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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


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第34話 カイル、アレン抜きの訓練で現実を知る

 王都騎士団の訓練場には、朝から乾いた音が響いていた。


 木剣と木剣がぶつかる音。


 盾で受ける鈍い音。


 革靴が砂を踏む音。


 息を吐く声。


 怒号。


 王国騎士団の訓練場は、冒険者ギルドの裏庭とは違う。そこには秩序があった。誰がどこで何をするのか、どの時間に何を鍛えるのか、すべてが決められている。


 勇者パーティーがそこを使うのは、本来なら異例だった。


 だが、活動制限中の今、彼らは王国騎士団の監督下で基礎訓練を受けることになっている。


 屈辱。


 カイルにとって、それ以外の言葉はなかった。


「構えが高い」


 訓練官の声が飛ぶ。


 カイルは木剣を握ったまま、眉をひそめた。


「高いだと?」


「高い。肩に力が入りすぎている。初動が読める」


 訓練官は、年季の入った中年の騎士だった。


 名はロイド。


 派手な武勇伝を持つ英雄ではない。だが、騎士団内では「新人の鼻っ柱を折るのがうまい」と評判の男だった。悪意があるわけではない。ただ、相手が貴族だろうが勇者だろうが、剣筋が悪ければ悪いと言う。


 カイルはその態度が気に入らなかった。


「俺はこの構えで魔族を斬ってきた」


「今は訓練だ」


「実戦で通じた構えに、なぜ文句をつける」


「以前は通じた。今は崩れている」


 ロイドは木剣を肩に担ぎ、淡々と言った。


「もう一度構えろ」


 カイルのこめかみが動く。


 周囲には若い騎士たちもいる。


 ミラ、ガレス、リーナも見ている。


 その前で、勇者である自分が基礎の構えを直されている。


 耐えがたい。


 だが、ここで反発して訓練を投げ出せば、それこそ周囲の思うつぼだ。


 カイルは歯を食いしばり、構え直した。


 ロイドが近づき、木剣の先でカイルの肩を軽く叩く。


「肩を落とせ」


「分かっている」


「分かっている者の肩ではない」


「……」


「足幅が広い。踏み込みが遅れる」


「これで踏み込める」


「踏み込めると、戻れるは違う。今のお前は斬り込んだ後に戻れない」


 カイルは言い返そうとして、やめた。


 以前なら、確かに戻れた。


 斬り込んだ後、体が自然に軽かった。足が流れず、剣を振った後も魔力が乱れなかった。呼吸も整っていた。


 今は違う。


 踏み込むたびに、体が重い。


 斬った後の一瞬、足が地面に沈むような感覚がある。


 聖剣ではなく木剣なのに。


 軽いはずなのに。


「もう一度だ」


 ロイドが言った。


 カイルは木剣を構え、踏み込んだ。


 鋭い一撃。


 普通の騎士なら、その速さだけで圧倒されただろう。


 だが、ロイドは半歩だけ横へずれ、カイルの木剣を受け流した。


 次の瞬間、カイルの脇腹にロイドの木剣が軽く当たる。


「一本」


「今のは」


「足が残った。上体だけで追った」


「避けただけだろう」


「避けられて当てられた。それが結果だ」


 ロイドの声は冷静だった。


 カイルは唇を噛む。


 周囲の若い騎士たちが、息を潜めて見ているのが分かる。


 彼らの目に、失望があるのではないか。


 そう思うだけで、胸の奥が焦げるようだった。


