畏途(いと)
原文
根据地的人民条件,具体地说来,特别是对于作战说来,就是有武装起来了的人民。敌人视为畏途,主要地也在这一点。
根拠地の人民という条件は、具体的にいうと、とくに作戦についていうと、武装した人民がいることである。敵がおそれをなしているのも、主としてこの点にある。
《中国革命戦争の戦略問題》
「畏途」という言葉は「荘子・達生篇」に由来する。荘子は名を周といい、戦国時代の宋国蒙(現在の河南省商丘市)の人である。荘子の思想は唯心主義的であり、消極的なものである。彼は「無為」を主張し、生活におけるあらゆる闘争を放棄することを主唱し、同時に現実を強く否定し、現実から逃避して社会から離脱することを主張した。政治においては、歴史の流れに逆行する復古主義的な立場をとっている。
しかし、荘子の思想には進歩的な側面もあった。彼は、当時の「鉤を盗む(ささやかな物を盗む)者は罰せられ、国を盗む者は諸侯となる」という不条理な社会を激しく憎み、支配者たちとの協力を拒否したのである。「達生」篇において、彼は「畏途(危険に満ちた道)」という言葉を用いて支配階級に警告と注意を促した。自分たちの安逸や享楽のために、ただひたすらに民衆を虐げ続けることは、自滅への道であると説いたのである。
『達生』篇には次のように記されている。「夫れ塗を畏るる者は、十に一人を殺さば、則ち父子兄弟相戒め、必ず卒徒を盛んにして、而る後に敢て出ず。亦知ならずや。人の畏れを取る所の者は、 衽席の上、飲食の間なり。而も之が為に戒むるを知しかあえらざる者は、過てるなり。(道中の危険を恐れるものは、たとえ十人にひとりが殺される程度であっても、父子兄弟がたがいに用心せよと戒めあい、必ず大ぜいの従者を従えて、はじめて出発するものである。これは賢明なやり方であるといえよう。だが、人間が真に恐るべき危険を招くのは、寝床のなか、飲食のときである。それなのに、これを警戒することを知らないのは、誤っているというほかはない。)」
この意味は次の通りである。 ある一家の父・子・兄弟のうち、仮に道中で悪漢に襲われて10人のうち1人が殺されたとすれば、残された家族は警戒を強め、次に同じ道を通って出かける際には、決して1人では行かず、多くの仲間を集めて引き連れてからでなければ出発しようとしないであろう。これは、危険を避けるための「知恵」と言える。しかし、世の中にはこのような目に見えやすい小さな危険には注意を払う一方で、より大きな危険を軽視している人々がいる。古来、限りのない享楽や酒色、遊興に溺れて身を滅ぼした者がどれほど多くいたことであろうか。それにもかかわらず、後世の人々はそれを教訓とすることなく繰り返している。これこそが、本当に恐ろしいこと(過ち)なのである。このように、「畏途」とは本来、道中が穏やかでなく、危険が潜んでいる道のことを指している。




