第47話 王都側、会議同行者を決める
王国騎士団本部の会議室には、朝から妙な顔ぶれが集まっていた。
副団長グラウス・バルテイン。
調査官クラウディア・レイン。
王都冒険者ギルド本部長ランベルト。
受付主任補佐のマリナ。
薬草取引担当のヘルマン。
そして、商業裁定所から派遣された書記官が一人。
普通なら、騎士団と冒険者ギルドと商業裁定所が同じ机につくことは少ない。
もちろん、まったくないわけではない。
魔物被害が商路に影響した時。
貴族家が冒険者への報酬を踏み倒した時。
偽薬や武具偽装のような事件が起きた時。
そういう時には顔を合わせる。
だが、今日の議題はそれらとは少し違った。
森術学術会議。
リーフェン家。
リーフェル村。
付与術師アレン。
エルフの記録係シルフィ。
世界樹らしき若木。
そして、井戸守りぷる太。
グラウスは机上の報告書を見下ろし、深く息を吐いた。
「何度見ても、要素が多すぎる」
ランベルトがひげを撫でながら笑った。
「副団長殿。要素が多い時ほど、商売は慎重にやるものです」
「これは商売ではない」
「だから、なおさら慎重にやるべきですな」
「正論を言われると疲れる」
グラウスは苦い顔で言い、クラウディアへ視線を向けた。
「現地報告を簡潔に」
「はい」
クラウディアは立ち上がり、整理した文書を開いた。
「リーフェン家は、リーフェル村側が提示した事前確認条件の多くを受け入れました。身柄拘束禁止、本人同意なき検査禁止、王国側およびギルド側同行者の同席、双方記録、その場署名禁止、世界樹関連情報への回答義務なし、黒枝を含む隠密護衛の接近禁止、帰還保証。主な条項は受け入れられています」
商業裁定所の書記官が、細い声で言う。
「文書上はかなり整っていますね」
「はい。ただし、安全だとは言い切れません」
クラウディアはすぐに続けた。
「最後に『率直な知見共有を期待する』という文言があります。これは、会議中にアレン殿やシルフィ殿へ、付与術や古代森術、世界樹との関連について発言を促す余地を残しています」
マリナが静かに頷いた。
「強制ではなく、場の空気で語らせる形ですね」
「そうです」
クラウディアはマリナを見る。
「リーフェル村側も、その危険を理解しています。アレン殿は、自分が善意や『あなたにしかできない』という言葉に弱いことを自覚し始めています。シルフィ殿も、リーフェン家の丁寧な言葉に罪悪感を刺激される危険を理解しています」
「理解しているなら、半分は守れます」
マリナは言った。
「ですが、残り半分は、誰が隣にいるかです」
その言葉に、グラウスは頷いた。
「今日決めるのは、そこだ」
彼は机を指で叩いた。
「森術学術会議へ同行する者。これは護衛任務であって、護衛任務ではない」
「言葉の護衛ですね」
クラウディアが言った。
グラウスは目を細める。
「そうだ。剣で斬り込む敵はいない。だが、言葉で追い込まれる可能性はある。相手は研究者、法務官、森術師、そしてリーフェン家当主代理。こちらが用意すべきは、刃よりも記録と制止だ」
ランベルトが笑う。
「つまり、暴れる護衛ではなく、空気を止める護衛ですな」
「その通りだ」
グラウスはクラウディアを見た。
「騎士団側は、クラウディア。お前に行ってもらう」
「承知しました」
クラウディアは即答した。
「現地事情、リーフェル村のルール、アレン殿とシルフィ殿の反応、リーフェン家側の過去の動き。それらを把握している者が必要だ」
「私もそう判断します」
グラウスは次にマリナを見た。
「ギルド側は?」
ランベルトが口を開く。
「本来なら、本部職員のヘルマンを出す選択もあります。薬草取引、契約管理、鑑定記録に強い。しかし今回の中心は、薬草ではなく人です」
ヘルマンは静かに頷いた。
「私も同意です。会議で必要なのは、アレン様とシルフィ様が何に揺れたかを見て、記録し、必要なら止める人です」
ランベルトはマリナへ視線を移した。
