第26話 王都ギルド、ガリオン男爵家を問い詰める
王都冒険者ギルド本部の朝は、普段より少し張りつめていた。
原因は、机の上に並べられた三つの証拠品である。
一つ目は、黒く濁った小瓶。
外側には立派な王都製保存薬のラベルが貼られていたが、その下から現れた本来のラベルには、はっきりと別の名が残っていた。
『家畜用防腐液 希釈用』
二つ目は、細かい文字で書かれた商業契約書。
見た目は丁寧で正式な契約だが、内容は悪質だった。水、薬草、作物、加工品の販売権を二十年にわたり独占し、価格決定権をドラン商会側に寄せ、さらにリーフェル村の付与相談役であるアレンへ協力義務を負わせる。
そして三つ目。
ガリオン男爵家の封蝋が押された命令書。
これが一番まずかった。
マリナはその命令書を、ギルド本部長の机の上へ静かに置いた。
「以上が、リーフェル村より送られてきた証拠品です」
ギルド本部長ランベルトは、白髪交じりの髭を撫でながら、しばらく何も言わなかった。
年齢は六十に近い。だが、目は鋭い。現役を退いた冒険者特有の、相手の嘘と危険を嗅ぎ分ける目だった。
「……ひどいな」
やがて、ランベルトは低く言った。
「偽薬、悪質契約、貴族家の命令書。三点揃っておる」
「はい」
「しかも相手は辺境村か。やり口が古い。だが、古い分だけ性質が悪い」
ランベルトは契約書を指で叩いた。
「ドラン商会か」
「評判は以前から良くありません。ですが、今回ほど明確な証拠が揃ったのは初めてです」
「ガリオン男爵家は?」
「これまでにも辺境取引へ口を出している記録があります。ただ、直接関与を示す証拠はありませんでした」
「今回はある」
ランベルトは命令書を持ち上げた。
目を細めて読み上げる。
「『村への情を利用すること』……実に嫌な一文だ」
「アレン様の性格を狙っています」
マリナの声は静かだった。
しかし、そこには怒りがあった。
「彼は、自分より相手を優先しがちな方です。村へ被害が及ぶと言われれば、自分だけが協力すれば済むと考える可能性があります」
「だろうな」
ランベルトは命令書を机に戻した。
「勇者パーティーにいた頃の報告でも、そういう傾向は見えていた。必要以上に荷を背負い、誰かの不足を自分の作業で埋める。本人はそれを当然と思っておる」
「はい」
「だが、今回は断った」
「リーフェル村からの報告では、そうです」
マリナは別の羊皮紙を差し出した。
シルフィの記録の写しだ。
ランベルトはそこに書かれた一文を読み、少しだけ眉を上げた。
「『悪意の可視化』か」
「契約書に隠された意図が、文字として浮かび上がったとのことです」
「付与術で、か?」
「詳細は不明です。シルフィ様も、現象として記録した段階に留めています」
「……アレン殿は、自分の力を本当に理解しておらんのだな」
「おそらく」
ランベルトは椅子に深く座り直した。
「しかし、ありがたい。もし彼が今回も自分を差し出していたら、リーフェル村はドラン商会に食われていた」
「はい」
「では、動くか」
その声で、部屋の空気が変わった。
ランベルトはベルを鳴らした。
すぐに職員が入ってくる。
「ガリオン男爵家へ正式照会を出せ。ドラン商会へは営業停止勧告。商業裁定所にも写しを送る。偽薬については薬師組合へ成分鑑定を依頼。騎士団にも共有する」
「承知しました」
「それから、王都内の冒険者へ注意喚起だ。ドラン商会の保存薬を購入した者がいないか確認しろ。もし出回っていれば回収だ」
「すぐに」
職員が出ていく。
マリナは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ。よく早めに拾ったな」
「リーフェル村の件は、放置すれば広がると感じましたので」
「勘がいい」
ランベルトは苦笑した。
「いや、受付嬢の勘というのは時に剣より頼りになる。現場を見ているからな」
マリナは少しだけ目を伏せた。
「アレン様も、そうでした」
「うん?」
