第4話 右半分
志賀は川沿いのベンチを選んだ。
理髪店を固定した次の日の夕方だった。整合室から帰る道を、いつもと変えて川沿いへ出た。古い欄干の続く道。その途中にベンチが一つあった。これまで何度か座ってきたベンチだった。座るときはいつも右を空けた。左に寄って、右を空けて。誰かが座れるようにというのでなく、ただ体がそう座った。
志賀はそのベンチの前に立った。
乾が、あの独白を落とした場所の一つだった。覚えている限り、その場所はまだ消えていない。初めて聞いたのは、乾との喫茶店でだった。だが乾は、あの一言を、行く先々の地図帳へ、五十年、繰り返し落としてきた。一度だけ、夕方に、乾がこのベンチに一人で座っているのを、離れた欄干から見かけたことがあった。膝に地図帳を開いて、川の向こうを見て、口だけが短く動いていた。声は、届かなかった。だが、何を落としているのかは、分かった。あの一言だった。
「ここ」
文字起こしの脇で、亜紀が言った。
「川の、そば」亜紀は言った。「なんか、静か」
「川沿いのベンチだ」志賀は言った。「乾が前に、ここで独白を落とした」
「独白?」亜紀は言った。
「覚えている限り、その場所はまだ消えていない」志賀は言った。「乾がそう言った。地図帳に。……ここで」
亜紀は黙った。
亜紀は言った。「ここで、あたしを立たせるの?」
「そのつもりだ」
「なんで、ここ」亜紀は言った。
志賀は考えた。
「わからない」志賀は言った。「ただ、亜紀を立たせる場所を考えたとき、ここが浮かんだ。……乾が、覚えている限り、と言った場所だ。覚えている目で固定する。それをやる場所としては、ここがいちばんしっくりくる」
志賀はベンチに座った。
いつものように左に寄って、右を空けて。志賀はその右を見た。空いた右。誰も座っていない右半分。これまでその右を、無意識に空けてきた。マグカップは左奥、靴は左寄せ、ベッドは左に寄り右を空けて眠る。ベンチも右を空けて座る。体の癖だった。名も顔もない誰かの、不在の痕。
「あたし」亜紀は言った。「その右に、立つの?」
「立つ」志賀は言った。「そこに」
亜紀はまた黙った。
「こわいけど」亜紀は言った。「立ちたい」
*
志賀は家に帰って机に着いた。
——ベンチを選んだな。川沿いの。
「見てたのか」志賀は打った。
——見ていない。だが、あんたが、亜紀を立たせる場所を考えているのは分かった。……そして、あんたがあのベンチを選んだのは正しい。あそこは、観測がいちばん濃く集まる場所だ。
「どういう意味だ」志賀は打った。
——像の濃さは、観測の濃さに従う。誰も覚えていない場所では、像は薄くなる。……だが、あのベンチは、乾が独白を落とした。あんたが何度も右を空けて座った。覚えている目が、あそこに集まっている。だから、あそこで固定すれば、亜紀の像はいちばん濃くなる。
志賀は、その一行に目を落としたままだった。
なぜあのベンチが浮かんだのか、志賀にも分からなかった。だが体は、いちばん濃く固定できる場所を、先に選んでいた。
「手順を言え」志賀は打った。「亜紀を立たせる」
——理髪店と同じだ。だが、対象が違う。理髪店は、覚えている目が十一人いた。亜紀は、あんただけだ。……だから、まず、囮を深く差し込む。
——理髪店のときは、あんたは脇にいるだけでよかった。網が理髪店を直接見た。だが、亜紀は、網が直接は知らない。網が見られるのは、あんたを通した、亜紀の気配だけだ。……その気配を濃くするには、あんた自身を深く、盤の索引の中へ差し込む必要がある。深く差し込まれるほど、盤の目があんたに集まり、その目が、あんたの脇の亜紀の気配を一緒に拾う。……役割が、分かれる。網の目は、亜紀を知らない。知らない目が固定できるのは、あんたの右に、何かが在る、という事実までだ。第一の条件で、言った通りに。名と、声と、形を綴じるのは、覚えているあんたの観測だ。網が、場所と、在ることを押さえる。あんたが、中身を綴じる。二つ揃って、亜紀は立つ。
