第4話 師匠と呼ばれても困るんだけど
リーフェル村の夜は、王都の夜とまるで違った。
王都では、夜になってもどこかしらに明かりがある。酒場の看板、貴族街の魔導灯、馬車の車輪の音、夜警の靴音。眠っているように見えて、街そのものはずっと起きている。
けれど、この村の夜は本当に暗い。
家々の窓から漏れる灯りは小さく、道は月明かりだけを頼りに沈んでいる。遠くで虫が鳴き、家畜小屋から藁の匂いが流れてくる。森の方からときおり葉擦れの音がするたび、村人たちの顔に緊張が走った。
その緊張の中心にいるのが、俺と、助けたばかりのエルフの少女シルフィだった。
「つまり、その黒衣の連中は、お前さんを追っていたと」
村長の家の広間で、村長が低く言った。
古びた木の机の上には、薄い麦粥と温めた山羊乳、それから薬草茶が置かれている。シルフィは毛布を肩に掛け、椅子に座っていた。
顔色はまだ少し白い。
けれど、森で倒れていたときに比べれば、ずっと落ち着いている。
「はい」
シルフィは両手で杯を包み込んだまま、静かに頷いた。
「彼らは黒枝の追跡者。エルフ領の裏で動く者たちです。表向きには存在しないことになっていますが、没落した家や、継承争いに敗れた者を処分するために使われます」
「物騒だな」
村長の弟、門番の老人が腕を組んで顔をしかめた。
「エルフというのは森で歌って暮らしておるものだと思っていたが」
「歌って暮らせたら、どれほどよかったでしょう」
シルフィは少し寂しそうに笑った。
その笑い方が、妙に大人びていた。
見た目は俺と同じか、少し年下くらいに見える。けれど、エルフの年齢は人間とは違うと聞いたことがある。実際に何歳なのかは分からない。
いや、分からない方がいい気がする。
もし百歳とか言われたら、どう反応すればいいのか困る。
「シルフィは、どうして追われていたんだ?」
俺が尋ねると、彼女は少しだけ目を伏せた。
「私はリーフェン家という、古いエルフ名家の娘でした」
「リーフェン……」
どこかで聞いた気がする。
勇者パーティーにいた頃、貴族や種族連合に関する資料を整理したことがあった。その中に、そんな名前があったような。
「たしか、古代魔法の研究で有名な家だったか?」
俺がそう言うと、シルフィは目を丸くした。
「ご存じなのですか?」
「知ってるというほどじゃない。昔、遠征資料をまとめたときに名前を見ただけだよ」
「遠征資料を……付与術師の方が?」
「雑用係も兼ねていたから」
そう言うと、村長と門番老人が同時にこちらを見た。
「お前さん、付与術師なのか雑用係なのか、どっちなんだ」
「どちらかというと、雑用係寄りの付与術師でした」
「胸を張って言うことではないぞ」
「自覚はあります」
シルフィは俺をじっと見ていた。
なぜか、少し怒っているようにも見える。
「アレン師匠」
「師匠じゃなくていい」
「ではアレン様」
「それも重い」
「アレンさん」
「それでお願いします」
ようやく落ち着いた。
シルフィは杯を置き、真剣な顔で言った。
「アレンさんほどの方に雑用をさせていた者たちは、目が節穴なのですか」
「そこまで言わなくても」
「言います」
即答だった。
「焼き切れた魔力回路を修復できる付与術師など、エルフの歴史書にもほとんど記録がありません。しかもあなたは、薬草水を飲ませただけでそれを行いました。古代の大賢者でも儀式場と触媒を用意します」
「あれは薬草がよかったんだと思う」
「薬草に責任を押しつけないでください」
「責任」
「はい。偉業の責任です」
偉業と言われても困る。
俺はただ、倒れていた人を助けようとしただけだ。
傷口を洗い、薬草を当て、水を飲ませる。勇者パーティーにいた頃、何度もやった応急処置だ。
違うのは、シルフィの傷が想像以上に早く治ったこと。
そして村の柵が、なぜか魔物と矢を弾いたこと。
……いや、確かに並べると少しおかしい。
「でも、俺の付与は昔から地味だったんだ。見た目も派手じゃないし、誰かに褒められたこともほとんどない。だから自分では、そんな大層なものだとは思えなくて」
言ってから、広間が静かになっていることに気づいた。
村長は渋い顔をしている。
門番老人は眉間に皺を寄せている。
シルフィは、なぜか泣きそうな顔をしていた。
「え、何か変なこと言った?」
