表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
65/90

第65話 小さな成功と、大きな火種

 リーフェン家からの報告書が届いたのは、落ち着き布を送り出してから二日後の昼前だった。


 その日、リーフェル村では薬草干しの棚を移動していた。


 朝から空模様が怪しく、マルタさんが「昼過ぎには降るね」と言ったので、村の若者たちは慌てて干し棚を屋根のある場所へ運んでいた。


 俺も手伝おうとしたのだが、すぐに止められた。


「アレン、そっち持つな」


 村長が言った。


「え、軽いですよ?」


「軽いものを持ったつもりで、付与して棚ごと丈夫にするだろう」


「しませんよ」


「昨日、井戸桶を持った時にやった」


「……あれは少しだけです」


「その『少しだけ』が問題だ」


 ぷる太が、外部対応広場のバツ木片へ勢いよく体当たりした。


「ぷるっ!」


 最近、ぷる太の判定が早すぎる。


 俺が何かを言い終わる前に、だいたいもうバツか四角へ移動している。


 ミナはそれを見て、胸を張った。


「ぷる太、アレンお兄ちゃんの危ない言葉分かるようになったね!」


「ぷるる」


「褒められてる……」


 俺は少し肩を落としたが、誰も同情してくれなかった。


 シルフィだけは、記録板を抱えながら真面目に言った。


「師匠、今日は報告書が届く可能性があります。体力を残してください」


「落ち着き布の?」


「はい。王都経由なら、そろそろです」


 そう言われると、胸が少しざわついた。


 九歳の少女。


 名前は伏せられている。


 資料上は第三症例。


 けれど、俺の中ではもうただの番号ではなくなっていた。


 夜、眠れない子。


 発熱とうわ言で苦しむ子。


 落ち着き布が、少しでも役に立てば。


 そう思う。


 でも、期待しすぎるな、と何度も言われている。


 治療具ではない。


 補助具候補。


 改善しても量産の約束ではない。


 効果がなくても、俺が直接行く理由にはならない。


 全部、覚えている。


 覚えているのに、心は勝手に先へ走り出しそうになる。


 助けたい四角。


 その言葉を、俺は胸の中で繰り返した。


     ◇


 昼前、門番老人が村の入口から声を上げた。


「ギルド便だ」


 広場の空気が少し変わった。


 作業していた村人たちが手を止める。


 ミナがぷる太を抱えようとして、ぷる太にするりと逃げられた。


 ぷる太は自力で外部対応広場の机へ向かい、水鉢の中へ収まる。


 完全に会議の構えだった。


 配達人は、雨の匂いを含んだ風の中を小走りでやってきた。


 革袋には、王国騎士団、冒険者ギルド、リーフェン家の封。


 そして、リーフェン家側の医療記録確認印。


 シルフィが受け取り、いつもの手順で確認する。


「封印術は開封確認のみ。攻撃性なし、精神誘導なし、追跡反応なし」


 村長が頷く。


「村長の家で読む」


「はい」


 俺は無意識に革袋へ手を伸ばしそうになった。


 すぐ、ぷる太が四角へ寄る。


「ぷる」


「分かってる。俺が勝手に開けない」


「ぷる」


 シルフィが少しだけ笑った。


「師匠、今日はぷる太の反応がかなり早いですね」


「俺、そんなに危ない顔してる?」


「はい」


「即答だった……」


 マルタさんが俺の背中を軽く叩いた。


「喜びたい気持ちと怖い気持ちが混ざってる顔だよ。そういう時ほど四角」


「はい」


     ◇


 村長の家には、すぐに主要な面々が集まった。


 村長。


 俺。


 シルフィ。


 マルタさん。


 門番老人。


 そして、ぷる太。


 ミナは外で待つように言われたが、扉の近くにいる気配がする。たぶん聞いている。


 シルフィは革袋から報告書を取り出した。


 一番上には、今回も確認文がある。


『本報告書は、落ち着き布試作品の初回短時間試験結果を共有するものであり、追加布の作成、量産、アレン本人の移動、直接施術、研究協力を求めるものではない』


 シルフィが読み上げると、ぷる太が丸の木片へ寄った。


「ぷる」


 村長も頷く。


「最初にこれを入れたか」


「はい。リュシアさんか、セラドさんか、ヴィオラさんが入れてくれたのだと思います」


