第72話 欲しがる者たち、村へ来ようとする
リーフェン家からの返答が来るより先に、妙な手紙が来た。
朝の外部対応広場に置かれた革袋は、いつもの王都経由の封書より軽かった。
封蝋はない。
いや、正確にはあったが、王国騎士団でも冒険者ギルドでもリーフェン家でもない。
見慣れない商会印だった。
葉の形をした銀の印。
それだけなら上品にも見えたが、村長は袋を見た瞬間、渋い顔をした。
「先にこっちが来たか」
「こっち?」
俺が聞くと、門番老人が答えた。
「商人の匂いだ」
「手紙から匂います?」
「する。字が高そうな匂いだ」
「字が高そう……」
どういう意味だろうと思ったが、シルフィが封書を見て小さく頷いた。
「紙が高価です。インクも、香りつきですね」
マルタさんが横から鼻を鳴らした。
「薬草の香りじゃないね。これは、金を持ってるぞって香りだよ」
「香りでそんなに分かるんですか」
「分かるよ。料理も手紙も、余計な香りをつける時はだいたい何か誤魔化したい時だ」
俺は封書を見た。
たしかに、ほんのり甘い香りがする。
それが妙に落ち着かない。
ぷる太は井戸から転がってきて、外部対応広場の四角木片に寄った。
「ぷる」
「まだ開けてもいないのに四角か」
「ぷる」
「分かる気がします」
シルフィは封書を裏返し、差出人を読んだ。
「王都薬材商組合加盟、銀葉商会。代表、バルモンド・グレイス」
知らない名だ。
だが、村長と門番老人は顔を見合わせた。
「知ってるんですか」
俺が聞くと、村長は少しだけ眉を寄せた。
「薬材商としては大きい。王都の医療院や貴族家にも出入りしている」
「つまり、信用できる?」
「商売の相手としては信用がある」
門番老人が続けた。
「人の善意の相手としては知らん」
それは、かなり大事な違いだった。
シルフィはいつもの確認をした。
「封印術なし。追跡術なし。精神誘導なし。ただし、開封時に香りが強く広がる仕掛けがあります」
「何それ」
マルタさんが嫌そうな顔をした。
「手紙を開けた時に、いい匂いで印象を良くするやつだね。料理で言えば、焦げた肉に香草を山ほどかけるようなもんだ」
「分かりやすいけど、嫌ですね」
シルフィは少し考え、封書を外で開けることにした。
香りが強く広がってもいいように。
ぷる太は、水鉢を少し遠ざけた。
「ぷる」
「ぷる太まで警戒してる」
「井戸守りとして正しいよ」
マルタさんが真面目に言った。
シルフィが封を切る。
ふわり、と甘い花の香りが広がった。
悪い匂いではない。
むしろ、王都の高級店にありそうな、柔らかく品のある香りだ。
でも、村の朝には浮いていた。
土と井戸水と薬草の匂いの中で、その香りだけが、やけに作りものめいていた。
シルフィが文面を読み始める。
「拝啓、リーフェル村ご一同様。突然の書状、失礼いたします。王都にて薬材および療養具の流通を担っております銀葉商会のバルモンド・グレイスと申します。このたび、貴村にて作成されたという魔力回路安定用布について、王都医療関係者より噂を耳にいたしました」
そこで、ぷる太が四角からバツへ半歩寄った。
「ぷる……」
シルフィも眉を寄せる。
「魔力回路安定用布、という呼び方になっています」
「落ち着き布じゃないね」
ミナが小さく言った。
今日は村長の許可で外部対応広場の端に座っている。
「はい。すでに言葉が変わっています」
シルフィは続きを読む。
「もし当該布が、魔力不調に苦しむ方々の安眠や症状緩和に資するものであるならば、その価値は計り知れません。当商会は、貴村および作成者様のご負担を最小限に抑えつつ、必要とされる方々へ適切に届ける流通の仕組みを構築できるものと考えております」
マルタさんが腕を組んだ。
「ほら来た」
「流通……」
俺はその言葉を繰り返した。
