阴谋诡计(いんぼうきけい)
原文
我们在国内的任务,也从军事的变到政治的。我们不需要阴谋诡计,我们的目的在团结资产阶级和国民党中一切同情抗日的分子,共同战胜日本帝国主义。
国内におけるわれわれの任務もまた、軍事的なものから政治的なものに変わったのである。われわれは陰謀や詭計を必要としない。われわれの目的は、ブルジョア階級と国民党内の抗日に共鳴するすべての人びとを結集して、ともに日本帝国主義をうちやぶることにある。
《何百何千万の大衆を抗日民族統一戦線へ参加させるためにたたかおう》
「陰謀詭計(いんぼうきけい=陰険で人をだます計略)」は、「奸謀詭計」という言葉から変化してできたものである。「好謀詭計」という表現を含め、「宋史・余深伝」に出典がある。「余深は福州の人、元豊五年の進士及第。……深は蔡京に陥附(親近)し、結んで死党(命がけの派閥)と為す。京の奸謀詭計、助けを得ること多き者は、深を首と為し、瓏これに次ぐ」
余深は北宋時代の福州の人で、元豊5年(西暦1082年)に進士に合格した。その後は朝廷で順調に昇進し、監察御史(官僚の不正を取り締まる官職)や御史中丞といった要職を歴任する。彼は当時の権臣であった蔡京や、開封尹(首都の最高行政長官)の林攄らと結託して派閥を作り、互いにかばい合いながら悪事を働いていた。
例えば、彼が「張懐素の乱」の裁判を主宰した際、蔡京もその事件に関与していることが発覚しそうになった。すると余深は、蔡京に関わるすべての証拠書類を焼き払い、彼を徹底的に庇護した。蔡京が権力を握っていた期間、数々の悪行を働いたが、その裏にあるあくどい企みの多くは、この余深が知恵を絞って献策したものであった。
このように、「陰謀詭計」や「奸謀詭計」という言葉は、「陰険でずる賢い悪だくみ、策略」という意味を指す。
毛主席はここで、日中戦争の初期において、中国共産党は全民族の利益を第一に考え、団結できるあらゆる勢力と手を結んで「抗日民族統一戦線」を結成し、日本帝国主義の侵略に反対することを主張していた、と説明している。われわれ共産主義者には、これ以外のいかなる下心(陰謀詭計)もないということを表明したのである。




