第42話 森術学術会議への招待状
リーフェル村に、その封書が届いたのは昼前だった。
外部対応広場ができてから、何度目かの来客である。
だが、今回の来客は、商人でも騎士でもなかった。
森の方角から歩いてきたのは、白木の小箱を抱えたエルフの若い使者だった。護衛は一人だけ。前回のような圧力のある使者団ではない。馬車もない。銀葉の紋章が縫い込まれた外套をまとい、村の入口で足を止め、門番老人に深く頭を下げた。
「古き森の家、リーフェン家より書状をお持ちしました」
その声は、驚くほど丁寧だった。
門番老人は、槍を手にしたまま、少しだけ目を細める。
「用件は書状の受け渡しのみか」
「はい。返答を急かす意図はございません。書状をお渡しし、受領の確認だけいただければ戻るよう命じられております」
「命じられている、か」
門番老人は若い使者をじっと見た。
相手は怯えたように背筋を伸ばす。
悪意があるようには見えない。
だが、悪意がないことと安全であることは違う。
リーフェル村は、その違いをもう知っている。
「少し待て。村長を呼ぶ」
「承知しました」
若い使者は素直に頷いた。
門番老人は、近くにいた村の若者へ声をかける。
「村長とシルフィ、アレンを呼べ。あと、クラウディア殿もだ」
「はい!」
若者が走っていく。
使者は、村の入口に立てられた板を見た。
『外部の方はこちらでお待ちください』
『契約・依頼・申し立ては、その場で即答しません』
『分からない時は、その場で決めず持ち帰る』
彼は少しだけ目を瞬かせた。
そして、隣に置かれた小さな桶と旗を見る。
『井戸守りぷる太 外部対応広場出張所』
桶の中には、ぷる太がいた。
ぷる太は、じっと使者を見ている。
見ている、ように見える。
若い使者は戸惑ったように口を開いた。
「あの……こちらは」
「井戸守りぷる太だ」
門番老人が当然のように言う。
「本日は外部対応広場出張所勤務である」
「出張所勤務」
「そうだ」
「……承知しました」
若い使者は、何を承知したのか分からない顔で頷いた。
ぷる太は満足そうに、ぷるんと揺れた。
◇
俺が呼ばれて外部対応広場へ向かうと、シルフィはすでに少し硬い表情になっていた。
クラウディアも、村長の横に立っている。
王国騎士団の軽鎧姿ではあるが、剣に手をかけてはいない。ただ、そこにいるだけで場の空気を整えてくれる。
「リーフェン家からですか」
俺が小声で聞くと、シルフィは頷いた。
「はい。ただ、前回とは違います。気配が柔らかい」
「柔らかいなら、安全?」
「とは限りません」
シルフィは即答した。
「柔らかい言葉ほど、入り込みやすいです」
昨日の断る練習を思い出す。
善意に訴える言葉。
丁寧な言葉。
少しだけ、一日だけ、あなたにしかできない。
そういうものが、一番断りづらい。
俺は自然に、外部対応広場の板を見た。
『この場で一人では決めません。文書を出してください。村で相談して返事をします』
昨日追加された、俺用の基本返答だ。
シルフィもそれを見て、少しだけ息を整えたようだった。
村長が若い使者の前へ出る。
「リーフェル村の村長だ。書状を預かろう」
「はい」
使者は白木の小箱を両手で差し出した。
「リーフェン家当主代理エルドラン様より、シルフィ様、アレン様、ならびにリーフェル村村長様へ。森術学術会議への正式な招待状です」
「学術会議?」
村長の眉が動く。
シルフィの顔色も変わった。
「はい。古代森術、魔力回路再生、森霊樹の保全に関する意見交換の場です。強制ではございません。参加は任意であり、必要であれば王国側の立会人同席も認める、と記されております」
やけに整っている。
やけに丁寧だ。
俺は、それだけで警戒した。
いや、警戒できた。
昨日の練習のおかげだと思う。
村長は小箱を受け取らず、まずクラウディアを見た。
「騎士殿」
「受け取るだけなら問題ありません。ただし、この場で参加返答はしない方がよいです」
「当然だ」
村長は頷き、使者へ向き直った。
「書状は預かる。返答はこの場ではしない」
「承知しております」
使者はすぐに頭を下げた。
「受領確認のみいただければ、私は戻ります」
「中身の確認はここでする」
「はい」
小箱が机の上に置かれた。
シルフィが手袋をつける。
クラウディアも横から確認する。
俺は少し緊張して見守った。
箱そのものに呪いや魔術があるかもしれない。
