第9話 玲夏に迫る危機
放課後、予定通り1組前の廊下で待ち合わせて咲夜と体育館へと向かった。
この高校は大きな坂の途中に位置しているため作りが普通の学校と比べて特殊な部分がある。その1つが体育館だ。
体育棟は教室がある建物と分離しており、本棟3階から渡り廊下を渡る必要がある。
カーテンは全開になっており、体育館全体は明るい雰囲気になっている。
体育館を覗くと、バレー部やバスケ部の1年生が練習に必要な道具を出しているところだ。
「まだ部活始まってないみたいね」
「まあ、授業終わってすぐだからな。大広が来る前に隠れ場所を見つけないと」
「そうね……」
咲夜は人差し指を顎に当てて辺りを見渡す。
「あそことかどう?」
咲夜が指差したのは2階のキャッツウォーク。普段立ち入ることはないが、体育倉庫のところから階段を登れば行けたはずだ。
「良さそうだな、あそこなら全体も見渡せるし」
俺は咲夜と共にキャッツウォークへと向かった。
大広と文乃先輩との間に何があったのか、俺にはわからないし、わかる必要もないのかもしれない。女子同士のいざこざに首を突っ込んで俺に飛び火したら嫌だし。
でも、直感的に思った。今回の件、見て見ぬ振りをしたら絶対後悔するって。
「あのカーテンの奥に陣取るか。そこならバレないだろ」
「そうね」
そう言って俺たちはバレー部が見下ろせる位置に隣に並ぶようにして座った。大広にバレたらまずいので、カーテンからはみ出ないようどうしても距離が近くなる。
ひざを抱えながら体育座りをする咲夜はいつもと何も変わりなく、それを見て安心しながら大広が現れるのを待った。
十分ほどして体育館に掛かった時計の針が4時を示したあたりで女バレの練習は始まった。
「彼女もいるわね」
「そうだな。とりあえずよかった、ちゃんと部活に来てて」
準備体操からパス練、スパイク練、実践形式など、素人から見ても一般的だと感じるような練習メニューを全員でこなしていた。
練習中は指示や注意の鋭い声が飛んでおり各々真剣な面持ちをしていたが、1年生が入部してからまもなく、特に大きい大会が近づいていないこともあってか、水分補給を兼ねた休憩の時には時折笑い声が聞こえる程度には和やかなムードだった。
大広も例に漏れない。
「誰が文乃先輩?」
「あそこで1on1の攻撃側やってるのが文乃先輩だと思う」
そういうと、咲夜はカーテンの隙間からうまく見えないのか、「んー?」と悩ましげな声を出しながら俺とさらに距離を近づける。肩と肩が触れて思わず声が出そうになったが、大きな声を出してしまうと階下にいる連中にバレてしまうため、どうにか耐えなければならない。
相変わらず距離感がバグっている。
咲夜からいつもと違う、なんだか甘い香りが漂ってきて、謎の罪悪感に襲われる。なんだろこれ、香水、いやいやシャンプー、柔軟剤か?
