第12話 ギルド職員、真実に気づく
冒険者ギルドの記録室は、いつも少しだけ埃っぽい。
王都の中心街にある本部は、表から見れば立派な建物だ。広い受付、依頼板、併設された酒場、討伐証明品を運び込む裏口、負傷者を運ぶ治療室。朝から晩まで人の出入りが絶えない。
けれど、その奥にある記録室だけは別だった。
厚い扉の向こうに、依頼報告書、討伐記録、報酬明細、冒険者別の活動履歴、魔物の出現傾向をまとめた資料がぎっしり並んでいる。
派手さはない。
剣も魔法もない。
だが、この部屋にはギルドの記憶が眠っている。
受付嬢マリナは、その棚の前で一人、古い報告書を広げていた。
「……やはり、おかしい」
小さく呟く。
机の上には、勇者パーティーの過去の依頼記録が積まれていた。
勇者カイル。
重戦士ガレス。
魔法使いミラ。
僧侶リーナ。
そして、付与術師アレン。
五人編成だった頃の記録。
さらに、アレンが外れた後の記録。
並べてみると、差はあまりにも明白だった。
「カイル様が勇者として登録された直後は、討伐成功率は高い。ですが、負傷率も高い。移動遅延も多い。魔力切れによる撤退が二回。装備破損も頻発……」
マリナは羽ペンで記録の端に印をつける。
「アレン様加入後、負傷率が急減。移動遅延なし。装備破損は記録上ほぼゼロ。魔力切れによる撤退もなし。野営中の体調不良も減少」
紙をめくる。
「高難度依頼の成功率上昇。連戦回数増加。帰還後の休養期間短縮……」
さらに別の紙を見る。
「そして、アレン様追放後」
マリナの指が止まった。
ゴブリン五体との戦闘で負傷。
ゴブリン巣穴掃討失敗。
オーク小集団から撤退。
中級ダンジョン《灰の小砦》にて敗走。
装備破損多数。
魔力消耗異常。
治癒遅延。
連携不全。
勇者パーティーとしては、明らかに異常な落ち込みだった。
たった数日で、ここまで変わることは普通ない。
疲労なら休めば戻る。
装備不良なら直せばいい。
魔物の強化なら、他の冒険者も同じ被害を受けるはずだ。
だが、灰の小砦を追跡調査した銀級冒険者隊からの報告では、出現した魔物は通常範囲内だった。
ホブオーク一体は厄介だが、勇者パーティーが敗走するほどではない。
少なくとも、これまでの彼らなら。
「つまり、変わったのはダンジョンではなく、勇者パーティー側」
マリナは別の束を引き寄せた。
アレンに関する記録は少ない。
彼は目立つ冒険者ではなかった。
報告書の主役はいつもカイルだ。
討伐数はカイル。
最大火力はミラ。
防御貢献はガレス。
治癒実績はリーナ。
アレンの欄には、たいていこう書かれている。
『支援担当』
『補給管理』
『野営設営』
『装備点検』
『軽度付与』
『撤収補助』
どれも地味な項目だ。
だが、マリナは受付嬢だった。
現場から戻る冒険者たちを、ずっと見てきた。
派手な戦果だけが、冒険者を生かしているのではないことを知っている。
むしろ、生きて帰る者ほど、地味な準備を大切にする。
水。
食料。
靴。
睡眠。
装備の傷。
魔力の残量。
誰が疲れていて、誰が無理をしているか。
そういう細かなものを見落とすパーティーは、強くてもいつか崩れる。
「アレン様は……その全部を見ていた?」
マリナは、過去の記憶を掘り起こした。
ギルドの受付に来るアレンは、いつも少し疲れた顔をしていた。
だが、態度は丁寧だった。
依頼書の写しを求める時も、補給物資の受け取りをする時も、報告書の不備を直す時も、決して偉そうにしない。
カイルが華やかに依頼を受けている横で、アレンはいつも一歩下がった場所にいた。
けれど、彼は質問が細かかった。
『この地域の水場で、最近濁りが出た場所はありますか』
『前回この依頼を受けた冒険者の負傷箇所は分かりますか』
『この魔物は夜間と早朝で動きが変わりますか』
『補給地点までの道で、馬車が通れない箇所はありますか』
『報酬の一部を現物支給にできますか。保存食と包帯が欲しいので』
当時のマリナは、彼を几帳面な人だと思っていた。
勇者パーティーの雑務担当。
そういう認識だった。
でも、違ったのかもしれない。
彼の細かな確認が、勇者パーティーの生存率を支えていたのだとしたら。
彼の軽度付与が、実は軽度ではなかったのだとしたら。
勇者カイルたちが自分の実力だと思っていたものが、アレンの常時支援の上に成り立っていたのだとしたら。
マリナは羽ペンを置いた。
