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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


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第17話 リーフェル村、朝から平和すぎる

 リーフェル村の朝は、やたらと健やかだった。


 健やか、という言葉がこれほど似合う朝も珍しい。


 空は澄み、畑には薄い朝露が降り、遠くの森から鳥の声が聞こえてくる。井戸端では水を汲む音がして、家々の煙突からは細い煙が上がっていた。


 そして俺の家の窓辺では、ぷる太が朝日を浴びて光っていた。


「ぷる太」


「ぷる?」


「光るなって昨日も言っただろ」


「ぷる……」


 ぷる太はしょんぼりしたように体の光を引っ込めた。


 いや、しょんぼりしているように見えるだけかもしれない。スライムの表情は分からない。だが最近のぷる太は、分からないはずなのに妙に感情が読める。


 窓辺から降りたぷる太は、床をぷるぷる進み、俺の足元に寄ってきた。


「怒ってないよ。ただ、外から人が来た時に目立つと困るからな」


「ぷる」


「分かってるなら偉い」


「ぷるる」


 褒めると少し光る。


「だから光るなって」


「ぷるっ」


 慌てて消える。


 このやり取りだけで、朝から妙に疲れる。


 竈では、昨夜のうちに仕込んでおいた豆粥が温まっていた。火加減は相変わらず安定している。薪は少ないのに、炎はちょうどいい高さで揺れている。


 俺は木匙で鍋を混ぜた。


「……本当に焦げないな」


 最初は便利だと思った。


 今も便利だ。


 ただ、便利すぎる。


 勇者パーティーにいた頃は、火加減を気にしながら別の作業をするのが当たり前だった。少し目を離せば焦げるし、湿った薪なら煙が増える。風向きが悪ければ、朝からカイルに「煙い」と文句を言われた。


