第4話 …名前呼びしてほしいの?
午後の授業を終え、放課後を迎えた。
ぼんやりとスマホを眺めていると、黒水が俺の席に近づいてきた。
「佑人、行くぞ」
「……え? どこに?」
「どこにってお前、練習に決まってるだろ」
黒水の言葉で思い出した。今日部活あったな。
窓から外を見ると、校庭ではすでに1年生がボールやマーカーの準備をし始めているところだった。
背を向けてグラウンドへと向かう黒水を追いかけるようにして、俺は荷物を持って駆け出した。
-☆-
ストレッチから始まり、2人一組で相手に体の各箇所でボールを返す基礎練、10mくらい離れて対面パス、オフェンスとディフェンスに分かれて1対1など、いつも通りのメニューをこなしていく。
小学校からサッカーを続けている俺にとっては数えきれないほどやった練習だが、このスポーツが性に合っているからだろうか、こういうのは全然苦じゃない。
練習も佳境にさしかかり、試合形式の練習に入るようだ。
先輩が呼びかけると部員は全員で円を作るようにして集合する。
黒水の位置を確認して俺もそこに入る。一人一人、弧をなぞるようにして順番にいち、に、と番号を言ってチーム分けを行う。
今日は結構人集まっているから4チームか。
全員が番号を言い終わり、チーム分けが決まった。
1番と2番のチームがコートに入って早速試合を行う。
黒水は1、俺は2だ。
無事別のチームになることに成功した。
練習なので、実際の試合のときよりも小さいコートで行われる。
キックオフの合図とともに、コートの真ん中からボールが動き出した。
「おい颯太、ちゃんとボール見て走り出せよ。それ、試合ならオフサイドだぞ」
「すいませんっ」
黒水からのビシッとした指摘に対して、1年生の颯太がディフェンスである俺の横を通り過ぎるようにして走って戻っていく。
颯太は未経験者として入ったため、本格的にサッカーをやり始めてまだ1ヶ月も経っていないことになる。
どうしてもこのスポーツにおいて経験というのは大きなアドバンテージだ。
特にこのような試合形式の練習だとそれが顕著に出る。
「それにしては上手いんだけどな」
思わず声に出してしまう。
未経験者として考えると、颯太のプレーは及第点だ。
ちなみにこれは他人事じゃない。
部員の中で上手い方だと自負している俺も気を抜いたプレーをすれば黒水から檄が飛んでくる。
もちろん気を抜いていた俺が悪いんだけど、その迫力からか、どうしても萎縮してしまう。
だから俺は黒水と別のチームになるよう画策したのだ。
-☆-
抜け番になった俺は同じチームの仲間となんとなく集まり、水道水の入ったスクイズを手に取りながら別のチームのプレーを見つめる。
さっきまでプレーしていた黒水はただ観戦するだけでなく、3年の先輩と一緒に名指しで声をかけて指示を送っている。
それに対して、俺の声かけはナイスパス、ナイスシュートなど、特に考えなくて良い前向きなものに終始している。
変にアドバイスしてムカつかれても困るし。
「先輩、水入りますか」
颯太が額に汗を滲ませて駆け寄り、スクイズを差し出してきた。
空になったスクイズを補給しに行ってくれていたようだ。
ちょうど手持ちのスクイズの中身が少なくなってきたところだったのでありがたい。
「そうだな、貰うわ、サンキュー」
そう言ってずっしりとした重みを感じながら受け取る。
ここから少し離れたところに黒水もいたが、颯太はちょっときまりの悪そうな顔をしながら残りのスクイズをボールカゴの近くに置いた。
颯太に同情しながらも、俺は動かなかった。
練習中の黒水は気張っていてとっつきづらいからな。
-☆-
練習が終わったら。全員で片付け。
俺はみんなと一緒に荒れたグラウンドを均すためにトンボをかける。
準備は1年生が中心となって行うが、後片付けは2、3年生も混じって行うのがサッカー部の中で暗黙の了解のようになっている。
あらゆる面倒ごとを後輩にやらせる、みたいなのって古臭いし、こっちの方が気持ちがいい。
こうやって歩くのもいいクールダウンだし。
横一列になってトンボで均しながら歩いていると、黒水が颯太に声をかけていた。
「お前、ボール見ないで裏に抜けようとするの、前もあったぞ、気をつけろよ」
淡々とアドバイスをする黒水に、彼は何となく目線を下に向けたまま答える。
「すいません、ディフェンスの動き見て行けそうかなと思っちゃって」
「こっちがボール出せなきゃ意味ないだろ。……まあ裏への意識が強いのは悪いことじゃないけど、お前、足速いし」
「え……! ええっと、ありがとうございます!」
彼は思わぬ褒め言葉にちょっと戸惑った様子でお礼を言った。
少し俯きながらも心なしか嬉しそうな顔をしているように見えた。
どうしてもプレー中だと余裕がなくて強い言葉に聞こえてしまうが、こういうところからも黒水の心遣いが伝わってくる。
……ああやって仲間に対してビシッと思ったことを言えるなんて羨ましいな。
不意にそう思った。
俺はトンボのガガガっと乾いた音に心を預けてぐるぐるとグラウンドを回った。
-☆-
着替えを終え、解散して校門の方に向かっていると、大広、姫乃と偶然鉢合わせた。こちらの方に気づいたのを確認して俺は声をかける。
