第78話 王都ギルド、銀葉商会へ警告を出す
王都冒険者ギルドの朝は、いつもなら騒がしい。
依頼板の前で冒険者が言い合い、受付では薬草袋がひっくり返り、換金窓口では魔獣素材の査定額に誰かが文句を言う。
けれど、その日の奥の会議室だけは、妙に静かだった。
静かすぎて、紙をめくる音が大きく聞こえる。
マリナは、リーフェル村から届いた報告書を机に置いた。
隣には、グラウス副団長。
向かいには、銀葉商会の代表代理ロアンと、商会付き治癒師リサ。
そして少し離れた席に、カイル、ミラ、ガレス、リーナがいた。
カイルは、朝から一言も発していない。
発していないだけで、怒っているのは誰の目にも明らかだった。
膝の上で組まれた両手が、ずっと固い。
ミラはその横で腕を組み、何度も横目でカイルを確認していた。
ガレスは無言。
リーナは心配そうにリサを見ている。
マリナは深く息を吸い、報告書の一部を読み上げた。
「銀葉商会の馬車が夜間にリーフェル村へ到着。患者エリオ・ハルツ九歳を同乗。落ち着き布の即時使用または短時間試験を求める発言あり。村側は夜間対応不可、資料不足、ギルド経由でないことを理由に拒否。水、毛布、温石、薄い野菜スープ、休憩小屋を提供。翌朝、王都ギルドおよび医療院へ引き渡し」
読み終えると、マリナはロアンを見た。
「まず確認します。内容に間違いはありますか」
ロアンは姿勢を正した。
疲れた顔をしている。
それでも、商人としての整った態度は崩していなかった。
「大筋では間違いありません。ただし、当商会としては、あくまで緊急避難的な搬送であり、リーフェル村へ圧力をかける意図はございませんでした」
グラウスの眉が、わずかに動いた。
「意図はなかった」
「はい」
「では、子供を乗せた馬車で夜に村へ行き、『今、苦しんでいる』と訴えれば、村側がどう感じるか想像しなかったのか」
ロアンは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「それは……緊急性を伝える必要があったためです」
「緊急性を伝えることと、相手の判断を揺さぶることは紙一重だ」
「我々は救済のために動きました」
その言葉に、カイルの指が動いた。
ミラが、すかさず小声で言う。
「木片」
カイルは腰の革袋に触れた。
急ぐな。
待。
たった二つの文字を、指先で確認する。
それでも、喉の奥に熱いものが上がってくる。
救済。
また、その言葉だ。
救済のため。
苦しむ子供のため。
そう言えば、何をしても許されるのか。
アレンの村まで夜に馬車を走らせて、子供を見せて、布を出させようとして。
それで救済と言うのか。
カイルは、奥歯を噛みしめた。
グラウスは淡々と続ける。
「ロアン殿。あなた方が本当に患者を助けたいと思っていたことは、否定しない」
「ありがとうございます」
「だが、手順を外した」
ロアンの表情が硬くなる。
「その点は、状況が」
「状況を理由に手順を外す者が増えれば、リーフェル村は潰れる」
会議室が、さらに静かになった。
グラウスの声は大きくない。
しかし、その言葉は重かった。
「落ち着き布は、治療具として確立されていない。特定症例で補助効果の可能性が見られた段階だ。それを商会判断で別症例へ持ち込み、夜間に村へ直接使用を求めた。これは、圧力だ」
「圧力と断じられるのは心外です」
ロアンの声にも、初めて硬さが混じった。
「我々はエリオを見殺しにしたくなかった。王都の医療院では順番を待たされる。貴族の紹介がなければ診察も遅れる。商会が動いたからこそ、彼は昨夜を越せたのです」
リーナが、そこで静かに口を開いた。
「昨夜を越せたのは、リーフェル村が水と休憩小屋を出したからです」
ロアンは彼女を見る。
「それは感謝しております」
「でも、落ち着き布は使っていません」
「はい」
「なら、昨夜エリオさんを助けたのは、落ち着き布ではありません。布を使わずに、できる範囲の支援をした村の判断です」
ロアンは、何も言えなくなった。
リーナの声は柔らかかったが、逃げ道を塞ぐ言い方だった。
マリナは、リサへ視線を向ける。
「リサさん。あなたの所見を確認します。現地で、落ち着き布の即時使用判断はできないと申告した、とあります」
リサはまっすぐ頷いた。
「はい。症例が一致しません。エナ……失礼、第三症例の記録と似ている部分はありますが、同じとは言えません。精密診断もありませんでした。私は、あの場で使用するべきではないと考えました」