 それが今は、竈の方が勝手にこちらの都合に合わせてくる。


 俺が近づくと少し火が強くなる。


 鍋が煮立ちそうになると、勝手に弱まる。


 まるで竈が料理を覚えたみたいだ。


「師匠」


 背後からシルフィの声がした。


 振り返ると、彼女はいつもの記録用の羊皮紙を持って立っていた。朝からすでに髪を整え、村でもらった前掛けをつけている。


「おはよう、シルフィ」


「おはようございます。今、竈がまた自己調整しました」


「見てたのか」


「はい。記録対象ですので」


「朝食前から?」


「朝食前だからこそです。生活の中で自然に発動する付与こそ、師匠の力の本質に近いと思います」


「俺としては、ただ粥を焦がしたくないだけなんだけど」


「その『焦がしたくない』で、半自律型調理補助付与が発生しています」


「名前が強すぎる」


「現象も強すぎます」


 シルフィはさらさらと記録を書いた。


 俺は鍋を見た。


 豆粥はちょうどよく煮えている。


 霊豆を少しだけ混ぜたので、ほんのり甘い香りがした。多く入れると体が元気になりすぎる可能性がある、とシルフィに止められている。


 元気になりすぎる食材というのも、冷静に考えると妙だ。


「朝食、食べるか?」


「はい。ですが、その前に一つ確認を」


「何?」


「昨日作った薬草棚ですが」


「ああ、あれ」


 俺は部屋の壁際を見た。


 昨日作った棚には、乾燥中の薬草が何束か吊るされている。下段は、なぜかぷる太の休憩所になった。


 今は空っぽだ。本人は足元にいる。


「棚がどうかしたか?」


「保管していた普通の薬草が、今朝、品質を上げていました」


「……上げていた?」


「はい。止血草が中位薬草に、腹痛用の苦葉が高位胃薬草に近い成分へ変化しています」


「棚に置いただけで?」


「棚に置いただけで、です」


「保存状態が良かったんだな」


 シルフィが無言で俺を見た。


 最近、この目をよく見る。


 師匠、今のは無理があります、という目だ。


「……俺の付与ですか」


「はい」


「ですよね」


「今、認めるのが早くなりました」


「成長したかな」


「成長です。記録します」


「それも記録するのか?」


「師匠の自己認識改善過程です」


 俺の生活は、棚どころか俺自身まで記録対象になっているらしい。


 朝食を木椀によそっていると、外から元気な声が聞こえた。


「アレンお兄ちゃーん!」


 ミナだ。


 声の勢いだけで誰か分かる。


 扉を開けると、ミナと子供たちが三人、家の前に並んでいた。全員、なぜか真剣な顔をしている。


「おはよう。どうした?」


「今日は魔法の練習の日!」


「ああ、シルフィの授業か」


「うん! でもその前に、ぷる太を迎えに来た!」


「ぷる太を?」


「井戸番の時間だから!」


 足元のぷる太が、ぴょんと跳ねた。


「ぷる!」


 本人はやる気らしい。


 いつから井戸番が正式な仕事になったのだろう。


 いや、村長が昨日それっぽいことを言っていた気もする。


「ぷる太、朝食は?」


「ぷる?」


「食べるのか食べないのか、未だに分からないんだよな」


 シルフィが横から答える。


「ぷる太は水と魔力で活動できます。ただ、師匠の料理に興味を持っています」


「食べたいのか」


「ぷる!」


「じゃあ、少しだけな」


 俺は豆粥を小皿にほんの少し取り、冷ましてからぷる太の前に置いた。


 ぷる太は小皿の上に乗った。


「食べ方、それで合ってるのか?」


 粥がゆっくり消えていく。


 どうやら吸収しているらしい。


 ミナたちは目を輝かせて見ていた。


「ぷる太、朝ごはん食べてる!」


「かわいい!」


「アレンお兄ちゃんのごはん、スライムにも人気!」


 ぷる太は満足そうに跳ねた。


 その瞬間、体がまた少し光る。


「ぷる太」


「ぷるっ」


 ぷる太は急いで光を消した。


 子供たちはくすくす笑っている。


 シルフィは記録している。


 平和だ。


 あまりにも平和だ。


 昨日、勇者パーティーと向き合ったばかりだというのに、この村の朝はちゃんと朝としてやって来る。


 それが妙にありがたかった。


     ◇


 井戸端では、ぷる太の井戸番が始まった。


 と言っても、ぷる太が井戸の縁に座っているだけである。


 時々、水面を覗き込み、ぷるぷる揺れる。


 すると井戸水がさらに澄む。


 村人たちはそれを自然に受け入れ始めていた。


「ぷる太、今日も頼むぞ」


「ぷる」


「お、返事した」


「この水で茶を淹れると本当にうまいんだよねぇ」


