弱くなった人類と最強の男
俺と男の距離は大人五人分といったところ。俺であればこの距離を一瞬で詰めることができるが、そんな事をしてしまっては面白みに欠ける。
ハンデを付けてやらねば男が勝てる可能性が一ミリも残らないでいてしまう。どのようなハンデが好ましいか。
「ねぇ、何かハンデを付けてあげたいんだけど何が良い?」
ここは素直に聞いてみることにした。自分で決めても相手が希望の見えないほどの実力差を感じてしまう可能性の方が大きいからだ。
狐人族を倒せるという指標だけで、魔力容量は比較的大きめだがそれ以外に特出しているものはない。
「テメェ……!舐めてんのか?」
「まさかまさか。正常な判断さ、俺と君の実力差を考えてのね」
「殺す……!」
俺の言動が気に食わなかったのか、男は直線的に距離を詰めてきて拳を振り上げる。
しまったな、まだハンデをどうするか決めてないというのに。
呆れながらも相手の拳を受け止めると、驚いた様子で男は距離を取る。
「俺様の一撃を止めるか……どうやら相当やるみてぇだな」
「なんでも良いから、とっととかかってきなよ。言っとくけど、さっきの攻撃が君の出せるそこそこの威力なんだとしたら……流石に笑っちゃうよ」
「おらっ!」
拳を横に振り、次々と攻撃を繰り出してくる男だったが、俺は全てを察知して避けていく。まるで未来が見えているようだったが、これはただ攻撃の速度が遅いだけである。
魔法や剣術は極めたが、そういえば肉弾戦で最強に至ったことはなかった。拳闘士として成り上がる人生も良かったのではないかと思ってしまったが、今生は世界平和を目指すと決めているのでそれを果たすことはないだろう。
「ちっ!なんで当たらねぇ……!俺様の祝福は【高速移動】だぞ……テメェみてえな餓鬼に避けられるはずがねえ!」
「高速移動、ねぇ。アテナも随分持ち上げるものだ。それとも、今の世の中ではその動きが高速だって言えてしまうのかな?」
少なくともこの男よりも剣聖の方が動きは速かったし、狐人族がやられるとも思えない。まだ何か隠していると見た方が良さそうだ。
「チッ……テメェなんかにゃ使いたくなかったが、一瞬で終わらせてやる」
懐をまさぐった男は深紅に染まった錠剤を口に含んだ。
瞬間、魔力が集まり目に見える程の闇が形成される。男の保有している魔力は一気に数倍にも膨れ上がりアイリスがガタガタと震えている。
きっと襲ってきたときの男の姿はこうであったのだろう。薬で強化しなければ狐人族に勝てるとも思えない。
(しかし狐人族にも勝てる程力を増す薬か……)
一体誰が作ったのか。どのように制作したのか興味が湧いてくるが、このままではアイリスの精神面が心配になってくるので早めに終わらせた方が良いのだろう。
「この状態の俺を止められると思うなよ……。恨むなら、ここに連れてきたその女狐を恨むんだな!」
先ほどより数倍早くなった拳は俺の顔面をとらえ、見事に俺の身体は吹っ飛んだ。
「アレクさん⁉」
「ははっ!どうだ!身体能力がはるかに向上し、風魔法で更に早くなった俺様の拳は!」
遠くで、男の高笑いが聞こえてくる。まるでこちらが弱く自分が強者であると確信しているようだ。
ならば教えてやらねばならない。真の強者とは果たしてどういった存在なのかを。
「なっ⁉テメェ……なんで無傷なんだ⁉」
俺と男を遮っていた煙が晴れ、俺の事を視界に入れた男は驚愕の声を発す。俺の顔どころか、衣服にだってダメージは入っていない。
「さて。風魔法を用いてもその速度……今の時代はここまで弱くなっていたとは」
セリアと戦ったせいで基準がセリアになってしまっていたが、彼女は現剣聖だ。誰も彼女に勝てず剣の道を極めていると判断されたからこそあの称号が与えられたのだろう。
そんな彼女でも、俺は身体能力強化の魔法を使わずともいい勝負ができた。それならば俺がこの男に負ける道理はないのだ。
唯一、魔力だけはセリアに勝っていると言っていいが……。
「クソっ!なんでだ……なんで攻撃が当たらねえ⁉」
「だからハンデをあげると言っていたのに……君がそれを無下にするから。よ、っと」
「グッ……!」
男の腹に蹴りを入れて同じように吹っ飛ばしてやる。だが彼は俺とは違って無傷という訳にはいかなかったようだ。腹を押さえて苦しそうにしている。
「もう許さねえ……!俺がどうなってでも、テメェを潰してやる……!」
血管をピキピキと鳴らしている男は再度懐をまさぐって深紅の錠剤を二粒口に放り込んだ。
「ガァァァァ……!」
魔力の奔流が視界を埋め尽くし、あの男に収束していく。最早男に理性などなく、ただ俺の事を殺すための存在と化しているように見える。
どうやら、あの男から色々聞き出すのは無理なようだ。アイリスが自分が特別な理由を知っているなら話は別だが……知らなくても無理はない。
「しね、死ねぇぇぇぇぇぇ!」
魔力が全て風に変換され、風の槍が俺を貫かんと迫ってくる。だが、俺に魔法で挑もうとした時点でこいつの敗北は決まっているのだ。
「……鎌鼬」
無数の風の刃が風の槍そのものを切り裂き、周囲に霧散していく。ただの風の槍など、俺の前では等しくゴミだ。
少し大人げなかったかと思えば、男は薬の副作用なのか限界まで魔力を使ったからなのか、地に伏してしまっていた。
「弱くなったもんだな……人間も」
薬で強化しなければこの威力を出せないとなると、竜を討伐するのも一苦労だろう。実際Sランク冒険者に上がる条件の討伐数の桁が変わっていたし弱くなっているのは知っていたが。
こうなってくると、実力を偽るのも大変なのだと嫌でも理解できてしまった。今の俺は、あまりにこの世界を逸脱しているのだと。
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