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26日の月  作者: 川島利宇
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奈緒 17

 舞台に立って観客に事情を説明すると、会場は一時騒然となった。


 しかし、私がただ謝ること以外どうすることもできずに茫然としていると、来生さんが突然ステージに上がり、観客をなだめにかかった。


 そして、彼が、自分をピアニストの来生晃だと言うと、観客たちの中には違う種類のどよめきが起こった。


 私には聞き覚えのない名前でも、彼らにとっては、それほどの価値を持った名前だったのだろう。


 その後、彼は、結城さんが弾くはずだったベートーベンの「テンペスト」を弾くと言い、観客はそれを受け入れた。


 彼はピアノへ向かって歩いた。


 そして椅子に座った。


 あまりの静寂さに、私は、自分の耳が聞こえなくなってしまったのではないかと思った。


 彼は自分の手をじっと見たあと、神に祈るように目をつぶって天を仰ぎ、鍵盤に指を乗せた。


 音はピアノから出ているのに、私には彼の身体から出ているようにしか思えなかった。


 そして、そこからほとばしるメロディーは、最初は優しく、そしてだんだんと大きなうねりとなって私の心をゆさぶり、私は、抑えようとしても抑えきれない、全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。


 そして、演奏が終わった時、再び静寂が訪れた。


 彼の演奏は魂そのものだった。


 自分の生き方は神に許されるのか。


 自分の魂はこの世に存在すべきものなのか。


 私はその数分の間に二十五年を生きた気がした。


 彼の演奏に、観客たちも、意識をどこかへ見失ってしまったように見えた。


 しかし、彼が静かに観客に頭を下げると、会場は拍手と喝采の渦に飲み込まれた。


 彼は、咲ちゃんと、涙でボロボロの私を見てにこっと微笑んだ。


 そして、聞こえなかったけれど、「ありがとう」とひとこと言うと、少しふらふらした足取りで舞台の袖に消えた。


 私はすぐに彼を探した。


 彼に対する感謝と感動を少しでも早く伝えたかった。


 しかし、ロビーにいたのは咲ちゃんだけだった。


 彼女も彼を探していた。


 彼女は私に一通の手紙を手渡した。


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