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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


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第87話 署名欄の罠

 参加確認書は、シルフィの記録庫へ入れられた。


 正確には、記録庫の中でも、村長とシルフィの二人が揃わなければ開けない箱の中だ。


 箱には鍵が二つある。


 一つは村長。


 もう一つはシルフィ。


 俺には渡されていない。


 当然といえば当然なのだが、朝食の席でその話を聞いた時、少しだけ複雑な気持ちになった。


「そこまで厳重にする必要がありますか」


 俺が尋ねると、マルタさんは焼いた芋を割りながら答えた。


「必要がなけりゃ、二人とも朝から鍵なんて持ち歩かないよ」


「俺が勝手に記録庫へ入ると思ってます?」


「入らないだろうね」


「なら――」


「でも、誰かが『アレン殿の自由意思を確かめたい』って言ってきたら?」


 俺は言葉を止めた。


 マルタさんは芋へ塩を振る。


「本人宛ての書類です。本人へ渡してください。本人が署名しないなら、それで結構です――なんて、丁寧に言われたらどうする?」


「受け取るだけなら」


「ほら」


「まだ署名するとは言ってません」


「紙を持つところまでは行った」


 ぷる太が机の上の四角へ寄った。


「ぷる」


 ミナが焼き芋を頬張りながら言う。


「アレンお兄ちゃん、紙もらったら読むでしょ?」


「読むと思う」


「読んだら考えるでしょ?」


「考える」


「考えたら夜に寝ないでしょ?」


「……たぶん」


「それで、朝になる前に名前書きそう」


「最後だけ急じゃない?」


 俺が言うと、ミナは真剣な顔で首を横に振った。


「急じゃないよ。アレンお兄ちゃん、ずっとそういう感じだもん」


 子供の観察は、時々容赦がない。


 シルフィは食卓の端で記録板を開いていた。


「ミナさんの見立ては、経過としてかなり正確です」


「記録しなくていいからね」


「今の発言も記録します」


「どうして」


「署名書類を遠ざけられたことへの軽い抵抗が確認できたためです」


 軽い抵抗。


 言われると、さらに複雑になる。


 俺は焼き芋を一口食べた。


 甘い。


 温かい。


 でも、どこか味が遠かった。


 村長が、それまで黙って茶を飲んでいた。


「アレン」


「はい」


「お前さんは、あの紙へ署名しない自信があるか」


 俺は少し考えた。


「あります」


 答えた瞬間、マルタさんが眉を上げた。


 シルフィの羽ペンが止まる。


 ぷる太は四角のまま動かない。


「……今は、ですけど」


 付け足すと、村長が頷いた。


「今ここで、腹が満ちていて、村の皆がいて、苦しむ子供も泣く親も目の前にいない。そういう時なら、署名しないと言える」


「はい」


「では、伯爵家の屋敷でなら?」


「行かないことになっています」


「仮の話だ」


 村長の目は厳しかった。


「王都の立派な部屋。医療者がいる。騎士団員もいる。フローリア嬢の父親が頭を下げる。母親が泣いている。向こうの部屋から、眠れずに苦しむ子供の声が聞こえる」


 胸が、ゆっくり締めつけられる。


「そこに、あの紙が置かれる。『無理なら書かなくて構いません』『見るだけでも』『いつでも帰れます』と言われる。お前さんは、それでも署名しないと言えるか」


 すぐには答えられなかった。


 頭の中に、まだ会ったことのない少女の姿が浮かぶ。


 八歳。


 夜間発作。


 魔力過敏。


 眠れない夜。


 父親が頭を下げる。


 母親が泣く。


 俺なら、どうする。


「……書くかもしれません」


 声にすると、食卓が静かになった。


「見るだけなら、と」


 俺は続けた。


「その場で何も作らなくていいなら。診断書もあって、医療者もいて、いつでも帰れるなら。署名くらいは、と考えるかもしれない」


 ぷる太が、四角からバツへ少し動いた。


「ぷる」


 村長は責めなかった。


 ただ、短く言った。


「だから、署名する場所へ行かない」


 その一言が、まっすぐ胸へ入った。


 署名しないよう頑張るのではない。