「でも外の人には、普通の井戸水って言うんだよ」


「分かってるよ。ちょっとおいしい井戸水だろ?」


「ちょっと、にしておこう」


 普通の井戸水。


 ちょっとおいしい井戸水。


 村全体でそういうことにしている。


 実際には、シルフィいわく高位浄化水らしい。体調を整え、食材の保存性を上げ、軽い毒素も中和する可能性があるとか。


 可能性がある、ではなく、もうしている気もする。


 マルタさんが井戸水で昨日の野菜を洗ったら、萎れかけていた葉が少し元気になった。


 村長はそれを見て、頭を抱えていた。


「師匠」


 シルフィが井戸のそばで小声で言った。


「今朝、保存庫の干し肉を調べました」


「干し肉?」


「はい。ぷる太が浄化した井戸水で軽く拭いた布に包んだところ、保存状態が改善していました」


「へえ、便利だな」


「さらに、硬かった肉が少し柔らかくなっています」


「それはいいな」


「保存食として価値が上がります」


「村の冬支度に使えるかもしれないな」


「そうなのです」


 シルフィは頷いた。


「師匠の周囲で起きることは、派手な奇跡だけではありません。こういう生活に直結する改善こそ、村には重要です」


「保存食が長持ちすれば、冬が楽になる」


「はい」


 シルフィは少し嬉しそうだった。


 世界樹やぷる太の時は驚愕していた彼女だが、こういう実用的な話になると落ち着いている。


「何か楽しそうだな」


「楽しいです」


 即答だった。


「私は、こういう魔法の使い方をあまり知りませんでした。エルフの名家では、古代魔法の威力や格式ばかりが重視されていました。でも、この村では違います」


「違う?」


「はい。水が澄めば誰かが助かる。保存食が長持ちすれば冬が越せる。子供が魔力を安全に扱えれば、将来の怪我が減る。とても具体的です」


 シルフィは井戸水を見つめた。


「私は、こういう力の使い方が好きです」


「俺も」


 自然に答えていた。


「戦場で誰かを強くするより、畑や井戸で役に立つ方が落ち着く」


「師匠らしいです」


「便利な感想だな」


「本心です」


 シルフィは微笑んだ。


 そこへミナが走ってきた。


「シルフィ先生! 魔法の練習まだ?」


 シルフィ先生。


 昨日から子供たちがそう呼び始めた。


 シルフィは最初、かなり戸惑っていたが、今朝は少し慣れたようだ。


「はい。では始めましょう。ただし、約束を覚えていますか」


 子供たちが声をそろえる。


「勝手に魔力を使わない!」


「変な感じがしたら大人に言う!」


「ぷる太を的にしない!」


「よろしいです」


 シルフィは満足そうに頷いた。


 ぷる太は三つ目の約束で、安心したように揺れた。


     ◇


 子供たちの魔力基礎授業は、世界樹の若木から少し離れた草地で行われることになった。


 シルフィが簡単な結界を張り、子供たちは円になって座る。


 俺は少し離れた場所で見学するつもりだった。


 つもりだったのだが。


「師匠は、そこに座ってください」


「俺も?」


「はい。師匠が近くにいると、子供たちの魔力が安定します」


「でも近くにいると強くなりすぎないか?」


「その調整も含めて授業です」


「俺、教材扱い?」


「補助教材です」


「新しい立場だな」


 村長が近くを通りかかり、真顔で言った。


「アレンは村の柱で、結界で、補助教材でもあるのか。忙しいな」


「村長さん、まとめないでください」


「事実だろう」


 事実かもしれないのが困る。


 俺はシルフィに指定された場所に腰を下ろした。


 ぷる太は俺の隣に置かれた木桶の中に入っている。本人は温泉に入っているような気分なのか、気持ちよさそうに揺れている。


 シルフィは子供たちに、小さな葉を一枚ずつ配った。


「今日は、この葉に自分の魔力を少しだけ流します」


「流すってどうやるの?」


 ミナが手を上げる。


「息を吐く時に、胸の奥から手のひらへ温かいものが移動するように想像します。ただし、無理に押し出してはいけません」


「力いっぱいはだめ?」


「だめです。魔力は力で押すものではありません。水をこぼさないように傾ける感覚です」


「むずかしい」


「難しいから、少しずつ練習します」


 シルフィの教え方は丁寧だった。


 言葉を選び、子供たちの反応を見ながら進める。名家で学んだ知識があるからだろう。俺にはできない説明だ。


 ミナが目を閉じ、葉を両手で包む。


「んー……」


「力みすぎです」


「んんー……」


「もっと力みすぎです」


