第10話 俺はヒーローなんかやめたのに
「それにしても佑人くんから誘ってくれるなんて珍しいね。屋上ってザ・青春って感じするから一度行ってみたかったんだー」
「あ、ああそうだな、俺もだよ」
俺が出した結論は、大広とともに屋上へと向かうことだった。
あの付箋が文乃先輩がつけたものだとして、俺一人で彼女の目の前に立ったところでどこから説明したらいいかわからない。
一人で立ち向かうのも怖いし。
そこで、大広と二人で行って文乃先輩の話を聞くことにしたのだ。
きっと話せばわかるはず。
……とはいえ、「実は水筒にこんな付箋が貼られていて……」と言えるわけもなく、珍しく屋上が開放されているらしいから一緒に行ってみようという嘘をでっち上げて、ついてきてもらったのだ。
隣で愉快に鼻歌を歌う大広の姿を見ると胸がズキズキ痛む。
俺の誘いが嘘だなんてこれっぽっちも思っていないようだ。
階段を登り始めて間もなく、屋上が見えてきた。屋上へと続く扉はすりガラスで外の様子はよく見えない。
扉の前に立つと悪寒がした。
この扉を開けたらもう日常には戻って来れないんじゃないかという不吉な予感で心がざわつく。
やっぱり戻ろう
また今度にしよう
そんな、嘘に嘘を重ねるような言葉をかけようとしたとき――
「うわっ、風つよいねー」
すでに大広は扉を開けて外へと飛び出していた。
「あっ、ちょっと待っ――」
慌てて俺も後に続いて外へ出る。
さっきまで居た踊り場が暗かったせいか、照りつける日差しに少し目が眩む。
視界が徐々に鮮明になり、こちらを睨む人物を捉えるのと同時に、少し前で立ち止まった大広が言葉を漏らす。
「文乃先輩……?」
「あら、男の子なんか連れてきちゃって。モテモテね」
文乃先輩は切れ長の目を細めて、不敵に笑う。
屋上といっても何か特別なものがあるわけではない。
周りは安全のための高いフェンスで囲まれており、この空間にいるのは俺と大広、そして文乃先輩だけだ。
屋上への入り口が風に煽られ、後ろでドンっと大きな音を立てて閉まる。
さすがの大広もどこか気まずそうに文乃先輩から目を逸らしながらも、いつもの明るい調子で答えようとする。
「そ、そんなことないですよー。ゆうとくんとは今年一緒のクラスになって……」
「そんなこと知ってるわよ。嫌味だってわからない?」
文乃先輩の冷徹な言葉に、大広は体をビクッと震わせる。
「そこの君、出ていってもらえる? 私はこの子と話があるの」
文乃先輩にしてみれば、大広が昨日、水筒に付いていた付箋を見て俺を連れてきたと思っているだろう。
「違うんです。俺が大広を連れてきたんです」
文乃先輩の顔がより険しくなる。
「何それ」
こちらに向けて詰め寄る。
思わず逃げ出したくなるが、どうにか堪える。
だけど、その言葉を聞いた途端。
「あんた、ヒーローにでもなったつもり?」
目が眩んだ。
俺はかつての夢を無意識に追いかけていたんだ。
それは、もう諦めた夢。
声が出ない。
悍ましかった。
こうしてまた、中途半端な優しさで人を傷つけた自分が。
「早く出てってよ!」
その迫力に気圧されながらも俺は言葉を紡ごうとする。ようやく声が喉から出そうになったその前に――
「いいよ」
こちらに背を向けたまま、大広はそう口にした。
いつもの抑揚のある語り口とはうって変わって、何を考えているか読めない淡々とした口調で。
「でも……これは……」
なんでこんな情けない、意味も持たない言葉しか出て来ないんだ。
そんな俺を庇うようにして。
「大丈夫だから」
大広は軽く息を吐く。
「昔みたいに、無茶しなくていいよ」
その言葉が、胸を衝いた。
なんで「昔」って言ったのか、考える余裕なんてなかった。
屋上に吹く風にかき消されてしまうほどのか細い声で「ごめん」と声にして俺は踵を返す。
振り返ることもできず、足元もおぼつかない。
踊り場に出て、バタン、と扉が音を立てると先ほどまでの出来事が嘘だったかのような静寂に包まれる。
