地獄の始まり
二年から剣道部の顧問になった、男性としては少し小柄なI先生は、剣道というものに全く興味のない教師だった。自身が出るのが面倒だからか、学校が休日の練習を減らしたり、長年の伝道であった冬の寒稽古も止めてしまった。
それも残念な話だったが、特に私はその先生にとって目立つ存在であったらしい。
時折、じろじろ見られるだけならよかったのだが、私に対する風当たりだけはやたら強かった。未だに、私がその教師に何をしてしまったのが原因で目をつけられることになったのか、理由はよく分かっていない。
やたら、顔を近づけて言いがかりのような注意をしてくるのは日常茶飯事。お蔭で、手洗い場にまで迫られて、ひっくり返ったことなど一度や二度ではない。何故、ほかの部員はそんな目に合っていないのに、私だけそんな目にあわないといけないのか。勝気で厳しい先輩達が何かを言ったからかは知らないが、私だけきつく叱られた。
そんな二年の冬のこと。
右の踵の骨にヒビが入っていることが発覚した。しばらく、踵が痛いと思いながらも足を踏んばっていたのだが、大切な一級の昇級試験が二日後に迫っていたのもあり、病院で見てもらったのが運のツキ。剣道というものは、右利きの場合、右足で踏み込むため、正直右足の踵にヒビがはいるのはキツイのだ。
正直、医者からは昇級試験を受けないように言われたが、当時の私は断固として断った。
私は、ただでさえ周囲より経験も浅い上、実は一年の秋にも、剣道道場の帰りに友人の自転車をよけようとして、左手を骨折。全治2ヶ月という怪我を負い、元の筋肉に戻すのに苦労した苦い経験があった。
余談であるが、その一年後、当時つき指だと思っていた右手の薬指もそのとき折れており、後で親にこっぴどく叱られることとなった。
そういった理由もあって、ただでさえ経験者である他のメンバーより、下の階級だったから一刻も早く追いつきたい焦りもなかったとはいえない。
昇級試験は、学校ではなく、道場の先生を解して申し込んでいただいていたのもあって、道場の先生にテーピングの巻き方を教えてもらい、サポーターをつけ、その試験に臨んだ。痛みより、どうしてもその試験をやり抜きたい気持ちのほうが勝っていたのだ。
一応、実技試験はやり遂げたものの、落ちてしまった。
しかし、私はやりきったという達成感があったので、悔いはなかった。
その後、一ヶ月、踵の傷に負担を与えないために、踵をしばらく上げた状態で過ごすよう、医者から言われたのにも閉口したが、自分が招いたものだからしょうがない。
そんな気持ちを抱えて部活へ行くと、誰かがI顧問に私が昇級試験を受けたことを報告してしまったらしい。
――― 何故そんな状態で試験なんて受けるんだ
寒い廊下で、立ったまま長時間説教された。
松葉杖がないとは言え、私は踵の骨にヒビが入っているので、健康な足にも負担がかかり痛くてたまらなかった。
今から考えると、I顧問が私を説教したのは、自身の保身のためだろう。しかし、私は自分で納得して、試験を受けたのだから、何の指導もしてくれない教師に言われることはないはずだ。
そんな気持ちも、不器用な私の顔にはでていたのだろう。またもや、顔を近づけられ、それを避けていたら、洗面所にまで追い詰められこけそうになった。
身体の痛みもそうだが、この人にどうしてここまでされなければいけないのか、正直泣きたくなった。しかし、あの教師の前でくじけるのだけは、私の矜持が許さなかった。
ちなみに、怪我が完治してすぐの昇級試験には受かったが、これは私の執念以外の何者でもなかっただろう。