 ロイドは構えを解かずに言う。


「もう一度」


「……ああ」


 カイルは再び踏み込んだ。


 だが、結果は同じだった。


 速い。


 強い。


 しかし、荒い。


 ロイドは真正面から力で受けない。半歩ずらし、刃筋を外し、カイルの重心が流れたところを軽く打つ。


 三度。


 四度。


 五度。


 全部、同じように崩された。


 ついにカイルは木剣を下ろし、息を荒げた。


「なぜだ」


 声が漏れた。


 ロイドは構えを解いた。


「何がだ」


「俺の動きは、こんなに鈍くなかった」


「そうだろうな」


「分かるのか」


「記録映像で見た。以前の勇者カイルは、もっと無駄がなかった。踏み込み後の戻りも速い。剣筋も今ほど荒れていない」


「なら、なぜ今は」


「支えがなくなったからだろう」


 ロイドは遠慮なく言った。


 カイルの顔が強張る。


「アレンの話か」


「名は知らん。だが、支援役がいたのだろう」


「俺自身の剣だ」


「剣はお前のものだ。だが、体の状態、呼吸、魔力循環、疲労管理、装備調整。それらまで一人で整えていたか?」


 カイルは答えられなかった。


 ロイドは続ける。


「お前は強い。これは間違いない。だが、今は自分の強さが何で成り立っていたかを見失っている」


「……俺は勇者だ」


「肩書きは構えを直してくれん」


 短い一言だった。


 訓練場の空気が、少し冷えた。


 カイルは何かを言い返そうとした。


 だが、息が上がっている。


 腕も重い。


 木剣を握る手が、わずかに震えていた。


     ◇


 少し離れた場所で、ガレスは盾を構えていた。


 左肩にはまだ軽い痛みがある。


 以前なら、多少痛くても無理に前へ出た。


 アレンがいれば、後で包帯も薬も調整してくれる。鎧の締め具合も、盾の持ち方も、自然に負担が減るよう整えてくれていた。


 それを、当たり前だと思っていた。


「ガレス殿」


 別の訓練官が声をかける。


「盾の角度が深すぎる。肩をかばっている」


「分かるか」


「分かる。今の受け方では、横から押された時に腰が流れる」


「だよな」


 ガレスは苦笑した。


「前なら、気にならなかったんだが」


「前はどうしていた」


「……アレンが盾の革紐を調整してくれてた。あと、たぶん俺の立ち方も横で見てたんだろうな。『少し左足を引いた方が安定します』とか言われてた」


「聞いていたのか」


「半分くらい」


「今から全部聞くつもりでやれ」


「耳が痛ぇ」


 ガレスは盾を構え直した。


 訓練官が木槌で盾を打つ。


 重い衝撃。


 ガレスは受ける。


 肩に痛みが走った。


「くっ」


「今のは肩で受けた。盾は腕だけで持つものではない。腰、背中、足で受けろ」


「分かってる」


「分かっている者の受け方ではない」


「今日、それ流行ってるのか?」


 ガレスが苦笑すると、訓練官は真顔で言った。


「騎士団では昔からだ」


「そうかい」


 もう一度。


 今度は足を意識する。


 衝撃を肩だけで止めない。


 腰へ逃がす。


 足で踏む。


 以前、アレンが何度も言っていた。


『ガレスさん、盾の革紐、少しきついです。左肩に負担が来ます』


『いや、これくらいの方がずれねぇんだよ』


『ずれない代わりに、明日痛みますよ』


『明日のことは明日の俺が考える』


『明日のガレスさん、たぶん俺に文句言います』


 そんな会話を、何度しただろう。