「その判断は、商会内で共有されていましたか」
リサは少しだけロアンを見た。
ロアンは目を伏せる。
リサは、静かに答えた。
「出発前、私は王都医療院へ戻すべきと進言しました。しかし、商会側は、リーフェル村に一度相談する価値があると判断しました」
カイルの拳が、また固くなる。
ミラが今度は足を軽く踏んだ。
痛い。
だが、その痛みで少し戻る。
マリナは、リサの言葉を記録官に書かせた。
「商会付き治癒師は王都医療院への帰還を進言。商会側判断でリーフェル村へ搬送。確認しました」
ロアンが苦い顔で言う。
「我々は、医療を軽んじたわけではありません」
「軽んじたかどうかではありません」
マリナの声は、いつもの受付での柔らかさとは違っていた。
「医療者の慎重判断より、商会判断が前に出た。それが問題です」
◇
会議はいったん休憩になった。
ロアンとリサが別室へ移ると、カイルはようやく大きく息を吐いた。
息を吐いた、というより、噴き出した怒りを無理やり押し戻したようだった。
「副団長」
「駄目だ」
グラウスは即答した。
カイルは目を見開く。
「まだ何も言っていません」
「言わなくても分かる。銀葉商会へ怒鳴り込みたい、ロアンを問い詰めたい、リーフェル村へ確認に行きたい。全部駄目だ」
ミラが小さく言う。
「さすがに早い」
カイルは苦い顔をした。
「俺は、そんなに分かりやすいか」
「かなり」
「かなり」
「相当です」
ミラ、ガレス、リーナに順番に言われ、カイルは言葉を失った。
グラウスは報告書の写しを机に置いた。
「怒るのは分かる。私も怒っている」
その声は低かった。
カイルは少し驚いた。
グラウスが感情をはっきり言うのは珍しい。
「子供を夜に村へ連れていく。村側が断りにくい状況を作る。これは危険だ。悪意があろうがなかろうが、結果として圧力になる」
「なら、強く処罰を」
「手順を踏む」
グラウスは短く言った。
「ここで感情的に商会を潰せば、次は地下で動く。商会は王都医療院や貴族家にも繋がっている。表に引きずり出して、記録し、警告し、次に動いた時に止められる形にする」
カイルは、椅子の背を握った。
「……また、待つのですか」
「待つのではない。準備する」
「同じに感じます」
「違う」
グラウスはカイルを見る。
「お前は、まだ剣を抜くことだけを『動く』と思っている。だが、今回は記録を取ること、経路を調べること、誰が商会に依頼したのか確認することが動くことだ」
マリナも頷いた。
「銀葉商会は、単独でここまで急ぎません。誰かが後ろで急がせた可能性があります」
ミラが目を細める。
「貴族家?」
「可能性があります」
マリナは数枚のメモを広げた。
「落ち着き布の噂が出てから、銀葉商会に問い合わせをした家が複数あります。薬材商組合経由で確認した範囲では、少なくとも三家」
ガレスが低く聞く。
「名前は」
「まだ正式確認中です。ただ、一つはほぼ確実です」
マリナは紙を指で押さえた。
「グレヴィール伯爵家」
リーナが小さく息を呑んだ。
「グレヴィール……王都西区の?」
「はい」
カイルは、その名に聞き覚えがあった。
社交界に強い家。
医療院への寄付も多い。
魔道具の収集癖がある当主で、珍しい治療具や術具を高額で買うという噂もある。
ミラが眉を寄せた。
「あそこ、確か幼い令嬢が病弱って話がなかった?」
「あります」
マリナは頷いた。
「魔力不調かどうかは未確認です。ただ、銀葉商会への接触時期が早すぎます。噂が一般に広がる前に動いている」
カイルは、ゆっくり拳を開いた。
怒りの向きが変わった。
ロアンだけではない。
商会だけでもない。
その後ろに、金と名声と家の事情がある。
アレンが嫌うものが、いや、アレンが苦手なものが、束になって近づいている。
「俺たちは何をすればいいですか」
今度の声は、少し落ち着いていた。
グラウスは頷いた。
「それを今から話す」
◇
午後、カイルたちは王都の聞き込みに出た。
行き先は三つに分かれる。
ミラとリーナは医療院筋。
ガレスは薬草商組合と馬車業者。
カイルは、グラウスの部下と共に銀葉商会周辺の護衛依頼記録を確認する。
カイルは最初、不満だった。
「なぜ俺が商会の近くへ行くんですか。怒鳴るなと言われているのに」
ミラが言った。
