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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第3話 辺境で倒れていたエルフ少女を助けただけなのに

 リーフェル村の村長は、思っていたよりも背の低い老人だった。


 ただ、目は鋭い。


 大きな栗の木の下に建つ家の前で出迎えてくれたその人は、俺を頭から足先までじっと見たあと、開口一番こう言った。


「お前さん、悪さをする顔ではなさそうだが、金を持っている顔でもないな」


「……否定しづらいです」


 正直すぎる。


 けれど、悪意は感じなかった。


 村長は白い眉を上げ、ふん、と鼻を鳴らした。


「名は?」


「アレンです。付与術師をしています」


「付与術師か。珍しいな。王都では食えんのか?」


「食えなくなったというか、仕事を辞めることになったというか……」


「追い出されたのか」


 即答だった。


 俺は思わず言葉に詰まった。


「……顔に出てますか?」


「出ておる。若い男がひとりで辺境まで来て、金もなく、腰は低く、妙に疲れた目をしている。自分から華やかな仕事を辞めた顔ではない」


「村長さん、目が良すぎません?」


「年を取るとな、人の嘘より腰痛の方がよく分かるようになる」


「腰痛ですか」


「今も痛い」


 村長は真顔で腰を叩いた。


 その仕草があまりに自然だったので、俺は少しだけ笑ってしまった。


 すると村長も、ほんのわずかに口元を緩める。


「まあいい。事情は深く聞かん。うちの村には、人の過去をほじくって楽しむほど暇な者は多くない。暇な年寄りは多いがな」


「ありがとうございます」


「礼は早いと言ったろう」


「あ、入口の方にもそう言われました」


「それは弟だ」


「兄弟なんですか」


「顔が似ていないだろう」


「いえ、まだそこまでは……」


「似ていないことにしておけ。向こうが喜ぶ」


 村長はそう言って、家の横手を指した。


「空き家はある。昔、羊飼いの夫婦が住んでいた家だ。屋根は傷んでいる。床も少し抜ける。井戸は共同井戸を使え。寝るだけなら何とかなる」


「十分です。宿代は……すみません、今すぐはあまり払えません」


「見れば分かる」


「やっぱり顔に出てますか」


「袋の軽さが歩き方に出ている」


 もはや観察眼が怖い。


 俺は腰の革袋を押さえた。


 銀貨が数枚。


 ここまで来る途中で食料を買えば、すぐになくなる額だ。


「畑仕事でも、柵の修理でも、何でもやります。できれば、しばらく置いてもらえないでしょうか」


 頭を下げる。


 断られても仕方ないと思った。


 突然現れた若い男を、村が簡単に受け入れる理由はない。しかも俺は、剣士でも狩人でもなく、地味な付与術師だ。


 村長はしばらく黙っていた。


 風が栗の葉を揺らす。


 その間、俺は頭を下げたままだった。


「顔を上げろ」


 言われて、ゆっくり上げる。


 村長は俺を見て、少しだけ困ったように息を吐いた。


「お前さん、頼み方が下手だな」


「すみません」


「すぐ謝るところも、あまり良くない」


「すみ……あ、いや」


「ほれ、また謝りかけた」


 村長は杖で地面を軽く叩いた。


「置いてやる。だが、働いてもらうぞ。リーフェル村は余裕がある村ではない。飯を食うなら手を動かせ」


「はい。もちろんです」


「まずは柵だ。最近、森の魔物が妙に落ち着かん。柵の外側、北の森に近いあたりが傷んでおる。明日の朝から手伝え」


「分かりました。今日からでもやれます」


「日が傾いている。森に近づくな」


 村長の声が少し低くなった。


「夕方以降の森は危ない。最近は獣だけでなく、魔物の気配もある。村の者は近づかん」


「でも、柵が傷んでいるなら、夜のうちに何かあったら危ないですよね」


「だから明日の朝にやると言っておる」


 もっともだ。


 俺は頷いた。


「分かりました。では、今日は空き家を掃除します」


