聖女の結界と、幻の高位貴族(?)
「女神様の御加護があらんことを。『聖なる盾』!」
日が沈み、森に夜の闇が降りてきた頃。
野営の準備を終えた私たちのキャンプ地を、アナスタシアの杖から放たれた純白の光がドーム状に包み込んだ。
魔物の侵入を防ぐ、教会秘伝の結界魔法だ。
「おおー! すっげぇ明るい! これで魔物の心配なく夜もぐっすり眠れるッスね!」
ハルトくんが焚き火の前で肉をかじりながら無邪気に喜んでいる。
「ふんっ。まあ、この程度、エルフの結界に比べれば紙切れみたいなものだけど。及第点はあげてもよくってよ」
エルヴィーラが腕を組みながら、なぜか私のすぐ隣に陣取ってドヤ顔をしている。
そして反対側の隣には、私の服の裾をギュッと握ったまま離さないフェリスの姿。
「……ヤエ、あったかい」
(なぜか両脇を美少女に固められてるんだけど……まあ、湯たんぽ代わりにはなるからいっか)
私は首の後ろをトントンと叩きながら、温かいハーブティーをすすった。
「当然ですわ。これは王都の大教会で、限られた高位聖職者しか習得できない神聖な祈り。辺境の魔物など、指一本触れることは――きゃあっ!?」
アナスタシアが自慢げに胸を張った瞬間、彼女の足元に黒い影がボトッと落ちた。
結界をすり抜けて侵入してきた、毒を持つ大蜘蛛だ。
「な、なぜ!? 私の完璧な結界をすり抜けるなんて……!」
アナスタシアが顔を青ざめて後ずさる。
(あーあ。アナスタシアの祈りの言葉、教会の歴史のどこかで翻訳が間違って伝わっちゃってるんだよね。これじゃ結界の下の方にスカスカの穴が空いちゃうよ)
彼女の魔力は素晴らしいが、術式(祈り)の言葉が少しだけ欠けているのだ。
大蜘蛛が、アナスタシアの白い足に毒牙を突き立てようと飛びかかった、その時。
スパンッ!
「あ、ごめんね。虫がいたから」
私は手に持っていたハエ叩き(代わりの木の枝)で、飛んできた大蜘蛛を空中で綺麗にスマッシュした。
蜘蛛は結界の外へとポーンと飛んでいき、夜の闇に消えていく。
「え……?」
呆然とするアナスタシア。
「あ、そうだ。結界、少し下から隙間風が入ってくるみたいだから、土を盛っておくね」
私はそう言いながら、木の枝でスッと、結界の境界線に沿って地面に線を引いた。
その時、欠けている『正しい祈りの言葉』を、誰にも聞こえない鼻歌でフンフンと補いながら。
ピカァァァァァンッ……!!
その瞬間。
アナスタシアの張った半透明の結界が、突如として眩いほどの純白の輝きを放ち、分厚い光の城壁へと進化したのだ。
「うおっ!? まっぶし!」
ハルトくんが目を瞬かせる。
「ははっ、俺のチート魔力が溢れ出すぎて、聖女の結界まで進化しちまったみたいッスね! 俺の存在そのものが歩く聖域ってことか! 参ったぜ!」
ハルトくんはまたしても自分の手柄だと勘違いし、大満足で肉を頬張っている。
しかし、結界を張った張本人であるアナスタシアは、肉ではなく自分の震える手を見つめていた。
(……違う。ハルト様じゃない。今、このギルド長の女が地面に線を引いた瞬間……結界の『綻び』が完全に修復された……!)
アナスタシアの背筋に、ゾクッとした悪寒にも似た衝撃が走った。
あの鼻歌。
王家の書物庫の最奥に封印されている『古代言語』の聖書。そこに記されている発音と、全く同じ響きに聞こえたのだ。
さらに、昼間にお茶を淹れた時の、あの洗練されきった完璧な所作。
ただの辺境の村人が、王族すら凌駕する教養と、失われた神聖魔法の真髄を知っているはずがない。
(まさか……。教会の権力闘争に巻き込まれて歴史から抹消されたという、幻の『初代聖女の血を引く大貴族』の末裔……!?)
アナスタシアの中で、とんでもない推論が爆誕していた。
(いや、あり得ませんわ。そんなおとぎ話……。でも、もしそうだとしたら、お父様(国王)すら騙しているというとんでもない大物ということになりますわ……! まさか……ね?)
彼女はゴクリと唾を飲み込み、焚き火の向こうで「お肉焼けたよー」と笑っているヤエを、ハッとした顔で見つめた。
警戒して、見下していたはずの女。
しかし今、アナスタシアの目には、ヤエの底知れない深さが恐ろしくも、どうしようもなく気高く見え始めていた。
「……ヤエ」
「はい? どうしましたか、お姫様」
「わ、わたくしも! そっちの焚き火に当たりますわ! アナスタシアと呼び捨てて構いませんから、隣を開けなさいっ!」
アナスタシアはドレスの裾を翻し、ズカズカと私の正面に座り込んだ。
そして、私の手元や仕草を、観察するようにジッと見つめてくる。
「……ヤエの隣、私の場所。どけ」
「ちょっと、聖女のくせに抜け駆けは許さないわよ!」
フェリスが唸り、エルヴィーラが威嚇する。
「な、なんですの! わたくしはただ、この者が粗相をしないか監視するだけですわ!」
なぜかヒロイン三人が、私を巡ってバチバチと火花を散らし始めた。
「わはは! 女子会盛り上がってんッスね! 俺も混ぜてくれよ!」
空気を全く読まないハルトくんが笑い声を上げる。
(……やれやれ。ただの虫除けのつもりだったんだけどなぁ)
私はすっかり狭くなった焚き火の周りで、賑やかな(そして面倒くさい)同行者たちに囲まれながら、そっとため息をつくのだった。