「誰にも評価されていなかった頃から、細かい変化を見ていました。装備、水場、食事、魔力の流れ。派手な戦果ではありませんが、現場を支えていた」
「そして、その現場力を周囲が見誤った」
「はい」
ランベルトは腕を組んだ。
「勇者カイル殿は、これをどう見るか」
「おそらく、リーフェル村が狙われているから王国が保護すべきだ、と考えるかと」
「つまり、またアレン殿を中心に据えてしまうわけか」
「残念ながら」
マリナは小さく息を吐いた。
「カイル様は、アレン様が必要だという点だけは理解されました。しかし、アレン様の意思を尊重するところまでは、まだ至っていません」
「困った勇者だ」
ランベルトはそう言ったが、声に嘲りはなかった。
むしろ、古い傷を見ているような響きがあった。
「強さと未熟さが同居している。若い英雄にはよくある。だが、今回は周囲が巻き込まれすぎておる」
「はい」
「ガリオン男爵家への照会には、アレン殿の名を必要以上に出さないようにする。村と商人の問題として扱う」
「助かります」
「彼の名が出れば出るほど、群がる者が増えるからな」
ランベルトは命令書を封筒に入れた。
「すでに遅いかもしれんが、できるだけ火の粉は抑える」
◇
ガリオン男爵家の屋敷にギルドの正式照会が届いたのは、その日の昼過ぎだった。
バルバロ・フォン・ガリオン男爵は、最初その文書を見ても深刻に受け止めていなかった。
「ギルドから?」
彼は昼食後の甘い菓子をつまみながら、執事から封筒を受け取った。
「また寄付でも求めてきたか。冒険者どもはすぐ金を欲しがる」
「いえ、正式照会でございます」
「正式照会?」
封を切る。
読み進める。
バルバロの顔色は、三行目あたりから変わり始めた。
偽薬。
悪質契約。
辺境村への不当圧力。
ドラン商会。
ガリオン男爵家の命令書。
「……何だこれは」
彼は文書を机に叩きつけた。
「馬鹿な。命令書など」
言いかけて、止まる。
覚えはあった。
ドランへ出した書面。
独占権を確保せよ。
村への情を利用すること。
ただし、あくまで商人への指示であり、直接の犯罪ではない。
そう言い逃れできると思っていた。
だが、ギルドから届いた写しには、彼の封蝋がはっきり写されていた。
さらに、リーフェル村から送られた証言書も同封されている。
村長。
付与相談役アレン。
補佐兼記録係シルフィ。
井戸守りぷる太。
最後の名前を見て、バルバロは思わず眉をひそめた。
「井戸守りぷる太とは何だ」
執事は困った顔で答えた。
「おそらく、村のスライムかと」
「スライムが証言者なのか?」
「証言者というより、偽薬の発見に関与したと記載があります」
「ふざけているのか、あの村は」
怒鳴ったものの、状況は笑えない。
ギルドは本気だ。
薬師組合へも鑑定依頼を出している。
商業裁定所にも写しが送られたと書いてある。
さらに悪いことに、王国騎士団にも共有予定と記されていた。
「ドランを呼べ!」
バルバロは叫んだ。
「今すぐだ!」
◇
ドランが屋敷へ呼び出された時、彼はすでに顔色が悪かった。
リーフェル村から逃げるように戻った後、彼は何とか言い訳を整えようとしていた。
だが、証拠品の一部を村に押さえられている。
契約書も、偽薬も、命令書も。
特に命令書はまずい。
彼一人のせいにしようとするには、ガリオン男爵家の封蝋がはっきり残っている。
「ドラン!」
バルバロは彼を見るなり怒鳴った。
「貴様、何をしてくれた!」
「男爵様、私はご命令通りに」
「黙れ! 誰が偽薬を売れと言った!」
「保存薬の件は、仕入れの都合で」
「家畜用防腐液を薄めたものを、王都製保存薬として売ろうとしたそうではないか!」
「それは、あのスライムが」
「スライムのせいにするな!」
バルバロは机を叩いた。
腹立たしい。
だが、それ以上に怖かった。
ギルドは冒険者の組織だが、王都での発言力は強い。特に薬や依頼契約に関わる不正には厳しい。
商業裁定所にまで話が行けば、男爵家の信用に傷がつく。
上位貴族からも距離を置かれる。
最悪、商業取引の一部停止や罰金もあり得る。
