第3話 瞳に映る幻影
翌日から授業が始まり、あっという間に金曜日を迎えた。
とは言っても1年の頃と担任は一緒だし、各教科の先生もほとんど変わらないので大した変化は起きない。
ただ、1つ大きな違いがあった。
「この問題、どうやって解けばいいかわかる人いるか?」
数学の授業中、教室に放たれた先生の声はいつものように生徒たちの間をすり抜けて霧散していく。
俺は周りの席を見やる。
前の席は英単語帳。
右の席は物理の参考書。
もう一度言う。
今は数学の授業中だ。
みんなサボってるわけじゃなくて、課題に追われてるのだ。塾に通う奴が多くなっただろうしな。
先生にはバレバレ。でも、内職が常態化しているからか口酸っぱく言われることはない。
大体こういう時は日付にちなんで出席番号で指名されて答えさせられるのが常だ。
1年の頃から俺はこういうとき、たまに手を挙げる程度だった。
絶対合っているという確信のある時だけ。
間違えて変に目立ちたくはないから。
2年になってもそのスタイルは変えない。
しかし、そんな静寂の中で底抜けに明るい声が響く。
「相加相乗平均の公式を使えばいいと思います!」
大広がばっと立ち上がっている。
「あー、大広はいつも答えてくれるから助かるよ」
大広に対する感謝に他の生徒に対する皮肉をスパイス程度に混ぜた口調で先生はそう言った。
「ありがとうございます!」
「だけど、残念ながらその公式じゃないぞ」
「うそっ」
教室がどっと笑いに包まれる。
でもそこには冷笑は全く含まれない。
俺含め、内職に励んでいた奴らも皆温かい視線を大広に送っていた。
「ごめん佑人くん、わかる……?」
立ったままの大広は教科書で顔を隠しながら、眉尻を下げて隣の席の俺の顔を見てくる。
「ええっと……普通に微分じゃないか?」
自信はないけど、と付け加える前に、困り顔だった大広はパッと顔を上げて黒板の方に向き直る。
「ありがと! 先生、微分すればいいと思います!」
どうやらあっていたようだ。俺はほっと胸を撫で下ろす。
そうして、授業は緩やかに進んでいく。
そう、大広はクラスで大きな存在感を放っていた。
例えばある日の休み時間。
「ねえねえ、そのキーホルダーすっごく可愛いね!」
「ほんと? ありがとう」
「お名前、姫乃有紗……だったよね? 有紗ちゃんって呼んでもいい?」
「もちろんいいわよ。私も玲夏ちゃんって呼ぶわね」
「うん! ありがとっー!」
RTAでもしてるのかってくらいのスピードで、初対面の子相手でもどんどん話しかけて友達を増やしていく。
最初の方はその様子を冷めた目で見ているやつも一定数いたが、誰に対しても明るく話しかけていくその底なしの明るさはそんな邪心を浄化してくれた。
かくして、大広は文句なしにクラスの人気者になった。
確かに非の打ち所がない。ちょっと抜けていて授業中の発表が半分ほど間違っているところはご愛嬌だ。
そうこうしているうちに昼休みになった。
俺は黒水や寺井、八坂と一緒に弁当を持ってテラスへ向かう。
テラスは3階と4階にある屋外スペースで、俺たちと同じように弁当を食べている奴がちらほらいる。
「今日も藤Tいないから練習ないらしいぜ、流石にだるくないかー?」
寺井真太郎は屈託のない口調で八坂に絡む。
「まあ新学期始まって間もないから色々とごたついてるんじゃないかな? さっき職員室で電話してたし」
寺井の文句を八坂がうまい具合にいなしている。
「そういうもんなんかなー」
寺井とは一年生の時は別のクラスでほとんど絡みがなかったが、今回同じクラスになり、学級委員という立場上クラスでいろんな人と話すうちに、よくつるむようになった。
坊主頭の風貌が象徴的で、いわゆる野球小僧がそのまま大きくなったという感じである。
にしても、練習がないのを残念がるなんてすごいな。