 シルフィは文面を見ながら言った。


「リーフェン家側も、少なくとも今回は条件を守る形にしています」


「今回は、だね」


 マルタさんが言う。


「はい」


 シルフィは続けた。


「では、試験結果を読みます」


 俺は思わず背筋を伸ばした。


 木片を握る。


 四角。


 まず聞く。


 すぐ決めない。


 シルフィの声が、静かに部屋へ落ちた。


「対象、第三症例。九歳。初回短時間試験。落ち着き布試作品二号を枕元の木台に設置。身体接触なし。固定なし」


 ここまでは条件通り。


「試験開始直後、強い魔力反応なし。危険反応なし。発熱、大きな変化なし」


 俺は少しだけ息を止めた。


 発熱は大きく変わらない。


 そうか。


 やっぱり、そんな簡単ではない。


 でも、シルフィは次を読んだ。


「試験中、呼吸のわずかな安定を確認。本人申告……『葉っぱの声が遠い』」


「葉っぱの声?」


 門番老人が首を傾げる。


 シルフィは説明した。


「精霊応答の刺激を、本人がそう表現しているようです。森のざわめき、精霊の気配、魔力の刺激が少し遠く感じた、という意味だと思います」


 マルタさんが小さく息を吐いた。


「それは、少し楽だったってことかい」


「おそらく」


 シルフィは報告書を見つめたまま頷いた。


「さらに、試験後、短時間の睡眠あり。半刻ほど、うわ言なし」


 部屋が静かになった。


 半刻。


 短い時間だ。


 けれど、その短さが逆に胸に来た。


 たった半刻。


 でも、その子にとっては、きっと大きな半刻だった。


 眠れなかった子が、少し眠れた。


 うわ言もなく。


 俺は、手の中の木片を握りしめた。


 視界が少し滲む。


「……眠れたんだ」


 声がかすれた。


 シルフィは、そっと頷いた。


「はい。少しですが、眠れたそうです」


 ぷる太が、ゆっくり丸の木片へ寄った。


「ぷる」


 いつもの勢いのある丸ではなかった。


 そっと寄り添うような丸だった。


 マルタさんが、静かに言った。


「よかったね」


「はい」


「これは、喜んでいい」


 俺は顔を上げた。


「喜んでいいんですか」


「いいよ」


 マルタさんは、少し笑った。


「完治じゃない。量産じゃない。次を約束する話でもない。でも、眠れた子がいる。それは喜んでいい」


 その言葉で、胸の奥に詰まっていたものが少しほどけた。


 俺は深く息を吐いた。


「よかった……」


 本当に、それだけだった。


 大きな奇跡ではない。


 世界を救ったわけでもない。


 でも、誰かの夜が少し静かになった。


 それだけで、嬉しかった。


     ◇


 報告書には、ヴィオラさんの個人的な一文も添えられていた。


 シルフィがそこを読み上げる。


「完治ではありません。しかし、夜に少し眠れたことは、症例本人にとって大きな意味がありました。慎重な条件付きで、同布による短時間試験の継続を希望します」


 マルタさんは目を細めた。


「ちゃんと分かってる人だね」


「はい」


 シルフィも頷く。


「治療効果を断定せず、本人にとっての意味を書いています。これは、良い報告です」


 村長が腕を組んだ。


「継続試験を希望、か」


 その一言で、嬉しかった空気に少しだけ重さが戻った。


 そうだ。


 ここからだ。


 一度うまくいった。


 だから、次を求められる。


 同じ布で短時間試験を続けたい。


 それは自然な希望だ。


 でも、そこから先へ広がる危険がある。


 もう一枚。


 別の症例にも。


 もっと強く。


 アレン本人に確認してほしい。


 その道が、すぐ近くにある。


 俺は、嬉しさの中でまた四角の木片に触れた。


 シルフィも同じだった。


 胸元の木札に触れながら、静かに言う。


「喜びます。でも、次は四角です」


 ぷる太が、丸から四角へ移動した。


「ぷる」


 丸から四角へ。


 その動きが、今の気持ちそのものだった。


 村長が頷く。


「よい。小さな成功は丸。次の判断は四角」


 門番老人が言った。


「浮かれて橋を渡るな。橋板を一本ずつ確かめろ」


「今日は本当に名言が多いね」


 マルタさんが言う。


「いつもだ」


「はいはい」


 少し笑いが起きた。