「マリナ。行けるか」
「はい」
マリナは迷わず答えた。
「リーフェル村との取引経緯、ドラン商会の事件、アレン様の性格、シルフィ様の記録方針は把握しています。ギルド側記録補助として同行します」
「会議場で相手がアレン殿に善意を訴えた場合、どう動く」
グラウスが聞いた。
マリナは落ち着いて答えた。
「まず記録に残します。『今の発言は協力同意を促すものか』と確認します。必要なら、『本会議ではその場同意をしない条件です』と明示します」
「相手が、ただの意見交換だと言ったら」
「意見交換なら、同意を急がせる必要はありません。そう返します」
グラウスは少し笑った。
「いいな」
ランベルトも満足そうに頷いた。
「マリナは受付で鍛えられています。笑顔で相手の無茶を棚に戻すのは得意です」
「本部長、それは褒めていますか」
「もちろんだ」
マリナは少しだけ困った顔をしたが、すぐに表情を整えた。
「同行するなら、記録魔道具を一つ持参します。加えて、手書き記録を二系統。私が主記録、シルフィ様が村側記録。クラウディア様には発言制止と安全確認をお願いする形がよいかと」
「妥当です」
クラウディアが頷いた。
「会議中、アレン殿とシルフィ殿が迷った場合の合図も決めておくべきです」
「合図?」
商業裁定所の書記官が首を傾げる。
クラウディアは真顔で言った。
「リーフェル村では、丸、バツ、四角の木片を意思確認に使っています。特に四角は保留、持ち帰り相談の意味を持ちます。アレン殿は小さな木片を持参する予定です」
会議室に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
ランベルトがひげを揺らして笑う。
「なるほど。ぷる太殿の知恵が王都外交へ輸出されるわけですな」
グラウスは眉間を押さえた。
「笑いごとではないが、笑いたくなるな」
「しかし有効です」
クラウディアは真面目に言った。
「言葉に詰まった時、木片に触れて『一人で決めない』と思い出せる。これは心理的な支えになります」
マリナも頷く。
「アレン様には必要です。あの方は、自分が何かできるかもしれないと思うと、すぐ自分を差し出そうとしますから」
ヘルマンが静かに言う。
「リーフェル村は、それを止める仕組みを作った。外部の会議場でも、その仕組みを再現するわけですね」
「そういうことです」
グラウスは机上の文書をまとめた。
「では、騎士団側代表クラウディア。ギルド側記録補助マリナ。必要に応じて商業裁定所から条件文書の写しを提供。会議前にリーフェル村で合流し、村側の役割分担を確認する」
「承知しました」
クラウディアとマリナが同時に答えた。
◇
会議が一段落したところで、扉が叩かれた。
若い騎士が顔を出す。
「失礼します。勇者カイル殿が、面会を求めています」
グラウスは少しだけ目を閉じた。
「来たか」
ランベルトが小声で言う。
「帰しますか?」
「いや。ここで逃げても、廊下で待つだけだ」
グラウスは扉へ向かって言った。
「通せ」
カイルが入ってきた。
訓練帰りなのか、髪は少し乱れている。手にはまだ布が巻かれていた。以前のような完全な英雄の姿ではない。
だが、目は強い。
そして、その強さの奥に迷いがある。
クラウディアはすぐに分かった。
彼は、自分が何を言うべきか決め切れていない顔をしている。
「リーフェン家の会議に、同行者を出すと聞いた」
カイルは言った。
グラウスは頷く。
「その話をしていたところだ」
「俺も行く」
部屋の空気が静かに硬くなった。
マリナは表情を変えない。
クラウディアも動かない。
グラウスは、予想していたという顔でカイルを見た。
「理由は」
「アレンに関わる話だ」
「それだけか」
「それだけでは足りないのか」
「足りない」
即答だった。
カイルの眉が動く。
「俺は勇者だ。リーフェン家がアレンを利用しようとしているなら、止める力がある」
「剣で止める場ではない」