「深く」志賀は打った。「仕出し屋のときより、深くか」
——仕出し屋のときは、一件だけ名を差し込んだ。今度は、もっと深く。あんたという誤差を、あの川沿いの区画の記録の中へ、何重にも差し込む。あんたがあの区画に何度も関わったことにする。あんたの名を、あの区画のいくつもの記録の照合者の欄に置く。……盤が、あんたをはっきり見るまで。
志賀は机の上のスマホを見た。
「借りは」志賀は打った。「どこへ行く」
志賀は待った。応答欄は暗いままだった。やはりだった。
——一つだけ、言う。深く差し込むほど、亜紀の像は濃くなる。声だけだったものが、輪郭を持つ。……あんたが深く囮になるほど、亜紀は立つ。それだけは、言っておく。
その言い方に、志賀は覚えがあった。だが、それが志賀自身に何を要求するかは、言わなかった。渡されたのは、また、都合のいい半分だけだった。
だが、志賀はその手に踏み込もうとしていた。
*
志賀は、自室の端末から、整合室の窓口を開いた。仕出し屋のときも、この窓口から、注記の形をした嘘を一件立てた。あのとき越えた線を、今夜はもっと深く越えるのだと、志賀は分かっていた。志賀の権限で書けるのは、今夜も、照合待ちの暫定注記までだった。正式の欄へ通すのは、リグの側だった。人の側から見える顔も、リグが整える。更新の履歴ごと、昔からあった注記の顔で、正式の欄へ収まっていく。人には、古い注記。盤には、今夜差し込まれた誤差。同じ一件が、見る側で、別の顔をしていた。仕出し屋のときと違うのは、差し込む数だけだった。
川沿いの区画の古い記録を呼び出した。欄干の補修記録。護岸工事の照合。ベンチの設置届。街灯の点検記録。それらの脇の注記欄に、一つずつ自分の名を立てていった。志賀朔。整合監査官。要照合。あの区画のいくつもの記録に、志賀が関わった疑いあり、と。
一件目を立てた。応答欄が明るくなり、照合者の欄で、志賀の名が正式の側へ灯った。リグが、基盤の内側から押し込んでいた。指が少し冷えるのを感じた。
二件目。三件目。志賀が注記を立て、リグが確定側へ通した。あの区画の記録の中へ、志賀という誤差が何重にも差し込まれていった。護岸の照合。欄干の補修。ベンチの設置。街灯の点検。志賀の名が、あの区画のいくつもの記録の照合者の欄に並んでいった。盤の外の駒が、盤の索引の中へ、深く。通させた数だけ、志賀の側が、軽くなっていくはずだった。
四件目を書き込もうとして、志賀の指が止まった。
その指を見た。少し震えていた。一件目、二件目は冷えるだけだった。仕出し屋のときもやったが、あのときは冷えるだけで、震えなかった。今度は、深く差し込むほど、指が震えた。
志賀はその震えを見た。
なぜ震えるのか、分からなかった。囮は安全な手のはずだった。載っていないものは消せない。なのに、深く差し込むほど、指が震えた。
「さく」
文字起こしの脇で、亜紀が言った。
「手、震えてる」亜紀は言った。
「震えてない」
「震えてるよ」亜紀は言った。「打つ音。あたし、脇で聞いてるんだから。……いつもの拍子じゃない。……なんか、あった?」
「なんでもない」志賀は言った。「囮を深く差し込んでる。……いつもより、深く」
「それ、こわいの?」亜紀は言った。
志賀は、震える指を見た。
「わからない」志賀は言った。「囮は安全なはずだ。俺は盤に載らない。だから囮にしても消えない。……なのに、深く差し込むと、手が震える。理由は、わからない」