 署名を求められる場所へ行かない。


 紙を前に置かれない。


 泣く親と苦しむ子供の間に、自分の名前を書く欄を置かせない。


 マルタさんが、芋の皮を片づけながら言った。


「署名しない自信より、署名する場へ行かない方が強い。覚えときな」


 シルフィがそのまま記録する。


「新規注意文として採用候補にします」


 ミナがすぐに板へ書こうとした。


「待って。朝ごはん中」


「忘れちゃうかもしれない」


「忘れないよ、たぶん」


「アレンお兄ちゃんの『たぶん』は四角だよ」


 ぷる太が四角へ戻った。


「ぷる」


 どうやら全面的に同意らしい。


     ◇


 朝食後、署名欄についての正式な検討会が開かれた。


 参加確認書そのものは箱から出さない。


 昨日作った写しだけを使う。


 しかも、署名欄は黒い布で覆われていた。


「ここまでするんですか」


 俺が言うと、シルフィは淡々と答えた。


「師匠が名前を書ける空欄を見る必要はありません」


「見るだけなら」


 言った瞬間、広場の全員が俺を見た。


 俺は口を閉じた。


「今のは自分でも分かりました」


「記録します」


「はい」


 村長は机の中央に置かれた写しを見下ろす。


「問題を分ける」


 シルフィが板へ書く。


 一つ。


 本人の同意を取ること自体は必要。


 二つ。


 本人の同意があれば、すべて安全になるわけではない。


 三つ。


 同意を求める場、相手、情報、時間、圧力を確認する。


 四つ。


 断った場合に不利益がないか確認する。


 五つ。


 署名後に何が起きるか確認する。


 俺は三つ目で手を上げた。


「圧力って、脅されたり強制されたりすることですよね」


 シルフィは首を横に振った。


「それだけではありません」


「では?」


「断った時に、誰かを苦しめることになると思わせるのも圧力です」


 俺は言葉を失った。


「フローリアさんが苦しんでいる。それは事実かもしれません。ですが、その事実が署名書類の直前に置かれていることで、師匠は『断ればこの子を見捨てる』と感じます」


「感じると思います」


「それが圧力です」


「伯爵は、わざと?」


「意図は分かりません」


 シルフィは冷静だった。


「父親として、娘の状態を伝えただけかもしれません。本人同意を重視して、自由意思確認書を添えただけかもしれません」


「なら、悪いことではない?」


「悪意がなくても、圧力は圧力です」


 マルタさんが頷く。


「熱い鍋を悪気なく渡されても、素手で持ちゃ火傷する。渡した人がいい人かどうかと、熱いかどうかは別だよ」


 台所の例えは、今日も分かりやすい。


「伯爵が悪人かどうかではなく、書類の置かれ方を見る」


「そういうこと」


 村長が言った。


「相手の心を裁くな。こちらに何が起きるかを見ろ」


 シルフィが、その言葉も書いた。


『悪意ではなく、起きることを見る』


 ミナが小さな札へ書き換える。


『いい人でも、押される時は押される』


 ぷる太が丸へ寄った。


「ぷる」


「採用ですね」


 最近、正式文よりミナの言葉の方が板として残ることが多い。


     ◇


 次に問題になったのは、「いつでも辞退できる」という一文だった。


 俺は、その一文を最初は安全だと思っていた。


 署名しても、あとで断れる。


 見るだけ見て、無理だと思ったら帰る。


 それなら大丈夫ではないか。


 そう口にすると、シルフィは俺へ質問した。


「師匠。王都へ着いた後で辞退できますか」


「できます」


「伯爵家が馬車と護衛を用意し、医療者が予定を空け、フローリアさん本人が待っていても?」


 俺は少し黙る。


「……難しくはなると思います」


「まだ辞退できますか」


「できます、たぶん」


「フローリアさんが『来てくれてありがとう』と言った後でも?」


 胸が詰まった。


 会ってもいない少女の声を想像してしまう。


 来てくれてありがとう。


 それを聞いてから帰れるだろうか。


「帰れないかもしれません」


「では、いつでも辞退できるという文面と、実際に辞退できるかは別です」


「はい」


「署名する前なら、まだ誰も待っていません。馬車も出ていません。医療者の日程も押さえられていません。師匠が辞退したことで、誰かの準備を無駄にしたという罪悪感もありません」


