5話 今どきの強くて自立したヒロイン
「――お断りですわ!」
その瞬間――場の空気が止まった。
予想外の返答に見物人たちは息を呑み、クリフォードは言葉に詰まる。
「なっ、なんだと!?」
信じられないものを見たように目を見開き、あからさまな動揺を見せるクリフォード。
「レ、レイヴン、お前何を――!? わ、私が許してやると言っているんだぞ!? 早く頭を下げないか! 本当に婚約破棄になってもいいのか!?」
「ええ、もちろん。清々しますわ」
「なぁっ――!?」
これまでとは違うレイヴンの態度に、周囲にも不穏な空気が流れ出す。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします。王太子の立場で、これだけの群衆の前で婚約破棄を宣言したんですもの。今さら取り消せるとは思わないで下さいね」
「お、おま――!」
「今日も放課後に登城予定ですので、陛下にはわたくしの方から報告させていただきますわ」
「ちょっまっ――!」
「それではごきげんよう、クリフォード様」
軽くカテーシーをして見せると、そのまま踵を返すレイヴン。
野次馬たちが押されたように道を空ける中、悠然とした足取りで立ち去ろうとしたが――。
「き、貴様は本当にそれでいいのか――!?」
――クリフォードが必死の形相で呼び止めた。
「レイヴン、お前はこれまで王太子妃になるべく、妃教育に邁進してきたはずだ! 婚約破棄になるという事は、その努力がすべて無駄になるという事! よく考えろレイヴン、お前は本当にそれでいいのか!?」
「…………」
クリフォードの主張に、思わず立ち止まったレイヴン。
(なるほど、的確に私の嫌がるところをついてくる。流石は10年来の付き合い、私がポンコツ王子を理解してるくらいには、コイツも私の事を知ってるって事ね)
そもそもレイヴンとはどういう人間なのか――。
異世界に転生してからの16年間、彼女は聖女候補として生きてきた。
常に聖女らしく、正しく、清らかであれと言われ続けてきた。
そういった制約だらけの環境で育つと、人は失敗を恐れるようになる。
正当付けされた事を忠実にこなそうとする、責任感の強い人間に成長する。
そんな彼女を一言で現すと――完璧主義の努力家といったところだろう。
彼女のその性質は、妃教育が始まってからは特に顕著に現れ、教えられたことを完璧にこなす、それだけを指針に生きているようだった。
今の彼女から王太子の婚約者という立場を奪うのは、これまでの人生の努力と成果をすべて否定するに等しい。
(完璧主義――それが今世の私である『レイヴン』の性格。加えてそれは、前世の私である『望月楓』にも言える事)
前世である望月楓もまた、レイヴンと同じ完璧主義的な傾向の強い人間だった。
それはレイヴンのような環境からではなく、血の影響が大きいだろう。
楓の父は製薬会社の研究者で、頑固で職人気質な性格だった。
そんな父の血を受け継ぎ、背中を見て育った彼女もまた、自意識が強くこだわりの強い人間に成長していた。
ひとつの事に打ち込むことが得意で、それを極める事に喜びを感じる気質。
その反面マルチタスクが苦手で、色んなものを片手間にやるといったことが出来ない不器用な人間。
彼女の前世もまた、そんな完璧主義な人間だったのだ。
(転生して違う人生を歩んできたけれど、『今世の私』も『前世の私』も本質はそう変わらない)
完璧主義的な人間は、得意な事にはいつまでも打ち込めるけれど、苦手な事はついつい避けようとしてしまう。
自分がそういう人間だという事は、今の彼女はきちんと自認していた。
(だからこそクリフォード王子は婚約破棄なんて言い出したんでしょうね)
婚約破棄をすれば、レイヴンがやってきた今までの努力を全て無駄にできる。
彼女が生きてきた環境を取り上げ、今まで経験したことのない状況に追い込むことができる。
完璧主義者が一番嫌うのは、そんな『指針の無いシチュエーション』だ。
(それに私が耐えられないと思って婚約破棄なんて提案を……。ほんっとに性格悪いんだから、このポンコツ王子)
こちらを睨みつけてくるクリフォードに目をやる。
彼女がクリフォードの性悪さに辟易していると、彼はさらに突っかかって来た。
「お、おいレイヴン、何とか言ったらどうなんだ!」
「では僭越ながら……」
コホンと小さく咳ばらいをし、レイヴンは正面からポンコツ王子を見据える。
「クリフォード様は、何か勘違いをされているのではありませんか?」
「か、勘違いだと?」
「確かにこれまで努力してきた16年が、全て無駄になってしまう事には忸怩たる思いを感じますわ。ですが……高く積みあがったものを突き崩すのは、それはそれでまた快感なのですわよ?」
「は? 何だ、何を言っている?」
「ですからクリフォード様、つまりはですね――」
一般的に完璧主義者とは、こだわりが強くルールにうるさいイメージと共に『道徳的で責任感の強い人間』という一面も兼ね備えていることが多い。
そして――そんな真面目な性格だからこそ、逆に規則や秩序を破った時に、人一倍快感を感じる性質も持ち合わせているのだ。
例えば――普段は規律正しく生きていて、たまに羽目を外すのが一番のストレス解消法――そういう人が完璧主義者には多い。
そして時々、その羽目を外し過ぎてしまったりすると、いつもの行動からは考えられないほど、とんでもないことをやらかしてしまう事もある。
そんなときによく言われがちなのが「まさかあの人が……」という定型文。
今のレイヴンもまさにそんな気分だ。
だから――。
「つまり――婚約解消上等! クソ王子の思い通りになってたまるか! って事ですわ」
「なっ、なっ、なあっ――!?」
「……ご理解いただけましたか? それでは失礼いたします」
言いたいことを言い切ったレイヴンは、再びクリフォードに背を向けて歩き始めた。
その背中にクリフォードは怒声を浴びせる。
「ふ、ふざけるなレイヴン! この俺様に捨てられて、一人でやっていけると思ってるのか!? 絶対後悔することになるぞ!」
「……ご心配なく、クリフォード様」
荒ぶる彼に、振り返ることなくレイヴンが言い捨てる。
「わたくし、これからは男に頼る古いヒロインじゃなく、今どきの強くて自立したヒロインを目指すつもりですので」
そして立ち去る彼女。
残されたのは喚く王子と、言葉を失った観客たち。
朝の婚約破棄イベントはこうして幕を閉じるのだった。




