泣き虫魔王と、優しすぎる災厄
ハルトくんたちが寝静まった、深夜のキャンプ地。
焚き火の番をしていた私の胸元で、通信用の魔道具が微かに震えた。
『……ぐすっ。ヤエお姉ちゃん、起きてる……?』
「起きてるよ。どうしたの、リリィ。こんな夜更けに」
私が小声で答えると、通信機の向こうから鼻をすする音が聞こえてきた。
『さっき、すっごく遠くから……嫌な魔力が膨らむのを感じて。目が覚めちゃったの』
どうやら、昼間にハルトくんがぶっ放した極炎魔法の余波を感じ取ってしまったらしい。
相変わらず、魔力に対する感知能力だけはズバ抜けている。
「ごめんごめん、ちょっと勇者くんが張り切っちゃってね。でも大丈夫、私がちゃんと相殺したから」
『ほんと……? ヤエお姉ちゃん、怪我してない?』
「するわけないでしょ。リリィこそ、ちゃんと温かいミルク飲んで寝ないとダメだよ」
私が笑いかけると、通信機の向こうでホッと息を吐く気配がした。
泣き虫で、痛いのが嫌いで、いつも私の後ろに隠れている可愛い女の子。
それが、私にとっての『魔王リリアンヌ』だ。
彼女と出会ったのは、数年前のこと。
先代の魔王が急逝し、まだ幼かった彼女が強大な力を受け継いでしまった直後だった。
『私が、魔王……? やだ、怖いよぉ……戦いたくないよぉ……』
当時、辺境の散歩のついでに魔王城の最奥まで入り込んだ私は、玉座の裏で膝を抱えて震えている彼女を見つけた。
城に張り巡らされた何重もの『絶対防壁』や『即死トラップ』を、私がただの物理的な歩行ですり抜けてきたことに、彼女は驚きもしなかった。ただ、怯えて泣いていた。
だから私は、持っていた手作りのクッキーを彼女の口に放り込み、頭を撫でてやったのだ。
「魔王なんてやりたくないなら、私がこっそり守ってあげるよ」と。
それが、私とリリィの秘密の繋がりの始まり。
世間では「極悪非道な魔王」と恐れられているが、彼女の本当の性格は、争いを何よりも嫌うただの優しい子供だ。
……だが。
私が今回、ハルトくんのパーティーに『ガイド』として潜り込んだのには、もう一つ別の理由がある。
(ハルトくんのチートは、確かに規格外だ。でも……)
私はパチパチと爆ぜる焚き火を見つめながら、目を細めた。
もし、ハルトくんが魔王城に辿り着き、あの容赦ないチート魔法をリリィに向けて放ったとしたら。
極限の恐怖と痛みにパニックを起こしたリリィは、無意識のうちに『自己防衛本能』を暴走させるだろう。
リリィに宿っているのは、歴代の魔王たちの魂が蓄積された、本物の『災厄の魔力』だ。
女神様からポンと与えられた借り物のチートなどとは次元が違う、星の寿命すら削り取るほどの絶大なエネルギー。
それが制御を失って暴発すれば――ハルトくんはおろか、この大陸の半分がチリ一つ残さず消滅する。
(リリィは強すぎるんだ。優しすぎて、自分の力の大きさを理解しきれていないだけで)
勇者が魔王を殺すのではない。
勇者の攻撃に怯えた魔王が、結果的に勇者ごと世界を滅ぼしてしまう。
それが、私だけが見抜いているこの馬鹿げた討伐劇の『最悪のバッドエンド』だ。
だから、絶対に戦わせてはいけない。
ハルトくんの魔法がリリィに届く前に、私が全てを無かったことにする。
リリィが恐怖で泣き叫んで力を暴走させる前に、私が完璧な『偽装工作』を演出して、両者を平和に引き離す。
誰も殺させない。誰にも泣かせない。
そのために、私はこのふざけた『接待プレイ』を命懸けでやり遂げるのだ。
「……リリィ」
『ん……なぁに、お姉ちゃん』
「私が絶対、指一本触れさせないから。リリィは安心して、可愛いドレスでも選んで待ってて」
私の言葉に、通信機越しのリリィが嬉しそうに『えへへ』と笑った。
『うんっ! 私、ヤエお姉ちゃんとお揃いのリボンつけて待ってる!』
「うん、楽しみにしてるね。おやすみ、リリィ」
通信機を切り、私は夜空を見上げた。
(さて、可愛い魔王様と、能天気な勇者くん、ついでに愉快なヒロインたちのお世話……。明日も忙しくなりそうだな)
私は冷えてきた夜風から身を守るように、隣で丸まって寝ているフェリスに毛布をかけ直し、静かに焚き火の番を続けるのだった。