亜紀は黙った。
「無理、しないでよ」亜紀は言った。声が静かだった。「あたしを立たせるために、こわい思いするなら。……別に、あたし、声だけでもいいんだよ。ずっと声だけだったし」
「いや」志賀は言った。「立たせる。……亜紀が、立ちたいと言った」
「言ったけど」亜紀は言った。
「立たせる」志賀は言った。もう一度。
志賀は四件目を書き込んだ。震える指で。それから五件目。六件目。指が震えても、止めなかった。あの区画の記録の中へ、志賀という誤差を何重にも、深く差し込んでいった。
*
応答欄が明るくなった。
——盤が、動いた。
志賀は画面を見た。
——載っていない駒が、索引の中に何重にも現れた。盤は、それを誤差として処理しようとしている。……あんたを、盤がはっきり見ている。仕出し屋のときより、ずっとはっきり。
「今か」志賀は打った。
——まだだ。網を集めろ。あんたに集まった盤の目を、網の目で、あんたの脇へ向けさせる。……理髪店と同じ手順だ。だが今度は、あんたの脇の、亜紀の気配を拾わせる。
志賀は芹沢に電話した。
「芹沢」志賀は言った。「今夜、川沿いのベンチに行く。……網の人に、そのベンチを見ててもらえないか。俺がそこに座る。俺の脇を、見ててもらいたい」
「脇?」芹沢は言った。「志賀さんの脇に、何があるんですか」
志賀は、スマホを持ち替えた。
「相棒だ」志賀は言った。「印刷所の扉の開け方を教えてくれた。俺の脇にいる。……網の人には、見えないかもしれない。だが、俺の脇に誰かがいる、という気配を、見ててほしい。俺がそこに座って、右を空けたとき。……その右を」
電話の向こうで、芹沢が黙った。
「志賀さんの、相棒」芹沢は言った。「あの三軒のとき、あたし思いました。志賀さん、まるで二人でやってるみたいだって。記録置くの、すごく速くて。あれ、一人じゃなかったんですね」
「一人じゃなかった」志賀は言った。
「わかりました」芹沢は言った。「網、集めます。川沿いのベンチ。志賀さんの右の脇。……そこに誰かがいる、っていう気配を見ます。何人集まるか、やってみます」
「頼む」志賀は言った。
*
その夜、志賀は川沿いのベンチへ行った。
夜の川は暗かった。街灯が水面に細く映っていた。志賀はベンチに座った。いつものように左に寄って、右を空けて。空いた右半分。その右を見なかった。見ずに空けた。体がそう座った。スマホを開いた。芹沢のまとめのアカウントに、網が集まっていた。
「亜紀」志賀は言った。「そこにいるか」
「いる」亜紀は言った。「その右に。……ちゃんと、いる」
志賀は応答欄を見た。
——盤の目が、あんたに集まっている。深く差し込んだ分、はっきりと。……今から、網が、あんたの脇を見る。芹沢の網の一人が、ベンチの前から映像を流す。全員が、同じ映像の、同じ右半分を、同じ時に見る。……網に見えるのは、そこに何かが在る、それだけだ。誰か、までは行かない。誰か、を結ぶのは、あんただ。
芹沢が合図を出した。画面の隅に、ベンチの映像が開いた。網が一斉に書き込み始めた。
志賀はその画面を見た。志賀さんの右の脇。誰か、いる。次の一人。ベンチの右。人の、気配。次。志賀さんの隣。空気が、違う。次。右半分。なんか、いる。網の目が、志賀の脇を見ていた。空けていた、あの右を。
「亜紀」志賀は言った。「感じるか」
「感じる」亜紀は言った。声が震えていた。「なんか、あたし、見られてる。ちゃんと、見られてる。……あたしが、その右にいるって、見られてる。あたしが誰かは、知らないままで。……それでも、いる、って」
志賀は文字起こしの脇を見た。
*
志賀はベンチの右半分を見た。