布を必要としている人に届ける。
その響きだけなら、悪くない。
いや、むしろ良いことのように聞こえる。
でも、胸の奥に引っかかる。
シルフィの声は、さらに硬くなった。
「つきましては、まずは試作品数枚を当商会にて買い取り、医療院監修のもとで使用者を選定し、適正価格で流通させることをご提案申し上げます。金額については、貴村の希望に沿う形で最大限配慮いたします。また、作成者様の所在や作成手順につきましても、商会として秘密保持を徹底いたします」
ぷる太がバツへ飛んだ。
「ぷるっ!」
村長も即座に言った。
「バツだ」
俺はまだ文面を見ていた。
試作品数枚。
買い取り。
医療院監修。
使用者を選定。
秘密保持。
並んでいる言葉は、どれも丁寧だ。
でも、何かが違う。
マルタさんが、俺の顔を見た。
「アレン」
「はい」
「今、少し迷ったね」
「……迷いました」
「どこで?」
「必要としている人に届ける、というところです」
「うん」
「苦しんでいる人が他にもいるなら、布が役に立つなら、届けられた方がいいんじゃないかって思いました」
言いながら、自分でも危ないと分かる。
でも、言わない方がもっと危ない。
シルフィが記録板に書く。
『師匠、商会文面の「必要としている人に届ける」で揺れる』
村長が頷いた。
「よく言った」
マルタさんも言う。
「そこは揺れるよ。揺れない方が怖い」
「でも、これはバツですよね」
「バツだね」
「なぜか、整理したいです」
俺が言うと、シルフィが手紙を机に置いた。
「整理しましょう」
◇
外部対応広場で、急きょ問い合わせ対応会が始まった。
議題は、銀葉商会の手紙。
村人たちも集まってくる。
薬草干しをしていた若者、畑帰りの老人、ミナ、門番老人。
ぷる太はバツの木片の上で、いつもより平たくなっていた。
シルフィが手紙の問題点を一つずつ書き出す。
「まず、落ち着き布を『魔力回路安定用布』と呼んでいます。これは効果を大きく見せる名前です」
「実際には?」
畑の若者が聞く。
「不調時の補助具候補です。治療具ではありません」
シルフィは板に書く。
『名前を盛らない』
「次に、試作品数枚の買い取りを求めています」
マルタさんが言う。
「まだ一枚追加するかどうかって段階なのに、数枚だね」
「はい。リーフェン家の第三症例に限り、一枚を検討している段階です。商会へ売る段階ではありません」
村長が腕を組む。
「医療院監修、という言葉も危ない」
「医療院があるなら安心では?」
俺が聞くと、村長は首を振った。
「医療院が悪いとは言わん。だが、リーフェル村が確認していない医療院、確認していない症例、確認していない使い方だ」
シルフィが続ける。
「使用者を商会が選定する、とあります。つまり、誰に使うかを商会側が決めるということです」
「それは駄目だね」
ミナが言った。
村長は彼女を見た。
「理由を言えるか」
「えっと……布を使う人のことを知らないから。あと、エナちゃんは一枚なら平気って言ったけど、他の人は分からないから」
エナという名は、報告書で伏せられているはずだが、村の中ではリュシアの別紙から「エナ」と呼ぶようになっていた。
もちろん外には出さない約束である。
村長は少しだけ目を細め、頷いた。
「よい」
ミナは嬉しそうにしたが、すぐ口を押さえた。
発言しすぎるとマルタさんに睨まれるからだ。
俺は手紙を見た。
「秘密保持を徹底、とあります」
シルフィが首を横に振る。
「秘密にする相手が違います。商会が秘密を守ると言っても、こちらが情報を渡す理由にはなりません」
「作成者様の所在や作成手順、ともありますね」
「それを聞くつもりがあるから書いているのだと思います」
ぷる太がバツへ体を押しつけた。
「ぷるっ」
俺も頷いた。
「これは、バツですね」