シルフィが静かに魔力を流し、箱の表面をなぞる。
「封印術はありますが、開封確認用です。攻撃性はありません」
クラウディアも確認して言う。
「騎士団の検査札にも反応なし。問題ないでしょう」
村長が頷いた。
「開けろ」
シルフィが小箱を開ける。
中には、巻かれた上質な羊皮紙が入っていた。
銀葉の封蝋。
リーフェン家の正式な印。
さらに、香木の薄い板が添えられている。
森の香りが、ふわりと広がった。
優しい香りだった。
懐かしいような、落ち着くような。
シルフィの手が、一瞬だけ止まった。
「シルフィ?」
俺が声をかけると、彼女は小さく首を振った。
「大丈夫です。ただ、リーフェン家で使われる正式な招待香です。客を迎える時の香りです」
「嫌なもの?」
「嫌、ではありません。だから困ります」
その言葉の意味は、何となく分かった。
嫌なものなら拒みやすい。
でも、懐かしくて、優しくて、きちんとした形で来るものは、拒みにくい。
若い使者は、申し訳なさそうに言った。
「香りが強いようでしたら、箱を閉じます」
シルフィは少しだけ驚いた顔をした。
この使者本人は、本当にただの使者なのだろう。
命じられた通りに来て、丁寧に振る舞っているだけ。
だから、余計に難しい。
「いえ。大丈夫です」
シルフィはそう答え、巻物を開いた。
◇
招待状の文面は、美しかった。
あまりに美しく、礼儀正しく、柔らかかった。
シルフィが読み上げる。
「古き森の学びに関わる皆様へ。先日のご対応に感謝申し上げます。リーフェン家は、シルフィ・リーフェン殿に発現した古代森術基礎紋、およびアレン殿の付与術が示す可能性について、敵対ではなく学術的意見交換の場を設けたいと考えております」
敵対ではなく。
学術的意見交換。
その言葉は、前回の「管理権」や「帰還要求」とはまったく違う。
けれど、だからこそ広場の空気は張りつめていた。
シルフィは続ける。
「会議の主題は、古代森術における魔力回路安定化、森霊樹および類似現象の保全、付与術と森術の相互作用に関する知見共有。参加は任意であり、シルフィ殿、アレン殿の身柄拘束や帰還強制を目的とするものではありません」
ミナがぷる太の横で、小さく眉を寄せている。
意味は全部分からないだろう。
でも、大人たちの緊張は分かるらしい。
ぷる太も、桶の中でじっとしている。
シルフィの声が少し硬くなった。
「王国騎士団または冒険者ギルドの立会人同席を妨げません。会議内容は双方の記録係により記録可能とします。なお、森術の安全確認のため、発現者本人による簡易検査への協力をお願い申し上げます」
簡易検査。
その言葉で、シルフィは止まった。
リュシアのことを思い出したのかもしれない。
リーフェン家で何度も受けた検査。
失敗作と呼ばれた記憶。
魔力回路を測られ、欠けた器だと言われた日々。
俺は、思わず言った。
「嫌なら、やらなくていい」
シルフィは俺を見た。
それから、少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます、師匠」
村長が使者へ尋ねる。
「この簡易検査とは何だ」
若い使者は、少し困ったように答えた。
「私は詳細を聞かされておりません。ただ、通常の森術会議で行われる魔力紋の安定確認かと思われます。痛みを伴うものではないと」
「思われます、か」
クラウディアが静かに言った。
「あなた自身は分からないのですね」
「はい。申し訳ありません」
彼は正直に頭を下げた。
それで少しだけ分かった。
この使者は、罠を仕掛ける側ではない。
だが、罠があるかどうかを知らされていないだけかもしれない。
クラウディアが村長へ言う。
「この場では返答せず、内容を精査すべきです。特に簡易検査の定義、会議場所、拘束禁止、帰路の保証、記録の扱い、発言の自由、同行者の範囲を明文化する必要があります」
「同感だ」
村長は頷いた。
そして、俺を見た。
「アレン」
「はい」
「どう思う」
いきなり聞かれて、胸がどきりとした。
正直、迷っていた。
魔力回路に苦しむ人がいるなら、助けたい。
シルフィのような子が他にもいるなら、何かできるかもしれない。
森術と付与術がうまく合わされば、救われる人がいるかもしれない。
でも、行けばリーフェン家の場だ。
そこで何を求められるか分からない。
俺は、昨日の定型文を思い出した。
この場で一人では決めません。
