた。


 カイルはゆっくりミラを見る。


「ミラ。今、俺に何と言った」


「見苦しい。聞こえた?」


「ミラ!」


 リーナが止めようとする。


 だが、ミラは引かなかった。


「私たちは負けたの。ゴブリンに手間取り、オークに押され、農村の人たちに不安を与えて帰ってきた。まず休んで、装備を直して、原因を調べるべきでしょ」


「原因などない」


「あるわよ!」


 ミラは思わず声を荒らげた。


「杖はまともに動かない。魔力は乱れる。ガレスの鎧は壊れっぱなし。リーナの治癒も限界。あなたの聖剣だって、前みたいに光ってない!」


「俺の聖剣を侮辱するな!」


「聖剣じゃなくて、あなたが現実を見てないことを言ってるの!」


 周囲の冒険者たちは完全に黙っていた。


 勇者パーティーの内輪揉め。


 それも、誰の目にも明らかな崩壊の始まりだった。


 ガレスが重く息を吐く。


「カイル。休もう」


「お前まで」


「俺は戦える状態じゃねぇ。肩が開けば盾も持てん。ミラの杖も駄目だ。リーナも限界だ。お前だって分かってるはずだろ」


「分かっていないのはお前たちだ」


 カイルは受付台へ向き直った。


「マリナ。依頼だ。できるだけ大きなものを出せ」


 マリナはしばらく沈黙した。


 そして、慎重に言った。


「現在、王都近郊で緊急性が高いものとして、中級ダンジョン《灰の小砦》の魔物増加調査があります」


 ミラが顔を上げる。


「灰の小砦……」


 ガレスが眉をひそめた。


「あそこは中級だが、入り組んでるぞ」


 《灰の小砦》は、王都から馬車で半日ほどの場所にある古い地下砦型ダンジョンだ。


 かつては魔王軍の前哨基地だったという伝承があり、現在は魔物の巣となっている。中級冒険者向けで、危険度は高くない。だが、通路が狭く、罠もあり、複数の魔物が連携して出ることがある。