「自覚があるなら偉いじゃない」
「偉いのか」
「少し」
ガレスが真面目に言う。
「護衛依頼の記録なら、冒険者としての視点が役に立つ」
リーナも頷いた。
「カイルさん、依頼書の変なところを見抜くのは得意ですから」
「そうか?」
「はい。戦闘内容だけは」
「だけ?」
ミラが笑う。
「今は褒められたと思っておきなさい」
結果として、カイルは護衛依頼記録を見に行くことになった。
銀葉商会は、表向きには協力的だった。
ロアンが会議中で不在のため、別の番頭が対応する。
「最近の護衛依頼ですか? もちろん、ギルドを通したものはすべて開示できます」
番頭は笑顔で記録簿を出した。
だが、カイルはその笑顔を信用しなかった。
信用しないが、怒鳴らない。
記録を見る。
ギルドの職員が横で確認する。
銀葉商会がここ数日で出した護衛依頼は、たしかにいくつかあった。
王都内の薬材輸送。
東区医療院への夜間搬送。
貴族家への納品。
そして、一つ、奇妙な依頼があった。
『辺境方面への臨時搬送護衛。行き先未定。病人同乗の可能性あり。口外不可』
カイルは、その文字で指を止めた。
「これは何だ」
番頭は笑顔のまま答える。
「急な搬送に備えた予備依頼です」
「行き先未定?」
「患者の状態によって変わる場合がありますので」
「口外不可」
「商会の顧客情報保護です」
カイルは革袋に触れた。
怒鳴るな。
急ぐな。
言葉を選べ。
「この依頼を受けた冒険者は」
「結局、正式には成立しておりません」
ギルド職員が横から記録を確認する。
「確かに未成立になっています。ただ、仮押さえの相手がいますね」
カイルはそちらを見る。
「誰だ」
「Cランク冒険者パーティー『灰羽の盾』」
聞いたことのある名だった。
堅実な護衛で知られるが、金払いのよい依頼には少し緩いところがある。
カイルは番頭を見た。
「未成立なのに仮押さえ?」
「正式契約前の確認です」
「病人を乗せて夜間に辺境へ行く依頼を、正式契約前に仮押さえした。行き先は未定。口外不可」
番頭の笑顔が少し固まる。
カイルは、声を荒げなかった。
ただ、低く言った。
「記録する」
ギルド職員がすぐに書き留めた。
番頭は困ったように言う。
「勇者殿、我々は違法な依頼を出しているわけでは」
「違法かどうかはギルドが確認する」
カイルは記録簿から目を離さない。
「俺は、リーフェル村へ直接向かう準備があったかどうかを見ている」
番頭は黙った。
◇
一方、ミラとリーナは王都南区の診療所を訪ねていた。
エリオを最初に診た場所だ。
小さな診療所で、待合室には庶民の患者が多い。
魔力不調を専門にしているわけではないらしく、薬草の匂いと古い木の匂いが混じっていた。
診療所の老医師は、リーナの治癒術師証を見て、すぐに奥へ通してくれた。
「エリオ・ハルツ? ああ、診ました。魔力の乱れはありましたが、重度ではない。少なくとも、夜中に辺境まで運ぶような状態ではありませんでした」
ミラの眉が上がる。
「そうなんですか?」
「熱はありました。眠れていないのも事実です。しかし、まず休ませ、王都医療院で精密検査を受けるべきと紹介状を書きました」
リーナが聞く。
「その紹介状は?」
「母親に渡しました」
「商会には?」
「渡していません」
ミラとリーナは顔を見合わせた。
老医師はため息をついた。
「銀葉商会の者が来た時、私は搬送するなら王都医療院へと言いました。リーフェル村など聞いていません」
「では、商会が独自に」
「でしょうな」
老医師は、少し怒ったように杖をついた。
「この頃、魔力不調の子を持つ親が妙な噂を聞いてくる。眠れる布、魔力を静める布、辺境の奇跡。私は何度も言っています。よく分からぬものに飛びつくな、と」
リーナは小さく頷いた。
「その通りです」
老医師は彼女を見た。
「あなたは、治癒術師ですね」
「はい」
「なら分かるでしょう。希望というのは、薬にも毒にもなる」
リーナは、少し胸に手を当てた。
「はい。分かります」
ミラは、いつもの軽さを消した声で言った。
「その紹介状の写し、いただけますか?」
「もちろん。ギルドと騎士団へも送ります」
「助かります」
診療所を出た後、リーナはしばらく黙っていた。
ミラが横を見る。
「大丈夫?」
「はい。ただ……エリオさんのお母様は、きっと必死だったんですよね」
「うん」
「そこに商会が『もっと早い道がある』と言ったら、信じてしまうかもしれません」