「……これは、ただの追放騒動ではない」
そのとき、記録室の扉が叩かれた。
「マリナさん、いらっしゃいますか」
「どうぞ」
入ってきたのは、若い男性職員だった。
手には新しい報告書を抱えている。
「リーフェル方面から、妙な報告が来ています」
「リーフェル方面?」
マリナは顔を上げた。
その名に覚えがあった。
王都から離れた辺境の小村。
依頼の数も少なく、普段ならギルド本部に報告が上がることはほとんどない。
「はい。リーフェル村近くの街道で、井戸水の質が急に良くなったとか、薬草が異常成長しているとか」
マリナの指が止まる。
「薬草?」
「旅商人からの雑談扱いですが、枯れかけていた止血草が一晩で高位薬草並みになったそうです。あと、同じ方面を通った荷馬車の馬が、ひどく疲れていたのに水を飲んだら元気になったとか」
若い職員は苦笑した。
「まあ、旅人の誇張でしょうけど」
「他には?」
マリナの声が思ったより鋭かったのか、職員が少し姿勢を正した。
「ええと……リーフェル村の付近で魔物の動きが一部鎮静化しているらしいです。逆に森の奥では少し荒れているようですが、村周辺だけ妙に被害がないと」
「村周辺だけ」
「はい。それから、これは本当に噂ですが、村に若い付与術師が入ったとか」
記録室が静かになった。
マリナはゆっくり立ち上がる。
「その報告書を見せてください」
「あ、はい」
職員が差し出した紙を受け取る。
走り書きに近い報告だった。
行商人や旅人から集めた噂をまとめたもので、正式な依頼報告ではない。普段なら、資料棚の隅に置かれる程度のものだ。
だが、マリナには十分だった。
リーフェル方面。
薬草の異常成長。
水質改善。
魔物の鎮静化。
若い付与術師。
勇者パーティーから追放されたアレンの足取りは、王都を出て東へ向かったところまでは確認されている。
その先にある村の一つが、リーフェル村。
「……繋がった」
「え?」
「いえ」
マリナは報告書を机に置き、勇者パーティーの記録と並べた。
アレン加入後の異常な安定。
アレン追放後の急激な崩壊。
アレンが向かった可能性のある辺境で起き始めた異常な好転。
偶然にしては、あまりにも線が綺麗すぎる。
「勇者パーティーの本当の要は、勇者カイル様ではなく……」
マリナは言葉を飲み込む。
職員が不思議そうに見ている。
ここで軽々しく口にしていい話ではない。
勇者パーティーは王国と神殿の看板でもある。
その実力が、追放した付与術師に依存していたなどと広まれば、ただの噂では済まない。
だが、隠したままにしておくのも危険だった。
カイルたちは、今のままではまた無謀な依頼を受ける。
そして今度こそ、誰かが死ぬかもしれない。
「マリナさん?」
「この報告、私が預かります。関連記録も整理しますので、他にはまだ回さないでください」
「分かりました。何か問題でも?」
「問題になる前に、確認したいことがあります」
マリナはそう答え、机の上の資料をまとめ始めた。
◇
治療室は、薬草の匂いが濃かった。
白い布で仕切られた部屋の奥で、ガレスは寝台に腰かけていた。肩と太腿に包帯を巻かれ、片手には苦い薬湯の入った杯を持っている。
隣の椅子にはミラが座っていた。
杖は膝の上にある。
魔石部分は取り外され、職人に見せるため布で包まれていた。
リーナは窓際に立っている。
顔色はまだ悪い。
魔力の使いすぎだ。
そしてカイルは、部屋の中央で腕を組んで立っていた。
座るよう言われても拒否したらしい。
だが、その立ち姿にも以前のような余裕はなかった。
マリナが入ると、最初にリーナが気づいた。
「マリナさん」
「お休みのところ失礼します」
「休んでなどいない」
カイルが不機嫌そうに言った。
マリナは静かに頭を下げる。
「では、状況確認として伺います」
「何をだ」
「アレン様についてです」
空気が変わった。
ガレスが目を伏せる。
ミラが苦い顔をする。
リーナは唇を結んだ。
カイルだけが、露骨に眉を吊り上げた。
「なぜ、ここであいつの名が出る」
「勇者パーティーの活動記録を確認しました。アレン様の加入前、加入中、離脱後で、成功率、負傷率、装備破損率、移動効率、魔力消耗に明確な差が出ています」
「記録の偶然だ」
カイルは即座に切り捨てる。
マリナは表情を変えない。
「偶然とは考えにくい差です」
「受付嬢が勇者の力を分析するのか」
その言い方に、リーナの表情が曇る。
ミラが冷たく言った。