「そうしろ。マルタに言えば、古い毛布くらいは出してくれる」


「何から何までありがとうございます」


「礼は働いてから言え」


 村長はそう言い、俺に背を向けかけた。


 その瞬間だった。


 村の北側から、低い音が聞こえた。


 風ではない。


 獣の唸りでもない。


 もっと重い、腹の底を撫でるような響き。


 村長の顔つきが変わった。


「……今のを聞いたか」


「はい」


「北の森だな」


 村長は家の中へ向かって声を張った。


「マルタ! 子供らを家に入れろ! 門の者にも知らせろ!」


 家の奥から女性の返事が聞こえ、すぐに足音が慌ただしく動き始めた。


 俺は北の方を見る。


 畑の向こうに、濃い森が広がっている。


 夕方の光が木々の上だけを赤く染め、幹のあたりはもう薄暗い。確かに、何かがいる気配がした。


「村長さん、俺も行きます」


「馬鹿を言うな。森に入るなと言ったばかりだ」


「森には入りません。柵の内側から様子を見るだけです」


「付与術師が見てどうする」


「柵に簡単な補強くらいならできます」


 俺がそう言うと、村長は一瞬迷った。


 俺を信用していいのか、判断しきれない顔だ。


 当然だと思う。


 出会ったばかりの無職に、村の防衛を任せる村長がいたら、そちらの方が心配だ。


 けれど、次の唸り声が聞こえた。


 今度はさっきより近い。


 村長は舌打ちした。


「北柵までだ。森には入るな。勝手な真似をしたら、明日の朝を待たずに追い出す」


「分かりました」


「分かっていない顔だ」


「いえ、分かってます」


「お前さん、悪人ではなさそうだが、危なっかしい」


 それは初対面の老人に言われるには、なかなか刺さる言葉だった。


 俺は苦笑し、村長と一緒に北の柵へ向かった。


     ◇


 北の柵は、思っていた以上に傷んでいた。


 木杭の何本かは根元が腐りかけている。横木も緩み、縄は古く、触ると繊維がほつれた。


 これでは、大型の獣が本気で体当たりしたら破られる。


 まして魔物ならなおさらだ。


「これは……早めに直した方がいいですね」


「だから明日の朝にやると言った」


「すみません」


「また謝ったな」


「……気をつけます」


 村長は俺を睨んだが、怒っているというより呆れている顔だった。


 柵の近くには、何人かの村人が集まっていた。


 鍬や斧を持っているが、手つきはぎこちない。普段は農作業の道具だ。戦うためのものではない。


 入口で会った門番の老人も来ていた。彼は錆びた槍を構えながら、俺を見る。


「兄者、その若いのを連れてきたのか」


「柵を見られると言うのでな」


「ほう。顔は頼りなさそうだが」


「本人も金はなさそうだ」


「それは見れば分かる」


「皆さん、遠慮なく言いますね」


 俺がそう言うと、数人の村人が少し笑った。


 空気がわずかに緩む。


 けれど、森の奥から枝が折れる音がした瞬間、笑いはすぐに消えた。


 何かが動いている。


 重い足音。


 葉をかき分ける音。


 俺は短杖を握った。


 戦闘は苦手だ。


 勇者パーティーにいた頃も、俺が直接魔物を倒すことはほとんどなかった。全員に付与をかけ、道具を整え、立ち位置を見て、必要なら防御補助を入れる。それが俺の役割だった。


 ここにはカイルもガレスもミラもリーナもいない。


 前に出る者がいない。


 それだけで、背筋が冷たくなる。


「お前さん、震えておるぞ」


 村長が言った。


「怖いので」


「正直だな」


「怖くないふりをして失敗するよりは、たぶんいいです」


「それもそうだ」


 村長は少しだけ目を細めた。


「では、その怖がりの付与術師殿。柵はどうにかなりそうか」


「やってみます」


 俺は柵に手を当てた。


 古い木の感触。


 乾いて、ところどころ割れている。


 補強の付与は難しくない。普通なら一時的に木材の強度を上げる程度だ。せいぜい数時間。熟練者なら半日持たせることもできるが、俺の付与は昔から地味で、効果が分かりづらい。