「変です」
シルフィがきっぱり言った。
「ものすごく変です」
「そんなに?」
「はい。あなたが普通だと思っていることは、たぶん普通ではありません。そして、それを誰にも正しく見てもらえなかったのだとしたら……それは、とても悲しいことです」
その言葉は、不意に胸に刺さった。
悲しい。
そうか。
俺は悲しかったのかもしれない。
役に立っていないと言われたこと。
いらないと言われたこと。
最後まで装備の心配をしても、誰にも聞いてもらえなかったこと。
腹が立ったというより、たぶん、悲しかった。
でも、それを自分で認めるのが嫌で、仕方がないと笑っていただけだ。
「……ありがとう」
俺がそう言うと、シルフィは少し驚いた顔をした。
「なぜお礼を?」
「そう言ってもらえるだけで、少し楽になったから」
シルフィは唇を結んだ。
そして、膝の上で手を握る。
「では、やはり私はあなたの弟子になります」
「なぜそうなる」
「恩を返すためです」
「弟子になることが恩返し?」
「はい。あなたはご自分の力を知らなすぎます。放っておけば、悪意ある者に利用されかねません。私はエルフの名家に生まれ、古代魔法と魔力理論だけは学んできました。実戦では未熟ですが、あなたの力を観察し、言語化し、危険から守ることはできます」
「守るって、追われていたのはシルフィの方だろ」
「それはそれ、これはこれです」
「便利な分け方だな」
村長が低く笑った。
「よいではないか、アレン。お前さんには、自分で自分を説明できる者が必要そうだ」
「村長さんまで」
「今日一日で柵を強化し、怪我人を治し、追っ手の矢を弾いた男が『薬草がよかった』で済ませようとしておるのだぞ。通訳がいる」
「通訳……」
「常識への通訳だ」
門番老人が真面目な顔で頷く。
「兄者、うまいことを言ったな」
「今のは少し自信がある」
「二人とも、妙なところで仲良くなりますね」
広間に少し笑いが戻った。
シルフィも、かすかに微笑んだ。
その顔を見て、俺は少し安心した。さっきまで命を狙われていたのだ。笑えるなら、それだけでいい。
ただし、弟子入りの話は別だ。
「でも、弟子って言われても、俺は人に教えられるほど立派じゃないぞ」
「構いません。まずは、そばで学びます」
「何を?」
「あなたが何をするのか。何を普通だと思っているのか。どこから神域なのか」
「最後だけ急に大げさなんだよな」
「大げさではありません」
「それ、さっきも聞いた」
「何度でも言います」
シルフィは真っすぐ俺を見つめる。
「あなたの付与は、少なくとも私の知る付与術とは桁が違います。通常の付与は、対象を決め、術式を刻み、魔力を流し、時間経過で効果が薄れます。けれど、アレンさんの力は違う。あなたの周囲にいるだけで、魔力が整うのです」
「周囲にいるだけで?」
「はい」
シルフィは自分の胸元に手を当てた。
「私の魔力回路は、まだ完全に落ち着いたわけではありません。ですが、あなたの近くにいると、乱れが自然に治まります。まるで、森全体に抱かれているような感覚です」
「そんなことあるかな」
「あります」
シルフィは力強く頷いた。
「試しに、少し離れてもよろしいですか」
「え? ああ、うん」
シルフィは立ち上がり、広間の端まで歩いた。
数歩。
その瞬間、彼女の顔がわずかに曇る。
「……少し、痛みます」
「大丈夫か?」
俺が立ち上がると、シルフィは手で制した。
「待ってください。確認です」
さらに一歩下がる。
シルフィの肩が震えた。
俺はもう我慢できず、近づいた。
「無理するな」
彼女の腕を支える。
すると、シルフィは目を見開いた。
「……戻りました」
「痛みが?」
「はい。今、触れた瞬間に魔力の乱れが整いました」
「触ったから安心しただけじゃないか?」
「その解釈は優しすぎます」
「優しすぎるって初めて言われた」
「あなたはご自分の異常性を、全部『気のせい』と『偶然』と『薬草』に押し込めようとしています」
「言われてみると、少し身に覚えがある」
「少しではありません」
シルフィは俺の手を見た。
その青い瞳に、敬意と驚きと、ほんの少しの不安が混じっている。
「アレンさん。あなたが何者なのか、私はまだ分かりません。でも一つだけ確かです」
「何?」