 以前の勇者パーティーなら、一日で踏破できた場所だ。


 いや、実際に一度、彼らはそこを攻略している。


 その時も、アレンが同行していた。


「ちょうどいい」


 カイルが言った。


「以前、簡単に攻略した場所だ。俺たちの力が落ちていない証明になる」


「簡単に攻略した?」


 ミラが呆れたように笑う。


「あの時、誰が地図を確認して、誰が罠を見つけて、誰が私たちの疲労を抑えてたと思ってるの」


「またアレンか」


「そうよ。いい加減、名前から逃げないで」


 カイルの拳が震える。


「受ける」


「カイル!」


 リーナが叫ぶ。


「受けると言った!」


 カイルは依頼書を掴んだ。


「明朝、出発する」


「私は反対です」


 リーナがはっきり言った。


「私も」


 ミラも続く。


 ガレスは少し黙り、それから重く頷いた。


「俺もだ」


 カイルは三人を見た。


 その目に、裏切られたような怒りが浮かぶ。


「なら、俺一人で行く」


「馬鹿なことを言うな」


 ガレスが立ち上がった。


「今のお前一人で中級ダンジョンに入ったら死ぬぞ」


「俺は勇者だ」


「勇者でも死ぬって、昨日ミラが言っただろ」


「黙れ」


「黙らねぇ」


 ガレスの声が低くなる。


「俺は、お前を死なせるために盾を持ってるんじゃねぇ」


 カイルの表情が一瞬揺れた。


 だが、すぐに怒りで塗りつぶす。


「なら、ついて来い。お前たちが役に立たないなら、俺が一人で証明する」


 リーナは目を閉じた。


 祈るように。


 いや、本当に祈っていたのかもしれない。


「……分かりました」


「リーナ!」


 ミラが驚いて振り返る。


 リーナは苦しそうに言った。


「カイルを一人で行かせるわけにはいきません」


「でも」


「止められないなら、せめて生きて戻れるようにするしかありません」


 ミラは悔しそうに唇を噛んだ。


 ガレスも、深く息を吐く。


「くそっ……そうなるよな」


 マリナが依頼書を見つめながら、静かに言った。


「カイル様。本当に受けられるのですか」


「ああ」


「では、ギルド規定により、現在の負傷状況を記録させていただきます。場合によっては、追加人員の同行を推奨します」


「不要だ」


「推奨です」


「不要だと言った」


 マリナはそれ以上言わなかった。


 ただ、報告書の端に何かを書き込んだ。


 その動きが、リーナには不吉に見えた。


     ◇


 翌朝。


 《灰の小砦》へ向かう馬車の中は、重い沈黙に包まれていた。


 以前なら、アレンが朝食代わりの包みを配っていた。


 硬くなりにくいパン。干し肉を柔らかく煮たもの。疲労を抑える薬草茶。ミラには酸味の強い果実、ガレスには塩を多めにした肉、リーナには胃に優しい粥、カイルには剣を振る前に食べやすい小さな焼き菓子。