 でも、やらないよりはいい。


「少しだけ、持ってくれよ」


 小さく呟く。


 術式を組む。


 木材の繊維に魔力を染み込ませるイメージ。


 縄を締め、杭の根元を支え、衝撃を散らす。


 いつもの癖で、周囲の村人たちにも軽い防御付与を流した。


 転んでも怪我をしにくいように。


 恐怖で足がすくまないように。


 手に持った鍬を落とさないように。


 その程度の、ささやかな付与だ。


 俺はそう思っていた。


 次の瞬間、柵全体が淡く金色に光った。


「……ん?」


 おかしい。


 いや、光ること自体はある。


 付与をかけた瞬間、魔力の反応で対象が光ることは珍しくない。


 ただ、普通は手を当てた部分だけだ。


 今、光っているのは北柵の端から端までだった。


 さらに、腐りかけていた木杭の根元が、ぎしりと音を立てて地面に沈み込む。緩んでいた横木が勝手に噛み合い、古い縄が新品のように締まった。


 村人たちが、ぽかんと口を開ける。


 門番の老人が槍を落としかけた。


「兄者」


「何だ」


「柵が若返ったぞ」


「儂にも見えておる」


 村長の声は平静だったが、杖を握る手に力が入っていた。


 俺は慌てて手を離す。


「あ、すみません。ちょっと強くかかりすぎたかもしれません」


「ちょっと?」


 村長が俺を見る。


「お前さん、これがちょっとか」


「ええと……木が元気になったというか」


「木は切られて柵になった時点で、普通は元気にはならん」


「それは、まあ、そうですね」


 言い訳が見つからない。


 けれど、その場で考え込む余裕はなかった。


 森の奥から、黒い影が飛び出したからだ。


 狼型の魔物。


 ただし普通の狼より一回り大きい。背中には硬い棘が並び、口元から黒い涎が垂れている。


「棘狼だ!」


 誰かが叫んだ。


 棘狼は柵に向かって突進してくる。


 村人たちが身構えた。


 俺も短杖を握る。


 しかし、棘狼が柵に体当たりした瞬間。


 どん、と鈍い音がした。


 柵はびくともしなかった。


 それどころか、棘狼の方が弾かれた。


「ギャウン!」


 狼型の魔物が地面を転がる。


 俺は目を瞬かせた。


「……丈夫になりましたね」


「なりましたね、ではないわ!」


 村長が珍しく声を荒げた。


「今、棘狼が弾かれたぞ! 石壁でも揺れる相手だぞ!」


「石壁でも?」


「そうだ!」


「じゃあ、うまくいったということで」


「なぜそこで謙虚なんだ、お前さんは!」


 叱られているのか褒められているのか分からない。


 棘狼は体を起こし、低く唸った。


 だが、もう一度柵へ飛びかかることはしなかった。何かを恐れるように後退し、森の奥へ逃げていく。


 村人たちの間に、どよめきが広がった。


「助かった……のか?」


「柵が魔物を弾いたぞ」


「付与術師様がやったのか?」


「いや、でも本人は今、首を傾げてるぞ」


 最後の言葉が痛い。


 俺は何とも言えず、短杖を下ろした。


 確かに、首を傾げていた。


 自分でもよく分からないのだから仕方がない。


 村長はしばらく柵を見ていたが、やがて深く息を吐いた。


「アレン」


「はい」


「お前さん、しばらく村にいろ」


「え?」


「空き家を貸す。飯も、働きに応じて出す。柵の件もある。村としては、お前さんのような術師はありがたい」


「本当ですか」


「ただし」


 村長は杖の先を俺に向けた。


「森には入るな」


「……はい」


「今、少し間があったな」


「気のせいです」


「嘘が下手だな、お前さん」


 村長は俺を睨んだ。


「棘狼が一匹だけで村の近くまで来るのは妙だ。森の奥で何かあったのかもしれん。村人を集めて、明日の朝、様子を見る。それまでは勝手に動くな」


「分かりました」


 今度はちゃんと頷いた。


 森が気になる。


 けれど、勝手に動いて村に迷惑をかけるわけにはいかない。


 俺はそう思った。


 そのとき、森の方から、今度は魔物の唸りではない音が聞こえた。


 かすかな声。


 人の声だった。


「……たす、け……」


 小さすぎて、風に紛れそうな声。


 村人たちは気づいていない。


 いや、門番の老人が顔をしかめた。


「今、何か聞こえたか?」


 俺は北柵の向こうを見た。


 森の入口。


 茂みの奥。


 そこに、白いものが見えた。


 布か。


 髪か。


 人が倒れている。


「誰かいます」


 俺は言った。


 村長の顔色が変わる。


「森に入るなと言ったばかりだ」