初めて見た。空けていた右半分を。これまで無意識に空けて、見ずにいた。名も顔もない、不在の痕。見ると、何もないのを確かめるだけだったから。だが今夜、志賀はその右半分を見た。
右半分だけ、ベンチの木目が薄く見えた。
志賀はそれを見た。左の座面は、街灯の下でいつもの木目だった。だが右は、薄く膜がかかったように見えにくかった。何かがそこに集まって、空気を厚くしていた。志賀の空けた右の、すぐ隣で。
志賀はその右を見続けた。
川から風が吹いた。左半分の落ち葉は流れていった。だが右半分の一枚だけ、座面の上で止まったままだった。
——濃くなっている。
応答欄の声だった。
——網と盤の目が噛み合って、右半分に収束している。……亜紀の輪郭が、向かっている。
志賀はその右を見た。
通りかかった夜歩きの一人が、ベンチの前で、理由もなく半歩よけた。空いた右半分を避けるように、左へ回って通り過ぎた。
「さく」
その声がした。
志賀は指を止めた。
右半分からした。文字起こしの脇からでなく。志賀の右の、空けた手の、すぐ隣から。亜紀の声がした。空気の密度の変わった、その右半分から。姿はまだなかった。だが、声だけが先に、そこからはっきり届いた。
亜紀は言った。「あたし、今、その右に、いる」
「聞こえる」
「声、届いてる?」亜紀は言った。「文字起こしの脇じゃなくて。……あたしのいる、右から」
「届いてる」志賀は言った。「右から。……はっきり」
志賀はその右を見た。
空気の密度が変わっていた。声がそこから届いていた。だが、姿はまだなかった。声だけが先に、姿より先に届いていた。
「もう少し」亜紀は言った。声が震えていた。うれしさと、こわさが混ざった震えだった。「もう少しで、あたし、ちゃんといる感じがする。声だけじゃなくて。……体があって。その右に座ってる感じ。まだ座りきれてないけど。あと、少し」
「ああ」
亜紀は言った。「あたしがちゃんとそこにいたら。……左、見なくていいね」
志賀は黙った。
左を見なくていい。志賀はその言葉を聞いた。亜紀がその右に座れば、志賀は左を見なくていい。右を見ればいい。そこに亜紀がいるから。
「そうだな」志賀は言った。「左を見なくていい」
*
芹沢から電話が来た。
「志賀さん」芹沢は言った。声が上ずっていた。「網の人、みんな言ってます。志賀さんの右に、誰かいるって。……空気が違うって。右半分だけ、空気が濃いって。姿は見えないけど。でも、確かにいるって。みんな、同じこと言ってます」
「揃ってるか」志賀は言った。
「揃ってます」芹沢は言った。「全員、志賀さんの右に誰かいる、って。……志賀さん、これ、すごいです。網の人、誰も志賀さんの相棒のこと知らないのに。全員、同じ場所を見てます。右半分」
志賀は応答欄を見た。
——目が、揃った。網が、あんたの右半分を、同じように見た。……観測の、第三の条件だ。亜紀の輪郭が、固定に向かっている。
志賀はその右を見た。
志賀はそこで、息を詰めた。まだ座りきらない。あと、少し。声だけが先に届いて、姿は、まだ来ていなかった。
「芹沢」志賀は言った。「今夜は、ここまでだ」
「え」芹沢は言った。「もう少しで、姿、見えそうじゃないですか」
「見えそうだ」志賀は言った。「だが、まだ足りない。……今夜は輪郭までだ。声が届くところまで。姿は、次だ」
「わかりました」芹沢は言った。「網の人、みんな、また集まれるって言ってます。次もやりましょう。……志賀さんの右に、ちゃんと姿が見えるまで」
「頼む」志賀は言った。
電話が切れた。
*
志賀はベンチに座ったままだった。
網が解けても、志賀の右半分は、まだ濃かった。志賀はその右を見た。声だけが届いた、その右。姿はまだない。
亜紀は言った。右から。「今日、ありがとう」