それだけは避けなければならない。
「いいか、ドラン」
バルバロは声を低くした。
「これは、お前が勝手にやったことだ」
ドランの顔が固まる。
「男爵様?」
「私は、辺境村との健全な取引を検討せよと言っただけだ。偽薬も、悪質契約も、お前の独断だ」
「お待ちください。契約書の雛形は男爵様も確認を」
「知らん」
「命令書が」
「文面を曲解したのだろう」
ドランは顔を引きつらせた。
「私一人に押しつけるおつもりですか」
「押しつける? 貴様が失敗したのだろう」
「私は、男爵様のために動いたのです」
「私のためなら、証拠を残すな!」
言った瞬間、執事がわずかに目を伏せた。
バルバロも、自分がまずいことを口走ったと気づいた。
だが、もう遅い。
ドランの目が細くなった。
「……なるほど。証拠を残したことが問題ですか」
「何だ、その言い方は」
「いえ。勉強になります」
ドランは深く頭を下げた。
その態度が、逆に不気味だった。
「私は、ギルドから呼び出されれば正直に話します。男爵様のご命令の範囲内で行動した、と」
「貴様!」
「私だけが裁かれるなら、男爵様の命令書の原本についても説明する必要がございますので」
バルバロは顔を赤くした。
仲間割れ。
いや、最初から仲間ではなかった。
金で結びついた者たちは、損が見えた瞬間に互いを盾にする。
それだけの話だ。
バルバロは歯ぎしりした。
「出ていけ」
「よろしいので?」
「出ていけと言った!」
ドランはもう一度頭を下げ、部屋を出た。
扉が閉まった後、バルバロは椅子へ倒れ込むように座った。
「くそ……辺境の小村ごときが」
その言葉には怒りよりも焦りが滲んでいた。
◇
その頃、王都の冒険者ギルドでは、すでに噂が広がり始めていた。
「聞いたか? ドラン商会が偽薬でやらかしたらしいぞ」
「リーフェル村でだろ?」
「あのアレンがいる村か」
「またその名前か。最近どこでも聞くな」
「でも今回は、スライムが偽薬を見抜いたって話だぞ」
「スライム?」
「井戸守りぷる太とかいうらしい」
「何だそのかわいい名前」
酒場の一角で冒険者たちが笑う。
だが、笑い話だけでは終わらない。
別の冒険者は、真面目な顔で言った。
「偽薬は笑えねぇよ。俺たちだって保存薬や傷薬は買うんだぞ」
「ドラン商会から買ったやつ、確認した方がいいな」
「ギルドが回収を始めるってさ」
「ガリオン男爵家も絡んでるらしい」
「貴族が辺境村を食い物にしようとしたってことか」
噂は、形を変えていく。
最初はリーフェル村の水や薬草の噂だった。
今度は、そこへ手を出した商人と貴族が返り討ちに遭った話になった。
そして、その中心には、またしてもアレンの名前があった。
「追放された付与術師、辺境で村を守ってるらしいぞ」
「勇者パーティーより、よほど頼りになるんじゃないか?」
「声が大きいぞ」
周囲が少し静まる。
なぜなら、酒場の入口にカイルが立っていたからだ。
彼は今の会話を聞いていた。
少なくとも、最後の部分は確実に。
冒険者たちは気まずそうに視線を逸らす。
カイルは何も言わず、受付へ向かった。
マリナが対応に出る。
「カイル様」
「今の話は何だ」
「ガリオン男爵家とドラン商会に関する件でしょうか」
「アレンの周囲で、また問題が起きたのか」
マリナは一瞬だけ沈黙した。
そして、慎重に答える。
「リーフェル村に悪質な商人が接触しました。村側は契約を拒否し、証拠品をギルドへ送っています」
「やはりな」
カイルの目が鋭くなる。
「アレンをあの村に置いておくから、こうなる」
「違います」
マリナの声が少し硬くなった。
「問題を起こしたのは、村へ不当な契約を迫った商人と、その背後の貴族家です」
「だが、アレンの力があるから狙われたのだろう」
「それは一因かもしれません」
「ならば、王国が保護すべきだ」
「保護という名で、本人の意思を無視することはできません」
同じ会話。
カイルは苛立った。
「またそれか」
「何度でも申し上げます」
マリナは静かに言った。