「信じるわよ。私だって、家族が苦しんでたら揺れる」
ミラは空を見上げた。
「だから、商会が悪い。全部が悪意じゃなくても、揺れてる親に都合のいい道を見せた」
リーナは頷いた。
「それも記録しないといけませんね」
「最近、みんな記録って言うようになってきたわね」
「リーフェル村の影響でしょうか」
「感染力強いわ」
二人は少しだけ笑った。
でも、その笑いはすぐ消えた。
◇
ガレスは馬車業者の組合で、別の事実を掴んでいた。
銀葉商会は、夜間搬送のために通常より速い馬車を手配していた。
目的地は、最初から「北西辺境方面」と記されている。
そして、その費用を支払った名義が、銀葉商会ではなかった。
「グレヴィール伯爵家の出入り会計係?」
ガレスが聞き返すと、馬車業者の男は気まずそうに頷いた。
「正式な依頼主は銀葉商会ですが、支払いの一部がそちらから」
「なぜ貴族家が支払う」
「さあ、そこまでは。商会経由の支援金だと聞いております」
支援金。
また、きれいな言葉だ。
ガレスは表情を変えずに聞いた。
「他にも同じような支払いは」
「ここ数日で二件。いずれも銀葉商会の急送関係です」
「記録を写せるか」
「騎士団の確認印があれば」
ガレスは、グラウスから預かった確認札を出した。
「ある」
馬車業者はすぐに姿勢を正した。
写しは取れた。
グレヴィール伯爵家。
銀葉商会。
急送馬車。
辺境方面。
線がつながり始めている。
◇
夕方、ギルドの会議室に情報が集まった。
マリナは、各自の報告を並べていく。
銀葉商会は、行き先未定の辺境搬送護衛を仮押さえしていた。
エリオの診療所は、王都医療院への紹介を指示していた。
商会はその指示に反し、リーフェル村へ向かった。
馬車費用の一部に、グレヴィール伯爵家筋の支払いがある。
グレヴィール伯爵家には、病弱な幼い令嬢がいる。
落ち着き布の噂が広がる前から、銀葉商会へ問い合わせていた可能性が高い。
グラウスは腕を組み、低く言った。
「単なる善意の搬送ではないな」
ロアンは、午後の再聴取で明らかに疲弊していた。
彼は、すべてを知っていたわけではないと主張した。
エリオを連れていったのは、急ぎの判断だった。
グレヴィール家の支払いは、商会上層部の判断。
自分は現場担当として、患者を連れて行くよう指示された。
マリナは、その言葉を記録した。
信じるかどうかではない。
記録する。
切り分ける。
責任の所在を追う。
「銀葉商会には正式警告を出します」
マリナは言った。
「リーフェル村への直接訪問禁止。症例を伴う圧力行為の禁止。落ち着き布に関する商会主導の患者選定禁止。今後の相談は医療院主導、ギルドまたは騎士団経由に限定」
グラウスが頷く。
「騎士団からも警告を出す。次に同様の搬送を行えば、村への圧力行為として捜査対象にする」
カイルが、静かに聞いた。
「グレヴィール家は?」
「今すぐには動けん」
グラウスは答えた。
「証拠が支払い記録だけでは弱い。だが、監視対象に入れる」
ミラが机を指で叩いた。
「貴族家が後ろにいるなら、次はもっと丁寧な文書で来るかもね」
「来るだろう」
マリナは疲れた顔で言った。
「おそらく、正式な招待状や相談状として」
リーナが不安そうに言う。
「アレンさんを呼ぶ形でしょうか」
カイルの顔が硬くなる。
グラウスは短く答えた。
「可能性は高い」
会議室に重い沈黙が落ちた。
アレン本人を呼ぶ。
礼遇。
安全な滞在。
十分な報酬。
病弱な令嬢。
貴族家の涙。
その全部が、アレンを揺らすだろう。
いや、揺らすために使われるだろう。
「なら、先に村へ知らせましょう」
リーナが言った。
「グレヴィール家の名が出始めていること。銀葉商会が商会単独ではない可能性があること。アレンさんを呼び出す文書が来るかもしれないこと」
ミラも頷く。
「そうね。先に知っていれば、板を作れる」
カイルは、思わず小さく笑った。
こんな時に板。
でも、本当にそうだ。
リーフェル村は、危険が見えると板を立てる。
なら、危険を先に知らせることは守りになる。
「俺からも」
カイルは言いかけて、止まった。
全員が彼を見る。
カイルは木片に触れた。
「……いえ。騎士団とギルドの報告にしてください。俺個人からは書きません」
ミラが、少しだけ優しく笑った。
「うん。それでいいと思う」
グラウスも頷いた。