文書を出してください。
村で相談して返事をします。
文書はもう出ている。
なら、次は相談だ。
「すぐには答えられません」
俺は言った。
「助けられる人がいるなら、話を聞く意味はあるかもしれません。でも、シルフィが嫌な検査を受ける必要はないし、俺も研究協力にその場で署名するつもりはありません。村のみんなと相談したいです」
ぷる太が、すっと四角の木片へ体を寄せた。
「ぷる」
保留。
相談。
村長は満足そうに頷いた。
「よし」
シルフィも、小さく息を吐いた。
「私も、すぐには決められません。会議という形は、前回より穏当です。ですが、簡易検査という文言が気になります」
クラウディアが頷く。
「王国側の立会人として、私または副団長が指名する者が同行できるなら、検討の余地はあります。ただし、条件なしで参加するべきではありません」
村長は使者へ向き直った。
「書状は受け取った。返答は後日、文書で出す。この場での返答はない」
「承知しました」
若い使者は、深く頭を下げた。
「その旨、リーフェン家へ伝えます」
村長は受領確認だけを書き、シルフィが文面を確認した。
俺はその間、何も手を出さなかった。
手を出さないことも、最近覚えた仕事の一つだ。
使者が受領書を受け取ると、ぷる太が四角の木片のそばで、ぷるんと揺れた。
使者は少し迷ってから、ぷる太へも頭を下げた。
「井戸守り殿にも、ご確認いただきありがとうございました」
「ぷる?」
ぷる太は驚いたように揺れた。
ミナが目を丸くする。
「ぷる太、ちゃんと挨拶された!」
「ぷる……」
ぷる太は少し照れたように、ほんのり光った。
「ぷる太、控えめに」
「ぷるっ」
若い使者は、不思議そうにその様子を見ていたが、何も言わずに一礼し、森へ帰っていった。
◇
使者が去ったあと、外部対応広場には誰もすぐ動かない時間が流れた。
机の上には、招待状。
白木の箱。
招待香の残り香。
丁寧で柔らかい言葉ほど、後味が難しい。
マルタさんが腕を組んで言った。
「前回みたいに怒鳴ってくれた方が、分かりやすかったね」
「本当に」
俺は思わず同意した。
セラドのような相手なら、こちらも警戒しやすい。
けれど、今回は違う。
来たのは丁寧な使者。
書状は礼儀正しい。
参加は任意。
王国側立会人も認める。
記録も可能。
表面だけ見れば、かなり譲歩しているように見える。
だからこそ、判断が難しい。
村長は招待状を見たまま言う。
「この場で決めなくて正解だったな」
「はい」
シルフィが頷く。
「もし以前の私なら、これほど丁寧な招待状を受け取ったら、断る方が悪いのではないかと思ったかもしれません」
「今は?」
「今も、少し思います」
正直な答えだった。
シルフィは木札を握りながら続ける。
「でも、そう思うからこそ、すぐ答えてはいけないと思います。罪悪感で頷くのは、意思ではありません」
クラウディアが静かに言った。
「その通りです」
ミナが首を傾げる。
「罪悪感ってなに?」
マルタさんが少し考えて答えた。
「自分が悪いことをしてるみたいに胸がちくっとする気持ちだよ」
「シルフィ先生、悪いことしてないよ?」
「していません」
シルフィは優しく言った。
「でも、相手がとても丁寧だと、断る自分が悪いように感じることがあるのです」
ミナは真剣に考えた。
それから、ぷる太のバツの木片を持ち上げる。
「じゃあ、そういう時は四角?」
「はい」
シルフィは微笑んだ。
「すぐ丸やバツではなく、四角です」
「ぷる太、四角!」
「ぷる」
ぷる太は四角の木片に体を寄せた。
その光景で、少しだけ空気が緩んだ。
◇
村長の家で、正式な会議が開かれた。
今回は外部対応広場ではなく、村内会議用の部屋だ。
例の、俺が作ってしまった座ると腰が楽すぎる椅子は、門番老人が当然のように使っていた。
「やはりこの椅子はよい」
「外部対応用にしなくて正解でしたね」
俺が言うと、門番老人は真顔で頷いた。
「外の者にはもったいない」
「そういう理由なんですか」
村長が咳払いをした。
「椅子の話は後だ。招待状だ」
机の上に招待状が広げられる。
シルフィが写しを作り、クラウディアが王国側の目で確認する。
俺は、ぷる太と一緒に座っていた。
ぷる太は小さな水鉢に入り、四角の木片を横に置いている。
本人も会議に参加しているつもりらしい。
「まず、良い点を挙げます」
シルフィが言った。