「分かっている」
「本当にか」
グラウスの声は低い。
カイルは言い返そうとして、少し黙った。
以前なら、そこで怒鳴っていたかもしれない。
今は違った。
彼は拳を握り、言葉を選ぼうとしている。
「……分かっているつもりだ」
「つもりか」
「なら、分かっていないのかもしれない」
その返答に、室内の何人かがわずかに目を動かした。
カイル自身も、自分で言って苦い顔をしている。
「だが、何もせず待つのは」
「カイル殿」
クラウディアが静かに言った。
「あなたが会議に同行すれば、アレン殿はどう感じると思いますか」
カイルの視線が彼女へ向く。
「俺が守りに来たと」
言いかけて、止まった。
その言葉が、以前の自分に近すぎると気づいたのだろう。
守りに来た。
だが、アレンにとってはどうか。
勇者パーティーに戻れと言った相手。
自分を追放した相手。
謝罪文は出した。
しかし、アレンから返事はまだ来ていない。
そんな相手が会議場に現れたら。
カイルは、ゆっくり息を吐いた。
「……苦しむかもしれない」
クラウディアは頷いた。
「はい」
「俺がいるだけでか」
「少なくとも、余計な緊張は生まれます」
マリナが静かに言った。
「アレン様は、まだカイル様の手紙への返答をしていません。受け取った直後に、会議という緊張の場で顔を合わせるのは負担が大きいと思います」
カイルは、奥歯を噛んだ。
「俺は、あいつを苦しめに行きたいわけではない」
「分かっています」
マリナは答えた。
「ですが、意図と影響は別です」
その言葉は、カイルに深く刺さったようだった。
意図と影響。
自分にはそんなつもりはなかった。
だが、相手は傷ついた。
この数日、何度も聞いたことだ。
グラウスが口を開く。
「今回の同行は、クラウディアとマリナに任せる。お前は行かせない」
「……命令か」
「判断だ」
「同じだ」
「違う」
グラウスは静かに言った。
「命令で縛る前に、理由を伝えている。お前が理解できる余地を残している」
カイルは黙った。
その沈黙は、以前の怒りの沈黙とは少し違った。
理解したくない。
だが、理解しなければならない。
そんな沈黙だった。
「俺が行けば、アレンは苦しむ」
カイルは低く言った。
「可能性が高い」
クラウディアが答える。
「俺は守りに行くつもりでも」
「はい」
「それでも、あいつには負担になる」
「今は」
その二文字が、少しだけ柔らかかった。
今は。
永遠ではない。
だが、今はまだ早い。
カイルは机に視線を落とした。
「……分かった」
短い言葉だった。
反発ではない。
納得しきってはいない。
けれど、飲み込んだ言葉だった。
グラウスは少し目を細めた。
「カイル殿」
「何だ」
「お前には別の役目がある」
「俺に?」
「訓練を続けろ」
カイルの顔が一瞬歪む。
だが、グラウスは続けた。
「アレン殿に謝罪文を送った。なら、次にお前がすべきことは、手紙の返事を待つことと、自分を立て直すことだ」
「待つだけか」
「待つのは難しいぞ」
ランベルトが低く笑った。
「商人でも冒険者でも、待てない者から失敗する」
カイルはランベルトを見る。
「本部長まで説教か」
「年長者の楽しみですな」
場が少しだけ緩んだ。
だが、カイルは笑わなかった。
「俺が今行けば、アレンを苦しめる」
もう一度、確認するように呟く。
そして、自分の手の包帯を見た。
「なら、行かない」
クラウディアは小さく頷いた。
「その判断は、アレン殿を尊重することになります」
「尊重、か」
カイルは苦い顔で言った。
「今まで、一番してこなかったことだな」
誰も否定しなかった。
否定しないことが、かえって誠実だった。
◇
カイルが会議室を出た後、廊下でミラが待っていた。
腕を組み、壁にもたれている。
「どうだった?」
「聞いていたのか」
「扉の外までは聞こえないわよ。でも顔を見ればだいたい分かる」
「却下された」
「でしょうね」