「あなたを無能と呼んだ方々は、歴史に残るほどの節穴です」
「歴史に残さなくていいよ」
「残したいくらいです」
「やめてくれ。後世で笑われるのはちょっとかわいそうだ」
「優しいですね」
「いや、単に大げさなのが苦手なだけ」
そう言ったら、シルフィは不思議そうに瞬きした。
「アレンさんは、追放した相手を恨んでいないのですか」
広間の空気が、また少し静かになった。
村長も門番老人も口を挟まない。
俺は少し考えた。
カイルの顔が浮かぶ。
無能と言われた声。
革袋を投げられた音。
リーナが何か言いたそうにして、言えなかった表情。
ガレスの笑い声。
ミラの冷たい目。
「恨んでない、と言ったら嘘になるかもしれない」
俺は正直に答えた。
「腹も立ったし、傷ついた。でも、復讐したいかって言われると……よく分からない」
「なぜですか」
「そんなことを考える元気がない」
ぽろっと本音が出た。
言ってから、少し笑ってしまう。
「俺は今、ちゃんと飯を食べて、屋根のある場所で寝たい。できれば明日は柵を直して、畑を手伝って、村の役に立てたらいい。それで十分だ」
カイルたちを見返したい。
そういう気持ちがまったくないわけではない。
でも、それよりも。
もう怒鳴られたくない。
誰かの道具みたいに扱われたくない。
自分がいてもいい場所で、普通に息をしたい。
俺の願いは、たぶんそれくらい小さい。
シルフィはしばらく黙っていた。
それから、静かに頭を下げた。
「では、その暮らしを守るために、私はあなたの弟子になります」
「話が戻った」
「戻します。大切な話なので」
「弟子になって何をするんだ?」
「まず、あなたの力を観察します」
「うん」
「次に、危険な相手から隠します」
「助かる」
「そして、あなたを無能扱いした者が現れた場合、事実を丁寧に突きつけます」
「それは控えめにして」
「善処します」
「その言い方、絶対控えめにしないやつだ」
シルフィは少しだけ視線を逸らした。
分かりやすい。
村長が咳払いした。
「まあ、弟子入りがどうこうは明日にせい。今夜は休め。シルフィ、お前さんはマルタの部屋を使え。アレン、お前さんは空き家……と言いたいところだが、今日はまだ掃除もできておらん。納屋で我慢しろ」
「十分です」
「毛布は二枚貸す」
「ありがとうございます」
「礼は働いてからと言った」
「そうでした」
村長は立ち上がった。
そのとき、腰を押さえて小さく呻いた。
「いたた……」
「大丈夫ですか?」
「いつもの腰痛だ。年寄りの友だ」
「友にしては嫌な相手ですね」
「長い付き合いだが、好きになれん」
俺は思わず笑いながら、村長の腰に目を向けた。
筋肉のこわばり。
古い痛み。
体の歪み。
勇者パーティーでも、ガレスが似たような腰痛を起こしたことがあった。鎧の重さと無理な踏み込みが原因だった。あのときは、軽い付与で血の巡りを整え、湿布を当てた。
「少しだけ見てもいいですか」
「腰をか?」
「はい。痛みが軽くなるかもしれません」
「ほう。なら頼む」
「兄者、いいのか。柵を若返らせた男だぞ。腰が若返りすぎるかもしれん」
「それはそれで見てみたい」
「見世物じゃないですよ」
俺は村長の背中に手を当てた。
軽く、ほんの軽く。
血の巡りを整える。
筋肉の張りを緩める。
痛みが少し引くように。
それだけの付与を流した。
「こんな感じで――」
言い終える前に、村長の背筋が伸びた。
ぴん、と。
まるで若い兵士のように。
「……お?」
村長が自分の腰に手を当てる。
そして、ゆっくり左右に体をひねった。
「痛くない」
「よかったです」
「兄者、腰がまっすぐだぞ」
「おお……視界が高い」
「背まで伸びたのか?」
「いや、曲がっていた分が戻っただけだ」
村長は感動したように何度も腰を曲げ伸ばしした。
俺はほっと息を吐く。
「効いたみたいで安心しました」
シルフィが両手で顔を覆った。
「師匠……」
「今度は何?」
「古傷の治癒まで……」
「腰痛だよ?」
「慢性化した身体損傷を一瞬で整えています」
「言い方が難しい」
「現象が難しいのです!」
門番老人がじっと俺を見た。
「アレン」
「はい」
「儂の膝も見るか?」
「弟よ、抜け駆けするな」
「兄者はもう治っただろう」
「まだ肩がある」
「二人とも、順番にしましょう」