「参加は任意。王国側立会人を認める。会議内容の記録を認める。身柄拘束や帰還強制を目的としない、と明記している。これは前回の要求より、明らかに穏当です」
「悪い点は?」
村長が尋ねる。
「簡易検査の定義が曖昧です。研究協力の範囲も明確ではありません。会議場所がリーフェン家側であるため、場の圧力が大きい。参加後に追加の要請を出される可能性があります」
クラウディアが続ける。
「さらに、会議に参加すること自体が、リーフェン家側に『こちらの議題に応じた』という実績を与えます。参加するなら、条件を先に明文化しなければ危険です」
「断る選択肢は?」
マルタさんが聞く。
「あります」
クラウディアは答えた。
「ただし、完全拒否した場合、リーフェン家は『学術的対話を拒んだ』と主張するでしょう。それ自体は問題ありませんが、次の手が読みにくくなります」
村長が腕を組む。
「行けば危ない。断っても面倒。実に嫌な招待だ」
「はい」
シルフィが静かに頷いた。
「丁寧な分、厄介です」
俺は招待状の文字を見た。
多くの人を救える可能性。
学術的意見交換。
安全確認。
どれも完全な嘘ではないのかもしれない。
だから、余計に迷う。
「俺は」
口を開くと、みんながこちらを見た。
俺はゆっくり言った。
「話を聞く意味は、あると思います。シルフィみたいに苦しんでいる人がいるなら、何か分かるかもしれない。でも、リーフェン家の言う通りに行くのは怖いです」
「うん」
マルタさんが頷く。
「怖いって言えてるなら大丈夫だよ」
「大丈夫ですか?」
「怖くないふりして行こうとする方が危ない」
シルフィが微笑む。
「師匠、今のはよい自己確認です」
「また記録される?」
「もちろんです」
「やっぱり」
村長は少し考えた。
「では、今は参加とも不参加とも決めん。条件を作る」
「条件」
クラウディアが頷く。
「妥当です。参加を検討する前提として、条件書を作りましょう」
「内容は?」
「最低限、身柄拘束禁止、検査内容の事前開示、王国側立会人同行、記録の相互保持、その場で契約署名しないこと、会議後の即時帰還保証」
シルフィがすぐに書き始める。
「世界樹の所在地や詳細を公開しないことも必要です」
「はい」
クラウディアも頷く。
「それと、アレン殿の付与術実演は、本人がその場で拒否できること。シルフィ殿の魔力検査も、本人が拒否できること」
俺は思わず言った。
「シルフィが嫌なら、絶対やらない」
シルフィは少し驚いた顔をした。
それから、静かに頷く。
「ありがとうございます。私も、師匠が嫌な実演を求められたら止めます」
ぷる太がバツの木片に体を寄せた。
「ぷる」
嫌な実演はバツ。
分かりやすい。
村長は満足そうに言った。
「よし。今日は条件を洗い出す。返答はまだ出さん」
ミナが部屋の入口から顔を出していたらしく、大きな声で言った。
「四角だね!」
みんなが少し笑った。
村長も頷く。
「そうだ。今日は四角だ」
◇
その夜、招待状はシルフィによって丁寧に写しが取られ、クラウディアは王都へ送る簡易報告を書いた。
リーフェン家から、森術学術会議への招待状が届いたこと。
表向きは任意参加であること。
しかし、簡易検査や研究協力の範囲が曖昧であること。
村側は即答せず、条件書を作る方針であること。
俺はその横で、ぷる太用の四角の木片をもう一枚作っていた。
「師匠」
シルフィが声をかける。
「何?」
「四角、増やすのですか」
「今日、かなり使ったから」
「確かに」
「あと、俺の懐にも一枚入れておこうかと思って」
シルフィは少し目を丸くした。
「師匠用の四角ですか」
「迷った時に見る用」
「とても良いと思います」
彼女は真面目に頷いた。
「では、裏に言葉を彫りましょう」
「言葉?」
シルフィは少し考え、木片の裏に細い文字で書いた。
『一人で決めない』
それを見て、俺は胸の奥が少し温かくなった。
「ありがとう」
「はい」
ぷる太が桶の中から、ぷる、と鳴いた。
自分の四角と同じだと言いたげだった。
俺は木片を懐に入れた。
小さな四角。
ただの木片。
でも、今の俺にはお守りみたいなものだった。
リーフェン家からの招待状は、まだ答えが出ていない。
行くか、断るか。
何が罠で、何が本当の対話なのか。
分からないことは多い。
だからこそ、今は四角。
持ち帰って、相談する。
リーフェル村は、そのやり方で次の波を受け止めることにした。