そりゃ俺だってサッカー自体は楽しいけど、練習でへばっていると黒水から檄が飛ぶ。修行だと錯覚してしまう時すらある。
俺たち4人が横並びになってベンチに腰掛けると、黒水がつまらなさそうな顔で唐揚げをつつく。
「そういえば、昨日大広に告った奴がいたらしい」
「え、まじ?! 学校始まってまだ1週間とかだぜ、流石に早すぎないか?!」
聞くや否や、寺井は口にモノを入れたまま反応する。
頼むから喋る前にまず飲み込んでくれ。
「まああんな感じで話しかけられて勘違いしたってところだろうな」
黒水はフラれた奴に同調するそぶりも見せずに淡々と答える。
そんな単純な奴がいるんだな。
確かに自分に声をかけてきた場面だけを切り取れば勘違いしてしまうかもしれないが、他に奴らにも同じ感じで接しているところを見ればそれが彼女のデフォルトなのは自明の理だ。
鈍感で気の毒なそいつに哀悼の意を込めて、俺は心の中で両手を合わせる。
黒水の隣で八坂はグリーンピースを器用につまみながら話す。
「それにしても、彼女ってずっとあんな感じなのかな。高一の時のことよく知らないけど」
「あいつと同じクラスだったサッカー部のやつが言うには、ずっとあんな感じらしい」
黒水の返答に対して俺は思わず毒を吐いてしまう。
「なんというか、あれって素なのかな」
実際、中学校とかだと彼女のようなキャラの子は「ぶりっ子」と揶揄されていた気がする。
高一のときに彼女の変な噂や悪評をほとんど聞かなかったのは、彼女のあの姿が作られたものじゃないからなんだろうけど……理解が追いつかない。
八坂は肩をすくめて冗談ぽく答える。
「まあ裏の顔がやばかったら評判はガタ落ちだろうね」
寺井はあからさまに腑に落ちていない様子だ。
「ええー想像つかないけどなー」
そりゃーお前みたいに無鉄砲で素手で戦っている奴には想像なんてつかないよ。バッターボックスに立っている時すら怪しい。
そんな野暮な話をしているうちに「あれ、佑人くんだ! あとみんなも!」と透き通るようで軽快な声が聞こえてきた。
姫乃と一緒に入口の方から駆け寄る大広の表情はいつもと特に変わらない。
……おそらくさっきの話は聞かれてなさそうだ。
胸を撫で下ろしながら俺たちも合わせるように手を振る。寺井のやつ、なんか照れてないか。もうそろそろ慣れろよあいつのノリに。
「ああ、大広さんと姫乃か。隣空いてるからよかったら」
俺はそう二人に声をかける。
大広の隣にいるのは姫乃有紗。高1の時から同じクラスのやつだ。
「ありがとー! てか、そんなカタイ呼び方じゃなくて、呼び捨てしていいからねー」
「ああ、わかった。考えておくよ」
知り合ったばかりの女子を下の名前で呼ぶのはなかなかリスクのある行為だ。
ここは無難に「大広」だろうか……
まあ、大広の呼び方を推敲するのは後にしよう。
かくして本日の昼ごはんは6人での大所帯となった。
なんだかんだ以前からの知り合いで固まっちゃったな。とはいえ、大広と寺井は高一の時は別のクラスだった。だから俺はこう切り出した。
「せっかくだしさ、改めて自己紹介しようよ」
この学校では高2と高3の間でクラス替えが行われない。
すなわち、このクラスは卒業までの2年間ずっと同じメンバーで過ごしていくことになる。
そこで俺はみんなに自己紹介を提案したのだ。それぞれのことを軽くでも知っておくのは損のないことだろう。
いいわよそんなの、と冷めた目の姫乃を尻目に、大広は快く反応する。
「いいねゆうとくん! じゃあ私から!」
もはや予想通りというか、まっすぐな明るい声で大広は自己紹介を始めた。
おい、わざわざ立たなくていいぞ、なんか周りから視線を集めてる。
大広はみんなが見えるように少し前に出て、胸に手のひらを当てながら言葉を続ける。