俺がそう言うと、広間にいた者たちが一斉にこちらを向いた。
なぜか、村長の家にいた数人の村人まで、そっと腰や肩を押さえている。
「……あの、全員は無理ですよ?」
「明日でいい」
村長が真顔で言った。
「明日、柵の修理のあとに診療時間を作ろう」
「診療ってほどのものじゃ」
「村の腰痛持ちが救われる」
「急に規模が生活密着型になったな……」
シルフィは深く頷いた。
「素晴らしいことです。神域の力がまず腰痛に使われる。とてもアレンさんらしいです」
「褒めてる?」
「心から」
ならいいか。
たぶん。
◇
その夜、俺は村長の家の隣にある納屋で寝ることになった。
納屋といっても、藁の匂いがするだけで思ったより清潔だった。村長の妻であるマルタさんが毛布を二枚と、温めた山羊乳を持ってきてくれた。
「若いのに、ずいぶん疲れた顔をしてるねぇ」
「よく言われます」
「この村では働けば飯が出る。寝る場所も、みんなで何とかする。だから今夜くらいは、肩の力を抜きな」
「……ありがとうございます」
「礼は働いてから、ってうちの爺さんが言っただろうけどね」
「はい」
「でも、ありがとうくらいは受け取るよ。言う方も、言われる方も、悪い気はしないからね」
マルタさんはそう言って、柔らかく笑った。
その笑顔に、胸が少し詰まった。
勇者パーティーにいた頃、俺の礼はだいたい流されていた。礼を言われることも少なかった。だから、こういう何気ない優しさに、どう反応すればいいのか少し分からない。
マルタさんが出ていった後、俺は藁の上に腰を下ろした。
外は静かだ。
北柵には見張りが立っている。念のため、俺も少しだけ柵に付与を重ねておいた。村長から「少しだけとは何だ」と言われたので、本当に少しだけにしたつもりだ。
……たぶん。
「明日は柵の修理か」
独り言を呟く。
それから畑の手伝い。
空き家の掃除。
村長の腰痛は治ったが、今度は他の人たちの肩や膝も見ることになりそうだ。
思っていたスローライフとは少し違う。
もっと、こう、のんびり畑を眺めながら昼寝でもするものだと思っていた。
でも、不思議と嫌ではなかった。
忙しくても、怒鳴られて動くのとは違う。
誰かを支えるために働くのと、使い潰されるのは、たぶん違う。
俺は毛布にくるまった。
そのとき、納屋の扉が小さく叩かれた。
「アレンさん。起きていますか」
シルフィの声だった。
「起きてる。どうした?」
扉を開けると、シルフィが立っていた。
白銀の髪を軽く結び、借り物らしい厚手の上着を羽織っている。さっきまでより少し顔色は良くなっていた。
「眠れなくて」
「傷が痛む?」
「いいえ。体は驚くほど楽です。ただ……静かになると、森で倒れていたときのことを思い出してしまって」
「ああ……」
それはそうだ。
命を狙われた夜に、すぐ眠れる方が難しい。
「中に入る?」
「いえ、ここで大丈夫です。長居すると、村の方々に誤解されます」
「たしかに」
納屋の前に、二人で並んで座った。
夜風は冷たい。
でも、空は澄んでいた。
星が多い。
王都では見えない数の星が、黒い空に散らばっている。
「綺麗ですね」
シルフィが言った。
「そうだな」
「エルフの森の空に似ています。けれど、少し違う」
「どう違う?」
「こちらの方が、寂しくありません」
意外な言葉だった。
森の空の方が賑やかそうな気がしたのに。
シルフィは膝を抱えた。
「リーフェン家は、古い家でした。けれど、今は名ばかりです。力のある者に従い、血筋を守るために誰かを切り捨てる。私もその一人でした」
「魔力回路のこと?」
「はい。私は幼い頃から魔力の制御が不安定でした。古代魔法の適性はあると言われましたが、暴走しやすく、家にとっては扱いづらい存在だったのです」
「それで追われたのか?」
「直接の理由は、家の中で保管されていた古い文書を見てしまったことです」
シルフィの声が少し低くなる。
「その文書には、黒枝の者たちがエルフ領だけでなく、人間の王国にも入り込んでいることが記されていました。さらに、ある種の支援魔法を持つ者を探している、と」
「支援魔法?」
「はい。詳しい内容は分かりません。ただ、彼らは『戦場の均衡を変える付与』を求めているようでした」
俺は黙った。
戦場の均衡を変える付与。
嫌な言葉だ。