 その笑いで、重くなりすぎずに済んだ。


     ◇


 午後、外部対応広場で村への報告が行われた。


 村長は、あえて大げさな言い方をしなかった。


「落ち着き布の初回試験で、九歳の子が少し眠れたそうだ」


 それだけだった。


 だが、村人たちには十分伝わった。


 ミナが目を丸くする。


「眠れたの?」


「ああ。半刻ほど、うわ言なしだそうだ」


「半刻って短い?」


「短い。でも、その子には大事な半刻だ」


 ミナは少し考え、ぷる太を見た。


「ぷる太、これは丸?」


 ぷる太は丸へ寄った。


「ぷる」


「でも、次は?」


 ぷる太は四角へ移動する。


「ぷる」


「丸から四角!」


 ミナは真剣に頷いた。


「じゃあ、喜んでから考える!」


 マルタさんが笑った。


「いい言葉だね」


 シルフィがすぐに記録した。


『村側要約:喜んでから考える』


 村長も頷く。


「採用だ」


「また板が増えるんですか?」


 俺が聞くと、村長は当然のように言った。


「増える」


 もう外部対応広場は板だらけである。


 だが、反論はできなかった。


 必要な言葉が増えているのだ。


     ◇


 村人たちの反応は、思ったより穏やかだった。


 もっと大騒ぎになるかと思ったが、みんな「よかった」と言いながらも、すぐに「でも次はどうするんだ」と考えていた。


 畑の若者が言う。


「同じ布で短時間なら、続けてもいいんじゃないか?」


 門番老人が答える。


「それでも条件をつける。何回までか、どれくらいの時間か、誰が見るか」


 別の村人が言う。


「もう一枚くれって言われたら?」


 マルタさんが即答する。


「すぐには出さない」


「でも、他の子も苦しんでるんだろ」


「だからこそだよ。一枚で眠れたからって、全部に効くとは限らない。合わない子に使ったら危ない」


 俺は、その会話を聞きながら胸が熱くなった。


 村人たちは、もう「助けるか、断るか」だけで考えていない。


 助ける。


 でも、守る。


 喜ぶ。


 でも、考える。


 丸。


 でも、四角。


 それが、村の言葉になっていた。


 シルフィが小声で言う。


「師匠」


「うん」


「村が、覚えてくれています」


「うん」


「師匠一人で覚えなくていいのです」


 その言葉が、胸にしみた。


 俺一人だったら、きっと今頃「もう少し作りましょう」と言っていた。


 でも、村が覚えてくれている。


 ぷる太が止めてくれる。


 ミナが聞いてくれる。


 マルタさんが叱ってくれる。


 村長が線を引いてくれる。


 シルフィが記録してくれる。


 だから、助けたい気持ちを捨てずに済む。


 捨てずに、流されずに済む。


     ◇


 その日の夕方、村長の家で正式な返答方針を決めることになった。


 報告書への返答は、急ぎすぎても遅すぎてもよくない。


 リーフェン家が条件を守って報告してきた以上、こちらも文書で返す。


 シルフィが記録板を開く。


「まず、初回試験結果を受け取ったことを確認します」


「うん」


「次に、症例本人が短時間眠れたことについて、村側として喜ばしく受け止める、と書きます」


「喜ばしく?」


 マルタさんが首を傾げる。


「硬いねぇ」


「正式文書ですので」


「村側要約は?」


「『眠れてよかった』です」


「そっちの方がいいね」


 ぷる太が丸へ寄る。


「ぷる」


 シルフィは両方書いた。


 正式文書。


『症例本人に短時間の安眠が得られたことを、リーフェル村側として重要な変化と受け止めます』


 村側要約。


『眠れてよかった』


 俺は、どちらも大事だと思った。


 次に、継続試験について。


 ここが本題だった。


 村長が言う。


「同じ布。同じ症例。短時間。記録共有。異常時停止。これなら検討できる」


「新しい布の追加は?」


 俺が聞くと、ぷる太が四角へ寄った。


 村長も頷く。


「今はしない」


「別症例への使用は?」


「しない」


「強い布は?」


 ぷる太がバツへ飛んだ。


「ぷるっ!」


 全員が頷いた。


「強い布はバツだ」


 シルフィが記録する。


「継続試験は、同一布、同一症例、短時間、回数上限つき。追加布、別症例、強化版は現時点で不可」