「カイル。今そういう言い方はやめなさい」
「事実だ」
「事実を見ているのはマリナさんの方よ」
カイルがミラを睨む。
だが、ミラは引かなかった。
マリナは続けた。
「皆様がアレン様を追放された後、連続して依頼に支障が出ています。灰の小砦の魔物強度も通常範囲内でした。外的要因ではなく、パーティー内部の支援能力喪失が主因である可能性が高いです」
「支援能力喪失……」
リーナが小さく繰り返した。
その声には、納得と痛みが混じっていた。
ガレスが重い口を開く。
「つまり、俺たちはアレンの支援を失って弱くなったってことか」
「断定はできません」
マリナは言った。
「ですが、記録上はその可能性が最も高いです」
ミラが乾いた笑みを浮かべる。
「記録って残酷ね。言い訳を聞いてくれない」
「ミラ様」
「責めてるんじゃないわ。むしろ助かる。私たち、自分の感覚だけだと認められなかったから」
ミラは杖の包みを見下ろした。
「アレンがいないと、私の魔法はこんなに乱れる。情けないけど、それが事実」
ガレスも頷く。
「俺もだ。盾を持てば分かる。前は衝撃の逃げ方が違った。たぶん、あいつが何かしてた」
リーナは胸元の聖印に触れた。
「私も……アレンさんがそばにいると、治癒の流れが整っていました。気休めではありませんでした」
三人が認める。
それでも、カイルだけは沈黙していた。
マリナは彼へ視線を向ける。
「カイル様」
「黙れ」
「このままでは危険です」
「黙れと言った」
「アレン様を探すべきです」
その言葉に、カイルの目が鋭くなる。
「俺もそう思っていたところだ」
リーナの顔に一瞬、希望が灯る。
だが、カイルの次の言葉で消えた。
「あいつを連れ戻す。勇者パーティーには、あいつの力が必要だ」
「……カイル様」
マリナの声が少しだけ硬くなった。
「連れ戻す、という表現は適切ではないかと」
「何?」
「アレン様は追放されたのですよね」
「そうだ」
「では、現在アレン様は勇者パーティーの所属ではありません。戻るかどうかは、アレン様ご本人の意思によります」
カイルの頬が引きつった。
「俺が戻れと言えば戻る」
「それは、なぜですか」
マリナは静かに尋ねた。
怒鳴らない。
責めない。
ただ、逃げ道のない問いを置く。
「アレン様は、なぜ戻らなければならないのでしょう」
「それは……」
カイルが言葉に詰まる。
ミラが目を閉じた。
ガレスは苦い顔で天井を見る。
リーナは祈るように手を握った。
「勇者パーティーだからだ」
ようやくカイルが絞り出した答えは、あまりにも弱かった。
マリナは静かに言う。
「アレン様は、その勇者パーティーから不要だと言われたのではありませんか」
治療室が凍りついた。
カイルの顔が赤くなる。
「受付嬢の分際で」
「カイル!」
リーナが鋭く叫んだ。
カイルが驚いたように彼女を見る。
リーナは震えていた。
しかし、目を逸らさなかった。
「マリナさんは正しいことを言っています。私たちは、アレンさんに戻ってもらう前に、謝らなければいけません」
「謝る、謝ると何度も……!」
「何度でも言います!」
リーナの声が治療室に響いた。
「私たちはアレンさんを傷つけました。支えてくれていたことに気づかず、無能だと思い込み、追い出しました。そのまま『必要だから戻れ』なんて言えるわけがありません!」
ミラが静かに頷いた。
「私も謝るわ。許してもらえるとは思ってないけど」
ガレスも続ける。
「俺もだ。あいつが鎧を見ようとしてくれたのに、聞かなかった。あの時点で、俺は最低だった」
三人の声を聞きながら、カイルは歯を食いしばった。
自分だけが、取り残されている。
その感覚が、彼の怒りをさらに煽る。
「お前たちは、あいつの味方をするのか」
リーナは静かに首を横に振った。
「味方とか敵とかではありません」
「なら何だ」
「間違えたことを、間違えたと認める話です」
カイルは何も言えなかった。
マリナは机の上に一枚の紙を置いた。
「リーフェル方面で、アレン様と思われる付与術師の目撃情報があります」
三人が顔を上げる。
カイルも反応した。
「どこだ」
「まだ確定ではありません。ですが、リーフェル村周辺で不自然な水質改善、薬草の成長、魔物の鎮静化が確認されています」
「……アレンさん」
リーナが呟く。
ミラは小さく笑った。
「辺境で何してるのよ、あいつ」
ガレスも肩の痛みに顔をしかめながら言う。