「お前、分かっていて止めなかったのか」
「自分で言って、自分で却下されるのも必要だと思ったから」
カイルは少し睨んだ。
ミラは肩をすくめる。
「怒らないでよ。行けないって自分で分かったんでしょ?」
「……俺が行けば、アレンが苦しむ可能性が高いと言われた」
「そうね」
「お前もそう思うか」
「思う」
即答だった。
カイルは小さく息を吐いた。
「容赦ないな」
「今さら優しく嘘ついても仕方ないでしょ」
ミラは少しだけ表情を柔らかくした。
「でも、行かないって決めたなら、それは前進じゃない?」
「前進?」
「前のあなたなら、『俺が守ると言っているのに、なぜ分からない』って怒ってた」
「……言いそうだな」
「言ってたわよ、たぶん」
二人はしばらく廊下に立っていた。
窓の外では、訓練場の声が聞こえる。
木剣の音。
踏み込みの声。
基礎訓練。
カイルは、その音を以前ほど軽んじなくなっている自分に気づいた。
「ミラ」
「何」
「俺は、待てると思うか」
ミラは少し驚いた顔をした。
それから、すぐには答えなかった。
ちゃんと考えている。
カイルには、それが分かった。
「待てるかどうかは知らない」
「おい」
「でも、待つ練習はできるんじゃない?」
「何だそれは」
「私たち、最近ずっと練習ばっかりじゃない。剣の基礎、魔力制御、盾、治癒、謝罪文。今度は待つ練習」
カイルは呆れたようにミラを見た。
「待つ練習か」
「そう。返事を急がせない。会いに行かない。勝手に守りに行かない。できる?」
「……難しいな」
「じゃあ練習しなさい」
ミラは、わざと軽く言った。
でも、その声にはほんの少し優しさがあった。
「アレンも今、きっと練習してるわよ。断る練習とか、保留する練習とか」
「保留する練習?」
「リーフェル村には四角の木片があるらしいじゃない。分からない時は四角。持ち帰って相談」
「俺も四角を持てと?」
「似合わないけど、持った方がいいんじゃない?」
カイルは思わず渋い顔をした。
「勇者が四角の木片を持つのか」
「勇者が謝罪文を書く時代よ。四角くらい持てるでしょ」
カイルは言い返せなかった。
少し前なら、くだらないと切って捨てていたかもしれない。
だが今は、その四角の意味が少し分かる。
すぐ決めない。
相手の返事を急がせない。
自分の都合だけで動かない。
カイルに一番足りなかったものかもしれない。
「……考えておく」
「本当に?」
「本当に」
ミラは少し笑った。
「じゃあ、訓練行くわよ。ロイド訓練官が待ってる」
「待っていてほしくない相手だな」
「待つ練習その一ね」
「それは違う」
言い合いながら、二人は訓練場へ向かった。
◇
会議室では、同行者決定の細部が詰められていた。
クラウディアは、会議中の基本対応を整理する。
「第一に、アレン殿またはシルフィ殿が沈黙した場合、沈黙を同意と見なさないよう即座に確認します」
「重要ですね」
マリナが記録する。
「第二に、『多くの人を救うため』『未来のため』『あなたにしかできない』という表現が出た場合、私は一度会議を止めます」
「どのように?」
「『その発言は研究協力への同意を求めるものか』と確認します。相手が否定すれば、その場で同意不要と記録する。肯定すれば、条件により持ち帰り判断とします」
マリナは頷いた。
「では私は、その発言と返答を逐語で記録します」
「第三に、シルフィ殿の過去記録が提示された場合」
クラウディアは少し声を低くした。
「比較資料という名目でも、本人を傷つける形なら止めます。学術資料としての必要性、本人への事前同意、記録の扱いを確認します」
「シルフィ様は、そこで揺れる可能性がありますね」
「はい」
マリナはペンを止め、少し考えた。
「マルタ様が同行する案がありましたね」
「リーフェル村側で検討中です」
「もしマルタ様が同行するなら、その役割は非常に大きいと思います。王国騎士団とギルドでは止めにくい場面でも、村の大人として言えることがあります」