 村長が言う。


「断るなら、早い方が軽い」


「でも、早く断るには資料が足りないことも」


「だから、移動は断る。症例相談は残す」


 村長は、二つの札を机へ並べた。


『症例相談』


『本人移動』


「これを混ぜるな」


 俺は二枚の札を見た。


 フローリアの病気について考える。


 それは残す。


 俺が王都へ行く。


 それは断る。


 同じ招待状に書かれていたせいで、一つの話に見えていた。


 でも、本当は別だ。


「署名しないと、症例相談まで断ったことになりますか」


「なりません」


 シルフィがはっきり答える。


「参加確認書は、王都招聘への署名です。症例資料の受領とは別です」


「なら、フローリアさんのことは考え続けられる」


「はい」


 その答えに、胸の奥が少し軽くなった。


 俺が行かなくても、相談は閉じない。


 署名しなくても、見捨てたことにはならない。


 この二つを、何度でも確認しなければならない。


 マルタさんが俺の顔を見て言う。


「今、少し楽になったね」


「分かりますか」


「分かるよ。眉間の皺が一つ減った」


「そんなに細かく見てるんですか」


「アレンが作業小屋へ走る前兆だからね」


 また危険人物扱いだ。


 でも、その視線に守られていることも、もう分かっている。


     ◇


 昼前、王都ギルドから追加の連絡が届いた。


 グレヴィール伯爵家は、参加確認書を「本人の自由意思を守るためのもの」と説明している。


 また、署名を拒否しても不利益はないと明言した。


 文面だけを見れば、問題は減ったように思える。


 しかし、マリナからの補足にはこう書かれていた。


『本人同意を重視する姿勢自体は妥当です。ただし、アレン殿の性格と過去の状況を考慮すると、苦しむ患者や家族の前で署名判断を求めることは避けるべきと考えます。署名を行う場合でも、リーフェル村内で、十分な検討期間を置き、第三者立会いのもとで行う必要があります』


