太る薬(3)
京香は、薬屋で薬を買うと、足早に帰路についた。
母親の晩ご飯の支度を手伝い、準備ができると、晩ご飯の直前に太ると言われた薬を二粒飲んだ。
母親が心配そうに、京香に尋ねた。
「京香。どこか調子悪いの?」
母親の言葉に、京香は首を左右に振った。
「違うの。これは、太るための薬なの。少しでも体重を増やしたくて」
母親は、心配そうに「そう」とだけ答えた。
京香はというと、薬を飲んですぐにいつもと違う感覚を覚えた。
いつもと違い、体がぽかぽかするのだ。そして、母親の作った料理から、とてもいい匂いがしていることに気がついた。
匂いについては、今までそんなに意識していなかった。
「今日の晩ご飯は、いつも以上にいい匂いがするね」
京香の言葉に、母親は答えた。
「そう? いつも通りよ」
母親の言葉に不思議な感覚を覚えながら、京香は麻婆豆腐に手をつけた。
京香は、一口食べて、さらにいつもと異なることに気付いた。食欲がどんどん湧いてくるのだ。
今まで京香は、「食べ物を食べたい」という感覚が、ほとんどなかった。どちらかというと、食べないといけないという義務感と、苦痛を感じていた。
気付くと、京香は麻婆豆腐とご飯を平らげていた。しかし、その日の京香はいつもと違っていた。まだ食欲があるのだ。
「お母さん。麻婆豆腐、おかわりしていい?」
京香の言葉に、一瞬キョトンとした母親だったが、満面の笑みを浮かべた。
「もちろん! たくさん食べてくれると、嬉しいわ。すぐに入れるわね」
そう言って、京香の器に麻婆豆腐とご飯のおかわりを入れた。
京香は、麻婆豆腐を一口食べた。吐き気がない。また一口食べた。食道に温かいものが流れ込む感覚がする。
一口、また一口と麻婆豆腐とご飯を食べる京香。いつの間にか、頬には温かい雫が流れていた。
「お母さん。ご飯がおいしい。こんなにご飯っておいしいんだね」
京香の言葉に、母親も涙を流した。
「そうよ。ご飯はおいしいのよ」
その日、京香は麻婆豆腐を三杯食べた。薬の効果は絶大だった。
京香は、たくさんご飯を食べられた幸せに浸りつつ、温かい布団に潜り込んだ。
夜が穏やかに過ぎていく。
ご飯というぬくもりに満ちた体は、布団との相互作用で、ぽかぽかとしていた。
京香にとって、初めて体に温度を感じた夜だった。
ほんのり涼しい夜が、京香を優しく包む。
初夏の空気は、京香を優しくあたたかい夢へと導いていった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
さて、京香が初めて薬を飲んだ夜のお話でした。
味や匂いを感じられるって、料理に大事なことなんじゃないかなと思ったりします。
その手のプロではないので、あくまで「なんとなくそう思う」程度ですが。
京香の場合は、食べなきゃいけないという義務感から、苦痛に繋がっていたわけです。
それが、楽しい・幸せに変わった時、人はご飯を心から楽しめるんじゃないかなと思ったりします。
食に幸せを感じられるようになった彼女の今後はどうなるのでしょう?
ぜひ、続きもお楽しみいただけますと幸いです。




