野生の勘と伝説の暗殺者(?)
「……主様、気をつけて。上のほう、嫌な匂いがする」
深い森を歩いている最中、奴隷少女のフェリスが足を止め、頭上の木々を睨みつけた。
獣特有の鋭い感覚が、何かの危険を察知したらしい。
「えー? 俺のチート探知には何も引っかからないッスよ? フェリスの気にしすぎじゃないか?」
「私の完璧な探索魔法にも映ってないわよ。エルフの私を差し置いて、知ったかぶりしないでよね」
ハルトくんが呑気に笑い、エルヴィーラが鼻で笑う。
チート探知や魔法に引っかからないのも当然だ。
(あー……木の上にいるの、魔力を持たない隠密特化の魔獣『シャドウ・パンサー』だね。あれは魔法じゃ探知できないや)
私は荷物を抱えながら、そっと上空に視線を向けた。
木々の影に同化するように、黒い豹のような魔獣が、パーティーの中で一番小柄なフェリスに狙いを定めている。
次の瞬間。
音もなく、シャドウ・パンサーがフェリスの背後へと急降下した。
「……ッ!?」
フェリスが気づいて振り返ろうとしたが、遅い。
鋭い牙が、彼女の華奢な首筋に食らいつこうとした、その時だった。
スッ――。
「えっ……?」
フェリスの視界から、背後に迫っていたはずの黒豹がフッと消えた。
いや、消えたのではない。
いつの間にかフェリスの真後ろに立っていた私が、黒豹の顎の下(急所)を、人差し指でポンッと軽く弾き飛ばしたのだ。
ドサッ。
白目を剥いたシャドウ・パンサーが、少し離れた茂みに音もなく墜落し、そのまま気絶した。
「……あれ?」
フェリスは信じられないものを見るように、私と茂みを交互に見た。
彼女の獣の直感が、警鐘をガンガンと鳴らしている。
(この女……いつの間に後ろに……!?)
フェリスは全身の毛を逆立てた。
足音も、衣擦れの音も、一切なかった。何より恐ろしいのは、魔獣を撃墜したその瞬間にすら、ヤエから『殺気』が1ミリも放たれていなかったことだ。
(気配ゼロ。殺意ゼロ。ただ指先一つで、姿を隠した魔獣を無力化するなんて……!)
彼女の脳裏に、奴隷商の檻の中で聞いた恐ろしい噂がよぎる。
裏社会を牛耳り、決して表舞台には姿を現さない、伝説の暗殺ギルドのトップ。
まさか、この冴えない辺境のギルド長は、姿を変えて身を隠している『伝説の暗殺者』なのでは……!?
「おや、こんな所に黒豹が落ちてますよ。ハルトくんの覇気にあてられて、気絶しちゃったんですかねぇ?」
私は何事もなかったかのように、首の後ろをトントンと叩きながら笑った。
「おっ、マジッスか!? 俺の覇気、ついに触れずして魔物を倒せるレベルになったのか! どんだけチートなんだよ俺!」
ハルトくんが剣を振り回して大はしゃぎしている。
「……主様、違う。……ヤエが」
フェリスがハルトくんに真実を伝えようと口を開きかけた、その時。
「はい、フェリスちゃん。さっき転びそうになってたから、気をつけてね」
私はフェリスの口に、手作りした甘い『ハチミツ胡桃クッキー』をポイッと放り込んだ。
そして、彼女の頭をポンポンと優しく撫でる。
「……んぐっ!? ……あ、あまい。おいしい……」
フェリスのピンと立っていた獣耳が、ふにゃりと垂れ下がった。
伝説の暗殺者かもしれない。絶対に逆らってはいけないヤバい人間だ。
でも、撫でる手はすごく優しくて、クッキーは信じられないくらい美味しかった。
「……ヤエ、すごい。……クッキー、もっと食べる」
「ふふっ、後で休憩の時にいっぱいあげるね」
フェリスはハルトくんの背中を見るのをやめ、トテトテと私の隣にやってきて、私の服の裾をギュッと掴んだ。
警戒心はどこへやら、その尻尾はパタパタとご機嫌に揺れている。
「おいおいフェリス、俺の奴隷なのにヤエさんに懐いてどうすんだよ! まあ、女の子同士で仲良いのは眼福だからいっか!」
ハルトくんは一人でウンウンと頷きながら、またズンズンと歩き出した。
(暗殺者……でも、餌くれる。ヤエ、好き……)
私の服の匂いをクンクンと嗅ぎながら、完全に懐いてしまったフェリス。
そして、その光景を横で見ていたエルヴィーラが、長い耳をピクピクさせながら私をジト目で睨みつけている。
(なんなのよあの女……! さっきの魔法の件といい、あの警戒心の強いフェリスまであっさり手懐けるなんて……! ただの村人なわけないわ。やっぱり何か隠してるわね、絶対にボロを出させてやるんだから!)
なぜかツンデレエルフからの監視の目まで厳しくなりつつある。
「……ま、いっか。賑やかでいいよね」
私はポータブル魔道具の中で「ヤエお姉ちゃんずるいー! 私もクッキー食べたいよー!」と泣き喚く魔王