「畑でも耕してるんじゃねぇか」
冗談のような言葉だった。
けれど、なぜか三人の間に、少しだけ柔らかい空気が流れた。
アレンなら、本当に畑を耕していそうだった。
追放されても、誰かの畑を手伝っていそうだった。
困っている人がいれば、放っておけず、いつの間にか村に馴染んでいそうだった。
「リーフェル村か」
カイルは低く言った。
「行くぞ」
「今すぐは無理です」
マリナが即座に止めた。
「皆様は負傷しています。最低でも一日は治療と休養を取ってください」
「命令するな」
「ギルド職員としての判断です。これ以上の無理な出立は認められません」
カイルが睨む。
だが、マリナは引かない。
リーナも言った。
「私も賛成です。今のまま行っても、アレンさんに余計な心配をかけるだけです」
「心配?」
カイルが鼻で笑おうとした。
しかし、途中で止まる。
アレンは心配するだろう。
自分を追放した相手でも。
ガレスの肩を見て、ミラの杖を見て、リーナの顔色を見て、きっと放っておけなくなる。
それが分かってしまった。
分かってしまうほど、自分たちはアレンに世話をされてきた。
「……明日出る」
カイルはそう言った。
「明日の朝、リーフェル村へ向かう」
ミラは息を吐く。
「分かった。ただし、謝る気がないなら、私はあなたを止めるわよ」
「俺に命令するな」
「命令じゃない。忠告よ」
ガレスも低く言う。
「俺も同じだ。今度こそ、あいつを道具扱いしたら許さん」
リーナは静かに頷いた。
「私もです」
三人の視線を受け、カイルは顔を背けた。
彼はまだ認められない。
アレンに謝ることを。
自分が間違っていたことを。
だが、もう無視もできない。
勇者パーティーは、アレンなしでは以前のように戦えない。
その事実が、ようやく彼らの目の前に置かれていた。
◇
その日の夜、マリナはギルドの書斎で一人、手紙を書いていた。
宛先は、リーフェル村の村長。
正式な公文書ではない。
ギルド職員としての確認状でもあるが、同時に個人的な警告でもあった。
『リーフェル村に滞在している若い付与術師について、王都側で確認したい事案があります。近日中に勇者パーティーがそちらへ向かう可能性があります。無用な混乱を避けるため、村長殿に事前にお知らせします』
そこまで書いて、マリナは羽ペンを止めた。
少し迷ったあと、一文を加える。
『その付与術師がアレン様であるならば、どうか彼の意思を第一に扱ってください』
マリナは乾くのを待ち、丁寧に封をした。
受付嬢という立場でできることは限られている。
だが、何もしないわけにはいかなかった。
勇者パーティーの崩壊は、もう個人の問題ではない。
そしてアレンという付与術師の価値は、おそらく王都が思っているよりずっと大きい。
ただし。
マリナは窓の外を見た。
夜の王都は、魔導灯に照らされている。
華やかで、騒がしく、権力と噂が渦巻く街。
そんな場所から追い出された青年が、もし辺境で静かな居場所を見つけているのなら。
彼を再び無理やり王都の都合に巻き込む権利が、誰にあるのだろう。
「……アレン様。どうか、無事でいてください」
マリナは小さく呟いた。
◇
一方その頃、リーフェル村では、アレンが自分の家の竈の前で首を傾げていた。
「……火の加減が良すぎる」
薪に火をつけたら、一度で安定した。
煙は少なく、炎は強すぎず弱すぎず、鍋の底をちょうどよく温めている。
シルフィが机で記録を書きながら答えた。
「昨日、師匠が竈に付与をかけた影響です」
「便利だけど、これも記録する?」
「もちろんです。『竈が半自動で最適火力を維持』と」
「半自動って何だか大げさだな」
「現象はもっと大げさです」
ぷる太が窓辺で、ぷるんと揺れた。
鍋の中では、霊豆と野菜のスープが静かに煮えている。
外では村人たちが夕食の支度をし、世界樹の葉が夜風に鳴っていた。
アレンはまだ知らない。
王都のギルド職員が、自分の価値に気づいたことを。
勇者パーティーがリーフェル村へ向かおうとしていることを。
そして、自分がようやく見つけたこの穏やかな居場所に、過去が近づいていることを。
「師匠、焦げます」
「あ、悪い」
「火加減は竈が見ていますが、具材を混ぜるのは師匠の役目です」
「竈に負けないよう頑張るよ」
「競う相手が竈なのですか」
シルフィが小さく笑う。
アレンも笑った。
その夜のスープは、やはり優しい味がした。