 クラウディアさんとマリナさんがいれば、きっと同意しただろう。


 俺は少しだけ考えた。


「回数上限は?」


 村長が言う。


「三回だ」


「三回」


「初回を含めて三回。つまり、あと二回。そこで記録を見て考える」


 マルタさんも頷く。


「何度も何度も使ってから『効いてるから続けます』ってなると危ないからね」


「はい」


 シルフィは書いた。


『初回を含め三回まで。継続判断は三回分の記録確認後』


 ぷる太が丸へ寄る。


「ぷる」


     ◇


 俺はそこで、ずっと胸にあった言葉を出した。


「俺、少しだけ、もう一枚作りたいと思いました」


 部屋が静かになる。


 マルタさんは怒らなかった。


 村長も、すぐには止めなかった。


 シルフィが俺を見る。


「師匠。なぜそう思いましたか」


「眠れたって聞いて、他の子にも使えるかもしれないって思ったからです」


「はい」


「十一歳の子も、十三歳の子も、苦しんでる。九歳の子だけ少し眠れて、他の子には何もしないのかって考えました」


 言いながら、胸が痛む。


 だが、ここで言っておきたかった。


 黙っていると、後で一人で抱えそうだったからだ。


 村長は、しばらく黙った後で言った。


「よく言った」


「え?」


「隠す方が危ない。作りたいと思ったなら、ここで言えばよい」


 マルタさんも頷く。


「そうだよ。思うのはバツじゃない。隠れて作るのがバツ」


 ぷる太がバツへ寄った。


「ぷるっ」


「隠れて作りません」


 俺はすぐに言った。


 シルフィが記録する。


『師匠、追加作成したい気持ちを申告。隠れて作らないと確認』


「そこまで記録するんだ」


「重要です」


「はい」


 村長が言った。


「追加作成は、今は四角だ」


「はい」


「だが、気持ちは記録した。次に考える材料になる」


 俺は頷いた。


 少し楽になった。


 作りたいと思っていることを、バツにされなかった。


 ただ、今は四角になった。


 それでよかった。


     ◇


 返答書は、夜までにまとまった。


 内容はこうだ。


 一、初回試験結果を受領。


 二、症例本人が短時間眠れたことを重要な変化として受け止める。


 三、異常反応がなかったことを確認。


 四、継続試験は、同一布、同一症例、短時間に限り、初回を含め三回まで認める方向で検討可能。


 五、各回の記録を王国騎士団および冒険者ギルド経由で共有すること。


 六、追加布、量産、強化版、別症例への使用、アレン本人の移動、直接施術は現時点で不可。


 七、三回分の記録確認後、改めて検討する。


 最後に、シルフィは村側要約を添えた。


『眠れてよかった。でも、次も同じ布で短く。あと二回まで。増やさない。強くしない。アレンを呼ばない。記録を見てから考える』


 ぷる太は、その要約に丸寄り四角を出した。


「ぷる」


「完璧な丸ではないのですね」


 シルフィが聞くと、ぷる太は少し揺れた。


「ぷる」


 マルタさんが言う。


「次がある話だからね。四角が残るんだよ」


「そうですね」


 シルフィは記録した。


『ぷる太判定:丸寄り四角。理由、次があるため』


 ぷる太が得意げに揺れる。


     ◇


 その夜、外部対応広場にはまた新しい板が立った。


『喜んでから考える』


 ミナが書いた字を、門番老人が少し整えたものだ。


 その下に、村長がもう一枚追加した。


『助けるけれど、渡しすぎない』


 アレンは、その板の前でしばらく立ち止まった。


「助けるけれど、渡しすぎない」


 小さく読み上げる。


 シルフィが隣に来た。


「第六章の答えのような言葉ですね」


「うん?」


「いえ」


 シルフィは少しだけ微笑んだ。


「今の村の答えです」


 俺は頷いた。


 助ける。


 それはやめない。


 でも、自分を渡しすぎない。


 村を渡しすぎない。


 世界樹を渡しすぎない。


 情報を渡しすぎない。


 希望さえ、渡しすぎない。


 大きすぎる希望は、時に人を縛るから。


「シルフィ」


「はい」


「俺、今日かなり嬉しかった」


「はい」


「それで、かなり危なかった」


「はい」


「でも、みんながいたから止まれた」


