想定外のシステムダウン
午後のフェーズ、予定では「静かな庭園での散策と要件ヒアリング(雑談)」のはずだった。
しかし、神田明神を出た途端、空の色が急速に「システムエラー」を知らせるログのような禍々しいグレーに染まった。
バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨。
「……っ、これは、予報にない致命的な割り込み処理ですね」
彼は素早く、クリアファイルから例の工程表を取り出した。雨粒がシートを濡らす。
「14:30からの庭園散策は中止、代替案(プランB)に移行します。近隣のカフェへ……」
ところが、彼がリサーチしていたカフェの入り口には『本日、設備点検のため臨時休業』という無情な看板。
完全に、メインサーバーもバックアップも同時にダウンしたような状態だった。
彼は立ち尽くした。
完璧主義なのだろう、手元の工程表が「無効なデータ」と化したことに、脳内の処理が追いついていないようだった。雨の中、傘を差しながら、彼の肩が微かに震えている。
「木内さん、すみません……。僕の設計ミスです。テストが不十分でした」
その時、私は自分のバッグから、使い古した折り畳み傘をパッと広げた。
「設計ミスじゃないわよ。これは『不可抗力』。インフラ側の障害(天災)なんだから、開発側の責任じゃないわ」
私は彼の腕を軽く叩いた。
「ねえ、あそこ。ガード下の古びた喫茶店が見える? あそこなら、設備点検なんてハイカラなことしてなさそうよ」
「……あそこは、僕のリストには入っていません。未知のデバイス(店)です」
「いいじゃない、たまには未検証の環境(ぶっつけ本番)も。行きましょう!」
私たちは雨の中を走り、ガード下の店に滑り込んだ。
店内は、昭和の時代からアップデートを忘れたような、セピア色の空間。
湿った革の椅子の匂いと、古い焙煎機の音。
「……ふぅ。一時はどうなるかと思ったわ」
私はベリーショートの髪についた雫をハンカチで拭った。
彼は、まだショックから立ち直れないのか、濡れた工程表を悲しげに見つめている。
「……スケジュールが、1時間も乖離してしまいました。今日のリリース(デート終了)予定が大幅に遅れます」
「いいじゃない、納期なんて。今日中に終われば『正常終了』よ。それに見て、この店。コーヒーが一杯400円。コストパフォーマンス(費用対効果)は最強じゃない?」
私がメニューを指差すと、彼はようやく顔を上げた。
そして、店内をゆっくりと見渡し、ノートPCを広げている客が一人もいないことに気づいたようだった。
「……なるほど。ここは『オフライン環境』なんですね。外の喧騒とも、デジタルとも遮断されている」
「そう。パッチを当てる必要もない、完成されたレガシーシステムよ」
彼はようやく、深く、長い息を吐いた。
そして、クリアファイルに濡れた工程表をしまい、私に向き直った。
「木内さん、……あなたの『障害対応能力』には、驚かされます」
「伊達に20年以上、仕様変更と戦ってないわよ。ねえ、さっきのスケジュールの続き、ここでやりましょう? 紙の裏に、手書きでいいじゃない」
彼はペンを取り出し、白紙の裏面にサラサラと新しい線を引いた。
定規もExcelもない、歪んだ線。
けれど、そこには「雨宿り」という、計画にはなかったはずの、暖かくて贅沢な時間が書き込まれていった。
「……次は、雨が降らない前提で『冗長化』を考えたプランを作ってきます」
「ふふ、楽しみにしてるわ。でも、またエラーが出たら、私がリカバリしてあげるから」
私たちは、コーヒーの香りに包まれながら、予期せぬ「ダウンタイム」を、これまでの人生で一番充実した時間として過ごし始めた。




