流寇(りゅうこう)
流寇
原文
由于红军中游民成分占了很大的数量和全国特别是南方各省有广大游民群众的存在,就在红军中产生了流寇主义的政治思想。
赤軍内にルンペン出身者が大きな数をしめていることや、全国、とくに南部の各省に広範なルンペン大衆がいることから、赤軍内に流賊主義的な政治思想がうまれている。
《党内のあやまった思想の是正について》
「流寇」という言葉は、『明史』流賊伝の序文にある「流寇蔓延し、幾んど宗社を危うくす(あちこちを流浪する賊がはびこり、国家の存亡を脅かすほどになった)」という記述に見られます。「流寇」はもともと、一カ所に留まらず各地を流浪しながら略奪を働く「流賊」や「山賊」を指す言葉でした。ここで使われている「流寇」という表現は、当時の封建支配階級が、自らに反抗して立ち上がった農民革命軍をおとしめるために使った蔑称である。
毛主席は、当時の紅軍の内部に見られた「流賊的思想」の特徴として、以下の3つの現れを指摘した。一、骨のおれる活動をつうじて根拠地を創設し、人民大衆の政権を樹立し、またそれによって政治的影響を拡大しようとせず、ただ流動的な、遊撃的な方法によって政治的影響を拡大しようと考えるだけである。二、赤軍を拡大するのに、地方赤衛隊や地方赤軍の拡大をつうじて主力赤軍を拡大させるという路線をとろうとせず、「兵馬をつのり」、「寝返り兵、投降兵をかかえこむ」(注)路線を歩もうとする。三、大衆といっしょに困難なたたかいをする辛抱づよさがなく、大きな都市にいって大いに食ったり飲んだりすることばかり考えている。
毛主席はこれらを厳しく批判し、「歴史上の黄巣や李自成のような流寇主義は、現代の環境においてはもはや決して許されないものであると認識しなければならない」と教えたのである。
注:これは、中国の歴史上、一部の蜂起勢力が自分の軍隊を拡充するときにとった方法である。この方法では、さまざまな人びとや投降部隊を無差別に自分の軍隊にかかえこみ、軍隊の質を無視しがちで、量にだけ注意をはらうことになる。




