古流の閃きと、聖女の癒やし
「……邪魔だ。……どけ」
どろどろとした赤い光を瞳に宿したハルトくんが、ゆっくりとこちらを振り向いた。
その切っ先が向いているのは、魔王の部屋の扉ではない。彼のすぐ後ろに立っていた、アナスタシアたち三人のヒロインだ。
「え……ハルト、様……?」
「……嘘でしょ。あの殺気、本気で私たちを……っ!」
異常事態に、エルヴィーラとフェリスの動きが完全に遅れた。
赤黒い魔力を纏った聖剣が、容赦なく彼女たちを両断しようと振り下ろされる。
――その瞬間。
「……っ!」
私はリュックの奥底に隠していた『反りを持った細身の刃(日本刀)』を抜き放ち、一足飛びにハルトくんの懐へと潜り込んだ。
チート魔法も、規格外の魔力も使わない。
それはただ、文明開化の音が響く世で、私が血を吐くような鍛錬の末に身体に叩き込んだ、純粋な人殺しの技術。
「古流剣術――『霞抜き』」
カァァァンッ!!
私が下から斬り上げた刀の『峰(刃の裏側)』が、聖剣ルミナスの横腹を正確に打ち据えて軌道を天へと逸らす。
そのまま手首を返し、柄頭でハルトくんのみぞおちを、そして峰で延髄を、流れるような連撃で打ち抜いた。
「が……っ、は……」
ドサリ。
白目を剥いた勇者が、糸が切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。
「ハルト……!? ヤエ、今の剣術……魔法も使わずに、あの聖剣の軌道を……!?」
エルヴィーラが信じられないものを見る目で私を見つめる。
「……話は後! ここは魔王の魔力が濃すぎる。このままだとハルトくんの呪いがさらに悪化するよ! いったん城下町まで引こう!」
私はハルトくんをひょいと肩に担ぎ上げ、動揺するヒロインたちを連れて、魔王城から街へと一目散に撤退した。
◇ ◇ ◇
だが、事態はさらに最悪の方向へと転がった。
城下町の宿屋にハルトくんを寝かせようとした矢先、再び彼の瞳が赤く染まったのだ。
「……ウゥゥ……アアアアアッ!!」
「きゃあっ!?」
ハルトくんは獣のような咆哮を上げ、宿の壁をぶち破って夜の城下町へと飛び出していってしまった。
「待ってハルトくん!」
私たちが広場に駆けつけると、そこはすでに地獄絵図になりかけていた。
自我を失った勇者が、手当たり次第に魔力弾を放ち、屋台や建物を破壊している。逃げ惑う魔族たち。
「……殺す、魔族……全部、俺が……!」
「マズい……!」
私が再び峰打ちを決めようと刀を構えた、その時だった。
ハルトくんが放った赤い魔力弾の余波で、広場の時計塔が崩れ落ちた。
「あぶないっ!」
崩れ落ちた瓦礫の下敷きになったのは、逃げ遅れた小さな魔族の男の子だった。
額から血を流し、ぐったりと動かなくなっている。
「……っ!」
その光景を見た瞬間、誰よりも早く動いたのは――アナスタシアだった。
彼女は泥だらけになりながら瓦礫の山に飛び込み、血を流す魔族の子供を抱き起した。
「しっかりなさい! 誰か、誰か布を……!」
アナスタシアの手が、震えている。
教会の教えが彼女の脳裏をよぎる。
『魔族は闇の眷属。我ら人間の神聖魔法をかければ、毒となって彼らの肉体を焼き尽くすだろう』と。
もしその教えが本当なら、彼女の回復魔法は、この子にトドメを刺す劇薬になってしまう。
(……それでも!)
アナスタシアは、先日トマトをくれたゴブリンの女の子の温かい手を思い出した。
彼らは悪魔なんかじゃない。私たちと同じ、血の通った命だ。
「女神様……もし、これが罪だというのなら、わたくしを地獄へ落としなさい! わたくしは今、目の前の命を救いますわ!!」
アナスタシアは涙を振り乱しながら、教典を放り捨て、自分の両手を子供の胸に強く押し当てた。
「『聖なる癒やし(ホーリー・ヒール)』ッ!!」
彼女の杖から、かつてないほど純粋で、眩いほどの純白の光が放たれた。
光は魔族の子供を優しく包み込む。
肉体を焼くような音は、しない。それどころか、額の傷がみるみるうちに塞がり、失われた血の気が戻っていく。
「……ん……おねえ、ちゃん?」
「ああ……っ、あああっ……!」
目を覚ました男の子を見て、アナスタシアはその小さな手を力強く握りしめ、ボロボロと大粒の涙を流した。
神聖魔法が、魔族を癒やした。
それはつまり、教会が数百年かけて説いてきた「魔族=闇の眷属」という大前提が、根底から腐りきった『完全な嘘』だったという証明。
神は、人間と魔族を区別などしていなかったのだ。
「……お姉ちゃんの光、お日様みたいで、すっごくあったかいね」
男の子が無邪気に笑う。
「ええ……ええ! そうですわ……わたくしたちは、みんな同じお日様の下で生きている、ただの命ですのよ……!」
アナスタシアの背中には、もう迷いはなかった。
国が作った偽りの聖女は死んだ。今ここで、彼女は本当の意味で、傷つく者を分け隔てなく救う『本物の聖女』へと生まれ変わったのだ。
「……ヤエ」
エルヴィーラが、崩壊する街の中でハルトくんの攻撃を風の魔法でいなしながら叫ぶ。
フェリスも爪を立ててハルトくんの動きを牽制している。
「みんな、下がって。私がハルトくんを止める」
私は日本刀の柄を強く握り直した。
ヒロインたちはもう、完全に自分の足で立っている。ならば、後は私がこのバカで真っ直ぐな勇者の『呪い』を、力ずくで叩き斬るだけだ。




