第13話 カイル、ようやくアレンの価値に気づく
翌朝、勇者パーティーは出発できなかった。
正確には、カイルだけは出発するつもりだった。
夜明け前から宿舎の一室で鎧を身につけ、聖剣を腰に下げ、外套を羽織る。いつもなら、その姿だけで周囲が道を空けた。
勇者カイル。
女神に選ばれし者。
白銀の鎧と聖剣を携えた王国の希望。
そのはずだった。
「……くそ」
だが今のカイルは、左腕の留め具をうまく締められずに苛立っていた。
鎧の一部がずれている。
昨日の灰の小砦で受けた衝撃のせいだ。職人に応急処置はしてもらったが、完全には直っていない。以前なら、こういう細かな歪みは出発前に消えていた。
誰が直していたのか。
考えたくなかった。
「こんなもの……」
無理に締めようとした瞬間、金具が指に食い込んだ。
「っ!」
小さな痛み。
それだけで、さらに腹が立つ。
扉が叩かれた。
「カイル、入るわよ」
返事を待たず、ミラが入ってくる。
彼女は旅装ではなく、まだ普段着に近いローブを着ていた。杖も持っていない。顔色は昨日よりましだが、疲れは残っている。
「何の用だ」
「マリナさんから伝言。今日の出立はギルド側が認めないって」
「何?」
「昨日あれだけ負傷して戻ってきたのよ。当然でしょ」
「俺は出る」
「出られないわ」
ミラは平然と言った。
「門で止められる。ギルドから王都門衛にも話が行ってる。勇者パーティーとして動くなら、正式な許可が必要」
カイルの眉が吊り上がる。
「俺を監視するつもりか」
「あなたが無茶をするからよ」
「ミラ」
「何?」
「お前はいつから、俺にそんな口を利くようになった」
ミラは少しだけ黙った。
以前なら、ここで引いたかもしれない。
勇者カイルの不興を買えば面倒だった。彼は自分が軽んじられることを何より嫌う。だから、ミラは皮肉を言いつつも、最後の線は越えないようにしていた。
けれど、もう限界だった。
「たぶん、ゴブリンに苦戦したあたりから」
カイルの顔が固まる。
ミラは続けた。
「それとも、オークから逃げたあたり? 灰の小砦で敗走した時? どこからでもいいけど、もう前みたいにはできないわ」
「俺を侮辱するな」
「侮辱じゃない。現実よ」
「現実、現実と……お前たちはそればかりだ」
「だって、あなたが見ないから」
ミラの声は静かだった。
怒鳴るより、ずっと刺さる声だった。
「私たちは弱くなった。というより、元から自分たちだけではあそこまで強くなかった。アレンが支えてた。それだけ」
「違う」
「まだ言うの?」
「違うと言っている!」
カイルの声が部屋に響いた。
しかし、ミラは動じなかった。
「なら、その留め具、自分で直せる?」
カイルは言葉を詰まらせた。
ミラの視線は、彼の鎧の左腕に向いていた。
「アレンなら、あなたが何も言わなくても直してた。出発前にね。しかも、あなたが気づく前に」
「……そんなものは、ただの雑用だ」
「そう。私たちは、その雑用すらできない」
ミラは自嘲気味に笑った。
「私は杖の魔石をまともに固定できない。ガレスは鎧の予備部品の場所も分からない。リーナは自分の魔力消耗を抑えられない。あなたは鎧の留め具一つで苛立ってる」
カイルは黙った。
「アレンを探すなら、まずそれを認めなさいよ」
「認める?」
「そう。私たちは、あいつに支えられてたって」
「……俺は」
カイルの声が低くなる。
「俺は勇者だ」
「うん」
「俺が、あいつに支えられていたなど」
「勇者でも、支えられることはあるでしょ」
ミラは短く言った。
「それを認めたら、あなたが勇者じゃなくなるわけじゃない。認めないまま仲間を壊したら、そっちの方がよほど終わりよ」
言い終えると、ミラは踵を返した。
「昼まで休んで。午後、ギルドで今後の動きを決めるって。勝手に出ようとしたら、私もガレスも止めるから」
「リーナもか」
「もちろん」
ミラは扉の前で振り返った。
「リーナが一番怒ってるわよ。静かだから分かりにくいだけで」
扉が閉まる。
カイルはしばらく動かなかった。
鎧の留め具は、まだずれたままだった。
◇