 その時は笑って流していた。


 今になって、全部戻ってくる。


 ガレスは盾の裏で、苦い顔をした。


「……悪かったな、アレン」


「何か言ったか」


「いや。もう一本頼む」


「よし」


 木槌が盾を打つ。


 今度は、少しだけ痛みが少なかった。


     ◇


 ミラは、訓練場の端で魔力制御の基礎をやっていた。


 これがまた、屈辱だった。


 目の前には小さな魔石。


 それに一定量の魔力を流し、色を変えず、割らず、ただ淡く光らせ続ける。


 魔法学校の初級生がやるような練習だ。


 かつてのミラなら、鼻で笑っていた。


 今は、その魔石が何度も明滅している。


「また乱れた」


 指導役の老魔術師が言う。


 王国騎士団所属の魔術顧問で、名はエルバート。白い髭を撫でながら、半眼でミラを見ている。


「分かってるわよ」


「分かっておるなら直せ」


「直そうとしてるの」


「力で押しておる」


「押さないと流れないのよ」


「それが間違いだ」


 エルバートは杖で地面を軽く叩いた。


「魔力は水と同じだ。押し込めば乱れる。流れ道を整えろ」


 その言葉に、ミラは顔をしかめた。


「……それ、前にも聞いたことある」


「誰に」


「アレン」


「ならば、よいことを言う支援役だったのだな」


「そうね」


 ミラは魔石を見つめる。


 アレンはいつも、ミラの杖の魔石を調整していた。


『ミラさん、今日は魔力の出が少し荒いです。火属性を使うなら、最初の詠唱を半拍遅らせた方がいいかもしれません』


『半拍って何よ。感覚派みたいなこと言わないで』


『ミラさんもかなり感覚派ですよ』


『うるさいわね』


 そんなやり取り。


 そして実際、アレンの言う通りにすると魔法の通りが良くなった。


 でもミラは、それを自分の調子が戻ったのだと思っていた。


 違った。


 戻してもらっていたのだ。


「腹立つ」


 ミラが呟く。


 エルバートが眉を上げた。


「誰にだ」


「昔の私に」


「ならばよい」


「よいの?」


「他人に腹を立てているうちは進まん。昔の自分に腹を立てるなら、今の自分を変えられる」


 ミラは少し黙った。


 老魔術師の言葉は、皮肉に聞こえない。


 ただ、長く生きた人間が言う事実のようだった。


「もう一回やるわ」


「力を抜け」


「分かってる」


「分かっている者の魔力では」


「それ、さっきから訓練場のあちこちで聞こえるんだけど」


「騎士団の伝統だ」


「嫌な伝統ね」


 ミラは深呼吸した。


 魔力を押さない。


 流れ道を整える。


 アレンが何度も言っていた感覚を思い出す。


 魔石が、今度は少しだけ安定して光った。


 ほんの少し。


 それでも、今のミラには大きな一歩だった。


     ◇


 リーナは、訓練場の隅に設けられた治癒訓練用の天幕にいた。


 相手は負傷兵ではない。


 訓練用の魔力人形だ。


 表面には疑似的な傷が浮かび、魔力を流すことで治癒手順を確認できる。


 リーナは両手をかざし、慎重に魔力を流した。


 傷が淡く光る。


 だが、すぐに光が強くなりすぎた。


「止めて」


 神殿から派遣された治癒師が言った。


 リーナは慌てて魔力を切る。


「すみません」


「謝る前に、今の感覚を覚えて」


「はい」


「あなたは治そうとする気持ちが強すぎる。だから、必要以上に魔力を流し込む」


 リーナは胸に手を当てた。


「以前は、それでも治せていました」


「支援があったからでしょう」