「私は大広玲夏、名前にも入っているけど夏が好きかな。よく友達にもいわれるけど、長所は底なしの明るさです。みんなと仲良くなりたいと思ってるからこれからよろしくね!」
風の音に紛れるくらいにぱちぱちと拍手の音が響く。
大広に続いて残りのメンツも自己紹介を始めた。
「えー、姫乃有紗です。テニスやってます。よろしく」
いかにも気だるそうに立って自己紹介を済ませたのが姫乃有紗。
一言で言えば生意気な金髪ギャルってところだ。
こいつは1年の時も同じクラスだったから知ってるが、負けん気が強くて黒水と小競り合いを起こしていたのでいつもヒヤヒヤだ。
まあ次は俺の番かな。流れに乗って俺も立ち上がる。
「えーっと、唯佑人です。サッカー部です。みんなとは仲良くなりたいと思っているのでよろしくお願いします」
拍手の音を聞きながら座る。
特に面白みのない内容だが、こんなもんだろう。
すでに弁当を食べ終え、菓子パンに手をつけている寺井が後に続く。
「寺井真太郎、16歳です」
中身のない言葉の後、寺井は大広の方に向き直る。
「大広さん、部活何か当ててみて」
だるい絡み方をするなよ。
大広は突然の指名に戸惑いながらも答える。
「ええっと、……野球部?」
「正解! さすが大広さん!」
謎の拍手に大広は困惑の色を強める。
「んなもんお前のハゲ頭見ればわかるだろ」
黒水の辛辣ながら当然の指摘に寺井は不満そうに反論する。
「ハゲじゃない! これはれっきとした丸坊主!」
あまりにも不毛すぎるのでネクストバッターに八坂を指名する。
「八坂聡、バスケ部。みんなとおんなじクラスになれて本当に嬉しいよ。2年間よろしくね」
そう言ってわざとらしく両手を広げる八坂に素直に拍手しているのは純粋無垢な大広だけで、他のメンツはいつも通りのキザっぷりに眉を顰めている。代打失敗。
黒水は気をとりなおすように、弁当箱の上に箸を置いた。
「黒水達也。佑人と同じサッカー部です。いつも隠れてサボろうとしているこいつをしごいています。よろしく」
滔々《とうとう》と自己紹介のダシに使われたことに苦笑しながらも俺は小さく拍手する。事実だけど、そんなに嫌な気はしない。
そんなこんなで全員の自己紹介が終わり、お互いの部活動や高1の時の話など、新学期にふさわしい話題で軽く談笑する。
全員が食べ終わり、教室に戻る途中、隣にいた姫乃がぶっきらぼうに声をかけてきた。
「佑人、久しぶり」
「久しぶり。その髪色って注意されなかったのか?」
「はあ? 何言ってんのよ、校則に書いてないんだから大丈夫でしょ。滝沢がグチグチ言ってくんのがウザいけど」
じゃあダメなんじゃないか、という言葉をどうにか飲み込む。
「……体育教師の立場があるんだろ知らんけど」
「あーほんとうざいうざい」
そう言いながら俺を手で追い払うような仕草を見せる。
これでもだいぶ譲歩したけどな。
「それより」
姫乃は冗談か本心かわからないような神妙な表情で立ち止まり、俺の方に向き直った。
「あんた、玲夏ちゃんと前から知り合いだった?」
「大広か?……いや、2年になって初めて話したけど」
質問の意図が掴めない。
「私たちが合流した時、佑人だけ名指しだったじゃない。もしかしたらと思ったけど……ごめん気にしすぎだったわ」
姫乃はあっさりとそう言って俺を追い越して大広に話しかけに行った。
そう言われてみたら俺だけ名指しだったな。
まあ同じ学級委員だったし記憶に残りやすかったとかなんだろう。
でも不思議だった。
知り合いなのかと聞かれてすぐに否定できなかった自分が。
彼女のような振る舞いをする人とは会った記憶がなかったけど、向日葵を綺麗な花飾りにしたような彼女のくりっとした瞳にはどこかで見覚えがあるような気がしたのだ。
姫乃のせいでモヤモヤとした心の霧を振り払うように俺は教室に向かって駆け出した。