昼過ぎ。
ギルドの会議室には、勇者パーティー四人と受付嬢マリナが集まっていた。
長机の上には地図が広げられている。
王都から東へ伸びる街道。
途中の宿場町。
そこから北東へ折れた先に、小さく記された村の名。
リーフェル村。
カイルはその文字を睨んでいた。
「ここにアレンがいるのか」
「可能性が高い、という段階です」
マリナは淡々と答える。
「ただし、リーフェル方面で確認された異常現象と、アレン様の移動方向は一致しています」
「異常現象って、何なの?」
ミラが尋ねる。
「街道沿いの井戸水の改善。高位薬草の自然発生。リーフェル村周辺での魔物被害減少。行商人からは、村の空気が以前より明るくなっていたとの話もあります」
ガレスが苦笑した。
「あいつ、やっぱり畑でも耕してるんじゃねぇのか」
「可能性はあります」
マリナが真顔で言う。
「いや、そこ真面目に返すのか」
「アレン様は補給、野営、薬草管理、土質や水場の確認にも詳しい方でした。辺境村で農作業を手伝っていても不思議ではありません」
リーナが小さく微笑んだ。
「アレンさんらしいですね」
その笑みは、懐かしさと痛みが混ざっていた。
カイルは面白くなさそうに顔を背ける。
「村で何をしていようが関係ない。見つけて連れ戻す」
会議室の空気が冷えた。
ミラが腕を組む。
「まだそれ?」
ガレスも低く言う。
「カイル。話し合っただろ」
「何度も言いますが」
マリナの声も硬くなる。
「アレン様には、戻る義務はありません」
「勇者パーティーには必要だ」
「必要とする側が、不要と言って追放したのですよ」
カイルの拳が握られる。
リーナは静かに言った。
「カイル。私たちは、アレンさんに会ったらまず謝ります」
「俺は」
「謝ります」
リーナの声は、いつもより強かった。
「謝らなければ、話す資格もありません」
「資格だと?」
「はい」
リーナはまっすぐカイルを見る。
「アレンさんは、最後まで私たちを心配していました。ガレスの鎧も、ミラの杖も、私の聖印も、あなたの聖剣も。なのに私たちは聞きませんでした。あなたは彼に銀貨数枚を投げ、二度と現れるなと言いました」
カイルの顔が歪む。
「……覚えている」
「なら、分かるはずです」
「俺は、あの時」
カイルは言いかけて、止まった。
何を言うつもりだったのか。
パーティーのためだった。
世界のためだった。
無能を切る必要があった。
いくらでも言い訳はある。
でも、あの夜の自分が本当に考えていたことは、もっと単純だった。
アレンが目障りだった。
戦闘で派手に活躍しないくせに、常に周囲の細かい部分に口を出す。鎧がどう、杖がどう、休息がどう、食事がどう。勇者である自分の輝きの横で、地味な男が当然のように支えている。
その地味さが、なぜか苛立った。
自分の強さが、自分だけのものではないかもしれない。
そんなことは、考えたくなかった。
「……俺は」
言葉が出ない。
ミラは少しだけ目を細めた。
ガレスも黙っている。
マリナは静かに地図を畳んだ。
「明朝、出発を許可します。ただし条件があります」
「条件?」
「まず、皆様は今日中に最低限の治療と装備点検を終えること。次に、リーフェル村ではギルド職員として私も同行します」
「あなたも?」
リーナが驚いた声を出す。
「はい。アレン様の意思確認と、村側との調整が必要です」
ミラが頷く。
「その方がいいわ。私たちだけだと、また揉める」
カイルが睨む。
ミラは肩をすくめた。
「事実でしょ」
マリナは続けた。
「最後に、アレン様へ武力や権威で復帰を迫る行為は禁止します」
「俺を信用していないのか」
カイルが低く言う。
マリナは少しも怯まなかった。
「はい」
即答だった。
会議室が静かになる。
カイルの顔が赤くなった。
しかし、マリナは平然としていた。
「現在のカイル様は、アレン様を対等な一人の冒険者として扱える状態ではないと判断しています。ギルド職員として、その点は明確に申し上げます」
「受付嬢が……」
「カイル」
ガレスが止めた。
「やめろ」
「……っ」
カイルは唇を噛む。