……考えるのをやめよう。
頭の中で無心で寿限無を唱えていると、「あーあの人ね」と言って咲夜は俺の上からさっと離れた。
なんだか名残惜しいような感覚を振り払う。
「委員会で会ったばかりだからな。あと、練習中に名前を呼ばれるのが何度か聞こえてたし」
「そういうことね」
「にしても休憩中も練習してるなんて、熱心だな」
文乃先輩が大広と話している様子はなかったが、そもそも同級生同士で群がって雑談しているような雰囲気だったのでそこまで不自然なことではないだろう。
体育館に掛け声や指示の声が反響する。そんな光景をぼんやりと眺めていると、咲夜は少し重い声でつぶやいた。
「佑人は、大広さんを助けようと思っているの?」
「ああ、そりゃそうだろ」
真意を図りかねて咲夜の方を見る。
伏せがちな目に長いまつ毛が覆っている。
「……今度は無茶しないでね」
その一言で言わんとしていることが分かった。
中学2年生。
俺がまだヒーロー気取りだったころ。
「……あのときはごめん。俺も成長したから、あのときみたいに正義感で人を傷つけないようにうまくやるよ」
「いや、私は別に……」
咲夜の言葉の続きはうまく聞こえなかった。聞きたくなかったのかもしれない。
互いの罪悪感を譲り合うような、無言の時間が続いた。
結局、1時間半ほどしたところで練習は終了したようで、下級生である1、2年生を中心に片付けが始まった。文乃先輩を含む3年生たちは先に更衣室に戻っていく。
「特に問題はなさそうだったな」
「そうね、私そろそろ塾行かないと」
「まあ帰るか」
俺たちも立ち上がって教室に戻ろうとした時だった。
「ねえ見て!」
珍しく声を荒げて咲夜は指差した。その方向を見やると大広と数人の同級生たちがいた。
遠くて表情はよくわからないが、何か良くないことが起こっていそうだった。
「よく見えないわ」
そう言って咲夜は大広たちのいるステージの近くまでキャッツウォーク上を走った。大広たちにバレないか心配だったがどうやらこっちを見る余裕がないようだったので俺も咲夜を追いかけて移動する。
近づくと彼女たちの話し声が段々と鮮明に聞こえてきた。
「水筒がなくなったの?」
「うん」
「どこにおいてた?」
「いつも通りあそこの壁にみんなと一緒に置いてたんだけど、どこか別の場所に置いちゃったのかな」
大広が指差している場所には彼女らのものと思われる水筒やタオルがある程度整頓された状態で並んでいた。
「誰かが間違って持っちゃっているのかな」
その場にいる仲間たちは皆心配している様子だった。
「そうかもしれないね。最後の全体挨拶の時に聞いてみるね」
大広はそう言って顔をニコッとさせて更衣室の方へ向かった。
でも、この距離でもわかった。
あいつ、無理して笑ってる。
やがて全員が着替えを終えて体育館前に集合し、解散の挨拶をしていた。
大広は全体に向けて水筒の件について話していたが、何か有力な情報を得たようではなさそうだった。文乃先輩は塾で先に帰ったらしく、その場にはいなかった。
「まさかな」
咲夜には聞こえないくらいの声量で、そう言葉が漏れた。女バレの連中が解散した後、体育館の入り口はバタっと閉められた。
咲夜も塾のテストがあるらしく、後ろ髪を引かれながらも先に帰った。
誰もいない教室に戻った俺はある1つの可能性を考えざるを得なかった。
文乃先輩が嫌がらせで大広の水筒を隠した。
正直言ってこれは妄想に近い話で、それでいて何の証拠もない。
でも心の中のモヤモヤは考えるほどに大きくなっていって、このまま家に帰るなんて到底できない。
再び体育館に向かおうと廊下に出ると、そこには八坂と黒水が立っていた。
「水瀬さんから連絡があってね、2ー1に来て欲しいと」
「何があったんだよ」
俺は開きかけた口を再びつぐんでしまう。彼らも大広のことを心配していて、助けになろうとしてくれている。それはわかっている。
でも、彼らに具体的な事情まで話す気にはなれなかった。無駄な心配をかけたくない。
「事情は後で話す、とにかく体育館に来てくれ」
そう言って俺たちは教室を飛び出した。
-☆-
俺と黒水、八坂が体育館に着くと、女バレによって閉められたはずの扉は再び開いていた。体育館は静寂で包まれているためか、一歩踏み出すごとにキュッ、キュッと靴が擦れる音が響く。ステージの近くには大広がいた。大広は俺たちの存在に気づくと驚いた顔をしてこっちに走ってきた。