「じゃあ、どうすればいいの?」


「まず肩の力を抜きます」


 ミナは深呼吸した。


 すると、葉の縁がほんの少し光った。


「あっ!」


 ミナが目を開ける。


 その瞬間、光が消えた。


「光った!」


「はい。できましたね」


「やった!」


 ミナが飛び跳ねる。


 他の子供たちも次々挑戦する。


 小さな葉が淡く光ったり、少しだけ緑を濃くしたり、逆に何も起きずに首を傾げたり。


 どれも小さな変化だ。


 でも、子供たちは目を輝かせている。


 俺はその光景を見ながら、胸が温かくなった。


 これも付与なのだろうか。


 いや、魔法教育だ。


 でも、その場にいるだけで何か役に立てているなら、それでいい。


「師匠」


 シルフィが近づいてきた。


「子供たちの魔力が、予想以上に安定しています」


「それはよかった」


「ただ、ミナの適性が少し高いです」


「ミナが?」


「はい。草木を元気にする方向に向いています。将来、畑の手伝いで役に立つかもしれません」


「それは喜びそうだな」


「ただし、まだ幼いので、絶対に無理はさせません」


「うん。それがいい」


 俺はミナを見る。


 彼女は自分の葉が一瞬光ったことを、他の子供たちに何度も説明していた。


「ミナ、すごいだろー!」


「もう一回やって!」


「ちょっと待って。えっと、肩の力を抜いて……んんー!」


「力入ってる!」


 子供たちが笑う。


 シルフィも、少し笑った。


「この村の子供たちは、よく笑いますね」


「いいことだ」


「はい」


 彼女の声が少し柔らかくなる。


「私も、子供の頃にこういう授業を受けたかったです」


 その言葉に、俺は何も言えなかった。


 シルフィはすぐに表情を戻す。


「だから、今は教える側として頑張ります」


「無理するなよ」


「師匠に言われると不思議な気持ちになります」


「何で?」


「師匠こそ、いつも無理をするので」


「最近は休む練習してる」


「はい。少し成果が出ています」


「採点されてる」


「弟子ですので」


 またそれだ。


 でも、嫌ではなかった。


     ◇


 昼前になると、俺は自分の家で棚作りの続きを始めた。


 昨日作った薬草棚とは別に、食材用の棚が必要になったのだ。


 マルタさんから、干し豆や乾燥野菜を少し分けてもらった。さらに、井戸水で拭いた布に包むと保存状態が良くなると分かり、村長が「試験用に棚を一つ作れ」と言った。


 試験用。


 響きは真面目だ。


 やっていることは、生活用品作りである。


「この板、少し歪んでますね」


 シルフィが横から見る。


「古い木材だからな。削れば使える」


「師匠が触ると、削る前に整いそうですが」


「まさか」


 俺が板に手を当てる。


 次の瞬間、板の反りが少し戻った。


「……戻ったな」


「戻りましたね」


「木材が素直なんだな」


「師匠の現実逃避も素直です」


「厳しい」


 俺は気を取り直して棚を組み立てた。


 釘を打つ。


 木枠を固定する。


 棚板を入れる。


 ただの棚だ。


 ただの棚のはずだ。


 完成した棚は、見た目は素朴だった。


 村の家に置いても浮かない程度の、簡単な木棚である。


 ただ、シルフィが触れた瞬間、眉を動かした。


「防虫、防湿、防腐」


「薬草棚と同じか」


「加えて、保存物の劣化抑制、温度安定、匂い漏れ軽減」


「匂い漏れ軽減は便利だな。干し肉を入れても虫が寄りにくそうだ」


「さらに、棚の周囲に微弱な浄化結界」


「棚なのに結界があるのか」


「あります」


 シルフィは記録を書きながら言った。


「この棚、王都の貴族なら金貨を積みます」


「そんなに?」


「はい。保存庫一つ分の価値があります」


「でも、見た目は普通の棚だぞ」


「そこが危険です」


 俺は棚を見た。


 普通の棚だ。


 少し木目が綺麗で、ほんのりいい香りがするくらいである。


 ぷる太が棚の下段に入り込んだ。


「ぷる太、またそこか」


「ぷる」


「食材棚だから、下段はぷる太用じゃないぞ」


「ぷる……」


 しょんぼりした。


 シルフィが少し考える。


「ぷる太用の休憩棚を別に作りますか?」


「作るか」


「師匠」


「何?」


「守護獣専用休憩棚ができます」


「言葉にするとすごいな」


「おそらく、聖域化します」


「じゃあやめよう」


 シルフィは真顔で頷いた。


「賢明です」


 自分の家に聖域化したスライム棚ができるのは、さすがに落ち着かない。


     ◇