リーナが小さく息を吐いた。
ミラは天井を仰ぐ。
もう誰も、カイルの横柄な言葉をただ受け流さなくなっていた。
それが、彼には一番こたえた。
マリナは地図を鞄にしまった。
「明日の朝、東門に集合です。馬車を一台手配します。リーフェル村までは、順調に行けば夕方前には到着するでしょう」
「夕方前……」
リーナが呟く。
そこにアレンがいる。
謝れるかもしれない。
でも、許してもらえるとは限らない。
その事実に、彼女は胸が締めつけられた。
◇
一方その頃。
リーフェル村のアレンは、村長の家で手紙を読んでいた。
マリナが早馬で送った手紙は、行商人バルドの伝手で予定より早く届いた。
封を開けたのは村長だ。
だが、内容が内容だけに、すぐに俺とシルフィが呼ばれた。
「……勇者パーティーが、来るかもしれない」
俺は手紙から顔を上げた。
言葉にすると、胸の奥が妙にざわついた。
怖い、とは少し違う。
嫌だ、だけでもない。
心配。
気まずさ。
痛み。
その全部が混ざって、うまく名前をつけられなかった。
シルフィは俺の横で、手紙の文面を見つめている。
表情は静かだが、耳の先が少し硬くなっていた。
「師匠」
「うん」
「会いたいですか」
まっすぐな問いだった。
村長も黙って俺を見る。
ぷる太は俺の足元で、いつもより大人しく揺れていた。
「……分からない」
俺は正直に答えた。
「会いたいかと言われると、すぐには頷けない。でも、怪我をしているなら放っておけないとも思う」
「その方々は、師匠を傷つけました」
「うん」
「道具のように扱いました」
「うん」
「それでも、心配なのですね」
「……そうみたいだ」
シルフィはしばらく黙った。
怒られるかと思った。
けれど、彼女は静かに息を吐いただけだった。
「それが師匠の優しさなら、私は否定しません」
「シルフィ」
「ですが」
彼女は俺を見た。
「その優しさで、ご自分をまた差し出すことは止めます」
強い声だった。
「師匠が誰かを助けたいと思うことと、勇者パーティーへ戻ることは別です。怪我を治すことと、再び使われることも別です」
村長が深く頷く。
「シルフィの言う通りだ」
「村長さん」
「アレン。お前さんが会うと言うなら、この村は止めん。だが、戻れと言われて、流されるように頷くことは許さん」
「許さない、ですか」
「そうだ」
村長は杖を強く握った。
「この村は、お前さんを客人としてではなく、村の者として迎えた。村の者がまた傷つけられそうになれば、止める」
胸が熱くなった。
村の者。
その言葉が、まだ慣れないのに、もう手放したくないものになり始めている。
「……ありがとうございます」
「礼は今はいい」
村長は手紙を畳んだ。
「それより、どう迎えるかだ」
「迎える?」
「来るなら門前で話す。いきなり村の中へ入れる必要はない。世界樹やぷる太の件もある」
「ぷる」
ぷる太が小さく跳ねる。
「ぷる太は当日、あまり光らないこと」
「ぷる?」
「分かっておるのか、その顔は」
「スライムに顔はないですよ」
「だが、分かってなさそうな雰囲気はある」
「確かに」
少しだけ空気が緩んだ。
シルフィが考え込むように言う。
「世界樹の若木には、光を抑える布をかけるべきかもしれません。遠目には普通の若木に見えるように」
「できる?」
「簡易的な幻視術なら可能です。ただし、師匠が近くにいると効果が強くなりすぎる可能性があります」
「また俺か」
「はい」
「じゃあ俺は離れていた方が?」
「離れすぎると私の魔力制御が少し不安定になります」
「難しいな」
「はい。師匠の存在は非常に難しいです」
「存在ごと難しい扱いされた」
村長が真面目な顔で言った。
「まあ、とにかく準備だ。村の者には、明日か明後日に客人が来るかもしれんと伝える。余計なことは言わんように」
「子供たちは?」
「ミナが一番危ないな」
「ぷる太を自慢しそうですね」
「間違いなくする」
全員の意見が一致した。
◇
その日の夕方、村の広場に主だった者たちが集まった。
村長、門番老人、マルタさん、畑のまとめ役、若者たち、そして俺とシルフィ。