「……はい」


 もう、その言葉から逃げるつもりはなかった。


 アレンがいた頃、リーナの治癒はよく効いた。


 疲れていても、魔力が戻る。


 傷口の状態も見やすい。


 患者の体力も保たれる。


 それを、彼女は自分の祈りの強さだと思っていた。


 もちろん、リーナの力もあった。


 だが、その力を安定させていたのはアレンだった。


「もう一度、お願いします」


 リーナは言った。


 治癒師は頷く。


「今度は、半分でいい」


「半分」


「助けたい気持ちは、魔力の量で示すものではないわ」


 その言葉に、リーナの目が少し揺れた。


「……はい」


 助けたい気持ち。


 アレンも、そうだった。


 誰かを助けたいから、自分を削る。


 リーナは、その優しさに甘えていた。


 そして今、自分も同じように魔力を流し込みすぎている。


 助けたい気持ちが、必ずしも良い結果につながるわけではない。


 それを学ばなければならない。


「もう一度」


 リーナは小さく祈り、今度は魔力を細く流した。


 疑似傷がゆっくり閉じる。


 少し時間はかかった。


 だが、魔力人形の全体に負荷は少ない。


 治癒師が頷いた。


「今の方がいい」


「でも、遅いです」


「遅くていい。焦って患者の体力を削るより、ずっといい」


 リーナは小さく息を吐いた。


「私は、焦っていたのですね」


「勇者パーティーにいる者は、皆そうでしょう」


「皆……」


「救わなければならない。勝たなければならない。遅れてはいけない。そう思いすぎると、祈りまで刃になる」


 リーナは目を閉じた。


 祈りまで刃になる。


 その言葉が胸に残った。


     ◇


 昼前、四人は訓練場の端に集められた。


 カイルは息を荒げ、額に汗を浮かべている。


 ガレスは肩を押さえながらも、さっきより少し盾の構えが安定していた。


 ミラは疲れ切った顔で杖にもたれている。


 リーナは静かに呼吸を整えていた。


 訓練官ロイドが、四人の前に立つ。


「今日の午前の結果を言う」


 カイルが顔を上げた。


「俺からか」


「全員だ」


 ロイドは容赦なく続けた。


「勇者カイル。剣速と瞬発力は高い。だが、判断が荒い。踏み込み後の戻りが遅く、支援を前提にした動きが抜けていない」


 カイルの眉が動く。


「支援を前提に」


「そうだ」


 ロイドはガレスを見る。


「重戦士ガレス。盾受けの基礎はある。だが、左肩をかばいすぎて全体の重心が崩れている。以前の装備調整に頼っていた部分が大きい」


「耳が痛ぇな」


「魔法使いミラ。魔力量は十分。だが、出力制御が粗い。杖と魔石の補正がない状態では、詠唱の安定性が落ちる」


「分かってるわ」


「僧侶リーナ。治癒力は高い。だが、過剰投入の癖がある。患者ではなく自分の焦りを治そうとしている」


 リーナは小さく頭を下げた。


「はい」


 ロイドは四人を見渡した。


「総評。以前のお前たちは、個々の強さに加え、見えない支援で穴を埋めていた。今はその支援がない。だから穴が見えている」


 カイルが低く言う。


「つまり、アレンがいないからだと」


「違う」


 ロイドは即座に否定した。


「今見えている穴は、もともとお前たちのものだ」


 沈黙。


 その一言は重かった。


「支援役がいたから、穴が塞がっていた。だから戦えていた。それ自体は悪いことではない。戦場では支え合うのが当たり前だ。問題は、その支えを理解せず、自分だけの力だと思い込んだことだ」