「どうして……?」
彼女の驚きの表情の中には不安が混ざっているように感じた。
「えっと……」
まずい。
大広と鉢合わせると思っていなかったので、うまい口実が思いつかずに言葉に詰まる。
「体育倉庫に空気入れをとりに来たんですよ。家にあるボールが最近柔らかくてね」
八坂は淀みなくそれっぽい理由を並べた。
「それより、大広さんはどうしたの?」
八坂が男バスで日常的に体育館を使用しているということもあり大広は特に疑問を抱いた様子はなく、事情を話し始めた。
当然、大広は文乃先輩については触れずに水筒がなくなったことだけを伝えた。
彼女の話を聞いた黒水や八坂は表情を曇らせた。
それは単に大広の水筒がなくなったというだけじゃないだろう。
彼らの頭には昼休みでの咲夜の話が思い浮かんでいるはずだ。
俺たち3人は大広と一緒に体育館の中を探すことにした。
俺たちは水筒を置いていた柱の近くや、ステージの上、体育倉庫を探す。
大広は更衣室に向かった。
しかしそう簡単には見つからず、死角になりそうな場所もあまりない。
俺は焦る心を落ち着かせて思考を巡らせる。
もちろん、本当に誰かが間違えて持って帰ってしまった可能性もあるが、どうしても文乃先輩の影が脳裏によぎる。
もし彼女によるいたずらだとしたら、そんなに大ごとにはしたくないだろう。
文乃先輩が大広の水筒を隠したってことがバレたら文乃先輩にとっても不都合なはず。
だから今日中に水筒が見つかるように仕向けるはず。
そして、体育館に無かったということは……
俺はもう一度教室に戻った。
下校時刻はすでに過ぎており、教室には人影はない。
あるのは俺たちの荷物だけ。
窓際の大広の席に近づく。
さっき見た時と違い、大広のリュックが椅子の上にポンと置かれている。
罪悪感を覚えつつも中を見ると、奥の方に水筒があった。
やっぱりか。
ひとまず安心して水筒を取り出すと、その側面に付箋がついていた。唾を飲み込み、そこに書かれていた内容を見る。
「これって……」
思わず声が出た。
俺はその言葉の意味を飲み込めないまま、咄嗟にその付箋を引き剥がして丸めてポケットに突っ込んだ。
リュックを元の状態に戻して大広たちのところへ水筒を手に戻る。
「あったよ水筒」
付箋のことには触れず、取り繕うようにして声のトーンを上げた。
「ほんと!? よかった……」
大広の消え入るような声が体育館中に響く。黒水や八坂も安堵の表情を浮かべている。
「どこにあったんだ?」
黒水の素朴な疑問に俺は用意していた答えを返す。
「教室の教卓の上に置かれてたよ。多分水筒に書かれてた名前を見て誰かが届けてくれたんだろ」
俺の嘘に誰も疑問を抱く様子は見せなかった。そのことに俺は安心して、聞こえないくらいの小さなため息をついた。
帰り道。
「今日はありがとう。水筒見つけてくれて」
すっかり安心しきった大広の顔を見て、俺は付箋のことが頭に浮かんで胸が痛くなる。
「全然。それより、見つかって本当に良かったよ」
「なんか、佑人くんに助けてもらってばっかりだな」
大広は嬉しそうに、哀しそうに笑った。瞳を潤ませて目を擦る大広にかける言葉が見つからなかった。
付箋のこと、大広に話したほうがいいんだろうか。そうしたら、さらに大広を悲しませてしまうかもしれない。
自問自答しながら歩いていると、いつの間にか改札に着いていた。
「……また明日な」
そんな他愛もない言葉にも、大広はニコッと返してくれた。
-☆-
ガタンゴトン ガトンゴトン
大広と別れ、俺は1人で電車に乗り込んだ。空席が目立つ車内で、乗車口横のスペースに体を預ける。ポケットに手を突っ込んで、くしゃくしゃの付箋を解きその文字を睨んだ。
「明日、放課後屋上で待っています」
告白の予告を想起させる文面。
ただ、筆跡を見る限り女子が書いたようで、文乃先輩の可能性が高い。
仮にこれを大広が見たらどんな気持ちになっていただろうか。
そして、明日大広が屋上へ登ったとしたら、そこで待ち受ける景色は何なのか。
自分の中では悪い予想ばかり浮かんで、大広に付箋について告げることができなかった。かと言って明日どうするかのプランは全くない。
……そんなことを考えていたら、すぐに最寄駅に着いてしまった。
その夜は全然寝られなかった。
けど、浅い眠りの中懐かしい夢を見た気がした。