とても立ってなんかいられない。
俺は入り口付近の壁に倒れ込むようにして座った。
俺は何がしたかったんだっけな。
そこに文乃先輩がいることはわかっていて、きっと仲田先輩がらみのいざこざの怒りを大広にぶつけようとしてたことぐらいわかっていたのに。
大広一人じゃ危ないから俺もついてきたみたいに自分の中で言い訳をして。
俺が大広を助けられるなんて自惚れも甚だしい。
結局、俺は大広を盾にして逃げ出しただけだ。
頭がズキンと痛くなる。
俺は床に拳を叩きつけ、目頭に力を入れる。
今一番傷ついているのは大広だ。
俺に泣く資格なんてない。
一緒に屋上に行こうと俺に誘われて、心を躍らせながら扉を開けてみたら先輩がいて。
怒号を浴びて――。
そうだ、今にでも大広のもとへ行かなければ、と目線を扉の方に向けた瞬間、扉がバンと開いて大広が飛び出してきた。
大粒の涙を流しながら。
「大広!」
俺は涙を堪えたままの裏返った声で呼びかけたが、大広は反応する素振りを見せずにそのまま階段を駆け降りていった。
彼女の姿が見えなくなった直後、背後から再びギギっと扉が開く音がする。
「ああ、まだいたんだ彼氏くん」
その声は不気味なくらい冷淡で、血が通っていないようだった。
「……大広に何言ったんですか」
なけなしの抵抗を見せるも、俺の声は自分でもわかるくらい震えていて、弱々しい。
「見捨てた君に言う必要なんてないね」
そう告げた後、彼女はこちらに一瞥もせずに階段をゆっくりと降りていった。
ああ、あのときと一緒だ。こうやって、中途半端な正義感を見せて逃げた、あのときと。
-☆-
中学2年生のとき、咲夜と同じクラスになり話すようになった。
今と変わらずクールで一匹狼なタイプだったが、今と違って俺とも距離感をしっかり保っていた。
そんなある日、咲夜はリーダー格の女子に歯に衣着せない物言いをして、徐々にクラス内で孤立していった。
当然、ヒーローぶっていた俺はそいつに向かって嫌がらせをやめろと直接言った。
そうしたら、俺も嫌がらせをされるようになって、孤立するようになった。
放課後、中学校を出たところで一人で下校している咲夜を見かけた。別に一人で帰るなんて珍しいことじゃないけど、なんとなく彼女を一人にはしたくなかった。
「咲夜」
「……唯くん」
しばらく俺たちは無言で歩いていた。咲夜は周囲の目を気にしながら背中を丸めているようだった。
沈黙を破ったのは咲夜だった。
一段と重い声。
「あのさ」
「ん?」
「もう、私のこと構わないで」
「どうしてだ?」
俺の呼びかけにも、咲夜は俯いて唇を噛んだまま。
「間違っているのは向こうのほうだ。咲夜は正しいことしか言ってなかった」
「違うの」
咲夜は立ち止まり、こちらに向き直った。
いつものような無表情さは影を潜め、目に涙を浮かべていた。
嫌がらせにも動じない咲夜がそんな表情を見せたのは、初めてのことだった。
「私は嫌なの」
「……だったら尚更俺があいつらに言わないと」
咲夜は、ばっと息を吸い込んで叫ぶ。
「そうじゃなくて! 私は、何も悪くない唯くんが酷い目に遭うのが嫌なの!」
慣れない大声を出したからだろうか、言い終わると咲夜はケホケホと苦しそうに咳をした。
「……咲夜」
「今だって、君は人目も気にしないで私のそばに来てくれたでしょ」
咲夜は俺が差し出した手を優しく払った。
「もう大丈夫だから。君は自分のことを大事にして」
目元を拭いながら駆け出して遠ざかっていく咲夜の背中を俺はただ見つめることしかできなかった。
それ以降、俺は人前で咲夜を助けるのを控えた。そうすると徐々にクラス内での俺の立場も回復してきて、どこか安心する自分がいた。
度重なる嫌がらせにも動じない咲夜の様子に飽きたのか、しばらくして嫌がらせはなくなり、再びクラスの平穏は戻った。
俺はむやみやたらに正義感に駆られた行動をするのをやめた。咲夜に言われたからじゃない。こうやって傷つくのを恐れる自分を見たくなかったから。