 昼食のあと、村長が家に来た。


 試験用の保存棚を見るためだ。


 彼は棚の前に立ち、腕を組む。


「これが例の棚か」


「はい。見た目は普通です」


「見た目はな」


 村長は疑わしそうに棚を見た。


「シルフィ、これはどの程度のものだ」


「保存庫としては非常に高性能です。湿気、虫、腐敗を防ぎ、保存物の品質を保ちます。ただし、外部に知られると面倒です」


「また面倒か」


「はい」


 村長は深くため息をついた。


「最近、便利なものはだいたい面倒だな」


「すみません」


「謝るな。便利なのも事実だ」


 彼は棚に乾燥豆の袋を置いた。


 すると袋の周囲に、ほんのわずかな光が走った。


 村長は目を細める。


「光ったな」


「少し」


「少し、か」


 最近、村長も「少し」という言葉に敏感になっている。


 彼は棚を見ながら言った。


「この棚を、村の保存庫にも作れるか」


「作れると思います。ただ、たくさん作ると目立つかもしれません」


「目立たんように作れ」


「それが一番難しいですね」


 シルフィが言う。


「師匠が普通に作ると、高性能になります。意識して抑える必要があります」


「棚を低性能に作る練習か」


 村長が呟いた。


「変な話だな」


「本当に」


 俺も頷いた。


 でも、村にとって保存棚は重要だ。


 冬を越すためには、食料をいかに腐らせず保つかが大事になる。もし棚で少しでも保存状態が良くなるなら、村人たちの暮らしは楽になる。


「やってみます。ただし、一度にたくさんじゃなくて、まず保存庫の一角だけ」


「よし。それでいこう」


 村長は満足そうに頷いた。


「それと、午後は水路を見る」


「俺も行きます」


「お前は行くな」


「え?」


 即答だった。


「なぜですか」


「今日は午前に授業を見て、棚を作った。午後は休め」


「でも水路は」


「村の若い者が見る」


「俺も手伝えば早いです」


「早すぎるから駄目だ」


 村長は真顔だった。


「お前さんが行くと、水路が聖なる川になる可能性がある」


「さすがにそこまでは」


 シルフィが目を逸らした。


「シルフィ?」


「否定しきれません」


「そんなに?」


 村長は俺の肩を叩いた。


「アレン。村のために休め」


「村のために休む」


「そうだ。お前さんが何でもやると、村の者が自分で育たん」


 その言葉は、すっと胸に入ってきた。


 勇者パーティーでは、俺が何でも先回りしていた。


 それが助けになると思っていた。


 でも、もしかすると、誰かが自分で気づく機会を奪っていた部分もあったのかもしれない。


 もちろん、カイルたちの扱いが正しかったとは思わない。


 それでも、支えることと抱え込むことは違う。


 この村では、その違いを覚えなければいけない。


「……分かりました。午後は休みます」


 村長が満足そうに頷いた。


「よし」


 シルフィも少し微笑む。


「休む練習、順調ですね」


「練習項目が増えたな」


「はい。今日の記録に書きます」


「また記録か」


 もう慣れてきた自分がいる。


     ◇


 午後、俺は本当に休むことになった。


 とはいえ、何もしないのは落ち着かない。


 家の前に椅子を出し、薬草茶を飲みながら畑を見る。


 水路の方では、村の若者たちが作業していた。俺は手を出さない。ただ、遠くから見るだけ。


 最初は不安だった。


 水路の詰まりを見たら直したくなる。


 堆積した泥を見たら、付与で水の流れを整えたくなる。


 でも、若者たちはちゃんとやっていた。


 声をかけ合い、泥を掻き出し、石を組み直す。


 途中で失敗して水を浴び、皆で笑っている。


 その光景を見て、少し安心した。


「俺がやらなくても、できるんだな」


 小さく呟く。


 隣にいたシルフィが頷いた。


「はい。師匠が全てを背負う必要はありません」


「それ、何度も言われてる気がする」


「何度でも言います」


「ありがとう」


 シルフィは少しだけ照れたように目を伏せた。


 ぷる太は俺の足元で眠っている。


 ミナたちは授業の復習なのか、葉っぱを手に「んー」と唸っていた。力みすぎてシルフィに注意されている。


 平和だ。


 朝から平和すぎる。


 なのに、退屈ではない。


 むしろ、見ているだけで忙しい。


 村が少しずつ変わっていく。


 誰か一人の力ではなく、皆の手で。


 それが嬉しかった。


 その時、門番老人がこちらへ歩いてきた。


「アレン、休んでおるか」


「はい。見ての通り」