 俺はその部分を読んで、少し考えた。


「マリナさんは、署名そのものを完全にバツとはしていないんですね」


「はい」


 シルフィが答える。


「本人同意の書類としては必要な面があります」


「なら、村内で署名すれば?」


 口に出した瞬間、またぷる太が四角へ寄った。


「ぷる」


 シルフィは俺を見た。


「師匠は署名したいのですか」


「したいというより、王都へ行かないなら署名しない。でも、もし村内で十分に考えて、みんなが立ち会って、それでも行くと決めたら」


「今、行く可能性を残そうとしましたね」


「……しました」


 自分でも驚いた。


 完全に断ったつもりだった。


 でも、どこかで道を残そうとしている。


 フローリアを助けたい。


 王都の医療者と直接話せば、分かることがあるかもしれない。


 そんな気持ちが、署名の可能性を消させない。


 村長は怒らなかった。


 ただ、ゆっくり言った。


「道を残すのは悪くない」


 俺は顔を上げた。


「ですが」


「ただし、今は残さん」


「なぜですか」


「今のお前さんが、その道を見れば、毎日そこへ近づくからだ」


 痛いところを突かれた。


「完全に閉じられると、苦しいです」


「そうだろうな」


「助ける道まで閉じた気がします」


「だから、症例相談は開けてある」


 村長は二枚の札を再び指した。


「本人移動の道だけ閉じる」


「いつまで?」


「少なくとも、フローリア嬢の資料を読み終え、王都側の調査が終わり、伯爵家の医療実態が確認され、村が別の方法を検討するまでだ」


「その後なら?」


「その後に、まだ必要なら、また考える」


 完全な永遠のバツではない。


 だが、今はバツ。


 それなら、少し受け入れやすい。


「今は署名しない」


「そうだ」


「紙も持たない」


「そうだ」


「署名する場所へも行かない」


「そうだ」


 ぷる太が、四角から丸へ少し動いた。


「ぷる」


 ミナが嬉しそうに言う。


「アレンお兄ちゃん、三つ言えた!」


 まるで訓練中の子供のようだ。


 でも、今はそれでもよかった。


     ◇


 午後、参加確認書への正式な返答文が作られた。


 シルフィが読み上げる。


「グレヴィール伯爵家より送付された自由意思確認書について、本人同意を重視する姿勢は理解します」


 最初から拒絶はしない。


 そこは大切だ。


「しかし、現時点でアレン本人の王都招聘、貴族家滞在、直接面会、症例確認参加を認めていないため、当該確認書への署名は行いません」


 明確だ。


 署名しない。


「また、苦しむ患者および家族の事情と同時に提示された署名判断は、本人の自由意思へ強い心理的負担を与える可能性があります。今後、アレン本人へ署名欄を含む参加書類を直接送付しないでください」


 俺は、そこで少し引っかかった。


「俺宛ての書類を送らないで、まで書くんですか」


「はい」


「俺の自由意思を奪うように見えませんか」


 シルフィは少しだけ考えた。


「では、修正します」


 俺は意外に思った。


 てっきり即座に却下されると思っていた。


 シルフィは文面を書き直す。


「今後、アレン本人へ署名欄を含む参加書類を直接送付する場合、事前にリーフェル村村長、記録担当、王都冒険者ギルド、王国騎士団へ同一文書を共有し、十分な検討期間を設けてください」