 彼はそれを、自慢することなく黙って渡していた。


 今、馬車の中にあるのは、ギルドで買った保存食だけだ。


 硬いパンと干し肉。


 味気ない水。


 それだけ。


 ガレスが干し肉を噛み、顔をしかめた。


「硬ぇ」


 ミラがぼそりと言う。


「アレンの干し肉、柔らかかったわね」


「言うな」


 カイルが低く言った。


「事実よ」


「言うなと言った」


 ミラは肩をすくめ、それ以上何も言わなかった。


 リーナは小さな水筒を抱えている。


 中身は自分で用意した薬草茶だ。


 だが、飲んでも体は温まらない。魔力も戻らない。


 同じ薬草を使っているはずなのに、アレンが淹れたものとはまったく違う。


「……どうして」


 小さく呟くと、隣のガレスが聞いた。


「茶か?」


「はい。同じ薬草のはずなのに」


「違うんだろうな」


「何がでしょう」


「アレンがいたかどうかだ」


 リーナは何も言えなかった。


 馬車の車輪が石を踏み、車体が揺れる。


 カイルは窓の外を見たまま、無言だった。


 聖剣は膝の上にある。


 その刃は、鞘の中で沈黙していた。


     ◇


 《灰の小砦》は、名前の通り灰色の石でできた地下砦だった。


 地上に残っているのは崩れかけた門と、半分埋もれた監視塔だけ。入口は地下へ続く階段で、そこから先に古い通路と小部屋が広がっている。


 以前来た時、アレンは入口の石壁に残っていた魔力痕を見て、最短経路と危険地帯を推測していた。


 ガレスはその時のことを思い出した。


「……前は、右の通路から入ったな」


「あら、覚えてたの?」


 ミラが少し意外そうに言う。


「うっすらな。アレンが『左は罠の匂いがする』とか言ってた」


「匂い?」


「いや、魔力の流れだったか? あいつ、たまに変な言い方するからよ」


 リーナが入口を見つめる。


「今回は、どうしましょう」


「左から行く」


 カイルが即答した。


 三人が彼を見る。


「なぜ」


「前回と同じ道を行っても、証明にならない」


 ミラは頭を抱えた。


「本気で言ってる?」


「何か問題があるのか」


「前にアレンが危険だって避けた道よ」


「あいつの判断など関係ない」


「関係あるから今こうなってるんでしょうが!」


 ミラの声が通路に響いた。


 カイルは冷たく見返す。


「嫌なら帰れ」


「……っ」


 ミラは杖を握りしめた。


 ガレスが重く言う。


「俺が前に出る。だが、無茶はしない。罠があると思ったら止まるぞ」


「好きにしろ」


 四人は左の通路へ入った。


 通路は狭く、湿った空気が漂っている。壁には古い燭台が残っているが、火は消えている。足元には瓦礫があり、ところどころ水が溜まっていた。


 以前なら、アレンが足元に軽い付与をかけていた。


 滑りにくく、音が響きにくく、疲れにくい。


 今は、靴底が石を踏むたびに冷たさが伝わる。


「待ってください」


 リーナが小声で言った。


「前方、少し空気が違います」


「罠か?」


 ガレスが盾を構える。


 カイルは鼻で笑った。


「臆病になったな」


「慎重になっただけです」


 リーナは言い返した。


 自分でも、少し驚いた。


 カイルは不快そうに目を細める。


 その瞬間、ミラが叫んだ。


「足元!」


 ガレスの足が石板を踏んだ。


 かちり。


 嫌な音がした。


 壁の隙間から矢が飛び出す。


「くそっ!」


 ガレスが盾を広げる。


 数本は弾いた。


 だが、一本が盾の隙間を抜け、ガレスの太腿をかすめる。


「ぐっ!」


「ガレスさん!」


 リーナが治癒をかける。


 傷は浅い。


 しかし、治りが遅い。


 カイルは苛立った声を出した。


「たかが罠だ。騒ぐな」


「たかが罠で怪我をしたんだぞ」


 ガレスが苦々しく言う。


「前回は、アレンが全部見つけてくれてたのよね」


 ミラが呟く。


「黙れ」


 カイルは先へ進もうとした。


 しかし、今度はリーナが彼の前に立った。


「待ってください。罠を確認してからです」


「どけ」


「どきません」


 カイルの目が鋭くなる。


「リーナ」


「ここで焦れば、また誰かが怪我をします」


「俺の足を引っ張るな」


「足を引っ張っているのは、現実を見ないあなたです」


 沈黙。


 ミラが小さく息を呑んだ。


 ガレスも目を見開く。


 カイルは、しばらくリーナを睨んでいた。


 だが、今は怒鳴らなかった。


 怒鳴る余裕が、少しずつ削られているのかもしれない。


「……早くしろ」


 それだけ言って、彼は一歩下がった。


 リーナは震える指を握りしめ、それでも通路を確認した。


 以前ならアレンがやっていた役割。


 今は、自分たちでやるしかない。


     ◇


 最初の戦闘は、骸骨兵三体だった。


 中級ダンジョンでは珍しくもない敵だ。