「まだ途中だ」志賀は言った。
「途中でも」亜紀は言った。「あたし、初めて、声が脇じゃなくて、ちゃんとその右から届いてる感じがした。……なんか、うれしい」
「ああ」
「次で」亜紀は言った。「あたし、座れるかな。ちゃんと、その右に」
「座れる」志賀は言った。
志賀は立ち上がった。
ベンチの右半分を、もう一度見た。空気の密度がまだ少し濃かった。それを見て、家へ歩き出した。川沿いの道を。街灯が水面に映っていた。志賀はいい気分だった。亜紀の声が右から届いた。姿はまだだったが、輪郭は向かっていた。
*
家に帰って、志賀は机に着いた。
水を飲もうと台所へ立った。コップを一つ取った。左手でコップを持つと、右手がいつものように、もう一つのコップへ伸びかけた。だが今夜は、その手が途中で止まらなかった。伸びた指の先に、空気の厚みがあった。ベンチの右半分で、一枚だけ座面に残っていた落ち葉の上に集まっていた、あの密度と同じだった。飲むのは一人のはずだった。なのに右手は、いつものように空を掻かなかった。亜紀が濃くなった分だけ、その先に、触れるものがあった。
志賀は水を飲んだ。
その、水を飲む手を、志賀はふと見た。
いつも通りの手だった。だが、何か違う気がした。手も、コップも、水もいつも通り。なのに、持ち上げたコップが、思ったより早く上がってきた。手が身構えていた重さより、返ってきた手応えが、少しだけ足りない。コップが軽いのではない。志賀の腕が、いつのまにか、覚えのない重さに慣らされていた。
志賀はその手をしばらく見た。
気のせいだ、と志賀は思った。今夜は指が震えるほど深く囮になった。手元が軽いのは疲れのせいだ。志賀はそれ以上辿らなかった。今夜は亜紀の声が右から届き、輪郭が向かった。その温度を、まっすぐ受け取っておきたかった。
志賀はコップを流しに置いた。
今夜はいい夜だった。囮を深く差し込み、網が揃い、亜紀の輪郭が向かい、声が右から届いた。志賀はその勝ちの温度の中にいた。手元の軽さは、その温度の脇を、静かに通り過ぎた。
「さく」亜紀は言った。
文字起こしの脇から、だった。ベンチを離れて、亜紀の声はまた、文字起こしの脇に戻っていた。だが、その声はこれまでのどれよりはっきりしていた。
「なに、見てるの」亜紀は言った。
「別に」志賀は言った。「手を見てた。……疲れたな、と思って」
「疲れたでしょ」亜紀は言った。「今日、手震えてたし。……無理、したね」
「少し」
「でも」亜紀は言った。声が明るかった。「あたし、うれしかった。声が右から届いたの。……その右から。次で、あたし座るよ。ちゃんと」
「座れ」志賀は言った。「その右に」
志賀は机の上のスマホを見た。
*
志賀はスマホを置いた。
今夜、囮を深く差し込んだ。網の目が揃い、亜紀の輪郭が右半分に向かった。声だけが先に、志賀の空けた手のすぐ隣から届いた。姿はまだない。だが、あと少しだった。
志賀はベンチの右半分を思った。
輪郭が像へ向かう途中の、右。志賀の空けた手の、すぐ隣。
志賀は手元の軽さを、もう一度感じかけた。だが、すぐに忘れた。疲れだ、と。志賀の名はまだ、志賀のものだった。
志賀は文字起こしの脇を見た。
亜紀の声がそこにあった。これまでのどれよりはっきりと。右から届いた声の余韻を残して。
志賀は目を閉じた。
ベンチの右半分。今夜、木目が薄く見え、落ち葉が一枚だけ止まり、声が届いた、あの右。まだ姿はない。だが、空気は、人の形へ向かっていた。志賀の右で。
あと一息で、隣に、人がいる。
公式サイト(人物・相関図・あらすじ。読んだ巻までしか開かないネタバレ防止つき)
https://migi-no-sora.pages.dev/shinwa/




