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第12話 玲夏の葛藤

「終点、代々木上原、代々木上原です」


 アナウンスを聞くと、大広は待ちきれないように席を立ち、乗車口の前に向かう。

 扉が開くと同時にこっちの方を見ながらにこやかに飛び出した。

 

 電車で揺られる数十分間。

 大広は何事もなかったように友だちの話や最近見たアニメの話など、色々な話題を振ってくれた。

 ああ、気を使わせてしまっているなと思いながらも、屋上での出来事に踏み込む勇気も出なかった。

 この会話を楽しんでしまっている自分に後ろめたさを感じながらも、こうやって二人で話す時間が心地よかった。


 駅前に出ると俺は一歩前を歩く大広にリードされながら住宅街の方に歩みを進める。

 時折おしゃれなカフェのようなものも目に入るが、どこも敷居が高そうで、とても高校生がデートをするような場所には見えない。


「どこに向かってるんだ?」


「なーいしょ!」


 そのまま住宅街の中を歩いていくと、見覚えのある景色が見えてきた。


「……ここって俺が昔住んでた場所だ」


 大きな坂を下りながら左手に見える公園を見て思わずつぶやく。

 少し背伸びした制服を着て、母親のママチャリに乗せられた小さな自分の姿が思い出される。


 大広は特に驚く様子も見せず、前を向いたままニコッと笑う。

 懐かしく感じながらも不思議に思う。

 単なる偶然だろうか。


 そのままずっと歩き、ミモザの黄色く可憐な花を眺めながら細い路地へと入る。

 

 辿り着いたのは、俺が昔通っていた幼稚園だった。


 心臓が跳ねる。

 

「とうちゃーく」


 そう言って門の前で振り返った大広の姿は、いつもと違っていた。


 

 ――ああ、そうか。そうだったんだ。

 彼女の名前にどこか引っ掛かっていたのは。

 始業式の日、俺に会いたかったと声をかけてくれたのは。

 どことなく、彼女の黄色い瞳に見覚えがあったのは。

 彼女がヒーローという言葉を口にしたのは。

 

 いつも教室で見せるような天真爛漫さは影を潜め、かつて出会った泣き虫な女の子と同じ表情と声をしていた。

 陽気で覆われているけれど、怯えているような表情。

 その声はあのときと似ていて少し震えていた。


「思い出した?」


「君は…… そうか、あのときのれいかちゃんが君だったんだ……」


 なんとなく、その顔から目線を逸らすのが惜しくて、じっと見つめながら答える。


「そうなんだよ」


 寂しそうに笑った。

 始業式の日、きっと彼女は思いがけない再会に胸を躍らせていただろうに。


「……ごめんな、今まで気づかなくて」


「ううん、いいの」


 今日、こんな仕打ちを受けて俺のことを嫌いになってもおかしくないのに。


「思い出してくれて、嬉しいよ」


 純粋な笑みを浮かべる彼女の姿に、胸が痛くなる。


「それじゃあ中に入ろっか」


「……勝手に入っていいのか?」


「今はみんな帰ってるから大丈夫、1回来たことあるし」


 そう言って正門横の小さな扉から入る玲夏に続いて、俺もかがんで扉を抜ける。

 

 中を歩いていくと、体育館のような大広間、大きな銀杏の木、明らかに幼稚園児用ではない高い鉄棒など懐かしいものばかり目に入る。

 二階から伸びる螺旋状の滑り台をいつか滑ってみたかったことを思い出して苦笑する。あの頃はできないことなんてないと思っていた。


 そんな、頭の中でぼんやりと浮かんでいた情景が鮮明に映るのがなんだか不思議で、俺は思わず無言で色々なところに目が移ろいでしまう。

 