「はい」


「ありがとう」


 シルフィは、少しだけ目を細めた。


「こちらこそ。師匠が作った布で、眠れた子がいます」


「うん」


「それは、ちゃんと喜びましょう」


「うん」


「そして、次は四角です」


「分かってる」


 ぷる太が井戸の方からやってきて、丸と四角の間に体を置いた。


「ぷる」


 丸寄り四角。


 それが今夜の答えだった。


     ◇


 一方その頃、リーフェン家では、別の火が灯り始めていた。


 外縁研究館の一室に、若い森術師たちが集まっている。


 机の上には、落ち着き布の初回試験記録の写し。


『呼吸安定』


『葉っぱの声が遠い』


『短時間睡眠』


『うわ言なし』


 その一文一文が、彼らの目には宝の地図のように見えていた。


「これを一枚で終わらせるなど、あり得ない」


 若い森術師の一人が言った。


「九歳の症例に反応があったなら、十一歳の魔力滞留症例にも調整版が必要だ」


「十三歳の腕の損傷にも応用できるかもしれない」


「布だけではなく、腕輪や枕、部屋全体への付与も考えられる」


「アレン殿本人に一度来てもらえば、もっと早い」


 その言葉に、場が少し熱を帯びた。


 彼らに悪意だけがあるわけではない。


 症例を改善したい気持ちもある。


 研究者としての興奮もある。


 そして、リーフェン家が外部の付与術師に遅れを取っていることへの焦りもある。


 そこへ、リュシアが入ってきた。


「その話は、正式な会議で行ってください」


 若い森術師たちが振り返る。


 一人が不満げに言った。


「リュシア殿。あなたはまたリーフェル村の条件を盾にするのですか」


「盾にするのではありません。条件を守るだけです」


「症例が眠れたのですよ。急ぐべきでしょう」


「急ぐべきことと、条件を破ることは違います」


「しかし――」


「落ち着き布は、治療具ではありません。補助具です。初回試験も短時間のみ。効果ありではなく、改善の可能性です。あなた方が今その違いを忘れるなら、次の布は来ません」


 リュシアの声は静かだったが、強かった。


 若い森術師たちは黙る。


 そこへ、ヴィオラが遅れて入ってきた。


「リュシア殿の言う通りです」


「ヴィオラ様」


「結果が出た時ほど慎重に。これは治療でも研究でも同じです」


 ヴィオラは、机の上の記録を見た。


「喜ぶことは許されます。ですが、喜びを理由に手順を飛ばすことは許されません」


 その言葉は、まるでリーフェル村の板のようだった。


 若い森術師の一人が、苦々しく言う。


「まるであの村の言葉ですね」


 ヴィオラは静かに答えた。


「良い言葉なら、使えばよいのです」


 リュシアは、窓の外を見た。


 整えられた森の向こうに、リーフェル村はない。


 だが、今、その村の言葉がこの研究館にも届いていた。


 助けたい時ほど、四角。


 喜んでから考える。


 助けるけれど、渡しすぎない。


 その言葉を、リーフェン家が本当に理解できるかどうか。


 それが、次の火種になる。


     ◇


 リーフェル村では、その夜、雨が降った。


 細い雨だった。


 屋根を叩く音は優しく、井戸の水面には小さな波紋が広がっている。


 アレンは布団に入る前に、もう一度外部対応広場の板を見た。


『喜んでから考える』


『助けるけれど、渡しすぎない』


 雨に濡れないよう、板には簡単な屋根がつけられている。


 ぷる太が井戸の縁で、静かに揺れていた。


「ぷる太」


「ぷる?」


「今日、よかったな」


「ぷる」


「でも、次は四角だな」


「ぷる」


 ぷる太は、ゆっくり四角の木片へ寄った。


 アレンは笑った。


「分かってる」


 九歳の子が少し眠れた。


 その喜びは、確かに胸にある。


 でも、物語はここで終わらない。


 落ち着き布の価値を知った人々が、次を求め始める。


 もっと。


 早く。


 強く。


 多く。


 その声が、やがて届くだろう。


 だから、今のうちに言葉を立てる。


 助けるけれど、渡しすぎない。


 リーフェル村の新しいルールは、雨の夜、静かに外部対応広場へ刻まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