举措失当(挙措(きょそ)、当を失す・きょそしっとう)
原文
・・・例如,敌军打了一个或几个败仗,这时的有利于我不利于敌的条件,就不仅敌军疲劳等等,而是增加了敌军打败仗这个新的条件了。形势也起了新的变化。敌军调动忙乱,举措失当,两军优劣之势,也就不同于前了。
たとえば、敵軍が一回または数回敗戦したばあい、そのときの味方に有利で敵に不利な条件には、たんに敵軍の疲労などだけではなくて、敵軍の敗戦という新しい条件がくわわってくる。情勢にも新しい変化がおこる。敵軍は軍隊の移動配置でごったがえし、その措置をあやまるので、両軍の優劣の関係も、まえとはちがってくる。
《中国革命戦争の戦略問題》
「挙措」は「挙錯」と同じ意味である。「挙措失当(きょそしっとう:措置や対応を誤ること)」という言葉は、「挙錯必当」から変化して生まれた。「挙錯必当」は「史記・秦始皇本紀」に由来する。
秦の始皇帝二十六年(紀元前221年)、秦は六国を統一して全国を三十六の「郡」に分け、度量衡を統一した。翌二十七年、みずからの威光と徳を天下に示すため、始皇帝は巡遊を始めた。二十八年には、封禅を執り行うために泰山へと向かい、その後さらに南下して琅邪に登った。
始皇帝は琅邪に3ヶ月余り滞在し、琅邪台を築かせた。そして石碑を建て、自らの功績と秦の善政を称える碑文を刻ませたのである。その碑文の中に、次の一節がある。
「憂恤黔首、朝夕不懈。除疑定法、咸知所辟。方伯分職、諸治経易。挙錯必当、莫不如画。黔首を憂恤し、朝夕懈らず。疑いを除き法を定め(疑いだけで人を罰することはせずに、きちんと法を定めた)、咸辟くる所を知り(何が法を犯すか知っていたので、其れを避けた)、方伯(地方の長官)は職を分かち、諸事(諸般の政事)は経に易く(わかりやすい)、挙錯(挙措、行動)は必ず當り(当を得ている)、画の如くならざるもの莫し(絵に描いたようによく整って明らかである)。」
この意味は、「始皇帝は庶民を思いやり、朝廷の政務に勤しみ、大衆の要求に合致した法律を制定した。地方の官吏たちも役割を分担して協力し合い、すべての統治策は極めて平易で親しみやすいものである。物事の采配や措置はすべて極めて適切であり、非の打ち所がない」ということである。
「挙措必当、莫不如画」とは、すべての物事の采配や措置が整然と統一されており、すべてが規定や制度に基づいて行われている様子を指している。「挙措失当」は、これとはちょうど正反対の意味(措置や対応が不適切であること)となる。