言葉にすると、胸の迷いが少し晴れた。
必要な人に届ける、という入口は魅力的だ。
でも、その先が雑すぎる。
症例資料もない。
本人同意もない。
使用記録もない。
停止条件もない。
アレン本人への線引きもない。
そして、金が前に出ている。
これは、助ける道ではなく、広げる道だ。
広げすぎる道。
◇
村長は、外部対応広場の板に新しい言葉を書いた。
『金だけ丸はバツ』
ミナが読んだ。
「お金だけ丸はバツ」
ぷる太が、勢いよくバツへ飛んだ。
「ぷるっ!」
マルタさんが笑う。
「ぷる太、今日一番速いね」
「商人嫌いなのかな」
俺が言うと、門番老人が答えた。
「水は金で買えるが、井戸は金だけでは守れん」
「深いですね」
「今考えた」
「今ですか」
でも、良い言葉だった。
シルフィはそれも記録した。
「返事はどうしますか」
俺が聞くと、村長はすぐ答えた。
「断る」
「文面は?」
シルフィが羽ペンを構える。
村長は少し考えた。
「落ち着き布は現在、特定症例に対する補助具候補として、王国騎士団、冒険者ギルド、リーフェン家医療担当者の立会いと記録共有のもとで慎重に試験中である。販売、買い取り、流通、商会仲介、独占契約、試作品提供には応じない」
シルフィが書く。
「続けてください」
「医療目的の正式相談を希望する場合は、症例資料、本人または保護者同意、担当医療者、使用目的、停止条件を添え、王国騎士団または冒険者ギルド経由で文書提出すること。ただし、提出は対応を約束するものではない」
「はい」
「作成者本人への接触、村への直接訪問、作成手順の問い合わせ、素材提供名目の接近は断る」
ぷる太が丸へ寄った。
「ぷる」
マルタさんが頷く。
「いいね。硬いけど、はっきりしてる」
「村側要約は?」
ミナが聞く。
みんな、自然に村側要約を求めるようになっている。
シルフィは少し考えてから書いた。
『布は売りません。困っている人がいるなら、紙で相談してください。でも、紙を出しても作る約束ではありません。アレンに会いに来ないでください』
ぷる太が丸へ寄る。
「ぷる」
マルタさんが言う。
「あと、金を積まれても駄目って入れたいね」
村長が頷く。
「入れろ」
シルフィは追記した。
『高いお金でも、バツです』
ミナが満足そうに頷く。
「分かりやすい」
◇
その頃、リーフェン家では別の騒ぎが起きていた。
若い森術師ノルドは、研究館の裏門近くで小さな旅支度を整えていた。
外套。
記録板。
携帯用の魔力測定札。
簡易封印瓶。
地図。
表向きには、王都医療院への資料確認に出ることになっている。
しかし、本当の目的地は違った。
リーフェル村。
もちろん、正式訪問ではない。
彼の中では「個人的な見学」である。
正式な依頼を出す前に、村の環境を見る。
世界樹らしき魔力の気配があるか確認する。
可能なら、アレン本人には会わず、周辺の魔力状態だけ記録する。
彼はそれを、条件違反ではないと自分に言い聞かせていた。
村へ押しかけるわけではない。
調査だ。
見学だ。
研究者としての下見だ。
「……本当に、そう思っていますか」
背後から声がした。
ノルドは振り返り、顔をこわばらせた。
リュシアが立っていた。
その横には、エルミアもいる。
「リュシア殿」
「王都医療院へ行くには、荷が多いですね」
「資料確認に必要なものです」
「封印瓶も?」
ノルドは一瞬だけ視線を逸らした。
リュシアは、それを見逃さなかった。
「リーフェル村へ行くつもりですね」
「……村の中に入るつもりはありません」
「つまり、近くまでは行くつもりだった」
「周辺環境を見るだけです」
「それを、リーフェル村側はどう受け取ると思いますか」
ノルドは苛立ったように言った。
「何でもかんでも条件違反にされては、研究が進みません」