「でも、柵のすぐ外です」


「棘狼が戻ってくるかもしれん」


「それでも、倒れているなら放っておけません」


 言った瞬間、自分でもまずいと思った。


 村長の目が厳しくなる。


 けれど、彼は怒鳴らなかった。


「……縄を持ってこい。門を開けるのは少しだけだ。若い衆、三人つけ。アレン、勝手に奥へ行くな。倒れている者だけ連れて戻れ」


「はい!」


「返事だけはいいな」


 村長はそう言いながらも、門番に合図した。


 北柵の小さな扉が開く。


 俺は村の若者たちと一緒に外へ出た。


 森の空気は、柵の内側より冷たかった。


 夕暮れの森は、足元が見えづらい。


 茂みをかき分けると、倒れていたのは少女だった。


 白銀の長い髪。


 尖った耳。


 薄緑の旅装は裂け、肩と脇腹に傷がある。


 エルフだ。


 俺は息を呑んだ。


「大丈夫ですか!」


 少女はかすかに目を開けた。


 湖みたいな青い瞳だった。


「……人、間……?」


「リーフェル村の者です。今、助けます」


「逃げ、て……追っ手が……」


 言い終える前に、少女は咳き込んだ。


 血が混じっている。


 まずい。


 見た目より傷が深い。


「アレン、早く運べ!」


 若者の一人が叫ぶ。


 俺は少女を抱き起こそうとした。


 軽い。


 信じられないほど軽かった。


 その体から、魔力がひどく乱れているのを感じた。傷だけではない。体の奥、魔力が巡る道そのものが傷ついている。


 勇者パーティーで何度も負傷者を見てきたが、これは普通の怪我ではない。


「ここで応急処置をします」


「門まで運んでからじゃだめなのか!」


「動かすと危ないです」


 俺は鞄から薬草を取り出した。


 朝、井戸の近くで摘んだものだ。


 いや、正確には摘んでいない。持っていた薬草と、道中で拾った葉を少し乾かしておいたものだ。どう見てもただの薬草だったはずだが、今見ると妙に艶がある。


 まあ、今は考えている暇がない。


「水をください」


 若者が水筒を渡してくる。


 俺は薬草を揉み、水と混ぜる。


 本当なら煎じたいが、火を起こす時間はない。傷口に当てる分と、少量飲ませる分を作る。


 少女は苦しそうに俺を見た。


「無駄、です……私の魔力回路は、もう……」


「喋らないでください」


「あなたまで、巻き込まれる……」


「大丈夫です。俺、巻き込まれるのは慣れてるので」


 言ってから、何を言っているんだと思った。


 少女の目が、かすかに揺れる。


「変な、人……」


「よく言われます」


「言われる、のですか……」


「最近は地味とも言われました」


 少女が弱々しく笑った。


 その笑みがすぐに苦痛で歪む。


 俺は薬草水を少しずつ飲ませた。


「苦かったらすみません」


「……あま、い」


「え?」


「温かい……森の、春みたい……」


 次の瞬間、少女の体が光った。


 金色ではない。


 淡い緑と白が混じった、柔らかい光。


 傷口に当てた薬草が溶けるように消え、裂けていた皮膚が塞がっていく。呼吸が落ち着き、青白かった頬に血の気が戻る。


 若者たちが後ずさった。


「お、おい……」


「何だ、これ」


「治ってる……?」


 俺は少女の脈を確かめた。


 安定している。


 よかった。


 本当に、よかった。


「もう大丈夫そうです」


 俺がそう言うと、若者たちは同時に俺を見た。


 その顔には、明らかに「何をしたんだお前」という文字が浮かんでいた。


「薬草が効いたんだと思います」


「薬草で腹の傷が塞がるか?」


「上等な薬草だったのかもしれません」


「さっき道端から出してなかったか?」


「……たぶん保存状態が良かったんです」


「土ついてたぞ」


 鋭い。


 村人、意外と鋭い。


 少女がゆっくりと上体を起こした。


 俺は慌てて支える。


「無理しないでください」


「いえ……これは……」


 少女は自分の手を見た。


 指先に、淡い光が集まっている。


 彼女の瞳が大きく見開かれた。


「魔力が……流れている……?」


「まだ痛みますか?」


「痛み、ではなく……違います。これは……あり得ません」


 少女は震える声で言った。


「私の魔力回路は、追っ手の呪矢で焼かれました。普通なら、一生魔法を使えない。エルフの秘薬でも、王族の治癒術でも、完全には戻せないはずなのに……」


「ああ、魔力回路でしたか。やっぱり傷んでましたよね」


「分かっていたのですか!?」


「なんとなく、流れが乱れていたので」


「なんとなくで分かるものではありません!」


