エピローグ〜軽井沢での一夜の回想〜
暑かった夏もじきに終わる。フル稼働するPCの冷却ファンが、乾いた音を立てている。かつて、あの夏の軽井沢で聞いた蜩の規則的なビートとは、似ても似つかない無機質なリズムだ。
あの時の軽井沢は、目が眩むほど高解像度な夏だった。深い緑の隙間から零れる陽光は、計算し尽くされたかのように正確に、彼の白いシャツを透かしていた。
夕立のあとの、土と草の匂い。白く立ち上る水蒸気の中で、私たちは世界に二人だけの孤立したサーバーのように、密やかにデータを同期させていた。
リョウくんの若さと熱量は、角田さんに失恋した後の私を明るく照らし、エネルギーを与えてくれた。
あの日、夕立が降って、二人はどちらからともなく手を繋いだ。リョウくんの手は大きく、その時は、私を包み込み、安らぎを感じさせた。
部屋に入り、「一度だけ、一度だけ」と、自分に言い聞かせながら、彼に身体を委ねた。
高原の冷気にさらされた肌が、彼の大きな掌に触れた瞬間、熱を帯びて発火した。
シーツの海で触れ合う肌の熱は、過負荷寸前のサーバーのように熱く、私の理性をじりじりと焼き切っていった。
喉の奥から漏れるのは、制御不能な吐息。
彼の舌が私の鎖骨をなぞるたび、脊髄を走る電気信号がショートし、指先まで痺れが伝わっていく。
シーツの摩擦と、重なり合う腹部の熱。
彼の荒い呼吸が耳元を叩くたび、私の境界線が溶けて、彼という未知のプログラムに上書きされていくのがわかった。
『一度だけ』という誓いは、彼に深く貫かれる衝撃とともに、粉々に砕け散って消えた。
月光に照らされた彼の筋肉の躍動は、あまりに暴力的なまでの現実感を持って迫ってくる。
汗に濡れた彼の胸板に爪を立て、私はただ、加速するパルスの嵐に身を任せた。
官能という名の高負荷に耐えきれず、私は生まれて初めて、論理的な思考を完全にシャットダウンした――。
指先がなぞった彼の背中のライン。それはどんな精巧な3Dモデルよりも美しく、私の網膜というストレージに、消去不能な読み出し専用ファイル(リードオンリー)として保存された。
効率も、論理性も、損益分岐点も。あの瞬間の熱情の前では、すべてが愛おしいバグに過ぎなかった。
我に立ち返り、「いい夏だったわ。ちょっぴりオーバースペックな浪費だったけれど」
リョウくんが、ほんとうに一流の俳優さんになれたらいいのに。そうなったら、私の投資も役に立ったのだから。
リョウくんとの思い出が、今の私の肥しにもなってくれたらいいわ。
窓の外には、秋塵を帯びた高い空が広がっている。夏の暴力的なまでの青が、少しずつ彩度を落とし始めていた。
私はコーヒーを一口飲み、エンターキーを強く叩いた。
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