「これは研究ではありません。無断接近です」
「私はアレン殿に会うつもりはない」
「会わなければよい、という問題ではありません」
リュシアの声は静かだった。
だが、そこには会議場で異議を唱えた時と同じ強さがあった。
「リーフェル村は、こちらの言葉を信じて追加布一枚の検討に入っています。その時に、リーフェン家の森術師が個人的見学として周辺に現れたら、どうなりますか」
「……」
「追加布は止まるでしょう。今後の協力も閉じるかもしれません。エナのためにもなりません」
「エナのためだからこそ、私は」
「エナは『いっぱいあるのはまだ怖い』と言いました。『増やす前に聞いてほしい』とも言いました。あなたは、その言葉を聞いたはずです」
ノルドの顔が歪んだ。
「聞きました」
「なら、なぜ封印瓶を持って村へ向かうのですか」
封印瓶。
その言葉に、エルミアが息を呑んだ。
ノルドは、歯を食いしばった。
「魔力環境を採取するだけです。世界樹があるなら、落ち着き布の再現に関係しているかもしれない。調べなければ、いつまでもアレン殿一人に頼ることになる」
「その理屈は分かります」
リュシアは言った。
「でも、今それをすれば、頼る道そのものを壊します」
「では、いつ調べるのですか」
「許可が出た時です」
「出ると思いますか」
「今のままなら出ません」
「なら、永遠に進みません」
「進めてはいけない道もあります」
ノルドは黙った。
リュシアは、一歩近づいた。
「ノルド殿。あなたは悪人ではありません。エナを助けたいと思っている。それは分かっています」
「なら」
「だからこそ、今止まってください」
リュシアは、彼の荷物を見た。
「善意で無断接近する人は、悪意のある侵入者より止めにくい。あなたは、その一歩手前にいます」
ノルドの手が震えた。
怒りか、悔しさか、恥か。
本人にも分からないのだろう。
長い沈黙の後、彼は外套を外した。
「……行きません」
エルミアが安堵の息を吐いた。
リュシアも、表情には出さずに胸の中で息をつく。
ノルドは封印瓶を机に置いた。
「ですが、私は納得していません」
「納得しなくても構いません」
リュシアは言った。
「止まることが先です」
ノルドは苦々しく笑った。
「リーフェル村の四角ですか」
「はい」
「腹立たしいですね」
「分かります」
「あなたも?」
「私も、腹立たしいと思う日があります」
リュシアがそう答えると、ノルドは少しだけ驚いた顔をした。
「でも、必要です」
リュシアは静かに言った。
「腹立たしくても、必要な止まり方があります」
◇
同じ日の夕方、王都では噂がさらに形を変え始めていた。
冒険者酒場の隅で、薬草商の下働きが囁く。
「リーフェル村の布、貴族家が探してるらしいぞ」
「治療布だろ?」
「いや、眠り布だって聞いた」
「魔力病の子供が一晩で治ったとか」
「一晩は盛りすぎだろ」
「でも、金貨百枚出す家があるって」
「百枚?」
その金額が出た瞬間、空気が変わった。
噂は、人助けより金額がついた時の方が速く走る。
その近くの席で、カイルは水杯を握りしめていた。
ギルドの聞き込みの一環で来ていたのだが、予想以上に噂は育っている。
ミラが小声で言った。
「今の、訂正する?」
「する」
「怒鳴らないでよ」
「分かっている」
カイルは立ち上がった。
木片に触れる。
急ぐな。
怒鳴るな。
相手を斬るように言葉を使うな。
彼は酒場の席へ近づき、低い声で言った。
「その話は間違っている」
薬草商の下働きたちが振り返る。
「勇者カイル?」
「落ち着き布は治療布ではない。魔力病が一晩で治った事実もない。金貨百枚で買えるものでもない」
「いや、でも噂で」
「噂を広めるな」
声が少し強くなった。
ミラが後ろで咳払いする。
カイルは木片を握り直した。
