内部仕様書(プライベート)のレビュー
交際開始から数ヶ月。私たちはついに「互いの拠点(自宅)の相互運用性」を確認するフェーズに移行した。
今日の現場は、彼のマンションだ。
「……お邪魔します」
玄関を跨いだ瞬間、私はプロの目になっていた。
築年数は経っているが、整理整頓のルールが徹底されている。動線が最適化されているのだ。
「あ、木内さん。適当に座ってください。今、お茶のプロトコルを走らせます……あ、いや、淹れますね」
彼は少し緊張した面持ちでキッチンへ消えた。
私はリビングの壁一面を占拠する書棚の前に立った。
「……っ、これは」
そこには、技術書の背表紙が、発行年数とカテゴリーごとに完璧にソートされて並んでいた。
絶版になったUNIXの分厚いマニュアルから、最新のクラウドアーキテクチャの解説書まで。まるで図書館のサーバーラックのようだ。
「木内さん、そっちは……あまり見られると恥ずかしいんですが」
「いいえ、素晴らしいわ。このリファレンスの充実ぶり、あなたの知識のバックボーンがよくわかる。……あ、これ、私が探してたやつ!」
私が一冊の古い専門書を指差すと、彼は目を輝かせた。
「それ、いいでしょう? 構造が美しいんです。もしよければ、貸し出し(チェックアウト)可能ですよ」
共通の蔵書を確認し合う作業は、お互いの価値観の「差分(diff)」を取る作業に似ている。
致命的な不一致はない。むしろ、ライブラリの互換性は驚くほど高い。
さらに私の目を引いたのは、デスク周りの「配線」だった。
数台のモニターとPCが繋がっているはずなのに、床には一本のケーブルものたうち回っていない。
すべてがモールで保護され、結束バンドで等間隔に固定されている。
「この配線管理……。芸術的ね」
「……わかっていただけますか。ケーブルの交差はノイズの元ですし、何よりメンテナンス性が悪いですから」
彼は照れくさそうに、でも誇らしげに言った。
普通の女性なら「掃除がしやすそうね」で終わる会話。けれど、システム子会社でスパゲッティ状態の配線トラブルに泣いてきた私には、この「美学」が彼の人柄そのものに見えた。
「ねえ、私の家にも、一度デバッグに来てくれない?」
私がそう言うと、彼はティーカップを持ったまま固まった。
「……木内さんの拠点の、環境構築をお手伝いしてもいいということでしょうか?」
「ええ。キッチンの棚の配置とか、テレビ裏の配線とか。一人で運用するには限界があるのよ」
それは、私たちにとっての「同棲」や「結婚」に向けた、実質的なシステム統合の打診だった。
「……光栄です。全力で、最適化させていただきます」
彼は深々と頭を下げた。
私たちは繋がらない。
甘いムードや、形だけの愛の言葉では。
けれど、互いの「本棚」を信頼し、「配線」の美しさを認め合えるなら。
そのシステムは、どんな負荷がかかっても、決してダウンすることはないだろう。
「じゃあ、次は私の家で『要件定義』ね」
私たちは、同じ銘柄のコーヒーを啜りながら、新しい共有プロジェクトの設計図を、心の中で描き始めていた。