「あら、れいかちゃん久しぶり」


 声のする方も見るとなんだか見たことのある女性。髪を後ろに結んでエプロンをつけているところから、先生のようだ。

 玲夏は微笑んで言葉を返す。


「お久しぶりです」


「隣の男の子は……もしかして佑人くん?」


「……はい、そうです」


 相手が誰だったか思い出せずになんだか歯切れの悪い返事になってしまった。それを察したのか、玲夏は助け舟を出してくれた。


「ほら、ひとみせんせいだよ」


「……ああ! すいません、今思い出しました。お久しぶりです」


「いいのよ、久しぶりね」


 名前を聞いた途端、十年と少し前のひとみ先生の面影がぼんやりと蘇る。

 あの頃と全然顔が変わっていない気がするけど思い出補正というやつだろうか。


「二人とも全然変わらないわねー」


 向こうも同じようなことを思っていたようだ。なんだか懐かしい気持ちになって思わず顔がほころぶ。


「せっかくだから中に入る?」


「いいんですか?」


「大丈夫よ。一部の教室はピアノ教室やってるけど、二人がいたときの教室は空いてるから」


 玲夏の方を見るといつものようなはしゃぐような表情じゃなかったけれど、どこか高揚するような素振りを見せていたのでここはお言葉に甘えることにした。


「全然変わらないな」


「ほんとだ! でも椅子がちっちゃく感じる。昔はこれに座ってたんだなー」


 玲夏はそう言って、まるでミニチュアみたいに小さく見える、アンティーク調の茶色の椅子に腰掛ける素振りをする。


 俺が昔過ごしていたさくら組の教室だ。

 子どもたちが30人ほど過ごせるような広さで、木を基調とした落ち着いた雰囲気。

 子どもたちの鍵盤ハーモニカが入っているロッカーとは反対側の壁を見れば、皆思い思いにクレヨンを走らせた絵がいくつも飾られている。


 ひとみ先生は俺達でも座れるような大人用の椅子を持ってきてくれた。

 俺と玲夏はお礼の言葉を言って、先生と一緒にグランドピアノの近くに腰掛ける。


「君たちみたいに、卒園した後も来てくれる子はたまにいるのよ」


 そう言いながら、馴染みあるイチゴミルク味の飴を手渡してくる。

 玲夏はありがとうございますと言いながらすぐに口にした。早いな。

 先生は誰もいないグラウンドを見やった後、こちらの方に向き直る。

 

「……そういう子たちはいつも、何か悩んでいることがあって来るんだよね」

 

 その言葉を聞いて俺たち二人は思わず体をこわばらせる。


「もちろん無理強いはしないんだけど、何か困ったことがあるんだったら、よかったら聞かせて欲しいな」


 横を見ると玲夏は話したくてたまらないのか、飴をガリガリ噛んでいる。


 そんな彼女を俺は制す。


「……俺が話しても大丈夫か?」


 玲夏はおずおずと、それでいながら俺の言葉を待っていたかのように頷いた。



「――そっか。そんな大変なことがあったのね。話を聞かせてくれてありがとう」


 ひとみ先生は俺が話している間、柔らかな笑みを浮かべたまま頷いてくれていた。

 同じ高校になって、同じクラスになって、同じ学級委員になって、普段の他愛もない話から屋上での出来事まで全部。

 少し蛇足なところもあったかもしれないけど、ひとみ先生に聞いてもらっていると、不思議と話したくなってしまった。

 すっかり飴を食べ終わった玲夏が口を開く。


「私って小さい頃、すごい泣き虫だったじゃないですか」


「そうだったわね。年長になっても幼稚園に来るたびにお母さんから離れるのを嫌がって泣いてたっけ」


「ちょっと、そんな恥ずかしい話ストップ! ストップ!」


 顔を赤くして手をブンブン振り回す玲夏の姿を見て俺と先生は笑う。


「……それでね、幼稚園で友達と遊ぶときでも泣くことが何度もあったと思うの」


「そうね」


「そんな時、どんなに些細なことであっても、佑人君が近づいてきて『どうしたの?』って声をかけてくれて」


 そう言って玲夏は胸の前に手を当てる。


「彼がそう言ってくれるたびに心がなんだかじんわりと暖かくなって、その気持ちは今でも覚えているの」


 お絵描きするときに上手く色が塗れなくてしくしく泣いて。

 少し意地悪な男の子に遊んでたおもちゃを取られて先生に泣きついて。

 でも泣き止んだらよく笑った。

 そんな女の子との姿を思い出す。


「私、佑人くんと同じクラスになれたときにすごい嬉しくって。同じ高校なのも知らなかったからこんなことあるんだって思って」


「そうだね、すごい運命だね」


 俺は玲夏と先生の会話を黙って聞く。玲夏は少しだけ俯いて話を続ける。


「……でも、ここに来るまで佑人くんにはそのことを言ってなかったんです。言おうと思ってLINEを送ったこともあったけど、なんか違うかなーって思って」


 ああ、そういえばそんなこともあったな。そう思うと同時に浮かんだ疑問を、図らずも先生は優しく投げかけた。


「それはどうして?」

 

 玲夏は少しためらいながらも、意を決したように口を開いた。


「背負わせちゃうじゃないですか、昔のことを」

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