 ミラが目を伏せる。


 ガレスが苦い顔をする。


 リーナは胸元の聖印を握った。


 カイルだけが、ロイドを睨んでいる。


「俺たちは、どうすればいい」


 ガレスが聞いた。


 ロイドは答える。


「基礎をやり直す。自分の穴を自分で知る。支援がない状態でどこまでできるかを把握する。その上で、支援を受けるなら、感謝して受ける」


「感謝、か」


 ミラが小さく言った。


「今さらすぎるわね」


「今さらでもやれ」


 ロイドは淡々としている。


「今さらを嫌がって死ぬより、今さらでもやって生きる方がいい」


「騎士団の人って、いちいち言葉が痛いわね」


「痛いところを突いているからだ」


 ガレスが低く笑った。


「違ぇねぇ」


 カイルは笑わなかった。


 彼はロイドを見据えたまま言った。


「俺は、勇者だ。基礎訓練に時間を使っている間にも、魔王軍は動いている」


「だからこそだ」


「何?」


「勇者が焦って死ねば、王国の損失は大きい。勇者が判断を誤れば、仲間も巻き添えになる。肩書きが大きいほど、基礎を軽んじるな」


 カイルの顔が歪む。


「俺が判断を誤っていると?」


「今朝の訓練ではな」


「訓練では、だと?」


「実戦でも同じなら死ぬ」


 遠慮のない言葉だった。


 カイルは拳を握った。


 ガレスが横から低く言う。


「カイル」


「何だ」


「俺は、訓練官の言う通りだと思う」


「お前まで」


「俺も痛いこと言われたからな。肩をかばってる、装備調整に頼ってた。全部その通りだ。腹は立つが、嘘じゃねぇ」


 ミラも続けた。


「私も。魔力制御、ぼろぼろだった。杖の調整をアレンに任せきりだったの、今日で嫌ってほど分かった」


 リーナも静かに言う。


「私も、治癒を急ぎすぎていました。アレンさんが整えてくれていたから、崩れずに済んでいただけでした」


 三人の言葉は、カイルにとってさらに重かった。


 仲間たちが、自分の弱さを認め始めている。


 それは前進なのだろう。


 だが、カイルには置いていかれるように感じられた。


 自分だけが、勇者という場所に残ろうとしている。


 そんな感覚。


「……お前たちは、それでいいのか」


 カイルは低く言った。


「弱くなったと認めて、基礎からやり直して、それで満足か」


「満足じゃないわ」


 ミラは即答した。


「悔しいに決まってる。恥ずかしいに決まってる。でも、認めないと進めない」


「俺は」


 カイルは言いかけ、言葉を止めた。


 俺は認めない。


 そう言おうとした。


 だが、午前中の自分の剣が頭をよぎった。


 踏み込んだ後、戻れなかった。


 受け流され、脇腹を打たれた。


 木剣なのに息が上がった。


 以前なら、あんな動きではなかった。


 なぜだ。


 支援がないから。


 違う。


 そう言いたい。


 だが、体が覚えている。


 以前、自分の足はもっと軽かった。


 呼吸も乱れなかった。


 聖剣を振った後、魔力が自然に整っていた。


 それを整えていたのは、本当に誰だったのか。


 カイルは、喉の奥に何かが詰まるのを感じた。