 少女が急に声を上げた。


 傷が治ったばかりなのに元気だ。


 俺は少し安心した。


「でも、治ったならよかったです」


「よかった、で済む話では……」


 少女は言葉を失ったように俺を見る。


 その視線が、俺の顔、手元の薬草、短杖、そしてまた顔へと戻る。


「あなたは……何者ですか」


「アレンです。付与術師をしています」


「付与術師……?」


「はい。最近、仕事を辞めることになって、リーフェル村に来ました」


「そのような説明で納得できると思いますか?」


「ええと、だめですか」


「だめです」


 少女は真剣だった。


 その真剣さに、俺の方が困ってしまう。


 若者の一人が森の奥を見た。


「おい、長話はまずい。追っ手とか言ってなかったか?」


 その言葉で、少女の表情が変わった。


「そうです……黒衣の者たちが、まだ……」


 森の奥から、金属が木に当たる音がした。


 誰かが近づいている。


 人の足音。


 複数。


 俺は少女の前に立った。


「村に戻りましょう」


「私は足手まといになります」


「さっきまで倒れていた人が何を言ってるんですか」


「でも」


「走れますか?」


 少女は一度、自分の足を見た。


 そして驚いたように立ち上がる。


「……走れます」


「なら十分です」


 俺たちは北柵へ向かって戻った。


 村の門では、村長が険しい顔で待っていた。


「早く入れ!」


 全員が柵の内側へ入った直後、森の影から黒い外套の男たちが現れた。


 三人。


 顔は布で隠している。


 手には短弓と曲刀。


 ただの盗賊ではない。動きが訓練されている。


 エルフの少女が息を呑んだ。


「黒枝の追跡者……」


「知り合いですか?」


「知り合いという言葉で済ませたくありません」


「なるほど」


 追っ手の一人が前に出た。


「そのエルフを渡せ。辺境の村に関係はない」


 村長が杖を突いて立つ。


「ここはリーフェル村だ。村の柵の中に入った者は、事情を聞くまでは客人として扱う」


「老いぼれ。命が惜しければ退け」


「惜しいに決まっておる。だから退かん」


 村長の声は震えていなかった。


 俺はその背中を見て、少し胸が熱くなった。


 出会ったばかりの少女を守るために、村長は立っている。


 この村は貧しい。


 柵も古い。


 戦える者も少ない。


 それでも、倒れていた人を差し出すような村ではないらしい。


 黒衣の男が弓を構えた。


「ならば、まとめて――」


 矢が放たれた。


 村人たちが悲鳴を上げる。


 だが、矢は柵の手前で止まった。


 いや、止まったというより、見えない壁に弾かれた。


 乾いた音を立てて地面に落ちる。


 黒衣の男たちが動きを止めた。


「結界……?」


 村長がゆっくり俺を見た。


 俺も柵を見た。


「……さっきの補強、まだ効いてたみたいですね」


「お前さん」


「はい」


「あとで話がある」


「ですよね」


 黒衣の男が二本目の矢を構えようとした瞬間、森の奥から低い唸り声がした。


 さっき逃げた棘狼だ。


 いや、一匹ではない。


 複数の気配がある。


 黒衣の男たちは舌打ちした。


「引くぞ。今は分が悪い」


「だが、あの娘を――」


「森の魔物まで集まる前に退く」


 三人の姿は、夕闇の森へ消えた。


 緊張が解ける。


 村人たちが一斉に息を吐いた。


 エルフの少女は、柵の内側に立ったまま、俺を見ていた。


 まるで、信じられないものを見るように。


「あの」


 俺は気まずくなって声をかけた。


「とりあえず、村の中で休みませんか。傷は塞がったみたいですけど、体力は戻ってないと思うので」


「……あなたは」


「はい」


「本当に、付与術師なのですか」


「一応」


「一応で、焼き切れた魔力回路を修復し、村の柵を結界化し、呪矢を弾くのですか」


「結界化?」


「自覚がないのですか!?」


 少女の声が裏返った。


 俺は困って頭をかいた。


「すみません。あまり自分の付与がどのくらい効いてるのか、昔からよく分からなくて」


「よく分からないで済ませていい力ではありません!」


「そう言われても……」


 村長が重々しく頷いた。


「儂も同意見だ」


「村長さんまで」


「お前さん、地味な付与術師ではなかったのか」


「自分ではそう思ってます」


「その自己評価は、柵より先に補強した方がよさそうだな」


 村人たちの間から、控えめな笑いが起きた。


 俺は少し居心地が悪くなった。


