再起動(リブート)の朝
週明けの月曜日。
私の目の下には、週末の涙と寝不足を隠しきれないクマが居座っていた。けれど、鏡に向かっていつもの「仕事用の顔」を構築し、私は家を出た。
オフィスの自動ドアが開く。
冷房の効いた乾燥した空気、サーバーの駆動音、そしてキーボードを叩く乾いた音。
ここには、あのアバンチュールの甘い香りも、湿った執着も、一滴も混じっていない。
「おはよう、木内さん」
声をかけてきたのは、高橋さんだった。彼女のデスクには、軽井沢で買ったらしい小さなガラス細工の置物が誇らしげに置かれている。
「おはよう。……高橋さん、楽しかった?」
私が努めて平坦な声で訊ねると、彼女は一瞬だけ、私の目のクマをじっと見つめた。
仕事ができる女特有の、言葉にしない「察し」の鋭さ。彼女はそれ以上何も聞かず、ただ短く頷いた。
「ええ、最高だったわ。……でも、帰ってきたら現実ね。昨日の夜、本番サーバーでエラーログが吐き出されてたわよ。チェック、手伝いましょうか?」
その言葉に、私は心の奥底で、カチリと何かのスイッチが入るのを感じた。
「いいえ、大丈夫。私の担当分だもの。……自分でやるわ」
「そう。……じゃあ、コーヒー、淹れてくるわね。ブラックでいいわよね?」
高橋さんはそれだけ言うと、給湯室へと消えていった。
「頑張れ」とも「大丈夫?」とも言わない。ただ、今の私が一番必要としている「苦いカフェイン」と「仕事への集中」だけを、彼女は差し出してくれた。
私たちは、手を取り合わない。
お互いの私生活に深く入り込むことも、悩みを分かち合って涙を流すこともない。
でも、隣の席で、同じ複雑なコードと格闘し、同じ納期を背負って戦っている。
私たちは、繋がらない。
けれど、同じ周波数で、それぞれの場所で独立して動いている。
依存という名の「同期」を捨てたからこそ、私たちは誰にも侵されない、自分だけのシステムを維持できるのだ。
「……よし、やるか」
私はモニターに向き合い、コマンドを打ち込む。
画面に流れる無機質な文字列が、今の私にはどんな愛の言葉よりも誠実に見えた。
エラーはない。
システムは正常に稼働している。
私の人生は、今日から、私だけの力で再起動を始める。




