漆黒の外套と、用済みたちの洗礼
「ほらリリィ、これ着てみて」
私はリュックの底から、古びているけれど上質な黒いローブを取り出した。
これは私がその昔、気まぐれに魔力を込めて作った『隠者の外套』。着る者の魔力を完全に遮断して、ただの一般人に見せかける逸品だ。
「わあ、お揃いだね! ヤエお姉ちゃん!」
リリィが嬉しそうにローブを羽織ると、周囲に渦巻いていた暴力的なまでの魔力の圧が、スッと消えた。
これなら、たとえ本物の聖女であるアナスタシアが隣にいても、リリィが魔王だとは気づかれないはずだ。
「……あ、圧迫感が消えた。これなら、なんとか普通に話せそうね……」
「……うん。でも、匂いはまだ凄い。強者の匂い」
エルヴィーラとフェリスが、ようやくまともに呼吸ができるようになったとばかりに胸を撫で下ろしている。
「よし! 準備万端ッスね! それじゃあ、俺たちの凱旋パレード……じゃなかった、平和な人間界への帰り道、出発ッス!」
ハルトくんが聖剣を肩に担ぎ、意気揚々と歩き出した。
……その時。
シュッ、シュバッ!!
「……ッ!」
前方から放たれた数条の黒い矢が、ハルトくんの足元を正確に射抜いた。
さらに背後からも、影に潜んでいた武装集団――王国直属の暗殺部隊が十数人、音もなく私たちを包囲する。
「な、何者ッスか!? 俺たちは魔王を倒した勇者パーティーだぞ!」
ハルトくんが叫ぶが、黒装束の男たちは冷徹な声で告げた。
「……勇者ハルト。貴様の役割は、魔王と共に戦死することで幕を閉じるはずだった。王国の正義を象徴する悲劇の英雄としてな」
「え……?」
「生きて戻られては、平和な世に『強すぎる武力』は邪魔なのだよ。ここでヒロイン共々、魔王の残党に襲われたことにして処理させてもらう」
男たちが一斉に毒の塗られた双剣を抜き、襲いかかってくる。
「っ、不浄な者たちめ……! 王国は、ハルト様を捨てるというのですか!?」
「くっ……この数、今の消耗した状態じゃキツいわ……!」
アナスタシアとエルヴィーラが武器を構えるが、先程の死闘で魔力を使い果たしている彼女たちの動きは鈍い。
(……やれやれ。本当に、救いようのない王様だね。でも、ご愁傷様。今の君たちの目の前にいるのは、一番怒らせちゃいけない『世界最強』なんだよ)
私が動くよりも早かった。
「……お兄ちゃんたちを、いじめちゃだめ」
リリィが、一歩前に出た。
彼女はローブのフードを深く被ったまま、小さな手を暗殺者たちに向かってスッと翳す。
「邪魔だよ。――『重力崩壊』」
パキン、と。
空間が割れるような音が響いた。
ドガァァァァァァンッ!!
「が……はっ……!?」
「な……に、が……」
暗殺者たちは、叫び声を上げる暇すら与えられなかった。
彼らを中心に半径十メートルほどの地面が、巨大な目に見えない重圧によって、クレーター状に深さ数メートルまで一瞬で陥没したのだ。
精鋭の暗殺者たちは、まるで見えない巨人に踏み潰されたかのように、地面にへばりついて指一本動かせない。骨が軋む嫌な音が広場に響く。
「……ひっ……!!」
アナスタシアたちが、その光景に震え上がる。
リリィはただ手をかざしただけだ。詠唱も、魔力の溜めも一切なく、一国を滅ぼしかねない最上位魔法を『瞬き』をするように放ってみせた。
「えっ? ……うお、すげぇ! 俺が倒したはずの魔王の残滓が、いきなり爆発したんスか!? 運がいいッスわ!」
……ハルトくんだけが、相変わらず何も気づいていなかった。
陥没したクレーターを見て「天然のトラップにハマるとか、暗殺者のくせにドジっ子ッスね!」とガハガハ笑っている。
「……リ、リリィ。今の、あんたが……?」
エルヴィーラが震える声で問う。
「ううん、私の後ろで、ヤエお姉ちゃんがすっごく怖い顔してたから。……この人たち、悪い人?」
リリィは小首を傾げて、純粋無垢な瞳で私を見上げた。
「……そうだね。でも、ゴミ掃除はゼノスくんたちに任せようか。私たちは先を急ごう」
私は気絶した暗殺者たちを一瞥し、再び歩き出した。
王国の連中も、まさか自分たちが放った勇者の「隣」に、自分たちが殺そうとした魔王が平然と混じっているなんて夢にも思わないだろう。
「さあ、ここからは魔王領の本当の深部を抜けていくよ。ハルトくん、ガイドは任せたからね!」
「うっす! 俺に任せろッス! 平和になった魔族の街を観光しながら、王都まで最高の凱旋パレード、再開ッスよ!」
勇者は能天気に進み、聖女とエルフは魔王への恐怖に震え、そして本物の魔王は私とお揃いのローブを揺らして笑う。
いびつで、けれど最高に強力な一行の、魔界を横断する『逆走の旅』が今、幕を開けた。




