从容不迫(じゅうようふはく)
从容不迫
原文と翻訳は同上。
「従容不迫」という成語は、「従容中道」という言葉から引き出され、変化したものである。「従容中道」は『礼記・中庸』にある次の一節に由来します。 「誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり。誠は勉めずして中り、思はずして得え、従容として道に中る、聖人なり。之を誠にするは、善を択んで固く之を執る者なり。」 (※生まれながらの誠実さこそが天の理であり、その誠実さを身に付けようと努力することが人間の道である。真に誠実な人は、努力せずとも自然と道理にかない、深く考えずとも真理を体得し、ゆったりと落ち着いた振る舞いの中に自ずと道が実践されている。これこそが聖人である、という意味)
この「従容中道(従容として道に中る)」について、王念孫の注釈には「一挙手一投足、道に中らざる莫きを謂うなり(一挙一動のすべてが道理にかなっていることを言う)」とあります。また「韓詩外伝」には「動作道に中り、従容として礼を得たり(動作が道理に合い、ゆったりとした振る舞いが礼法にかなっている)」とあり、『礼記・緇衣』には「衣服不二、従容として常有り(衣服に二心がなく、落ち着いた振る舞いの中に一定のきまりがある)」とあります。後世の孔穎達による注釈では、「従容とは挙動に其の常度有るを謂う(従容とは、立ち振る舞いに一定の基準や品格があることを言う)」と説明されています。
現在使われている「従容不迫」は、人が何か物事を行う際、いくら事態が差し迫っていても、緊張して取り乱したり、どうしてよいか分からなくなったりすることなく、順序を立てて落ち着いて進める様子を指します。




