避其锐气,击其惰归(其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ・敵の鋭い士気を避け、弛んで帰りたがる時に攻撃する)
原文
如果进攻之敌在数量和强度上都超过我军甚远,我们要求强弱的对比发生变化,便只有等到敌人深入根据地,吃尽根据地的苦楚,・・・这种时候,敌军虽强,也大大减弱了;兵力疲劳,士气沮丧,许多弱点都暴露出来。・・・。孙子说的“避其锐气,击其惰归”,就是指的使敌疲劳沮丧,以求减杀其优势。
もし、進攻してくる敵が、その数の上でも、また強さの上でも、はるかにわが軍をしのいでおり、われわれがその強弱の対比に変化をおこさせようとするなら、・・・敵が根拠地にふかくはいりこみ、根拠地で苦しみをなめつくすのを待たなければ、・・・こうなったときには、敵軍は強くても、大いに弱まっており、兵力は疲労し、士気は阻喪して、多くの弱点をみな暴露してくる。・・・孫子が「その気、鋭なるときをさけ、おとろえ、つきはてたるをうつ」といっているのは、敵の優勢をそぐために敵を疲労させ、士気を阻喪させることをいうのである。
《中国革命戦争の戦略問題》
「避其鋭気、撃其惰帰(その鋭気を避け、その惰帰を撃つ)」という言葉は、「孫子兵法・軍争篇」の以下の文章に由来する。「故に三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。是の故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰。故に善く兵を用うる者は、其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ。此れ気を治むる者なり。(敵軍の士気を奪い、敵将の決意を挫く。朝は士気が鋭く、昼には弛み、夕方には帰宅を望む。よって戦巧者は、敵の鋭い士気を避け、弛んで帰りたがる時に攻撃する。これが「士気を制する(治気)」戦略である。)」
これは、「敵軍の士気をくじき、敵将の決意を揺るがす。朝は士気が旺盛であるが、昼には次第に怠け心が生まれ、夕方には疲労の色が濃くなる。それゆえ、戦いの上手な者は、敵の来襲初頭の鋭い気勢を避け、敵が緩み疲れたときを見計らって攻撃する。これこそが軍の士気を管理する方法である」という意味である。
毛主席が『孫子兵法』のこの意味を引用した目的は、革命戦争における積極的な「戦略的退却」の原則を論証することにあった。第三次反囲剿作戦の時期、「左」傾軍事冒険主義者たちは、敵と味方の軍事力の比率やその他の状況を無視し、一律に「戦略的退却」に反対して「国境の外で敵を食い止める」ことを主張した。これに対し、毛主席に代表されるマルクス・レーニン主義者たちは、当時にあって正しい戦略方針を堅持し、「左」傾軍事冒険主義との積極的な闘争を展開したのである。