「……広めるなら、正しく広めろ。正式相談はギルド経由。直接村へ行くな。買おうとするな。アレン……作成者へ接触するな」
下働きの一人が肩をすくめる。
「怖いな。俺たちは話してただけだよ」
「その話だけで人が動く」
カイルは言った。
「金貨百枚という噂を聞けば、盗もうとする者も出る。売らせようとする者も出る。病人を抱えた家が、希望にすがって村へ押しかけるかもしれない」
下働きたちは黙った。
ミラが横から言う。
「ほんと、今のは笑い話じゃないわ。誰かが苦しんでる話と、金儲けの話を混ぜると危ないのよ」
ガレスも後ろから低く言った。
「ギルド掲示を読め」
下働きの一人が、気まずそうに頷いた。
「分かったよ。悪かった」
カイルは席を離れた。
酒場の外に出ると、深く息を吐く。
「怒鳴りかけた」
「うん。七割怒鳴ってた」
ミラが言う。
「十割ではない」
「成長したじゃない」
「褒めてるのか」
「半分くらい」
カイルは木片を見た。
今日もまた、何度もこれに助けられている。
派手な魔剣より、今の自分にはこの木片の方が必要なのかもしれない。
◇
翌朝、リーフェル村にさらに二通の問い合わせが届いた。
一通は、王都の小さな医療院から。
こちらは、ギルド掲示を見た上で正式相談の手順を教えてほしいというものだった。
症例資料はまだない。
だから村は、ギルド経由で資料を送るよう返答することにした。
もう一通は、匿名の手紙だった。
『高額で買い取る。困る者を助けるためだ。作成者に直接会わせてほしい。誰にも言わない』
シルフィが読み上げた瞬間、ぷる太はバツへ飛んだ。
「ぷるっ!」
村長も即座に言った。
「破棄」
「返答は?」
「不要。匿名に返す道はない」
門番老人が手紙をつまみ、眉を寄せた。
「紙は安い。字も急いでいる。商人ではなく仲介屋かもしれん」
「仲介屋?」
俺が聞くと、マルタさんが嫌そうに言う。
「困ってる人と、金持ってる人と、作れる人の間に入って、全部から少しずつ取る人だよ」
「……嫌ですね」
「嫌だね」
シルフィはその手紙を記録し、封筒ごと保管箱へ入れた。
「破棄ではなく、記録保管します。匿名接触があった証拠として」
村長は頷いた。
「そうしろ」
俺は手紙の文面を思い出していた。
困る者を助けるため。
またその言葉だ。
助けるため。
必要としている人へ。
苦しむ人を救うため。
良い言葉ほど、危ない使われ方をする。
俺は懐の四角に触れた。
「師匠」
シルフィが俺を見る。
「今、揺れましたか」
「少し」
「どこで?」
「困る者を助けるため、というところ」
「はい」
「でも、匿名はバツです」
ぷる太が丸へ寄った。
「ぷる」
どうやら今の判断は丸らしい。
◇
その日の夕方、外部対応広場に新しい大きな板が立てられた。
村長が自分で文字を書いた。
『布だけ売りません』
太い字だった。
その下に、シルフィが細かく条件を書き足す。
『症例資料』
『本人または保護者同意』
『担当医療者』
『王国またはギルド経由』
『使用記録』
『異常時停止』
『アレン本人への接触なし』
ミナがじっと読んだ。
「いっぱいある」
「いっぱい必要なんだよ」
マルタさんが言う。
「お金だけ持ってきて、布くださいっていうのは?」
ミナが聞く。
ぷる太がバツへ飛ぶ。
「ぷるっ!」
「じゃあ、泣きながら困ってますって来たら?」
ぷる太は四角へ寄った。
「ぷる……」
ミナが首を傾げる。
「バツじゃないの?」
村長が答えた。
「困っていることは聞く。だが、すぐ布は出さない。だから四角だ」
「そっか。困ってる人はバツじゃない。でも、すぐ布は丸じゃない」
「そうだ」
ミナは少し考え、板の端に小さく書いた。
『困った人は聞く。布はすぐ出さない』
マルタさんが笑う。
「いいね。分かりやすい」
俺はその板を見つめた。