「直接送付自体は残す?」


「師匠本人宛ての文書を永遠に禁止することは、本人の権利を狭めます」


「でも、単独では渡さない」


「はい。先に共有します」


 村長が頷く。


「よい」


 俺は少し安心した。


 俺の自由意思を守るために、すべてを隠すのではない。


 先にみんなで見る。


 急がない。


 一人で持たない。


 その上で、俺が読む。


 それなら、止められているだけではなく、守られていると思える。


「師匠」


 シルフィが言った。


「今、少し納得しましたね」


「はい」


「記録します」


「それも?」


「大切です。止められるだけでは、師匠の中に反発が残ります。納得できた理由も記録します」


 最近、記録されることに慣れたと思っていた。


 でも、こうして自分の心の動きまで書かれると、やはり少し照れる。


     ◇


 正式返答の最後に、村側要約をつけることになった。


 まず、村長案。


『署名しない自信より、署名する場へ行かない』


 次に、マルタさん案。


『泣いている人の前で名前を書かない』


 少し直接的だが、かなり分かりやすい。


 シルフィ案。


『同意欄があっても、状況による圧力は消えません』


 正式で正しい。


 そしてミナ案。


『名前を書く前に、みんなに見せる』


 ぷる太が丸へ寄った。


「ぷる」


 全部採用された。


 外部対応広場の板が、さらに増える。


『署名する場所へ行かない』


『同意欄があっても、圧は圧』


『名前を書く前に、みんなに見せる』


 門番老人が板を見て、深くため息をついた。


「本当に、屋根から吊るす日が来るぞ」


 ミナが嬉しそうに言う。


「風でカタカタ鳴ったら、みんな思い出すよ」


「夜中に全部鳴ったら、誰も眠れん」


「じゃあ、夜は外す?」


「外す手間で眠れん」


 マルタさんが笑った。


「板を整理する板が必要だね」


「それだけは増やさないでください」


 俺が言うと、全員が少し笑った。


     ◇


 その夜、俺は一人で外部対応広場へ行った。


 作業小屋ではない。


 板を見るためだ。


 もう自分でも、その言い訳が習慣になっている。


 でも今日は、本当に作業小屋へ行く気はなかった。


 エナの追加布は、まだ作れていない。


 心の中にフローリアが入ったままでは、同等品を作れない。


 それを少しずつ認められるようになっている。


 暗い広場に、月明かりが落ちている。


 新しい板が並ぶ。


『署名する場所へ行かない』


『同意欄があっても、圧は圧』


『名前を書く前に、みんなに見せる』


 俺は、最後の板を指でなぞった。


 名前を書く前に、みんなに見せる。


 昔の俺なら、誰かに相談することを弱さだと思っていたかもしれない。


 自分宛ての書類くらい、自分で判断する。


 自分の力の使い道くらい、自分で決める。


 それが責任だと思っていた。


 でも、自分一人で決めた結果、俺は何度も限界を越えた。


 頼まれれば引き受けた。


 期待されれば応えた。


 ありがとうと言われれば、次も頑張った。


 そして、役に立たなくなったと思われた時、簡単に追放された。


 自由意思だったのか。


 あの頃、俺が引き受けていたことは。


 断れない空気の中で、自分から「やります」と言っていただけではなかったか。


「師匠」


 背後からシルフィの声がした。


「驚かせないで」


「作業小屋へ行かないか確認に来ました」


「行きません」


「今日は返事が早いですね」


「少し考えてた」


「何をですか」


 俺は、新しい板を見た。


「昔、俺が自分で引き受けたことも、本当に全部自由だったのかなって」


 シルフィはすぐには答えなかった。


 隣へ来て、同じ板を見る。


「勇者パーティーにいた頃ですか」


「うん。誰かに命令されたわけじゃないことも多かった。俺がやりますって言った。だから、自分で選んだと思ってた」


「でも?」


「断ったら、みんなが困ると思ってた。カイルたちは戦えない。依頼は失敗する。怪我人が出る。だから、俺がやるしかないって」


「それは、選択肢が一つしかないと思っていた状態ですね」


「自由意思って言えるのかな」


 シルフィは、静かに答えた。


「完全に自由ではなかったと思います」


「やっぱり?」


「でも、師匠の意思が全くなかったとも思いません。助けたかったことも本当でしょう」


「うん」


「だから難しいです」


 彼女は月明かりの下で、少しだけ笑った。


「師匠の善意は本物です。でも、その善意しか選べない状況に置かれると、自由意思ではなくなっていきます」


 胸に、ゆっくり沁みる言葉だった。


 善意しか選べない。


 それは確かに、選んでいるようで選んでいない。


「今回の署名欄も?」


「はい。署名しない選択肢は書かれています。でも、師匠の心には『助けない』と見える可能性があります」


「だから、先に分ける」


「症例相談と、本人移動を」


「うん」


 ぷる太が、いつの間にか足元へ来ていた。


 四角の木片を押してくる。


「ぷる」


「今日は四角?」


「ぷる」


 シルフィが少し考える。


「師匠が、自分の過去と自由意思について考えているからでしょう」


「ぷる太、そこまで深く考えてる?」


「ぷる」


 自信満々だ。


 たぶん、半分くらいは本当に分かっている。


     ◇


 翌朝、グレヴィール伯爵家への返答書が村を出た。


 参加確認書には、署名しない。


 招待には応じない。


 ただし、フローリアの症例相談は続ける。


 追加資料は受け取る。


 王都医療院との文書協議も拒まない。


 本人移動だけを切り離す。


 封書が門を離れていくのを、俺は外部対応広場から見送った。


 署名欄は、空白のまま。


 昨日までは、その空白が「助けない」と書いてあるように見えた。


 今は少し違う。


 空白だからこそ、別の助け方を考えられる。


 名前を書かないことで、話を閉じるのではない。


 俺を連れていく道だけを閉じる。


 フローリアの症例資料を読む道は残っている。


 紙で質問する道もある。


 医療者とやり取りする道もある。


 会わなくても、行かなくても、考えられることがある。


 俺は、遠ざかるギルド便へ小さく頭を下げた。


「署名しません」


 隣にいたシルフィが言う。


「はい」


「でも、相談は読みます」


「はい」


「それでいいんですよね」


「はい」


 ぷる太が丸へ寄った。


「ぷる」


 名前を書かなかった紙が、初めて少しだけ誇らしく思えた。

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