「椅子に座っておるだけで、畑の芽が伸びている気がするが」


「俺のせいですか?」


「たぶんな」


 門番老人は平然と言った。


「まあ、座っているだけならよかろう」


「座っているだけでも疑われるんですね」


「お前さんの場合はな」


 そう言って、老人は俺の隣に腰を下ろした。


 しばらく、二人で水路作業を眺める。


 老人がぽつりと言った。


「村が明るくなった」


「そうですね」


「お前さんが来る前も、悪い村ではなかった。だが、皆どこか諦めておった。畑は痩せる。若い者は出ていく。冬は厳しい。仕方ない、仕方ないとな」


「……」


「今は、明日の話をしておる。あの水路を直したらどこまで畑を広げられるか。保存棚ができたら冬に何を残せるか。子供たちが魔法を覚えたら、将来何ができるか」


 老人は少し笑った。


「年寄りには、それだけで十分まぶしい」


「俺だけの力じゃありません」


「分かっておる」


 門番老人は頷いた。


「だが、きっかけはお前さんだ。そこは受け取っておけ」


 受け取る。


 最近、よくそう言われる。


 礼も、感謝も、居場所も。


 俺は受け取るのが下手だったのかもしれない。


「……はい」


 俺は素直に頷いた。


 門番老人は満足そうに笑った。


「よし。では膝を」


「結局それですか」


「ついでだ」


「休む練習中なんですが」


「軽くでいい」


 シルフィがすかさず言った。


「師匠、今日は治療行為は禁止です」


「シルフィ先生は厳しいな」


 門番老人が笑う。


「では明日だ」


「明日も予定が」


「明後日でもいい」


「膝への執念がすごいですね」


「年寄りだからな」


 最近、この村の年寄りは何でも「年寄りだから」で押し通そうとする。


     ◇


 夕方、水路の作業が終わった。


 俺が手を出さなくても、水はちゃんと流れた。


 村の若者たちが泥だらけになりながら、嬉しそうに声を上げる。


「流れたぞ!」


「見ろ、畑の奥まで行く!」


「やったな!」


 拍手が起きる。


 俺も椅子から立ち上がり、手を叩いた。


 シルフィも隣で拍手する。


 ぷる太も跳ねた。


「ぷる!」


 ミナが笑う。


「ぷる太も拍手してる!」


「それは拍手なのか?」


「たぶん!」


 水路の水は、夕日を受けて光っていた。


 ただ、その光が少し強い。


 シルフィがじっと見つめる。


「師匠」


「何?」


「水路全体に、微弱な浄化と成長促進が入っています」


「俺、触ってないぞ」


「見ていました」


「見てただけで?」


「はい」


 俺は沈黙した。


 シルフィも沈黙した。


 村長が水路のそばからこちらを見た。


「アレン」


「はい」


「座って見ていただけだな?」


「はい」


「それで水路が強化されたのか?」


「……たぶん」


 村長は空を見上げた。


「もう、そういうものとして扱うしかないな」


「すみません」


「謝るな。今日は座っていただけだから、お前さんの勝ちだ」


「勝ち?」


「休む練習としては合格だ」


 シルフィが頷いた。


「はい。多少の無自覚付与はありましたが、作業には参加していません」


「多少の無自覚付与って何だろう」


 俺の疑問は、村人たちの笑いに紛れた。


 リーフェル村は、今日も平和だった。


 平和すぎるほどに。


 そして、その平和の中で、村は確実に強くなっていた。


 井戸水は澄み、保存食は質を増し、子供たちは魔力を学び、棚は保存庫になり、水路は浄化され、畑は明日を待っている。


 俺はその真ん中で、ようやく思い始めていた。


 この村を、守りたい。


 誰かに命じられたからではなく。


 勇者パーティーの役目だからでもなく。


 ただ、自分がここにいたいから。


 夕食の匂いが村に広がる。


 ぷる太が足元で跳ねる。


 シルフィが記録を書きながら、小さく笑う。


「師匠」


「何?」


「今日も、よい一日でしたね」


「うん」


 俺は素直に頷いた。


「平和すぎるくらいだったな」


「明日もそうだとよいですね」


「本当に」


 その願いが、少しだけ難しいものだとは、まだ知らなかった。


 王都で俺の噂が広がり、エルフ領でシルフィの名が再び囁かれ、欲深い者たちがリーフェル村へ目を向け始めていることを。


 この時の俺たちは、まだ知らない。


 ただ、夕方のスープの匂いに誘われて、村の広場へ向かった。

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