グラウスが頷く。
「確かにな。『その子を資料だけで見るな』と言える者は、騎士団より強い時がある」
ランベルトが笑った。
「鍋を作る者は、時に剣士より強い」
「妙に納得できるのが嫌だな」
グラウスはそう言いながらも、文書に書き足した。
『村側同行者の発言権を確認すること』
「これも条件に入れておきましょう」
クラウディアが言う。
「会議参加者として認められるなら、マルタ殿の発言も記録対象にできます」
「よし」
グラウスは最終確認をした。
「では、明日クラウディアとマリナはリーフェル村へ向かう。リーフェン家への追加確認書は、リーフェル村で確認後に送付。会議参加の最終判断は、村側の判断を待つ」
「承知しました」
クラウディアとマリナが答えた。
◇
その日の夕方、クラウディアは出発準備を整えていた。
旅装。
騎士団身分証。
王国共同確認書の写し。
リーフェン家返答書の写し。
会議条件一覧。
記録用具。
そして、小さな布袋。
中には、リーフェル村から以前もらった木片が入っている。
四角ではない。
ただの予備木片だ。
けれど、クラウディアはそれを見て少しだけ口元を緩めた。
王国騎士団の調査官が、交渉会議に木片を持っていく。
普通なら笑われる。
しかし、リーフェル村では笑われない。
むしろ必要なものだ。
そこへマリナが来た。
「クラウディア様」
「様は不要です」
「では、クラウディアさん。こちら、ギルド側の記録魔道具です」
マリナは小さな箱を見せた。
「音声を短時間記録できます。ただし、魔力環境によって乱れることがあるため、手書き記録も併用します」
「助かります」
「それと、アレン様用に確認札を作るなら、ギルド側でも記録上の符号を合わせます。丸、バツ、四角ですね」
「はい」
「王都ギルドの正式記録に、丸バツ四角が入るとは思いませんでした」
「王国騎士団の正式文書にも、ぷる太殿が入りました」
二人は一瞬だけ目を合わせた。
そして、ほんの少し笑った。
おかしな話だ。
でも、おかしいまま真面目だ。
「今回の会議」
マリナが静かに言った。
「難しくなりますね」
「はい」
「アレン様は、助けたいと言われたら揺れます」
「シルフィ殿は、過去を突かれたら揺れます」
「私たちは、揺れないようにするのではなく、揺れても流されないように支える」
「その通りです」
クラウディアは荷を閉じた。
「これは討伐ではなく、言葉の護衛です」
マリナは頷いた。
「では、しっかり護衛しましょう」
◇
夜、グラウスは一人で執務室に残っていた。
机の上には、会議同行者決定の文書。
リーフェル村への連絡。
カイルの訓練報告。
そして、アレンへの謝罪文に関する簡易記録。
カイルは同行を申し出たが、自ら引いた。
それは小さな変化だった。
だが、小さくはない。
グラウスは窓の外の訓練場を見た。
夜でも、数人の騎士が素振りをしている。
その中にカイルの姿もあった。
派手な聖剣ではない。
木剣で、ただ踏み込みと戻りを繰り返している。
一歩出る。
戻る。
一歩出る。
戻る。
地味な練習だ。
勇者らしくはない。
だが、今の彼には必要な練習だった。
「待つ練習も、できるといいがな」
グラウスは呟いた。
そして、リーフェル村へ送る文書の最後に一文を添えた。
『会議同行者として、王国騎士団よりクラウディア・レイン、王都冒険者ギルドよりマリナを派遣する予定です。両名は、アレン殿およびシルフィ殿の意思確認と記録補助を最優先とします』
封をする。
蝋を落とす。
印を押す。
明日、その文書はリーフェル村へ向かう。
森術学術会議への道は、少しずつ形になっていた。
剣ではなく、文書。
命令ではなく、条件。
単独ではなく、同行者。
それは回りくどい道かもしれない。
だが、リーフェル村が選んだのは、そういう道だった。
グラウスは灯りを落とし、執務室を出た。
廊下の向こうから、まだ木剣の音が聞こえていた。




