それはとてつもない苦痛
暑い時、暑いと言う。
寒い時、寒いと言う。
痛い時、痛いと言う。
人間ならば口に出して言うことが出来る。
これらを出来る限り回避する事が出来る。
痛みを知ることで初めて他人の痛みを知ることが出来る。
人間同士ならできるかもしれない。
しかし、会話の出来ない人間以外の種族、鳥類、哺乳類、爬虫類・・・
彼らは人間に伝えることの出来る言葉を発しない。
言葉を発しない、つまり意志を伝えることが出来ないのだ。
暑い時も寒い時も、痛い時も何も発せずに。
痛みは人間に近い哺乳類にはあるという。
証明されていないだけで、どのような生物にも痛みは存在するはずだ。
実際、屠殺現場では生き物に苦痛を与えず殺して肉にする。
死ぬときは誰でも安らかに逝くべきである。
近年、甲殻類に痛覚があることが判明したようで、カニを茹でる時にはカニ自身が痛みを受けている様だ。
人間にとって食べ物であるカニに痛みがあった所で、それを考慮して調理するはずがない。
魚にも痛みはあるはずだが、今後も変わる事なく活け造りなど、生きた状態でさばかれ続いていくのである。
一々考えて居たのでは心が持たない、しかし何もかもが痛みを感じていることを知るべきである。
虫の命は小さいものだが、それでも命がある事には変わりない。
生まれる姿が違っているだけでどうしてその命を無関心に奪うことが出来るのだろうか。
夏がくると蚊が飛び、人を刺す。
その蚊を命あるものとして認識している人は少ないだろう。
私だって腕に蚊が止まったらパチリと躊躇なく潰すし、部屋の中で飛んでいたら殺虫剤を撒くだろう。
極端な話、死ぬときは出来る限り苦痛の少ない方法をとるならば叩き潰せばいい。
殺虫剤で悶えその果てに死ぬ、きっと苦しいに違いない。
だからといってそのまま生かしておくなんて考えもしないだろう。
いなくなってほしい、刺されたら痒いから、いなくなって欲しい、殺虫剤があるじゃないか。
思い切ってやるだけ、誰も小さな虫の命なんて考えもしない。
子供の頃は残酷と言われている。
確かに私の記憶の中にも残酷だと言われるものがあるだろう。
花火をしている時、しゃがみこんで見つけたダンゴムシを焼いた。
小さな火花でさえ熱いのに、生きながら焼かれるのは想像できない苦痛だ。
どうしてそんなに残酷になれるのか、今の私には理解できない行動だが、それでいて今でも花火をやり、見つけてしまうと同じ行動をしてしまうかもしれない。
人は無意識で命を奪うことの出来る生き物なのだ、不快に感じなくとも目に留まっただけでも。
家の中ならまだしも、外で足元に虫が飛んできたら踏み潰すのだろうか。