 褒められているのか、呆れられているのか、まだ分からない。


 エルフの少女は一歩前に出た。


 そして、俺の前で深く頭を下げた。


「命を救っていただき、ありがとうございました」


「いえ、困っている人を見つけただけなので」


「それだけではありません。あなたは私の魔力も、誇りも、未来も救ってくださいました」


 大げさだ。


 そう言おうとして、やめた。


 少女の声は震えていた。


 さっきまで追っ手に狙われ、傷つき、森で倒れていたのだ。俺にとっては薬草を飲ませただけでも、彼女にとっては違うのだろう。


「俺はアレンです。あなたは?」


 少女は顔を上げた。


 夕暮れの光を受けて、白銀の髪が淡く輝く。


「シルフィ。シルフィ・リーフェンと申します」


「シルフィさんですね」


「シルフィで構いません。命の恩人に敬称をつけられると、落ち着きません」


「じゃあ、シルフィ。俺もアレンでいいです」


「はい、アレン様」


「様はやめませんか」


「では、アレン師匠」


「もっと重くなった!」


 思わず声が出た。


 シルフィは真剣な顔で首を傾げる。


「命を救い、失われた魔力回路を修復し、神域の付与を扱う方を師匠と呼ぶのは当然では?」


「当然ではないと思います」


「では何とお呼びすれば」


「普通にアレンで」


「それは無理です」


「即答」


 村人たちがまた笑った。


 村長も、わずかに口元を緩めていた。


 その笑い声の中で、俺は初めて、自分がこの村に受け入れられ始めているのかもしれないと思った。


 もちろん、まだ何も分からない。


 シルフィの追っ手。


 森の魔物。


 俺の付与。


 問題は山ほどある。


 でも、少なくとも今この瞬間、誰も俺を「無能」と呼ばなかった。


 誰も俺を「いらない」と言わなかった。


 それだけで、胸の奥に小さな灯がともったような気がした。


 シルフィは俺をまっすぐに見つめたまま、静かに言った。


「アレン師匠」


「だから師匠は」


「あなたは、ただの付与術師ではありません」


 彼女の声には、確信があった。


「国が、いえ、世界が奪い合うほどの方です」


「……いや、そんな大げさな」


「大げさではありません」


 シルフィは首を横に振る。


「あなたの力は、戦場を変えます。国を変えます。命の価値さえ変えてしまう。だからこそ、知られてはいけない相手もいます」


 その言葉に、空気が少しだけ重くなった。


 村長が目を細める。


「その追っ手と関係があるのか」


「はい。私は、エルフの没落名家リーフェン家の娘です。詳しく話すには、少し時間をいただけますか」


「話は家で聞こう。日が落ちる」


 村長は村人たちに指示を出した。


 北柵の見張りを増やす者。


 子供たちを家に戻す者。


 シルフィのために毛布と湯を用意する者。


 皆が動き出す。


 俺も何か手伝おうとしたが、村長に止められた。


「アレン」


「はい」


「お前さんは、その娘のそばにいてやれ」


「俺がですか」


「お前さんが助けた客人だ。それに、その娘はお前さんのことを師匠と言っておる」


「まだ認めてません」


「諦めろ。あの目はもう決めている」


 村長にそう言われ、俺はシルフィを見た。


 シルフィは深く頷いた。


「はい。私は決めています」


「何を?」


「あなたのそばで、この奇跡の理由を見極めます」


「……俺、静かに暮らしたいだけなんだけど」


「もちろんです。静かな暮らしを守るためにも、私は弟子として尽くします」


「弟子確定なんだ……」


 俺は空を見上げた。


 夕焼けは濃く、森の向こうはもう夜に沈みかけている。


 勇者パーティーを追放されて、辺境でスローライフを送るはずだった。


 畑を耕し、誰にも怒鳴られず、静かに眠る。


 それだけでよかった。


 なのに、初日から村の柵は結界になり、森ではエルフの少女を拾い、なぜか師匠と呼ばれている。


 俺は小さく息を吐いた。


「……まあ、怪我が治ってよかった」


 結局、口から出たのはそれだった。


 シルフィは一瞬きょとんとして、それから柔らかく微笑んだ。


「はい。師匠」


「アレンで」


「努力します、師匠」


「努力の方向性が違う」


 村の夜が近づいてくる。


 その空の下で、俺の新しい生活は、思っていたよりずっと騒がしく始まろうとしていた。


 そして遠く離れた王都への道では、勇者カイルたちが焦げた夕食を前に、まだ自分たちの没落の始まりに気づけずにいた。

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