「午後も続ける」


 ロイドが言った。


「嫌なら帰ってもいい。ただし、帰った者は訓練放棄として報告する」


「ずいぶんだな」


 ミラが呟く。


「優しくしてほしいなら、ギルドの酒場へ行け。ここは訓練場だ」


「最悪」


「褒め言葉として受け取る」


 少しだけ空気が緩んだ。


 だが、カイルだけは動けなかった。


     ◇


 昼休憩。


 訓練場の端にある石段で、カイルは一人座っていた。


 手には木剣。


 昼食には手をつけていない。


 遠くでガレスが大盛りのパンを食べている。ミラは文句を言いながらもスープを飲んでいる。リーナは治癒師と何かを話し込んでいた。


 皆、前へ進もうとしている。


 カイルには、そう見えた。


 その時、ミラがパンを二つ持って近づいてきた。


「食べなさい」


「いらん」


「いるわよ。午後も訓練あるんだから」


「放っておけ」


「放っておいた結果、色々まずいことになったから今来てるの」


 ミラは隣に腰を下ろし、パンを差し出した。


 カイルは受け取らない。


 ミラはため息をついた。


「あなた、食べないと余計に苛立つタイプよ」


「知ったような口を」


「そりゃ知ってるわよ。何年一緒にいると思ってるの」


 カイルは少し黙った。


 何年。


 そうだ。


 ミラとも、ガレスとも、リーナとも、長く戦ってきた。


 そこには確かに時間があった。


 アレンも、その中にいた。


 地味で、目立たなくて、後ろにいて、でもずっといた。


「……俺は、そんなに間違っていたのか」


 自分でも驚くほど、低い声だった。


 ミラはすぐには答えなかった。


 軽く言えば、カイルはまた反発する。


 そう分かっている顔だった。


「全部が間違いだったわけじゃない」


 やがて、ミラは言った。


「あなたは本当に強かった。何度も私たちを助けた。魔族相手に前へ出られるのは、誰にでもできることじゃない。あなたが勇者だってことまで、私は否定しない」


 カイルは黙って聞いた。


「でも、アレンへの扱いは間違ってた」


 ミラの声は静かだった。


「私も間違ってた。ガレスも、リーナも。あなた一人のせいじゃない。でも、一番強い言葉で追い出したのは、あなたよ」


「俺は……」


「うん」


 ミラはパンを膝に置いた。


「あなたは、アレンの力が見えてなかった。私たちも見えてなかった。見えてなかったから、いなくなって初めて困った。それはもう仕方ない。でも、困ったから戻れっていうのは違う」


「では、どうすればいい」


「謝る」


「そればかりだな」


「それしか入口がないから」


 カイルは顔を歪めた。


「謝れば戻るのか」


「たぶん戻らない」


「なら意味がない」


「そこが違うのよ」


 ミラはカイルを見た。


「戻すために謝るんじゃない。傷つけたから謝るの」


 その言葉は、ロイドの木剣より痛かった。


 カイルは何も言えない。


 ミラは続けた。


「あなたはまだ、謝罪を交渉の道具にしようとしてる。謝れば戻るか、戻らないなら意味がないか。そうじゃなくて、まず傷つけたことを認める。それがないと、たぶん何も始まらない」


