以一当十(一をもって十にあたる)
原文
“以一当十,以十当百”,是战略的说法,是对整个战争整个敌我对比而言的;在这个意义上,我们确实是如此。
「一をもって十にあたり、十をもって百にあたる」というのは、戦略的ないい方であり、戦争全体、敵味方の対比全体についていったのであって、この意味では、われわれはたしかにそのとおりである。
《中国革命戦争の戦略問題》
「一当十(一を以て十に当たる・一騎当千)」という言葉は、『史記・項羽本紀』の次の一節に由来する。「・・・楚、秦を撃つに及び、諸将皆壁上従り観る。楚の戦士、一以て十に当たらざるは無し。楚の兵の呼声、天を動かす。諸侯の軍、人人惴恐(ズイ・キョウ、おそれる)せざる無し。是に於て已に秦軍を破り(……楚軍が秦軍に突撃すると、他国の諸将はみな砦の上から傍観するのみであった。楚の兵士たちは誰もが一人で十人の敵を相手にするかのように勇敢に戦い、その雄叫びは天を震わせた。諸侯の軍は誰もが恐怖に戦慄した。こうして、楚軍はまたたく間に秦軍を打ち破ったのである。)」
秦の時代の末期、陳勝・呉広の乱(挙兵)を皮切りに、諸国の諸侯が次々と兵を起こして秦に対抗した。その中で最も勢力が大きかったのが、劉邦率いる漢軍と、項羽率いる楚軍の二つの軍隊であった。項羽はもともと楚軍の中で副大将軍を務めており、大将軍は宋義という人物であった。のちに項羽は宋義を殺害して自ら大将軍となり、これによってその威名は天下に轟いた。大将軍となった項羽は、ただちに兵を発して、趙の国の「巨鹿」を救いに向かった。
先遣隊が敗北を喫すると、項羽は自ら軍を率いて河を渡り、決戦に挑んだ。河を渡り終えると、項羽は乗ってきた船を沈め、炊事用の釜を叩き壊しました(「破釜沈舟」の成語の由来)。これは兵士たちに対し、生きては帰らぬ決死の覚悟と、敵に必ず勝つという決意を示したもだった。これにより楚軍の士気は天を突くほどに高まり、兵士たちは凄まじい勇敢さで戦い、誰もが「一人で十人分」の働きをした。そしてついに、強大な秦軍を大いに打ち破ったのである。
毛沢東主席がこの「以一当十(一を以て十に当たる)」という言葉を戦略的な意味合いにおいて用いた。すなわち、私たちが敵と闘うにおいては、「戦略(大局)的には敵を軽視し、一を以て十に当たる(少数を以て多数に勝つ)精神を持つべきであるが、戦術(局地戦)的には兵力を集中させ、十を以て一を撃つ(多数を以て少数を制する)べきである」ということである。