ミナたち子供も呼ばれた。
ぷる太は俺の肩の上で、普通のスライムのふりをしている。
ふり、というには妙に胸を張っているが。
村長が咳払いした。
「明日以降、王都から客人が来るかもしれん」
村人たちがざわめく。
「王都から?」
「役人か?」
「税の話じゃないだろうな」
「世界樹、見つかったのか?」
「声が大きい!」
村長が杖で地面を叩く。
場が静まる。
「まだ何も決まっておらん。だが、アレンの以前の知り合いが来る可能性がある」
村人たちの視線が俺に集まった。
俺は少し頭を下げる。
「すみません。迷惑をかけるかもしれません」
その瞬間、マルタさんが腰に手を当てた。
「アレン」
「はい」
「そういう時は、すみませんじゃないよ」
「え?」
「よろしくお願いします、だ」
思わず言葉に詰まる。
マルタさんは優しいが、目は真剣だった。
「あんたはもう、この村の人間だろう。困りごとが来たなら、皆で考える。最初から謝られると、こっちが寂しいじゃないか」
胸が詰まった。
村人たちも頷いている。
「そうだぞ、アレンさん」
「柵を守ってもらったんだ。今度はこっちが守る番だ」
「ぷる太もいるしな!」
「ぷる!」
「ぷる太、そこで返事するな。目立つ」
子供たちが笑った。
俺は喉の奥が少し熱くなるのを感じながら、もう一度頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
「おう!」
「任せろ!」
「ミナも秘密守る!」
ミナが勢いよく手を上げた。
村長が目を細める。
「ミナ」
「はい!」
「ぷる太がすごいスライムだという話は?」
「しない!」
「世界樹の話は?」
「しない!」
「霊豆の話は?」
「しない!」
「アレンがすごい話は?」
「……ちょっとだけ」
「するな」
「はーい……」
ミナは不満そうだった。
俺は苦笑する。
「俺はすごくないからな」
その場にいた全員が、何とも言えない顔をした。
シルフィが静かに言う。
「師匠、その発言は村内でも不評です」
「不評なのか」
「はい」
村長も頷いた。
「今後は控えよ」
「自分をすごいと言うのも変じゃないですか」
「では、黙っておれ」
「それが一番難しいですね」
また笑いが起きた。
その笑い声に包まれて、俺は少しだけ安心した。
勇者パーティーが来る。
カイルが来る。
ミラ、ガレス、リーナも。
会えば、きっと胸は痛む。
でも、俺は一人ではない。
この村には、俺の隣に立ってくれる人たちがいる。
シルフィがいる。
村長がいる。
ぷる太がいる。
それだけで、昨日までよりずっと足元がしっかりしている気がした。
◇
翌朝。
王都東門には、馬車が一台用意されていた。
カイル、ガレス、ミラ、リーナ。
そして、マリナ。
五人はそれぞれ荷物を持ち、馬車の前に立っていた。
ガレスの肩にはまだ包帯がある。
ミラの杖は応急修理済みだが、完全ではない。
リーナは顔色こそ戻ったが、どこか緊張している。
カイルは無言だった。
マリナが確認する。
「出発前にもう一度申し上げます。リーフェル村では、私が先に村長へ挨拶します。皆様は許可が出るまで門の外で待機してください」
「俺を門の外で待たせる気か」
カイルが言う。
マリナは即答した。
「はい」
ミラが少し笑った。
「慣れなさいよ。今の私たちは、歓迎されるとは限らないんだから」
カイルは何も言わなかった。
リーナは胸元の聖印に手を当てる。
「アレンさん……」
その声は、小さく震えていた。
謝りたい。
でも、怖い。
許してもらえないかもしれない。
当然だ。
それでも、会わなければ始まらない。
ガレスがリーナの肩を軽く叩いた。
「行こうぜ。逃げてても仕方ねぇ」
「はい」
馬車が動き出す。
王都の門を抜け、東の街道へ。
カイルは窓の外を見ていた。
その顔に、以前のような自信満々の笑みはない。
ただ、認めたくない何かと戦っている男の横顔があった。
リーフェル村へ向かう道の先に、彼らが失ったものがある。
そして、彼らが捨てた青年は、もう昔と同じ場所には立っていない。