布だけ売りません。
困った人は聞く。
布はすぐ出さない。
この二つが並ぶことで、少しだけ救われる気がした。
売らない。
でも、聞かないわけではない。
断る。
でも、閉じるわけではない。
助ける道は残す。
ただし、金や噂に引っ張られない。
それが、今のリーフェル村の答えだった。
◇
夜、村長の家で今日の記録をまとめた。
銀葉商会からの買い取り提案。
匿名の高額買い取り手紙。
王都医療院からの正式手順問い合わせ。
リーフェン家若手森術師の無断接近未遂については、リュシアから王都経由で短い注意報告が届いていた。
未遂で止まったこと。
本人は行かなかったこと。
ただし、リーフェン家内部でも研究熱が高まっていること。
その文面を読んで、村長は深く息を吐いた。
「欲しがる者が増えてきたな」
マルタさんが鍋をかき混ぜながら言う。
「落ち着き布なのに、周りが落ち着かないねぇ」
「本当に」
俺は苦笑した。
シルフィは、リュシアの報告をじっと見ていた。
「姉様が止めてくれたのですね」
「そうだな」
「ノルド様は、悪い方ではありません。ただ……熱くなりやすい方です」
「熱い人は苦手?」
俺が聞くと、シルフィは少し考えた。
「昔は、怖かったです。熱い人の近くにいると、私の言葉は聞かれなくなることが多かったので」
「今は?」
「今も少し怖いです。でも、止める言葉を持てるようになりました」
そう言って、彼女は外部対応広場の方を見る。
丸、バツ、四角の板が、夜の灯りに照らされている。
「リーフェン家にも、四角が必要なのかもしれません」
マルタさんが笑った。
「送るかい? 木片」
「本当に送ったらどうなりますかね」
「セラドさんは使いそうだね」
「リュシア様も持つかもしれません」
俺たちは少し笑った。
でも、その笑いの中にも、緊張は残っていた。
欲しがる者たちは、もう動き始めている。
商人。
匿名の仲介屋。
研究者。
噂を聞いた医療院。
そして、きっとこれから貴族家も。
落ち着き布一枚が、こんなに多くの人を動かす。
それは嬉しくもあり、怖くもあった。
村長は最後に言った。
「明日から、門の対応を変える」
「どう変えますか」
「落ち着き布の問い合わせは、すべて外部対応広場で受ける。家に入れない。アレンに直接会わせない。紙のない相談は聞き取りだけ。返事は後日」
シルフィが記録する。
「はい」
「門番にも追加札を渡す」
門番老人が頷く。
「書く文は?」
村長は少し考え、言った。
「落ち着き布の件は、ここで止まれ」
ぷる太が丸へ寄った。
「ぷる」
短いが、分かりやすい。
◇
その夜、俺は外部対応広場に立っていた。
新しい板が増えている。
『布だけ売りません』
『金だけ丸はバツ』
『困った人は聞く。布はすぐ出さない』
『落ち着き布の件は、ここで止まれ』
板が増えるほど、問題も増えている。
でも、板があるから止まれる。
俺は、そっと四角の木片を手に取った。
「ぷる太」
「ぷる?」
「これから、もっと来るかな」
「ぷる……」
ぷる太は四角へ寄った。
「分からないけど、来るかもしれない?」
「ぷる」
「そうだよな」
空には星が出ていた。
村は静かだ。
でも、その外側では、噂と金と善意と欲が動いている。
リーフェル村へ向かう道を、誰かが地図で探しているかもしれない。
手紙を書いているかもしれない。
馬車を用意しているかもしれない。
俺は怖いと思った。
でも、同時に、少しだけ心強かった。
もう一人で受けない。
外部対応広場がある。
村の板がある。
ぷる太がいる。
シルフィがいる。
みんながいる。
「布だけ売りません、か」
俺は板を見て、小さく笑った。
「うん。売らない。でも、聞く」
ぷる太が丸と四角の間に移動した。
「ぷる」
その夜の答えも、丸寄り四角だった。




