引而不发,跃如也(引いて発せず、躍如たり)
引而不发,跃如也(引いて発せず、躍如たり)
原文
菩萨是农民立起来的,到了一定时期农民会用他们自己的双手丢开这些菩萨,无须旁人过早地代庖丢菩萨。共产党对于这些东西的宣传政策应当是:“引而不发,跃如也。”
神仏の像は農民がまつったものだから、その時期がくれば、農民は自分たちの手で神仏の像をとりはらうだろう。はたのものがかわって、せっかちにとりはらう必要はない。こうしたことにたいする共産党の宣伝政策は、「引いて発せず、躍如たり」でなければならない。
《湖南省農民運動の視察報告》
注:このことばは「孟子」から引用したもので、だいたいの意味は、人に弓をおしえることの上手な人は、弓をいっぱいにひきしぼりながら、矢をはなたず、いまにもはなとうとする姿勢をとるということである。ここでは、共産党が、農民にたいして迷信その他のよくない風俗習慣をとりのぞくよう命令したり、農民にかわってそれをとりのぞいたりするのではなく、政治的自覚を十分にもつように農民を導いてから、農民の自発的意志でみずからそのようにするのを待たなければならないということをたとえているのである。
「引而不発、躍如也(いんしてはっせず、やくじょたるかな・弓を引き絞って矢を発せず、今にも放ちそうな勢いを示す)」は、『孟子・尽心上』に由来する。
ある日、孟子の弟子である公孫丑が彼に尋ねました。 「(先生の説かれる)「道」は非常に高く素晴らしいもので、まるで天に登るかのように難しく、到底及びもつかないように思えます。どうして、もう少し努力すれば手が届くようなものへと(基準を下げて)変えてくださらないのですか?」これに対して孟子はこう答えました。「優れた大工は、下手な職人のために墨縄(職人の基準)を曲げたり廃止したりはしない。名弓手の羿も、下手な射手のために弓を引き絞る基準を変えたりはしない。君子が人を教え導くのは、まさに射手が弓を引くようなものである。弓を引き絞るだけで矢は放たず、今にも放たんとする(躍如たる)姿勢を示すのだ。君子は正しい道の真ん中に立っており、能力のある者がこれに従うのである」
つまりこの意味は、優れた職人は技術の未熟な労働者のために規矩(基準)を変えたり捨てたりはせず、羿もまた未熟な射手のために弓を引く基準を変えることはない、ということです。君子が他人を教え導くのはまさにこの射手と同じであり、弓をいっぱいに引き絞るだけで矢は放たず、今にも放ちそうな姿勢を示してみせるのである。君子が正しい道路の上に堂々と立っていれば、能力のある者が自ずとついて来る、ということを示している。
毛主席がこの「引而不発、躍如也」という成語を用いた意図は、私たちに次のような教えを与えることにある。 党が様々な大衆運動を指導する際には、大衆を十分に誘導・教育してその覚悟(意識)を高め、大衆自らが立ち上がって革命闘争を行うようにすべきであり、大衆運動を何から何まで一手に引き受けたり、ただ命令を下したりするようなことがあってはならないということである。