シルフィも俺を見る。
「アレンさんの力が彼らに知られれば、狙われる可能性があります」
「俺を?」
「はい」
「でも、俺は勇者パーティーを追放された底辺付与術師だぞ」
「その肩書きは、今後あまり信用しないことにします」
「ひどい」
「事実です」
シルフィは少し微笑んだが、すぐ真剣な顔に戻った。
「だから、私はあなたのそばにいたいのです。恩返しでもありますが、それだけではありません。あなたがご自分の価値を知らないまま危険に巻き込まれるのを、見過ごせません」
「でも、シルフィ自身も追われてる。俺のそばにいたら、余計危ないかもしれない」
「それは逆です」
「逆?」
「あなたのそばにいると、私の魔力は安定します。先ほども、離れた瞬間に痛みが戻りました。今も、こうして近くにいるだけで、呼吸が楽です」
「……本当に?」
「本当です」
シルフィは夜空を見上げた。
「不思議です。生まれてからずっと、自分の魔力が怖かった。いつ暴走するか分からない。誰かを傷つけるかもしれない。だから私は、家でも、森でも、ずっと息を潜めていました」
彼女の横顔は、月明かりに照らされて白く見えた。
「でも、あなたの近くでは違います。魔力が、初めて私のものになった気がするのです」
俺は何も言えなかった。
そんなことを言われたのは初めてだった。
俺の付与が、誰かにとってそういう意味を持つなんて、考えたこともなかった。
「だから、お願いします」
シルフィは俺の方を向いた。
「私を、あなたの弟子にしてください」
「俺でいいのか?」
「あなたがいいのです」
即答だった。
「私は、あなたの力を学びたい。そして、あなたの静かな暮らしを守る手伝いがしたい」
静かな暮らし。
その言葉に、少し笑ってしまった。
「初日から全然静かじゃなかったけどな」
「それは……申し訳ありません」
「責めてない。シルフィが生きててよかったと思ってる」
シルフィは目を見開いた。
そして、少しだけ頬を赤くした。
「そういうことを、自然に言うのですね」
「変だった?」
「いいえ。とても……困ります」
「困るのか」
「はい」
シルフィは視線を逸らした。
尖った耳の先が、ほんのり赤い。
俺は何となく、それ以上突っ込まない方がいい気がした。
「分かった」
俺は言った。
「弟子っていうのは、まだ慣れないけど。俺に教えられることがあるなら、一緒にやってみよう」
シルフィがゆっくりこちらを向く。
「本当ですか」
「うん。ただし、俺を師匠って呼ぶのは控えめに」
「善処します、師匠」
「今この瞬間から失敗してる」
「努力します」
「それもさっき聞いた」
シルフィは小さく笑った。
今度の笑みは、さっきよりずっと自然だった。
「では、改めまして。シルフィ・リーフェンです。未熟者ですが、どうぞよろしくお願いいたします、師匠」
「アレンだ」
「よろしくお願いいたします、アレン師匠」
「混ぜたな」
「譲歩です」
「それ、譲歩なのか?」
そんなやり取りをしていると、納屋の裏から小さな鳴き声がした。
見ると、昼間の角兎がちょこんと座っていた。
なぜか額の角が、前より少し立派になっている。
「あれ、お前、ついてきてたのか」
角兎は耳を揺らした。
シルフィが固まる。
「……アレン師匠」
「今度は何?」
「その角兎、魔力が変質しています」
「変質?」
「普通の角兎ではありません。おそらく、あなたのそばにいたことで進化しかけています」
「いや、昼飯を少し分けただけだぞ」
「食事で魔物は進化しません」
「薬草入りだったからかな」
「薬草に何でも背負わせないでください」
シルフィの声が夜の村に小さく響いた。
角兎は何も知らない顔で、俺の足元に丸くなる。
俺は頭をかいた。
どうやら、静かなスローライフへの道は、思っていたより遠そうだった。
それでも。
納屋の前で、弟子になったエルフの少女と、なぜか懐いた角兎と、星空を見上げている。
昨日の夜、勇者パーティーを追い出されたときには、想像もしなかった光景だ。
俺は小さく息を吐いた。
「まあ、明日は明日で考えるか」
「はい、師匠」
「アレンで」
「善処します」
たぶん善処されない。
そう思いながらも、俺は久しぶりに少しだけ笑った。
この村でなら、もう一度やり直せるかもしれない。
そんな気がした。