 動きは遅く、火や聖属性に弱い。ミラの炎魔法とカイルの聖剣があれば、すぐに片づく。


 そのはずだった。


「《炎槍》!」


 ミラの炎が飛ぶ。


 一体目の骸骨兵を砕く。


 しかし、二体目には届かない。


「また出力が落ちてる……!」


「俺が行く!」


 カイルが踏み込む。


 聖剣を振る。


 白い光が骸骨兵の腕を切り飛ばす。


 だが、胴体は残る。


「なぜ倒れない!」


「核を外しています!」


 リーナが叫ぶ。


「胸の中央です!」


「分かっている!」


 カイルは二撃目を放つ。


 今度は倒した。


 だが、その間に三体目がガレスへ斬りかかる。


 ガレスは盾で受けるが、太腿の傷が痛み、踏ん張りが甘くなる。


「ぐっ」


 骸骨兵の刃が肩をかすめた。


「ガレス!」


 ミラが追加の炎を放つ。


 ようやく骸骨兵は崩れ落ちた。


 たった三体。


 たった三体で、全員が息を切らしていた。


 通路に重い呼吸が響く。


 ミラは杖を握ったまま、悔しそうに笑った。


「ねえ。前はここ、歩きながら倒したわよね」


「黙れ」


 カイルの声は、さっきより弱かった。


 ガレスが壁にもたれかかる。


「先に進むのか?」


「当然だ」


「引き返すなら今だぞ」


「進む」


 カイルは奥へ向かった。


 その背中を見て、リーナは胸の奥が冷たくなるのを感じた。


 これは勇気ではない。


 意地だ。


 彼は勝つために進んでいるのではなく、負けを認めないために進んでいる。


     ◇


 ダンジョンの中層に入る頃には、四人の状態は明らかに悪化していた。


 ガレスは足を引きずっている。


 ミラは魔力の消耗が激しく、顔色が悪い。


 リーナは治癒を重ねすぎて、額に汗を浮かべていた。


 カイルは、誰よりも荒い息をしていた。


 それでも彼は止まらない。


「次の部屋を抜ければ、中心部だ」


 ガレスが地図を見ながら言う。


 地図は以前アレンが描いた写しだった。


 皮肉なことに、今の彼らが頼れる一番正確な情報は、追放したアレンが残したものだった。


 ミラがそれに気づき、苦い顔をする。


「この地図、アレンの字ね」


「使えるものは使う」


 カイルが言った。


 ミラは笑った。


「使えるもの、ね」


「何だ」


「あなたにとって、アレンは最後までそうだったのね」


 カイルは答えなかった。


 その時、奥の部屋から低い唸り声が聞こえた。


 全員が身構える。


 扉の向こうにいたのは、鎧を着た大柄な魔物だった。


 オークではない。


 灰色の肌、赤い目、手には巨大な斧。


「ホブオーク……!」


 リーナが息を呑む。


 中級ダンジョンでは上位の魔物だ。


 万全なら倒せる。


 今の状態では厳しい。


「引くぞ」


 ガレスが即座に言った。


「ここは無理だ」


「無理ではない」


 カイルが聖剣を構える。


「カイル、今の私たちでは――」


「俺が倒す」


 カイルは駆け出した。


「カイル!」


 リーナの叫びは届かなかった。


 聖剣が振り下ろされる。


 ホブオークは斧で受けた。


 金属音。


 カイルの腕が弾かれる。


「なっ……!」


 ホブオークの膝蹴りが、カイルの腹に入った。


「ぐはっ!」


 カイルの体が後方に飛ぶ。


 石床に転がる。


 聖剣が手から離れた。


 その光景を見た瞬間、三人の中で何かが切れた。


 ガレスが叫ぶ。


「撤退だ!」


 ミラが煙幕の魔法を放つ。


「《灰煙》!」


 通路に煙が広がる。


 リーナはカイルへ駆け寄り、肩を掴んだ。


「立ってください!」


「俺は……まだ……」


「立って! 死にます!」


 リーナは怒鳴った。


 涙が滲んでいた。


「あなたが認めなくても、私たちはもう限界なんです!」


 カイルの目が揺れた。


 ガレスが盾でホブオークの追撃を受ける。


 一撃。


 二撃。


 盾が軋む。


「早くしろ!」


 ミラがカイルの聖剣を拾い、乱暴に彼へ押しつけた。


「持って! 勇者なんでしょ!」


 その言い方はきつかった。


 でも、ミラの手も震えていた。


 全員、怖かった。


 負けることが。


 死ぬことが。


 そして、自分たちが思っていたほど強くなかったと認めることが。


 四人は逃げた。


 罠も、魔物も、体裁も、何もかも置き去りにして、ただ地上へ向かって走った。


 背後からホブオークの咆哮が追ってくる。


 ガレスの足がもつれる。


 ミラが肩を貸す。


 リーナはカイルを支えながら息を切らす。


 カイルは何も言わなかった。


 言えなかった。


 石段を駆け上がり、ようやく地上の光が見えた時、四人は外へ転がるように飛び出した。


 朝に入ったダンジョンから、昼過ぎに敗走した。


 勇者パーティーは、中級ダンジョンを攻略できなかった。


     ◇


 ギルドへ戻ったのは、夕方だった。