「よし」
◇
その夜、銀葉商会へ正式警告が出された。
文面は厳しい。
だが、商会を潰すものではない。
あくまで、次に同じことをさせないための線だ。
ロアンは警告文を受け取り、深く頭を下げた。
「承知しました。今回の件は、商会内で厳重に共有いたします」
マリナは彼を見た。
「ロアンさん。あなた個人がどう思っていたかは、今は問いません。ただ、次に同じ形で村へ行けば、善意では済みません」
「はい」
「患者を本当に助けたいなら、医療者を前に出してください。商会は後ろです」
ロアンは、少しだけ目を伏せた。
「リサにも、同じことを言われました」
「では、聞いてください」
「……はい」
ロアンは疲れた顔で笑った。
「リーフェル村は、不思議な村ですね」
「そうですね」
「門前払いされたのに、水と毛布とスープは出された。布は出さないのに、子供の状態は記録して王都へ繋いだ。厳しいのか優しいのか、分かりません」
マリナは、少しだけ表情を緩めた。
「たぶん、その両方だから守れているんです」
ロアンは何も言わなかった。
◇
カイルたちは、ギルドの外へ出た。
王都の夜は明るい。
酒場の灯り、商店の灯り、馬車の灯り。
リーフェル村の夜とはまるで違う。
カイルは、空を見上げた。
「今日は、行きたいと思わなかった」
ミラが目を丸くする。
「本当?」
「いや、少し思った」
「でしょうね」
「でも、昨日ほどではない」
ガレスが頷く。
「動いたからだ」
カイルは彼を見る。
「動いた?」
「ああ。聞き込みをした。記録を見た。商会の裏を少し見つけた。村へ行かずに、できることをした」
リーナも柔らかく言った。
「アレンさんを直接守るのではなく、アレンさんへ向かうものを遠くで減らす。それが今日の私たちの仕事でした」
カイルは、革袋から木片を出した。
『急ぐな』
角は、さらに丸くなっている。
「剣を振るより難しい」
ミラが笑う。
「知ってる」
「笑うな」
「笑ってないと、やってられないのよ」
カイルも、少しだけ笑った。
だが、その笑みはすぐに消える。
「グレヴィール伯爵家か」
ガレスが低く言う。
「次は貴族だな」
「商会より厄介ですね」
リーナの声に不安が混じる。
ミラが肩をすくめた。
「丁寧な言葉で来るわよ。礼遇します、安全です、困っている令嬢のためです、って」
カイルは木片を握った。
「アレンは揺れる」
「ええ」
「村も揺れる」
「でも、村には板がある」
ミラが言った。
「こっちは先に知らせる。あとは、村が板を立てる」
カイルは、遠くの夜空を見た。
リーフェル村の方角。
見えるはずもない。
それでも、その方角を見た。
「頼む」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
アレンへか。
村長へか。
シルフィへか。
ぷる太へか。
それとも、自分自身へか。
ただ、今は祈るように思った。
次の矢が飛ぶ前に、どうか板が立ちますように。
◇
同じ頃、王都の貴族街では、グレヴィール伯爵家の屋敷に灯りがともっていた。
広い廊下。
磨かれた床。
壁に並ぶ肖像画。
その奥の小さな寝室で、幼い少女が眠っている。
薄い銀髪の令嬢。
額には冷たい布が置かれ、枕元には高価な魔道具がいくつも並んでいた。
その部屋の外で、伯爵家の家令が低い声で言った。
「銀葉商会は失敗したようです」
向かいに立つ男は、窓の外を見たまま答える。
「失敗、か」
「リーフェル村は布を出さず、王都ギルドと騎士団が警告を出しました」
「当然だな。商会は急ぎすぎた」
「では、いかがなさいますか」
男は振り返った。
グレヴィール伯爵。
整った顔に、疲労と苛立ちがにじんでいる。
「次は、こちらが直接出す」
「招待状を?」
「いや、まずは正式な相談状だ。礼を尽くせ。金を前に出すな。娘の症状を正確に書け」
「アレン殿を呼びますか」
伯爵は、しばらく黙った。
そして、静かに言った。
「いずれはな」
家令が頭を下げる。
伯爵は娘の部屋の扉を見た。
「辺境の村が何を守ろうと、こちらにも守るものがある」
その声は、父親のものだった。
同時に、貴族のものでもあった。
優しさと、権力。
愛情と、所有欲。
その二つが、同じ声の中にあった。
夜の王都で、新しい文書が用意され始める。
リーフェル村へ向かう次の矢は、銀葉商会の馬車よりもずっと丁寧な紙に包まれていた。