「……お前は、変わったな」


「変わらざるを得なかったのよ」


 ミラは苦笑した。


「魔石一つまともに安定させられない自分を見たら、さすがにね」


 彼女はパンをカイルの膝に置いた。


「食べなさい。勇者でも、腹は減るんだから」


 そう言って立ち上がる。


 カイルはパンを見下ろした。


 素朴な騎士団のパン。


 硬そうだった。


 以前なら、アレンが少し温めてくれた。


 乾いたパンでも、食べやすくなるように。


 カイルは、ようやく小さくちぎって口に入れた。


 硬い。


 味気ない。


 でも、食べなければ午後は動けない。


 そんな当たり前のことを、今さら思い知った。


     ◇


 午後の訓練は、連携だった。


 カイル、ガレス、ミラ、リーナ。


 四人で魔物役の騎士たちを相手に動く。


 以前なら、簡単にできたはずの訓練だ。


 だが、結果は散々だった。


「前に出すぎ!」


 ミラが叫ぶ。


「詠唱が間に合わない!」


「遅い!」


 カイルが返す。


「遅いんじゃなくて、あなたが早すぎるのよ!」


 ガレスが盾を構えて割って入る。


「カイル、一回下がれ! リーナの位置が遠い!」


「俺はまだ行ける!」


「お前だけならな!」


 その瞬間、横から魔物役の騎士が入り込み、リーナの近くまで迫った。


 リーナが短い詠唱で防御結界を張る。


 だが薄い。


 カイルが振り返る。


 遅い。


 ロイドの木剣が地面を叩いた。


「止め!」


 全員が動きを止める。


 ロイドは低い声で言った。


「全滅だ」


 カイルが息を荒げる。


「今のは、魔物役が」


「言い訳はいらん」


 ロイドは冷たく言った。


「カイル、お前が突出した。ガレスは追いきれず、ミラは射線を失い、リーナは孤立した。以前なら、誰かがその乱れを補正していたのだろう。今はいない」


 その言葉で、全員が分かってしまった。


 アレンだ。


 彼なら、戦闘前に配置を少し変えていたかもしれない。


 カイルの踏み込みに合わせて、ガレスの盾位置を補助していたかもしれない。


 ミラの魔力の流れを整え、リーナの結界が間に合うよう支えていたかもしれない。


 誰も気づかないところで。


「もう一度だ」


 ロイドが言う。


 カイルは、初めてすぐに反論しなかった。


 木剣を握り直す。


 息を整える。


 踏み込む前に、一度だけ後ろを見た。


 ガレスがいる。


 ミラがいる。


 リーナがいる。


 以前は見なくても大丈夫だった。


 いや、見なくても大丈夫にしてもらっていた。


 カイルは、喉の奥で小さく息を吐いた。


「……ガレス」


「あ?」


「俺が一歩出る。お前は半歩遅れて左を固めろ」


 ガレスが目を丸くした。


「分かった」


「ミラ」


「何」


「最初の火球はいらない。足止めを」


 ミラも少し驚いた顔をした。


「分かったわ」


「リーナ」


「はい」


「結界は俺ではなく、ミラの前に張れ。俺は自分で避ける」


 リーナの目が揺れた。


 でも、すぐに頷く。


「分かりました」


 ロイドが黙って見ている。


 カイルは構えた。


 完璧ではない。


 まだ肩に力が入っている。


 判断も硬い。


 だが、初めて仲間を見た。


 訓練が再開される。


 結果は、勝利ではなかった。


 途中で陣形は崩れ、最後はガレスが押し込まれて止められた。


 だが、全滅ではなかった。


 ミラの足止めが効き、リーナの結界が間に合い、カイルは突出しすぎなかった。


 ロイドは木剣を下ろして言った。


「少しはましだ」


 それだけだった。


 褒め言葉にしては短い。


 だが、今の四人には十分だった。


 ガレスが笑う。


「聞いたか、少しはましだってよ」


「それで喜ぶの、かなり情けないわね」


 ミラが言う。


「でも、まあ、午前よりはまし」


 リーナも小さく微笑んだ。


「はい。少しだけ」


 カイルは黙っていた。


 胸の奥に、屈辱とは違うものがあった。


 小さな手応え。


 認めたくないほど小さい。


 でも、確かにあった。


     ◇


 訓練が終わる頃には、夕日が訓練場を赤く染めていた。


 カイルは木剣を返し、手のひらを見た。


 豆が潰れている。


 勇者の手とは思えないほど、地味な痛みだった。


 ロイドが近づいてくる。


「明日も来るか」


 カイルは顔を上げた。


「来いという命令か」


「質問だ」


「……来る」


 短く答えた。


 ロイドは頷いた。


「なら、明日は踏み込みと戻りを重点的にやる」


「また基礎か」


「当然だ」


「……分かった」


 その返事に、ロイドは少しだけ目を細めた。


 初めて、反発ではない返事だったからだ。


「勇者カイル」


「何だ」


「お前は弱くなったのではない」


 カイルは眉を動かす。


「では何だ」


「支えられていた部分が見えるようになっただけだ」


「それを弱くなったと言うのではないか」


「違う。見えたなら、鍛えられる」


 ロイドはそう言って去っていった。


 カイルはその背中を見送る。


 見えたなら、鍛えられる。


 その言葉が、訓練場の夕風の中に残った。


 遠くで、ミラがガレスと何かを言い合っている。


 リーナは治癒師に礼を言っている。


 皆、疲れている。


 だが、朝より少しだけ顔が違う。


 カイルは空を見た。


 王都の夕焼け。


 リーフェル村の夕焼けも、同じ色なのだろうか。


 アレンは今頃、畑を見ているのかもしれない。


 井戸のそばで、スライムに字を教えているのかもしれない。


 その想像に、胸が少し痛んだ。


 戻せばいい。


 昨日までの自分は、そう考えていた。


 今も、その考えが完全に消えたわけではない。


 だが、今日の訓練で一つだけ分かったことがある。


 アレンがいないことだけが問題なのではない。


 自分自身にも、穴があった。


 それを認めるのは、悔しい。


 腹が立つ。


 情けない。


 けれど、認めなければ、また同じように崩れる。


 カイルは手のひらを握った。


 潰れた豆が痛む。


 その痛みを、今日は消してくれる者はいない。


 だからこそ、忘れない気がした。

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