「アレン様は物ではありません」
「俺は物扱いしていない」
「では、まずアレン様が望む形を考えてください」
カイルは黙った。
望む形。
アレンが望むもの。
彼は一瞬、リーフェル村で見た光景を思い出した。
畑。
井戸。
スライム。
木札。
村人たち。
あの場所で、アレンは戻らないと言った。
勇者パーティーの名誉より、村で眠れることを選んだ。
理解できない。
いや、理解したくない。
「……俺は、王国のために動いている」
「その言葉は、大切に使ってください」
マリナの声は穏やかだったが、厳しかった。
「誰かの意思を押し潰す時ほど、人は大きな言葉を使いたがります」
カイルは返事をしなかった。
受付を離れ、ギルドの外へ出る。
背中に冒険者たちの視線が刺さる。
以前なら、尊敬。
今は、疑い。
そして、比較。
アレンと比較されている。
それが、カイルには耐えがたかった。
◇
一方、リーフェル村では、その日も村長の家で小さな会議が行われていた。
議題は、王都ギルドへの証拠品送付後の対応。
……のはずだったが、なぜか会議の始まりはぷる太の肩書き問題になっていた。
「ぷる太は、井戸守りだけでなく薬守りも兼任すべきだと思う!」
ミナが元気よく主張する。
「ぷる!」
ぷる太も賛成らしい。
村長は額を押さえた。
「役職を増やしすぎると、外から見た時に余計目立つ」
「でも、偽薬見つけたよ?」
「それは確かに大手柄だが」
「薬守りぷる太!」
「語呂はいいねぇ」
マルタさんが笑う。
シルフィは真面目に記録を取りながら言った。
「職務内容としては、井戸守りに含めるのが妥当かと。水質および液体物の異常検知です」
「シルフィ先生、むずかしい」
「つまり、ぷる太は井戸守りのまま、変な薬も見る係です」
「じゃあ、井戸守り兼変な薬見る係?」
「長いな」
俺が言うと、ぷる太が少ししょんぼりした。
「いや、ぷる太がすごいのは変わらないぞ」
「ぷる」
すぐ機嫌が戻る。
村長が咳払いした。
「話を戻す。ギルドへ証拠品は送った。マリナ殿なら適切に扱うだろう」
「はい」
シルフィが頷く。
「ただ、ガリオン男爵家が素直に非を認めるとは思えません」
「だろうな」
「ドラン商会に責任を押しつける可能性があります」
「押しつけ合いか」
マルタさんが呆れたように言った。
「悪いことをする時は一緒で、失敗したら互いのせい。王都も面倒だねぇ」
「どこでも人間は似たようなものだ」
門番老人が言う。
「いや、エルフも似たようなものか」
シルフィが少し苦笑した。
「否定できません」
俺は黙って聞きながら、ふと思った。
外の世界は、大きい。
王都の貴族、商人、騎士団、エルフ名家。
どれもリーフェル村よりずっと大きな名前を持っている。
でも、村は村で考えている。
守るために、話し合い、記録を取り、証拠を送り、ルールを作ろうとしている。
力だけではない。
こういうことも、村を守るということなのだろう。
「アレン」
村長が俺を見る。
「何か考えておる顔だ」
「村を守るのって、付与だけじゃないんだなと思って」
「当たり前だ」
村長は少し笑った。
「柵も、飯も、契約も、証拠も、近所づきあいも、全部守りだ」
「全部」
「そうだ。お前さんは付与相談役だが、付与だけしておればいいわけではない」
「大変な役ですね」
「今さらだな」
村人たちが笑った。
シルフィも小さく笑い、記録に何かを書き足す。
「何を書いた?」
「『師匠、村を守る意味を少し理解する』と」
「成長記録みたいだな」
「成長記録です」
「やっぱり」
ぷる太が机の上を覗き込もうとして、桶から身を乗り出した。
「ぷる太、こぼれる」
「ぷるっ」
慌てて戻る。
その様子に、会議室の空気が少し緩んだ。
外では畑の若者たちが水路を見ている。
井戸には旗が立っている。
保存庫には棚がある。
世界樹は幻視術の下で静かに葉を揺らしている。
問題は外から次々やってくる。
でも、村の中にはちゃんと日常がある。
それが、俺にはとても強いものに思えた。