「おっす」
「おつかれー! そっちも部活終わり?」
部活終わりを感じさせないような、いつも通りの明るい大広の声に俺は思わず苦笑する。
「ああ、帰りが被るの珍しいな」
部活の活動時間は季節によって違うが、全部活で統一して定められている。
と言ってもまるまるその時間活動する必要はないため早めに切り上げるところも多く、いつも時間いっぱい活動するサッカー部とは違って、大広が所属する女バレや姫乃の女テニはそうだと思っていた。
姫乃はぴんぴんな大広とは対照的に、疲れたオーラを全身から放っている。
「大会が近いから先輩たち張り切っちゃって。ボール拾いって久しぶりにやったけど、つまんないくせに無駄に疲れちゃったわ」
黒水は水を得た魚のようにピクっと眉を上げ、からかうように姫乃の肩をたたく。
「あれ、ボール拾いってことはメンバー入ってないじゃん、姫乃、抜かされた?」
抜かされたとは序列のことだろう。
その煽りを聞いた途端、姫乃はわなわなと肩を震わして黒水の元に近寄る。
「違うけん! 今回は先輩たちが優先的に選ばれただけ!」
姫乃の顔が赤い。
「そっかそっか、まあせいぜい頑張れよ」
対して黒水は表情一つ変えない。
いつものように口喧嘩が始まった。
姫乃は怒ると博多弁が出るからわかりやすいな。
大柄な黒水相手に全く物怖じせず反発する様はもはや頼もしくすら見える。
奴らの喧嘩を前で捉えながら、俺と大広は置いていかれない程度の歩幅で横に並んで歩く。
「……有紗ちゃんたち、大丈夫かな」
どことなく心配な顔。まあ慣れないうちはびっくりするよな。
「大丈夫だよ、あいつら去年からあんな感じだし」
「そうなんだ……」
俺の言葉に納得はした様子だが、大広はまだどこか浮かない顔だ。
砂を蹴り上げるジャリジャリとした音は、やがてアスファルトを踏む硬い音へと変わる。
校門を出た俺たちは少し離れた距離で二人ずつ坂を下っていく。
新しいクラスになり、休み時間や昼ご飯などで顔を合わせる機会は多いが、学級委員としての大した仕事もまだないから、こうやって大広と二人きりで歩くのは初めてかもしれない。
なんとなく無言の状態が続くのはばつが悪い。話題を変えてみよう。
話題、話題か……思いつかない。ここはまあ無難に。
「そういえば、家どのへんなの?」
「……え、家?」
流れる沈黙。固まる大広の表情。
やばい、間違えた。急に家の場所を聞くとか冷静に考えるとだいぶ気持ち悪いな。
「いや! ええっと、学校来るのにどのくらい時間かかってるのかな、って」
「そういうことね、びっくりしたよ、急にへんなこと言うから」
なんとか大広の顔に笑顔が戻った。
危うく警察のお世話になるところだった。
大広と話すとなんだか調子が狂う。
「大体40分くらいかな、スカイツリーの近くに住んでるよ。毎日家を出ると目の前にこう、ドーンっとスカイツリーが立ってるの!」
大広は両手を広げてアピールする。
「へー、夜とかライトアップしてるよね」
「そうそう!近くで見るとすごい綺麗だよ!」
すごく凡庸な話題だけど、大広はまるで初めて水族館に来た子供のような無邪気さで言葉を弾ませて、こっちにまで楽しさが伝播する。
まあ、人に聞いたのだから自分のことも言うのが仁義か。
「俺も同じくらいの時間かな」
「え、それじゃあもしかして近い?」
「そうだったらよかったけど、残念ながら俺は逆方向だな」
「そっかー残念」
大広の方を見ると、眉尻を下げて肩を落としている。
その様子がなんとなくいじらしくてつい口もとが緩んでしまう。
「別に近くたっていいことないだろ」
「いやいやあるよ! ほら、帰り道で一緒の時間が長くなったりとか」
そう言って頬を膨らませる大広を見ながら俺は心の中で思った。
こうやって何人もの男が勘違いしたんだろうな、と。うんうん。
下り坂も終わりかけ、駅が近づいてきた。
俺が盛り上がっている前の二人に声をかけようとすると、大広はふと立ち止まった。
「……そういえばさ、私の呼び方、決まった?」
今日の昼休み、テラスで周りの注目を浴びながら自己紹介した大広の姿を思い出す。
そういえばそんな話もあったな。
まだ保留中とでも言おうと振り返ると、大広は部活道具の入ったバッグを持って手を前に組み、くりっとした大きな瞳で俺の目をじっと見つめていた。
やっぱりだ。
彼女の黄色い瞳を見ると何故だかどこか懐かしい感情になる。
大広は少し眉をひそめ、バッグをぎゅっと握りしめる。
肩に乗せられた髪は風に揺られながらも形を崩さない。
そんな彼女の様子から、直感的にいつになく彼女の真剣さと不安さを感じる。
彼女の求める答えを考え、俺は視線を泳がせながら口を開いた。
「玲夏でいいか?」
俺の返答を聞いて、大広は不器用にキリッとさせていた目をほんの少し見開いた。
そしてすぐにいつも通りの、……いや、いつも以上と言っていいだろう。
大広はとびきりの笑顔で頷いた。
なんだか言わされたような気もするが、ここで名字呼びは興醒めだろう。
そして、彼女が見せたその笑顔はあまりにも眩しくて、可愛いと思わざるを得なかった。