 四人の姿を見た瞬間、広間の空気が変わった。


 鎧は傷つき、ローブは汚れ、盾は歪み、リーナは倒れそうなほど疲れている。


 カイルの聖剣だけが、妙に重く沈黙していた。


 マリナがすぐに駆け寄る。


「治療室へ」


「必要ない」


 カイルが言った。


 だが、その声はかすれていた。


 マリナは彼の返事を無視して、職員に指示を飛ばす。


「担架を。治癒師を呼んでください。ガレス様は脚と肩、カイル様は腹部、リーナ様は魔力消耗、ミラ様も検査を」


「俺は必要ないと言った!」


「ギルド規定です」


 マリナは冷静だった。


 その冷静さが、かえってカイルの敗北を際立たせた。


 冒険者たちの間から、抑えた声が漏れる。


「灰の小砦で、あれか……」


「前は楽に攻略したって聞いたぞ」


「アレンって付与術師、最近抜けたんだろ?」


「抜けたんじゃなくて、追放されたらしい」


「追放してから急に失敗続きって……」


 カイルが顔を上げた。


「誰だ」


 声は低い。


 だが、誰も名乗らない。


 囁きだけが広がっていく。


 勇者パーティーが中級ダンジョンで敗走した。


 アレンを追放してから急に弱くなった。


 あの地味な付与術師が、実は要だったのではないか。


 噂は、火のついた干し草より速く広がる。


 リーナはその声を聞きながら、目を閉じた。


 今さら。


 今さら、皆が気づき始めている。


 自分たちも、周囲も。


 アレンさんがいたことの意味に。


 ミラは治療室へ向かいながら、ぽつりと言った。


「ねえ、カイル」


「……何だ」


「もう、無理よ」


 カイルは答えなかった。


 ガレスが壁に手をつき、苦しそうに息を吐く。


「探そう。アレンを」


 今度は、誰もすぐには否定しなかった。


 リーナが静かに頷く。


「はい。まず謝りましょう」


 ミラも頷いた。


「私は謝る。謝ったって、許してもらえるか分からないけど」


 ガレスは苦い顔で笑った。


「俺もだ。あいつに鎧のことを言われた時、聞かなかった。馬鹿だった」


 三人の視線が、カイルへ向かう。


 カイルは唇を噛んだ。


 謝る。


 アレンに。


 自分が無能だと切り捨てた男に。


 戻ってきてくれと頭を下げる。


 それはカイルにとって、敗北そのものだった。


 だが、今日の彼はもう、勝者の顔をしていなかった。


「……探す」


 彼は絞り出すように言った。


 リーナの表情に、わずかな安堵が浮かぶ。


 しかし、次の言葉でそれは消えた。


「だが、謝るためではない」


「カイル」


「勇者パーティーには、あいつの力が必要だ。俺が連れ戻す」


 ミラが目を閉じた。


「あなた、まだ分かってないのね」


「何がだ」


「戻ってきてくれる前提でいることが、もう間違ってるのよ」


 カイルは答えなかった。


 いや、答えられなかった。


 アレンが戻らない。


 その可能性が、ようやく彼の前に姿を現し始めていた。


     ◇


 その頃、リーフェル村では、夕食前の広場に笑い声が響いていた。


 ぷる太が子供たちとかくれんぼをしている。


 ただし、スライムなので隠れる場所が水桶か草むらか窓辺くらいしかない。しかも本人は隠れているつもりでも、ぷるぷる揺れるのでだいたいすぐ見つかる。


「ぷる太、見えてる!」


「ぷる!?」


「びっくりしてる!」


 ミナたちが笑う。


 俺は空き家改め、自分の家の前で薪を割っていた。


 シルフィは横で記録をつけている。


「師匠、薪割りにも付与が乗っています」


「薪割りに?」


「はい。斧の刃が欠けにくく、薪の割れ目が自然に整っています」


「それは便利だな」


「便利、で済ませる癖を直しましょう」


「また記録するのか?」


「します」


 俺は苦笑した。


 遠く離れた王都で、自分の名前が噂になり始めていることなど知らない。


 勇者パーティーが中級ダンジョンから敗走したことも。


 カイルたちが俺を探そうとしていることも。


 何も知らないまま、俺は薪を割り、鍋の準備をし、村の夕食の匂いに少しだけ腹を鳴らしていた。


「師匠」


「何?」


「今夜は、昨日よりよく眠れそうですか」


「うん。たぶん」


「それは良かったです」


 シルフィは少しだけ微笑む。


「師匠には、眠れる夜が必要ですから」


「シルフィにもな」


「はい」


 世界樹の葉が夕風に揺れる。


 井戸の水は澄み、畑の芽は伸び、村はゆっくりと夜を迎えていく。


 その穏やかな時間の外側で、かつての仲間たちがようやく失ったものの大きさを知り始めていた。


 だが、アレンはまだ知らない。


 自分がもう、誰かに使われるための付与術師ではなくなったことを。


 そして、彼を追放した勇者たちが、その事実に追いつくには、もう少し時間がかかることを。

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