不寒而栗⦅寒からずして栗(ふる)う⦆
不寒而栗⦅寒からずして栗う⦆
原文
这个小资产阶级内的各阶层虽然同处在小资产阶级经济地位,但有三个不同的部分・・・第三部分是生活下降的・・・他们每逢年终结账一次,就吃惊一次,说:“咳,又亏了!”这种人因为他们过去过着好日子,后来逐年下降,负债渐多,渐次过着凄凉的日子,“瞻念前途,不寒而栗”。
この小ブルジョア階級のなかのそれぞれの階層は、ともに小ブルジョア階級の経済的地位におかれてはいるが、三つのちがった部分にわかれている。・・・第三の部分は、暮らしが落ちめになっていく人びとである。・・・かれらは年の暮れの決算ごとに、「ああ、また赤字だ」とおどろく。こうした人びとは、以前はよい暮らしをしていたのが、その後、年ごとに落ちめになり、借金がしだいにかさみ、だんだんみじめな暮らしになってくるので、「行く末を考えると、ぞっとする」のである。
《中国社会各階級の分析》
不寒而栗⦅寒からずして栗う⦆という言葉は「史記・酷吏列伝」に見られる言葉である。
前漢の武帝の時代に、義縦という名の有名な酷吏(過酷な刑罰を科す官僚)がいました。彼は若い頃、張次公という人物と手を組んで強盗をしていましたが、後に彼の姉である義姁が王太后に気に入られたため、上党郡に属するある県で税収を管理する官吏になりました。
その後、長陵や長安の地方官へと昇進した彼は、法律や規律に厳格に従って実務をこなし、たとえ皇室の親戚であっても、法を犯せば一切容赦しなかった。後に定襄の太守に就任した際、郡内の混乱を鎮圧するために、彼はまず獄中にいた200人の囚人たちを厳重に拘束した。それと同時に、獄中へ密かに面会に訪れていた200人以上の人々に対しても、これといった莫須有(冤罪・いわれもない罪)を着せて一斉に逮捕し、死刑を言い渡した。そして翌日、これら400人以上の人々をまとめて処刑したのである。
この知らせが広まると、「その後、郡中寒からずして栗い、猾民(かつみん:悪賢い民)は吏を佐けて治を為す」となった。つまり、定襄の城内では誰もが恐怖で震え上がり、それ以降、二度と騒ぎを起こす者はいなくなったという意味である。
不寒而栗⦅寒からずして栗う⦆とは、まさに恐ろしさのあまり身震いすることを意味している。




